柳川堀割めぐり…0
(『福岡の水上バス…7』のつづき)
●佐原・潮来に挟まれた下利根の水郷・十六島。淡海・琵琶湖の内湖に広がる葦原の水郷・近江八幡。そして有明海を間近に控えた、城址の堀割を中心とした水郷・柳川。
いわゆる「三大水郷」と呼ばれるこれらのうち、十六島はご存じのとおり、折に触れては遊びにゆく親しい土地となり、近江八幡は20年8月に訪ねて大いに堪能したものの、柳川だけはなかなか機会に恵まれず、長らく未探訪となっていました。
●7mという、関東では想像もつかないような、大きな干満差のある有明海を前にしたがゆえに、全国にも類を見ない発達をした、利水・水運施設としての無数の堀割群(詳しくは建設コンサルタンツ協会HP・市場嘉輝氏執筆の記事『水に浮かぶ町「柳川」』がお勧め)が広がる街、柳川!
「水郷」と名の付く土地に目がない船頭としては、ぜひ一度訪ねておきたいところではありましたが、訪ねるチャンスをつかめずに、悶々とときを過ごしていたのであります。
●「柳川に行ってみたいなあ…」と想いを募らせているとき、折に触れて開いてしまうのが、Googleをはじめとする地図サイト。柳川周辺の地図がモニター上に展開するたび、

ホンモノのGoogleマップで柳川市中心部を見る
殺 す 気 か。
…と、ひとりツッコミを入れてしまうほどの、暴力的な水路の縦横無尽ぶり! すみません、怒っているのでなくて、褒め言葉であります、嬉しさのあまりの心の叫びです、ええもう。
●毛細血管か、はたまた顕微鏡で見た葉脈か、いち水路バカを興奮の極みに至らしめるには、もう十分にすぎる水路延長。
すべてが可航水路でないにせよ、これだけの堀割が水を湛えて現存しているというだけで感動ですが、これが柳川中心部のみならず、筑後川下流域一帯に今なお広がっているのですから、水郷としては国内最大といっても、いい過ぎでないかもしれません。
しかも市中心部の堀割には、複数の船社による幾多の竿舟が、観光客を乗せて連日漕ぎまわっている…。船影の絶えることない、賑やかな水路! 想像するだに楽しいことではないですか。
●柳川についてはいま一つ、訪問欲(?)をかきたてる一冊の本がありました。「水の構圖 水郷柳河寫眞集」(北原白秋・田中善徳共著、ARS発行、昭和18年初版。写真のものは昭和55年復刻)です。
ご当地柳川に生まれた詩人・北原白秋の詩を主題に据えた写真集ですが、私にとっては、まさに水路写真集そのものでありました。
堀端にいくつも切り込まれた石造りの洗い場、門を備えた個人宅の船着に、跳ねつるべ式の木製跳開橋と、生活と密着した水路の魅力が、ぎっしり詰め込まれていたからです。飽かず眺めては、柳川への憧れを募らせたものでした。
●水路バカとしての思いのたけはさておき、念願の柳川探訪成った、11月3日時点に戻らせていただきましょう。先ほど船に乗った福博であい橋よりほど近い、西鉄天神の駅から特急で柳川へ向かいます。
ベイサイドプレイスから急いで戻った甲斐あって、予定より1本早い特急に乗ることができました。大牟田行き特急は30分に一本ですから、この後の便であれば、車内で適当に済ませるつもりだったのですが、これで現地でゴハンにありつく時間が取れると、まずは安堵。

●快走する特急の窓から、陽射しに輝く筑紫平野の美しい風物を眺めていたら…。
久留米を過ぎたあたりからだったでしょうか、田園風景に水路の占める割合が増えてきたのに、気づかされたのです。
●それは電車が進むにつれて、さらに「水っぽさ」が加速し、果ては道路より水面の方が多いのでは、と感じさせるまでに。田んぼの間を、また家屋をかすめて走る大小の水路、仕切りの土堤を貫く小さな樋門・水門群。走っても走っても絶えることのない、広大な水郷風景!
水郷地帯に入ったことを、車窓からこうも実感できるとは! いやが上にも盛り上がったおっさんを乗せて、電車はいよいよ柳川へ。
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…1』につづく)

にほんブログ村
●佐原・潮来に挟まれた下利根の水郷・十六島。淡海・琵琶湖の内湖に広がる葦原の水郷・近江八幡。そして有明海を間近に控えた、城址の堀割を中心とした水郷・柳川。
いわゆる「三大水郷」と呼ばれるこれらのうち、十六島はご存じのとおり、折に触れては遊びにゆく親しい土地となり、近江八幡は20年8月に訪ねて大いに堪能したものの、柳川だけはなかなか機会に恵まれず、長らく未探訪となっていました。
●7mという、関東では想像もつかないような、大きな干満差のある有明海を前にしたがゆえに、全国にも類を見ない発達をした、利水・水運施設としての無数の堀割群(詳しくは建設コンサルタンツ協会HP・市場嘉輝氏執筆の記事『水に浮かぶ町「柳川」』がお勧め)が広がる街、柳川!
「水郷」と名の付く土地に目がない船頭としては、ぜひ一度訪ねておきたいところではありましたが、訪ねるチャンスをつかめずに、悶々とときを過ごしていたのであります。
●「柳川に行ってみたいなあ…」と想いを募らせているとき、折に触れて開いてしまうのが、Googleをはじめとする地図サイト。柳川周辺の地図がモニター上に展開するたび、

ホンモノのGoogleマップで柳川市中心部を見る
殺 す 気 か。
…と、ひとりツッコミを入れてしまうほどの、暴力的な水路の縦横無尽ぶり! すみません、怒っているのでなくて、褒め言葉であります、嬉しさのあまりの心の叫びです、ええもう。
●毛細血管か、はたまた顕微鏡で見た葉脈か、いち水路バカを興奮の極みに至らしめるには、もう十分にすぎる水路延長。
すべてが可航水路でないにせよ、これだけの堀割が水を湛えて現存しているというだけで感動ですが、これが柳川中心部のみならず、筑後川下流域一帯に今なお広がっているのですから、水郷としては国内最大といっても、いい過ぎでないかもしれません。
しかも市中心部の堀割には、複数の船社による幾多の竿舟が、観光客を乗せて連日漕ぎまわっている…。船影の絶えることない、賑やかな水路! 想像するだに楽しいことではないですか。

ご当地柳川に生まれた詩人・北原白秋の詩を主題に据えた写真集ですが、私にとっては、まさに水路写真集そのものでありました。
堀端にいくつも切り込まれた石造りの洗い場、門を備えた個人宅の船着に、跳ねつるべ式の木製跳開橋と、生活と密着した水路の魅力が、ぎっしり詰め込まれていたからです。飽かず眺めては、柳川への憧れを募らせたものでした。

ベイサイドプレイスから急いで戻った甲斐あって、予定より1本早い特急に乗ることができました。大牟田行き特急は30分に一本ですから、この後の便であれば、車内で適当に済ませるつもりだったのですが、これで現地でゴハンにありつく時間が取れると、まずは安堵。

●快走する特急の窓から、陽射しに輝く筑紫平野の美しい風物を眺めていたら…。
久留米を過ぎたあたりからだったでしょうか、田園風景に水路の占める割合が増えてきたのに、気づかされたのです。

水郷地帯に入ったことを、車窓からこうも実感できるとは! いやが上にも盛り上がったおっさんを乗せて、電車はいよいよ柳川へ。
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…1』につづく)

にほんブログ村
タグ : 柳川市
コメント
コメントの投稿