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土浦再訪…1

136001.jpg10月13日は、霞ヶ浦畔の土浦を再訪してきました。昨年5月4日(『ホワイトアイリスに乗って…1』ほか参照)に訪ねた後、興味が湧いていくつか見てみたくなった場所ができたこともあり、秋のドライブと洒落込んでみたのです。

幸い、穏やかで気持ちのよい秋晴れに恵まれて、水運に関連するもの以外にも、さまざまな興味深い物件に出会うとことができ、楽しめました。
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前回は、ご当地の神社にご挨拶していなかったのが気になっていたので、今回はまず神社を目指そうと検索してみると、土浦市真鍋におわす八坂神社がヒット。土浦城の鎮守だったとのことで、第一の目的地はこちらに決定。

国道125号線から曲がりくねった細い道、「八坂通り」に入ってしばらくゆくと、住宅地の中に、杜に囲まれた神域が出現。季節柄、七五三の参拝客が多く見られ、晴着を着た子供たちの声で賑やかでした。

水辺との縁も浅からぬ、土浦城ゆかりのお社とくれば、水運に関連する史跡も何かあるかも…と、参拝後は例によってよこしまな期待をしつつ、境内をうろついてみることに。
撮影地点のMapion地図

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残念ながら、期待した石碑のたぐいは発見できなかった(気づかなかっただけかも)ものの、本殿向かって右側に、気になる境内社が。招魂社ですね。

鳥居は苔むして少々傷んでおり、拝殿も軒が傾いて、参道の敷石も土ぼこりでざらついているなど、いま一つ手入れがされていない様子。痛ましい思いで、こちらもお参りしようと、一礼して鳥居をくぐると…。

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お賽銭箱の真ん中に、星の紋章が! 旧陸軍のマークだと、ピンと来るものがありました。

改めて見てみると、お賽銭箱も装飾に乏しい割には、四辺を鋲の打たれた銅板(?)で補強されていたりして、妙にがっちりとした質実剛健な造作。いかにも旧軍らしい雰囲気なのです。

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拝殿の扉も、右に旧陸軍の星、左に旧海軍の桜に錨と、さらに立派な紋章入り。よく見ると、錠前にも星が! 陸軍色の濃い招魂社なのでしょうか。土浦というと、航空隊があったこともあり、旧海軍の印象が強いので、ちょっと意外ではありました。

他地方の招魂社や護国神社にお参りしたことがないので、これが珍しいことなのかどうかはわかりませんが、神社の建築物そのものに、旧陸海軍のマークが入っていること自体新鮮で、興味を惹かれたのです。末永くこの姿をとどめることを願って、丁重に参拝。

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招魂社のさらに右奥には、海軍工廠の殉職者を祀った忠霊碑が。こちらも訪れる人もいないのか、石碑は半ば繁った葉に覆われ、敷石には木の実が積もっていました。

説明板にあるように、戦後長く忘れ去られ、打ち捨てられていたのをここに移築再建した、という由来とともに、物悲しくなるような風景でありました…。

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八坂神社を離れて、お次は土浦城址へ。土浦市立博物館で、ご当地ゆかりの水運関連の展示や、資料を拝見するためです。
撮影地点のMapion地図

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エントランスホールでは、高瀬舟の大型模型が迎えてくれました。川口町の船大工さんの手によるものだそうで、内水の港町として栄えた街の記憶が感じられます。古写真で見る高瀬舟より、だいぶ寸詰まりで帆の反数も少ないような感じもしますが、数ある中にこういうタイプもあったということなのでしょう。

展示を拝見した後、販売している図録から1冊、「むかしの写真 土浦」(土浦市教育委員会・土浦市文化財愛護の会編、平成2年3月発行)という上製本の写真集を購入。街並みの変遷はもとより、川口港や桜川に浮かぶフネブネ、中には川蒸気も写っている写真もあり、大満足でした。珍しいところでは、大正末~昭和初期に土浦と阿見の間を走っていた、常南電車の写真もあるなど、興味深い写真が満載です。

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博物館を出ると、すぐ目の前は土浦城の内濠。岸辺の石垣と、木立の間に見え隠れする西櫓の白い壁。しっとりとした街中の水辺の佳さに誘われて、少しお散歩してみることに。

