「都市計画運河橋梁」!

猛暑続きの中で珍しく、夜間に24℃くらいまで気温が急降下したせいでしょう。夏の涼しい朝、無風時に視程が急速に悪化するというのは、湾奥ではよくあることですが、出くわしたのは久しぶりとあって、そりゃもう、やる気の萎えることったらありません。

●とはいえ、雨は降らなそうだし、風が出れば青空ものぞくであろうと、気を取り直して出港。空同様、心晴れぬ気持ちを抱えながら、まずは曙北運河へ。
イグアナクレーンが睥睨する、汐見運河との丁字流近く、越中島線の鈑桁橋をまずは一枚。ガスるほどの無風のおかげで、水面はぬめったように平らかですが、何分この薄暗さでは、水鏡も楽しめないや‥‥と、ゼイタクな不満を抜かす船頭一人。
【撮影地点のMapion地図】

リベット組みの古い橋、かつこの付近では最も低いということもあって、親しく思ってきた橋の一つですが、どういうわけだか、名前や銘板の有無には、まったく注意を払わずにきてしまいました。きっと「越中島線・曙北運河橋梁」とでもいうのだろう‥‥と、軽く考えていたふしがあります。
●ところがこの日は、これまたどうしたことか、「そういえば、この橋の銘板て見たことないな。どこかにあるのかな?」と、見まわしてみる気になったのが妙なところ。
晴れぬ空に気をもんでいたおかげか、だとしたら、このお天気に感謝しなければなりますまい。まあ、不注意と気まぐれ、ここに極まれりで、ほめられた話ではありません。

●で、くぐりつつ見回してみると、あった! 北側側面の東詰です。‥‥えええ?
都市計画運河橋梁!
その古さと外観からして、地名の入った単純明快な名前を想像していたので‥‥。予想を裏切られたどころか、斜め上に突き抜けたようなネーミングにびっくり。悪いけど、全然似合ってない(ごめんね)!
●しかし、この名前はどこから来たのでしょう。荒川放水路が荒川と名を変えても、橋の方は元のまま「荒川放水路橋梁」を名乗り続ける伝で、曙北運河はかつて、「都市計画運河」を名乗っていたのでしょうか?一部の幹線道路が、「都市計画×号線」などと呼ばれていたのと、近いものも感じます。
橋梁趣味書の草分け「東京の橋」の著者、伊東孝氏の講演記録「川崎の都市計画と運河計画」(PDF)によれば、戦前の旧都市計画法にもとづいて、造られた運河もあったとのこと。
もしかしたら、戦前の曙北運河は、旧都市計画法のもとに造られた数少ない運河のうちの一つで、それを記念した命名だったのかしら‥‥? 以上はもちろん、単なる妄想に過ぎないので、ご存知の方がおられたら、ぜひご教示いただきたいものです。

●で、やはり気になるのが、塗装表記の下の銘板。暗くてブレたのと、文字がつぶれて読めない箇所もありますが、書き出してみると‥‥。読めない文字は〇で示しました。間違いがあったらごめんなさい。
昭和五年(午〇〇‘56’)
東京石川島造船所製作
活荷重 KS-18
鉄 道 省
-------------
〇 八幡製鉄所
材 L 製鉄所 日本鋼管會社
料 〇 浅野造船所
鋲(?) 浅野小倉製鋼所
●昭和5年生まれの、震災復興橋と同世代といってよい橋。こちらは名前と違って、予想通りといったところ。しかし、付き合いが短くないのも手伝って、名前のインパクトは相当なものでした。ユルい、ひらがな系の橋名とは対極の位置にありそうなこの名前、驚きはしましたが、嫌いではありません。一発で覚えたし。
(26年8月17日撮影)
(『大島川水門の工事…1』につづく)

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