生きている大運河・佐陀川…7

(『生きている大運河・佐陀川…6』のつづき)

115083.jpgさらに下って、鹿島町武代付近、南岸から上流側、佐陀本郷を望んだところ。左手の削り取られた山は、新道工事のためでしょうか。水辺にはふたたび木製の桟橋が増え、繋留船が見られるようになってきました。右手の水際の道、柵もガードレールもなく、曳船道を思わせる雰囲気なのがそそりますね。

佐陀川の竣工によって、江戸時代、宍道湖沿岸各地から舶載された藩米は、ここ武代の川方役所に設けられた米蔵に集約され、恵曇から廻船で出荷されたとのこと。地域の物産輸送のみならず、全国的な物流網に組み入れられたわけで、ここが曳船道だったとすれば、曳き舟人夫の掛け声で賑わった時代も、あったかもしれません。

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ここに架かるのが、地名を冠した武代橋(たけだいばし)。ご覧のとおり、なかなか雰囲気のあるRC桁橋で、ぐっと反った中高の造りが、舟航河川を感じさせてよいものです。

川幅がここでぐっとしぼられる、いわば狭窄部であることも、他とちょっと違った雰囲気を感じさせる一因かもしれません。かつては汽船の寄港地でもあった武代、船着場はどのあたりにあったのでしょうか。

115085.jpg北岸から見た武代橋。土地の標高が低いせいか、取り付け道路は結構な急勾配で、クルマにとっては少々難儀なところ。沿岸にもやう漁船、鹿島マリーナを母港とするプレジャーボートを含めて、通航船もかなりの数にのぼるとなれば、フネ優先の造りもうなずけようというものです。

親柱には「1971.6竣功」の銘がありました。遠目にはもう少し古そうに見えましたが、どうやら合同汽船の走っていた当時のことは、知らない橋のようですね。

115086.jpg武代橋の上から、佐陀川を眺めてみたくなり、上流・下流とも一枚づつ。右はすでに先日のタイトルで掲げた、上流側です。靄でかすむ山あいに、ささやかな平野が広がり、その真ん中を佐陀川が一直線に貫いている、胸のすくような運河風景!

ちなみにこの佐太本郷一帯、大昔は「恵曇陂」(えとものつつみ)という池だったとのこと。なるほど、この平らかさ、水際のひたひたな標高の低さと、かつてが沼沢地であったことを感じさせますね。

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そして下流側。繋留船や桟橋の多さが、恵曇漁港が近いのを感じさせる…ことはさておき、目を見開く思いがしたのは、一見して実にわざとらしく(笑)、水路が屈曲していたことです! 季節風による吹き寄せや、波浪の被害を防ぐため、人為的にクランク区間を造ったのでは? …と思わせる雰囲気だったのです。

先に紹介したPDFでも、94~95ページにこの蛇行について触れられており、いわば実物で復習をしたかたちになりました。もっとも記事では、「…と考えられており」とぼかされていて、確証となる史料はなさそうなニュアンス。見方によっては、単に微高地を避けたか、または旧河道をなぞったとも取れなくもないので、この点確かめようがなければ、謎のままなのかもしれませんね。
撮影地点のMapion地図

(25年3月16日撮影)

(『生きている大運河・佐陀川…8』につづく)

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タグ : 佐陀川

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