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「里帰り」した話…1

113001.jpg私の木っ端ブネ趣味の揺籃の地は、神奈川県の三浦半島にある入り江です。

まだ小さかったころから夏になるたびに訪ね、沿岸の風物や周辺の水域に親しんだこともあり、母港を東京に移して縁が薄くなった今も、第二の故郷といってもいい過ぎでない懐かしさがあって、年に何回かは訪ねたくなる土地でもあります。

「海のロシナンテ」を読み返して、20ン年前の船舶免許を取ったころが思い出されたことをきっかけに、幾度か「里帰り」したときの印象を、書き留めておきたくなりました。想い出話で恐縮ですが、しばらくお付き合いいただければ幸いです。

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今の艇に乗るようになってから、一度だけですが、「里帰り航海」をしたことがあります。デジカメ導入以前のこととて、プリントからスキャンした写真になりますがご容赦ください。

どういうわけだかアルバムには撮影日時のメモがなく、平成16年8月のどこか、としかいいようがないのが痛いところ。しかも、久しぶりの東京湾縦断でアガっていたのか、ほんの数枚しか撮っていないのが何とも。ともあれ、平成の初めごろ、江戸川遡航に何度か挑戦していたときとは、逆のコースをたどったわけです。

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写真はおそらく、三崎と城ヶ島の間の水道を抜けて、相模湾に入り北に変針した直後でしょうか。東京湾のそれとは違った深みのある海面の色、波長の長いまろやかなうねりに、久々の相模湾の味を噛みしめたことが思い出されます。

朝早く東京を出て、凪いでいるうちにできるだけ航程を消化し、波浪し始めたら港に避難するのが、木っ端ブネでの遠出の定石ですから、写真の時点でまだ午前中だったはず。幸いにも天候は穏やかで、何度も通った潮路ではありましたが、先代艇からしばらくブランクがあったせいで、いま一つ勘が取り戻せていなかったのでしょう、思った以上に緊張させられたものでした。

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この付近の沿岸には、かなり沖合まで結構な数の定置網が仕掛けられているので、西に迂回するような形でしばらく北上すると、見えてくるのがこの紅白塗りのブイ。目的地も近いということで、ホッとして行き足をゆるめつつ撮ったのでしょう。

ブイの側面には「沖 さがみ あじろ」と書かれていますが、網代ははるか対岸の伊豆半島にある地名で、三浦とは関係がないような…はて? 私が免許を取りたてのころは、確か設けられておらず、割と近年の設置だったと思います。ともかくこのブイが、湾口への航路を示す道しるべ。かつての母港まで、あと一息です。

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ホンモノのGoogleマップで小網代湾を表示

入り江の名前は、小網代(こあじろ)湾。
リアス式海岸というのでしょうか、台地からそのまますとんと落ち込んだような、水深のある湾入が、南から諸磯、油壺、小網代と三つ隣り合って、入り組んだ地形をかたちづくっています。小網代湾はそのうち、もっとも北に位置する最大の入り江で、東西およそ1.7km、南北が0.6kmほど。

点在するいくつかの小さな砂浜と、最奥部に見られる干潟をのぞくと、沿岸のほとんどは急傾斜地か、海食による岩肌を露出させた崖で、三方からの風を防いでくれる、まさに天然の良港といったところ。緑したたる崖線、さざ波が洗う磯と、海上の艇から眺めても、高台から見下ろしても風光明媚なところです。

北岸には、人が住むのに適した平地はほとんどなく、神社やお寺を擁した昔からの集落は、南岸の中部から奥部にかけてまとまっています。このあたり、海事史的なことも含めて、興味をそそられる部分がいくつかあるのですが、これは後ほどお話ししたいと思います。

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さて、小網代湾に入った我が艇は、シーボニアの西側に投錨し、一息入れることにしました。ここを母港にしていたころは、帰ってきてもいきなり桟橋につけたりせず、とりあえずこの錨地でのんびりたゆたう、というのが定番になっていましたので、アンカーを入れた瞬間、何とも懐かしい、リラックスした気持ちになったものでした。

その道の方はよくご存じとは思いますが、シーボニアは昭和42年創業、大型マリーナとしては、草分けのひとつといってよい老舗。それこそ子供のころのヨット教室から、先代艇のメンテナンスまで、長きに渡りお世話になりました。もっとも、艇を預けていたわけではなく、シーズン中に臨時で断続的に繋留・上架してもらっていたのです。

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錨地の賑わいを写した写真を探したのですが、ううむ、このときは本当に写真を撮っていないな。仕方ないので、もっと以前の写真から。これは日付がメモしてありました、平成7年8月6日です。過去ログ「平成7年8月・江戸川…1」「平成7年8月・江戸川…2」から帰った直後ですね。先代艇の、ヒン曲がったハンドレールが写っています。

