琵琶湖疏水の再舟航化成るか?


二つのインクラインと幾多の閘門によって水位差を克服し、琵琶湖から京都市街を貫流して、宇治川を経て淀川筋までを一つの舟航路とした、我が国を代表する内陸運河・琵琶湖疏水(『蹴上インクライン…1』~『南禅寺水路閣』参照)。

過去に何度か航路復活のお話はあったようですが、今回の取り組みは本気度が高いようで、近々試験航行があるとのこと。水路バカとしては動悸が高まるお話であります。以下、京都新聞サイトからの記事を引用させていただきましょう。



疏水船復活へ船出 京都、大津両市長が14日に試乗 2013年12月06日 09時20分

昭和20年代まで京都市-大津市間の琵琶湖疏水を行き交った船を観光活用で復活させる計画が、実現に向けて動きだす。過去に復活が検討されたが、安全上の問題で実現しなかった。両市は来年1月までに観光協会を交えた検討チームを設け、トンネルの耐震性などの課題を検討する。

 琵琶湖疏水は明治になって都が東京に移り、人口減少などで沈滞した京都の産業を振興するため、京都府の北垣国道知事が提案した。大津市と東山区の蹴上をつなぐ第1疏水約8キロが1890(明治23)年に完成した。明治期から戦後間もなくまで民間会社による船が往来して旅客や貨物輸送に使われた。しかし、鉄道開通に伴って運航が停止された。

 観光航路としての活用は、大津市の市民団体の要望を受け、1987年に京都府と滋賀県の両知事と京都、大津の両市長が一緒に船で下り、話し合った。ただ、琵琶湖の取水口から蹴上までの区間の約半分がトンネルで、管理する京都市が安全面の課題を挙げ、実現しなかった。

 昨年1月に「京都から観光客を呼び込むルートの創設」を公約に掲げて当選した大津市の越直美市長が京都市の門川大作市長に協議を呼び掛け、再検討が始まることになった。両市長が14日午後、第1疏水で大津市から蹴上まで船に同乗し、現地を確認する。

 検討チームは両市の観光担当課と観光協会、疏水が通る山科区役所、施設を管理する京都市上下水道局でつくる。課題の調整や疏水を生かした地域活性化策を議論する。

 京都市は「外国人技師の力を借りずに成し遂げられた偉業が今に伝える近代ロマンを多くの人々に体感してもらえるように幅広く可能性を探る」とする。



記事でもわかるように、試験航行は現存可航区間の最上流である、大津から蹴上船溜の間。

戦後舟運が途絶して後、市街地の区間は暗渠化や道路改良などにより通船が不可能になって、伏見インクラインも撤去されて久しいとなれば、三栖までの全線復活はもちろん、望むべくもありません。現状のまま船で通れるのは、疏水全体から見れば、ほんの一部に過ぎないともいえます。

しかし、疏水航路の白眉ともいえる、合計4㎞になんなんとする長大トンネルの続く水路を通れるだけでも、思うだに興奮してくるお話ではないでしょうか。

しかもそのトンネルが、明治に造られた装飾豊かなポータルを持つ、レンガの隧道とくれば、興味もいや増そうというもの。国内にも数少ない、「暗渠航路」がご当地の呼び物となる! 


ところで記事中には、試験航行に使う船について触れられていませんでしたが、水路幅も限られ、結構な流れがある疏水を走るとなれば、昔のように棹をついて、というわけにもいかないでしょう。

カディのない機付き和船があてられるものと思われますが、実際にお客さんを乗せて頻発させるとなると、トンネルの多い区間ということもあり、エンジン船では排気が問題になるかもしれません。

以下、例によって妄想ですが、電動船がよいのではないでしょうか。コスト高で馬力不足、かつ重量もあって航続力も限られと、船舶の動力としては魅力の薄い電動モーターですが、音が静かで排気ガスがない、という長所をこれほど生かせる航路は、まず他にないと思われます。

トンネル内に爆音を反響させることなく、また数隻で連なって航行する際にも、後続船に排気の匂いで迷惑をかけることもありません。

もし、この取り組みが成功を納め、さらに航路拡大という話になれば…。やはり妄想してしまうのが、大津閘門、蹴上インクラインも旧に復し、国内最大の水位差克服施設を動態保存するとともに、せめて南禅寺船溜まで、航路を伸ばしていただければ、ということ。

…まあ、妄想は広がるばかりで恐縮ですが、まずは試験航行がつつがなく終わり、お話が良い方向に向かうことを、願ってやみません。

久しぶりに琵琶湖疏水に思いをはせて、昔の絵葉書をいくつか眺めてみたくなりました。舟航華やかなりしころの大津、そして運転中の蹴上インクラインを写した、絵葉書4枚を以下に掲げます。航路として生き生きと躍動していたころの、琵琶湖疏水をイメージする助けになれば幸いです。

「続きを読む」をクリックしてご覧ください

(近江名所)疏水運河東口(美保ヶ崎)
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。

隧道断面に合わせ、屋形船と称するにはあまりに背の低い、「疏水型」とも呼びたくなる独特のスタイルを持った屋根舟が、びっしりと舷を接する賑やかな船溜風景。鉄道の発達によって、交通機関としての必然性は薄れたとはいえ、観光水路としてはなお意気盛ん、といった感じが伝わってくる一枚ですね。

今まさに隧道に向かわんとする舟が写っていますが、白く上がった煙は、発動機の排気でしょうか。それとも、舟内で酒食を供するサービスがあり、七厘などで煮炊きをしたその湯気でしょうか。


大津疏水墜道入口
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。

法面から屋根をかけた乗り場と、そこへ並ぶ乗船待ちの人々。その右には、遡上する舟を曳いているらしい、曳き舟人夫の姿も見えと、ディテール豊か。疏水は現在の水路と異なり、左側通航だったことがわかります。

疏水通船の営みの一端が垣間見えるのが、とても興味深い写真ですね。キャプションの「墜道」は、「隧道」の誤植と思われます。


(京都名勝)疏水インクライン
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


京都疏水【インクライン】
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。

インクラインの美しい彩色写真2枚。どちらも台車から前後を大きくはみ出させた荷舟が載っていますが、「(京都名勝)疏水インクライン」は、船尾を接した形で二隻載っているようにも見えます。一回の運転で、できるだけ多くの舟が行き来できるよう、長年のうちに編みだされた工夫なのかもしれません。

個人的な印象としては、運転中のインクラインを写した絵葉書は、荷舟搭載時のものが多く出回っているようですね。上の2枚にあるような、客扱いをする舟が運ばれている様子を写したものは、残念ながらまだお目にかかっていません。

(冒頭2枚、21年9月11日撮影)

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タグ : 蹴上インクライン 琵琶湖疏水 絵葉書・古写真

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