先々代の加藤洲閘門?

●水郷関連の絵葉書を探してさまよううち、「日本水郷」と題した、袋入り8枚組の絵葉書に出会いました。「天然色・国際規格判」の文字も誇らしげな、白黒写真をベースに、製版でカラー化した絵葉書です。
水郷大橋、帆引き船、香取神宮と、おなじみの風景を題材に、この手の絵葉書特有の、ちょっと強調し過ぎとも感じられる色彩が目に沁みるようで、時代を感じさせ味わい深いもの。それだけなら、「フーン、いいなあ」で済んだものが、以下の一枚が入っていたことで、即決定となりました。
そう、水郷名物、極小閘門です!

●裏面のキャプションを読むと、「日本水郷情緒 野趣にとむ十二橋入口付近」とありました。十二橋入口とくれば、これは加藤洲閘門? いわれてみれば、画面奥が南として、閘室が左に曲がっているあたり、確かにそれらしい! それにこの水路幅、舟がみっちりもやっている様子、新左衛門川以外、考えられません。
ゲートが、「水郷の閘門について・二題」の絵葉書に出てきた、先代加藤洲閘門とはまた違った形であること、「仲江間閘門にマイタゲート疑惑?」で触れたのと同様の、マイタゲート取り付け跡(?)らしい構造物がゲートの手前に見えることと、ダブルパンチでハートわしづかみの物件を目の当たりにし、もうコーフン状態。
●上記の推測が正しければ、先々代の加藤洲閘門を写した、貴重な一枚ということになります。それだけでも嬉しいのですが、やはり気になったのは、マイタゲートが取り付け座だけで、扉体自身は姿が見えない点でした。
以下妄想すると‥‥。スライドゲートは水垂れが不快なため、増水時の閉鎖用として常時開にしておき、通常はマイタゲートで通航操作をするつもりでいたところ、スライドゲートの電動化で、マイタゲートを人力で開閉するより省力化がはかられたため、マイタゲートは取り外されたか、最初から取り付けられなかった‥‥といったあたりでしょうか。いきさつをご存知の方、ぜひご教示いただきたいものです!

なるほど、30年代末なら、雰囲気的にしっくりくると思います。しかし、仲江間閘門は凄いなあと、改めて感じ入ったことではありました。昭和30年代か、それ以前の水郷における極小閘門のスタイルを、いまなお維持してかつ、現役なのですから!

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