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大洗磯前神社にて

(『中丸川水門…3』のつづき)

117016.jpg中丸川水門を離れて那珂川を渡り、大洗磯前神社に参拝することにしました。その名のとおり、太平洋の波が洗う磯を足下に、小高い丘の上におわすお社で、表参道に建つ一の鳥居も立派なもの。石段の上から望む海の眺めも素晴らしく、今までご挨拶しなかったことが悔やまれました。

海にゆかりが深そうな神社ともなれば、海事や船舶に関連した奉納物や石碑があるかも…と、例によってよこしまな期待をしつつ境内へ入ったところ、予想を上回る発見に、驚かされることになったのです。
撮影地点のMapion地図

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117017.jpg境内の南西側にある駐車場の片隅に、木造の小屋掛けのようなものが。周りは生い茂った木々で覆われ、板壁はすっかり色あせて、場末感の漂う建物ながら、前には石段が設けられているのがいわくありげです。

そのまま通り過ぎようとして、アレッ? と気づかされたものがあり、急いで取って返し近づいてみると、何と!



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貝の付いた跡も生々しい、古びた巨大な四爪碇が!

洋式錨でない、純和式の碇(ここは『錨』でなく、『碇』と書きたい!)です! なぜこんなところに四爪碇が? もしかして、大型和船の船乗りが奉納したものかも…と、テンションを急上昇させながら、改めて背後の小屋掛けを見回してみると…。

117019.jpgもう碇、碇、錨! 数十年では効かない年月を経ているのでしょう、錆びて朽ち果て、崩れた鉄片を床に積もらせた碇の群れが。洋式のストックアンカーや、船具らしきものも見られましたが、ほとんどが和式の碇です。小型の碇は、漁船のものでしょうか。

この小屋掛けが何のために設けられたのか、鈍感な私にも察しがつきました。役目を終えた碇たちを奉納し、供養するためのスペースといったところなのでしょう。その壮絶といってもいい過ぎでない光景に、こうべを垂れて手を合わせたものでした。

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117021.jpg単なる板壁と思えた三方の壁も、よく見ると、たくさんの奉納額が掲げられていました。そのほとんどが色がすっかり褪せて、彫ってあるもの以外は、もはや判読が難しい状態です。

右の写真のように、神仏の像を描いたと思しきものも見られたことから、船絵馬に近い、手の込んだものもあったかも…。この状態から考えて、碇や船具を奉納する風習や、もしくはそれを続けていた講社が断絶して、もう久しいのでしょう。

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もっとも驚かされたのが、1基のみながら、捕鯨砲が置かれていたこと! 沿岸捕鯨に携わっていた、キャッチャーボートから取り外されたものでしょうか。

よく見てみると、砲耳(砲身の横にある、砲を上下に動かすための軸)が露出していることから、乗っている台は本物の砲架でなく、奉納のためにあつらえたものと思われました。 

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117024.jpg境内には他にも、ご覧のような「軍艦那珂忠魂碑」も。ご当地の川にちなんで名づけられた、旧海軍の5500t型軽巡洋艦ですね。横の小さな碑には、竣工から戦没に至るまでの艦歴が記されていました。

右写真、いま一つの碑には、線画で艦影が描かれていたのですが…。……、う~ん、ええと、ちょっとこれは、どう解釈してよいのやら…。


117025.jpgこちらは、大洗海洋博物館の玄関前に展示されていた、大型漁船の模型。解説によると、昭和30年代、那珂川河口を母港として、カツオ・マグロ漁に活躍していた木造漁船の模型だそう。

だいぶ痛みが進んでいますが、手すりは木製挽物パーツを使うなど、昔の船舶模型らしい味のあるディテール。レーダーがなく、方向探知機のループアンテナのみが船橋上に目立っているのと、補助帆装が時代を感じさせますね。

(25年4月14日撮影)

(『大貫運河跡を訪ねて』につづく)

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タグ : 大洗磯前神社

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