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「里帰り」した話…3

(『「里帰り」した話…2』のつづき)

113026.jpg草深い山間の細道を抜け、子供のころに戻ったような探検気分で、間近に迫った小網代湾最奥部へ。

まあ、もともとハイキングコースに指定されていたほどの道であり、近年になってその筋(どの筋?)には、すこぶるつきの有名なエリアとなった湾奥一帯ですので、よくご存知の方も多いのでしょうが、自分にとっての想い出の地ということで…。

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113027.jpg小川を板橋で渡りしばらくゆくと、道はにわかに勾配を増し、森はますます深くなって、踏み分けた土もじめじめと湿った部分が多くなってきます。

写真の切通しになったあたりが、いわばこの道の峠で、向こうに明るい空が見えてきました。このサミットのあたりに、案内の地図が掲げられているのですが、それは後ほど紹介しましょう。


113028.jpg峠を越えると、あとは湾最奥部に向かって急な下り坂になり、風景も開けてきました。この坂は湧き水が流れていて、とても滑りやすいので、路肩に足を踏みしめて、慎重に下らなければなりません。

坂も間もなく下り切ろうというあたりで、二つ目の目的地が見えてきました!




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ご覧のとおり、高欄もない簡素なコンクリートの橋が、小川と呼んでさしつかえない流れを渡っていますね。小網代湾の最奥部は、ささやかながら河口なのです。

手前に板橋が渡されていますが、もともと2径間なのかというと、そうではありませんでした。道から外れて、西側から見てみましょう。

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橋脚と見えた部分は、実は橋台である(あった)ことがわかります。左岸は蛇籠に詰めた砕石で復旧されていますが、右岸は素通しのまま、鋼矢板と仮橋で応急処置をした風ですね。増水時に橋台部分の土盛りが流されて、川幅を押し広げてしまったというわけです。

確か昭和の終わりごろだったと思いますが、ある夏に訪ねてみたら、橋の周りがごっそりと削り取られており、驚いたことを思い出します。小なりとはいえ、いくつかの谷から流れ下る水を集めた河口部、やはり水の力は偉大なものですね。

113031.jpg干潟に下りて、もう少し離れたところから改めて。低い山並みをバックに、静かにたたずむ古びたコンクリート橋、街場のそれとはまた違った、素敵な河口風景です。

潮が引くと、先ほどの白髭神社の近くまで広大な干潟が現れ、その一面に無数の小ガニがうごめいて、陽光にキラリ、キラリと甲羅を光らせながら、潮を招くダンスをしているさまは、実に壮観でした。この橋の上から、飽かずそれを眺めたものです。

113032.jpg橋台のアップ。骨材の洗い出されぶりから、かなりの星霜を経てきたことが感じられます。無銘橋なので、竣工年は知るよしもありませんが、6~70年は経っていそうな印象ですね。澄んだ水を通して、洗掘が進んでいるさまも見られました。

一見したかぎりでは、桁の方が橋台より新しそうな感じがします。橋台の幅にくらべて、桁が妙に狭いことから考えると、あるいは桁は一度、架け替えられていたのかもしれませんね。もとは橋台と同じ幅の、木橋がかけられていたとか…。

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桁の下流側は、下端の角が落ちて、鉄筋が露出していました。上流側はほとんど欠けていなかったので、あるいはシーボニアの防波堤を壊したような大型台風のあったとき、流出した艇や流木がぶつかって、欠けてしまったのかも…と、あれこれ妄想。

この干潟のすぐ西にあるもう一つの入江には、大戦末期に旧海軍の爆装モーターボート「震洋」部隊が駐屯していましたから、橋台の古さからして、もしかしたら旧海軍の手によって造られたものかも…。いや、これも妄想で、何の根拠もありません。

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橋の上から上流側を見て。遠い昔はここも、入り江の一部だったのでしょう、谷間にささやかな平野を造りながら流れ下る姿、いいものです。

子供のころ、カニや虫を採ったり、探検ごっこをしたりと親しんだこの川。名前などないだろうと思い込んでいたのですが、近年になって先ほどの切り通しに案内板が立ち、その地図に「浦の川」と書かれていて、ン十年越しで名前を知るところと相成りましたです。浦の川さん、お世話になりました。

113035.jpg左岸橋詰近くに建つ家屋、状態から恐らく廃屋だろうと思いますが、橋が被災した増水時には、当然この家も水に浸かったことでしょう。このあたり記憶がおぼろげなのですが、私が小さかったころは建っていなかったと思います。

ガサツなもので恐縮ですが、白髭神社からのおおむねのルートを、下に掲げたGoogleマップのキャプチャ画像上に描いてみました。茶色い○で囲ったところが、浦の川河口にあるコンクリート橋です。

オレンジ色の楕円で囲ったあたりは、山裾を切り開いたような平地で、かつて数軒の別荘があり、この前に面した岩場には、少なくとも私の小学生のころまでは、木製の桟橋が設けられていました。今は別荘群もすべてなくなり、うち一軒の庭の跡に、離れの小屋が傾いて残されているばかりです。

そういえば、この別荘前の磯、踏みつぶさなければ進めないくらい、たくさんの小さなヤドカリがうごめいていたっけ…。ヤドカリの入っていた貝が、鉛筆の先のようにとがった、小さな巻き貝ばかりだったのが珍しかったのですが、あれは何貝だったんだろう。

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ホンモノのGoogleマップで小網代湾最奥部を表示

しかし、こうして航空写真で干潟を眺めてみると、子供のころとくらべて、流路がずいぶん南寄りになったように思えました。昔はもっと、こう真ん中らへんを蛇行して流れていた気が…。ここがまさに河口部で、沖積が今もって進行中であることを、当たり前ながらまざまざと感じさせたことではありました。

113036.jpgこれが峠の切り通しに設けられた、案内の地図です。これがあれば、わざわざGoogleをいじらなくともよさそうな気もするのですが、そこはそれ。

この案内板が設けられたころでしょうか、一帯が「ト〇ロの森」と呼ばれているのを知って、愕然(笑)としたのは…。


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河口から西側、傾いた陽にぎらつく干潟を眺めて。おりしも潮が満ちてきて、上げては少し引き、またわずかに上げてと、呼吸をするような水面の動きを堪能できるのは、なだらかな沖積地ならではの面白さですね。

最初が、塩ビのチャチな伸縮式オールがついた小さなインフレータブル、そして「外輪式手動船外機」を取り付けたFRPテンダーと、舟遊びのよちよち歩きを始めたのが、この浦の川河口から干潟一帯の水面でした。いわば、私の舟行きの出発点でもあるところなのです。

そもそもからして河口であり、沖積地であるところが、何か因縁を感じる…などと書くと、ちょっとこじつけめいてしまいますか。

ともあれ、磯遊びや探検ごっこから始まり、澪筋を漕ぎ回ったころから、水や舟のあれこれを学ばせてくれた小網代湾、うるさい小僧の相手をしてくれた地元の方々、そしてこの地へいざなってくれた伯父一家に、改めて、感謝の気持ちでいっぱいになった「里帰り」でありました。


(24年3月11日撮影)

(『「里帰り」した話…4』につづく)

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タグ : 小網代湾 浦の川

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