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観音崎散歩…3

(『観音崎散歩…2』のつづき)

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灯台を付属舎のある東側から見たところ。外壁は定期的に塗り替えられているのか、とてもよい状態に保たれています。

加えてデザインが直線主体ということもあり、とても大正末の竣工とは思えない現代風に見えますが、入口のひさしや灯台の回廊などの下にある、持ち送りが描く曲線に、わずかに時代相応の雰囲気が感じられました。

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付属舎のひさしの下には、ご覧のような銘板‥‥というより、履歴板でしょうか。つぶれて判読しにくい部分もありますが、書き出してみましょう。

臺燈埼音観/點初/日一月一年二治明/ 築改災(?)震/日五十月三年二十正大/日一月六年四十正大

大正11年4月26日に、浦賀水道付近で起きた直下型地震により初代灯台が損傷、翌年改築成ったと思ったら、その年の9月にふたたび関東大震災に見舞われ再度建造と、何ともタイミングが悪かったとしかいいようのないことがこの履歴からも読み取れ、関係者のご苦労が察せられました。(参考:『8.観音埼灯台横須賀市

167013.jpgそうそう、地名は観音「」ですが、灯台は観音「」なのですね。お恥ずかしいことに、まったく意識していなかったのですが、「灯台」をつけると、ちゃんと区別されて変換されているあたりは、さすがIME。

右の写真は、付属室の中、灯台本体の入口に掲げられた履歴板ですが、こちらはどういうわけだか、関東大震災後の改築が載っていません。先代灯台の履歴板を、あえて残したのでしょうか。

167014.jpg付属室の1階部分には、ささやかながら展示物が。ガラスケースの中に、灯台で使用された各種の電球と、近代化産業遺産指定の認定書、そして額縁に入れられた油絵は、灯台補給船・ハルナンバーLL01時代の「宗谷」! 

ご存知のとおり、後に南極観測船に抜擢され、補給船としての活躍は長くはありませんでしたが、灯台守が住みこんでいた時代には、本船の補給を待ち望んでいた職員家族が全国におられたことでしょう。有人管理時代の灯台を語るには、なくてはならない存在ですね。

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さて、楽しみな灯台の頂上へ。らせん階段に足を踏み入れると、壁面には全国の灯台の写真が、額縁に入れられてズラリ、これは壮観です。灯台の名前だけでなく、簡単な諸元も併記されていて、登っている最中も退屈させません。

(27年1月18日撮影)

(『観音崎散歩…4』につづく)

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タグ : 観音崎観音埼灯台

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