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二の丸に入ると、泉水をめぐる散策路になっていました。現在城址として残されているのは、本丸と二の丸のみで、土浦城の別名をとって、亀城(きじょう)公園となっています。

平地に造られた平城とはいえ、城域そのものは微高地を利用しており、桜川の沖積地であった周囲が洪水で水没しても、お城のみちょうど亀の甲のようにぽっかりと顔を出していたことから、亀城の呼び名が産まれたとのこと。このあたりの地勢をしのばせる、興味深いネーミングではあります。

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ぶらぶらお散歩していると、本丸と二の丸の境目あたりに、立派な忠霊塔…いや、忠魂碑を発見。

しかし、台座が抜け上がって傾いてしまっており、あまりよい状態とはいえません。土浦は、先の震災の被害も少なくなかったところですから、こちらの補修にはまだ手が回っていない、ということなのでしょうか。

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ブロンズの装飾をアップで。旧陸海軍を示す星に錨、上に羽ばたく鳥は鷲でしょうか。

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泉水のそばにあった、水門…いや、樋門…というのもまだ大げさだな、まあ、水の落とし口といったあたりでしょうか。

コンクリート製ながら、えもいわれぬ魅力のあるカタチに惹かれて一枚。

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東側の内濠に出て、反橋造りの可愛らしいRC橋を写す水鏡を一枚。この濠も、水郷の城の例に漏れず、かつては縦横にめぐらされた水路の一部であり、物流路でもあったわけですが、そんな昔がしのばれる角度です。

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このお濠、亀城の名にたがわず、実に亀の多いところ。そこここに元気のよい亀がすいすいと泳ぎ回り、写真のように排水口の上には、甲羅干しを楽しむ亀たちで大賑わいでした。

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昼食は前回(『「保立食堂」で通運丸に出会う!』参照)同様、保立食堂にお世話になりました。お昼時とあって混んでいましたが、幸いお座敷の席が一つ空いており、ご先代の描いた河岸風景の絵を眺めながら、天ぷら定食をいただきました。場所は変わりましたが、通運丸の絵も健在ですよ!

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昼食後は、保存されている川口川閘門(『土浦のマイタゲートと川口港』参照)の扉体と、排水機場のポンプを訪ねました。改めてお断りしておきますが、川口川閘門は「船の階段」としての閘門ではなく、単なる逆水防止用の水門を、閘門と呼んでいたものです。

現役時代に設置されていた、現常磐線ガードのすぐ近く、高架道路の下の小公園に、一対あった扉体の片割れと、モーターとセットになったポンプが露天保存されていました。
撮影地点のMapion地図

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扉体のスキンプレート側からアップで。埋められている部分は、半分…いや、3分の2くらいでしょうか、現役時の絵葉書より、ずいぶん小さく見えます。上端左側には、開閉用のロッドが連結されていた軸受が突き出していますね。

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暗く撮れてしまいましたが、裏側も。絵葉書の写真にはなかった、天端のスピンドル軸受らしいものが気になります。後年、追加装備でスルースバルブをつけて、開放する前に、水門内外の水面を均衡させるしかけとしたのでしょう。

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左がモーター、右がポンプ。がっちりした鋳物の台座に乗っています。曲面で構成された外観に、カタツムリの角を思わせる吊り上げ用のアイが突き出して、まるで軟体な生物のような印象。ポンプの表面には、荏原製作所の銘がありました。

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モーターの銘板をアップで。飯村電工社と、富士電機製造の2枚がありました。

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保存されている小公園から、常磐線のガードを望んで。あのガードのあたりが、川口川閘門の本来あった場所で、常磐線の築堤に堤防を兼ねさせ、ここ川口川の河口部に鉄橋と水門を設けて、霞ヶ浦から襲い来る逆水への備えとしたのです。つまりこの道は、首都高の一部と同様、水路跡を利用した道路というわけですね。

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かたわらに立てられていた説明板。明治39年の設置以来、70年間も現役で稼働していたとは。いくたびかの改修はあったことでしょうか、水に浸かりっぱなしのマイタゲートとしては、竣工時の扉体を使い続けていたとしたら、長命な部類かもしれません。


(25年10月13日撮影)

(『土浦再訪…2』につづく)

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タグ : 川口川閘門 土浦市立博物館

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