ところどころ岩があるものの、底質はおおむね砂で錨かきもよろしく、南風をほぼ完全に防いでくれるとあって、まさに錨地として絶好の環境でした。錨泊できる水面の広さも、航路を残してなお余裕があり、このあたりでは最大の錨地だったと思われます。好天の午後ともなれば、小網代湾内のみならず、近くのマリーナからも多くの艇が遊びに来て、ご覧のとおりの賑わいを見せたものです。

写真奥にも小さく写っていますが、錨地南岸には、磯にはさまれた小さな浜辺に、海の家わずか2軒という可愛らしい海水浴場がありました。興が乗ると、艇から海水浴場まで泳いで上陸し、海の家で食事をしてまた艇に戻る…なんてこともやったものですが、今やったら絶対に具合が悪くなるな…。



113007.jpg以下、昨年3月11日に訪ねたときのことを。春先の小網代が見てみたくなり、ドライブがてらの里帰りです。

シーボニア南西端から、西側の磯を眺めたところ。さすがに船影は少なく、磯近くに一艘の端舟が浮かぶばかりでしたが、水は見事なほど澄んでおり、海底の砂や海藻が透けて見えました。夏の賑やかさとはまた違った、静かで美しい磯風景を堪能。来てよかった…。


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クラブハウス2階のレストランで、昼食をとることにしました。待つ間、テラスに出てハーバーのポンドを眺めて過ごします。私がお世話になっていたころは、ポンドのある方がヨット専用でハーバー、東側の陸置ヤードがモーターボートも扱うマリーナと区別されていたのですが、今はどうなのでしょうか。

写真左手の防波堤のみ、コンクリートの肌が真新しいですが、これは昭和60年7月に一度台風で全損してしまい、新たに造り直したためです。子供のころから魚を採ったりして遊んだ、頼もしくそこにあった防波堤が、瓦礫となって沈んでいたさま、スタッフから聞いた被災当日の話とともに、今でも生々しく思い出されます。

最近も平成21年10月に、台風で大きな被害を受けたそうで、ご苦労がしのばれました。被災の状況については、長年シーボニアを母港とされているヨットオーナー、ハリー岡野氏のサイト「Harry's Sailing Cruiser りりあんと3号」の、「ブルーバードVI世 台風被害」に昭和60年、「りりあんと3号 乗艇日誌2009-10~12」に平成21年の様子が掲載されています、ご参考まで。

113010.jpg食後は人気のないのをいいことに、ハーバーのポンドをぶらぶらと、お散歩させてもらいました。

桟橋から海面をのぞき込むと、いや~、ほめてやりたくなるくらいの透明度! ポンツンからにょきにょき生えている海藻さんも、何だかのびのびと嬉しそうに見えますね。



113011.jpgむむっ、これは! 和船、しかも艪や櫂を無造作に積んだ、現役臭濃厚な様子とあれば、撮るなといわれても撮りたくなりますとも、艪走愛好家・和船オーナー志望者としては(オーナーの方、申しわけありません)。

ううう、シーボニアもここまで発展したか(?)…と、わけのわからない感動をするオカ船頭。

この後、後ろに見えるハーバー事務所にご挨拶したのですが、私がお世話になった昔からのスタッフは、皆さん退職されていました。

まあ、自分のよわいを思えば当然ではあるのですけれど、やはりさびしいものが…。

113012.jpgあっ、ちょっとだけレールが残っている! ここ、以前はインクライン式のリフトがあったところなのですが、昔はここから修理ヤードまで、超広軌の線路が敷かれており、フランジ付き車輪をはいた船台を、移動させるために使われていたのです。

線路は短いながら複線で、渡り線にはダルマ型転換器を備えたポイントまであったりと本格的(何が?)で、その筋の愛好家が見たら、興奮間違いなしの物件でした。残念ながら今は、写真のレールの外、跡形もありません。

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シーボニアを離れて、湾奥に向かうことにしました。子供のころよく通った、駄菓子屋のあった集落を抜け、道が崖に沿って登るところで、湾口を振り返って。左手に漁協のスロープ、右はマストを林立させた、海上係留艇の泊地が見えます。油を流したような、という言葉がいかにもしっくりくる、鏡のように穏やかな水面…。小網代の魅力が凝縮された、大好きな角度の一つです。

目的地は二つ、想い出深く、かつ趣味的にも興味をそそる場所。海辺に似合わず、ちょっとした山歩きを楽しめるところでもあるのですが。

(特記以外は24年3月11日撮影)

(『「里帰り」した話…2』につづく)

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タグ : 小網代湾和船

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