栃木市RC橋めぐり…2
(『栃木市RC橋めぐり…1』のつづき)

●光線のよい、東岸下流側の橋詰に回って見たところ。下端に少し剥落はありますが、状態は悪くなく、ほどよく風化してざらついた質感が堪能できます。
木製橋の、肉が退いて木目が浮き出た手触りといい、コンクリートの骨材が梨地になった感触といい、時間を経て風化したものに惹かれるたちのようです。
●橋名は「倭橋」…やまとばし、と読むのでしょう。湊橋同様、東岸のこの一帯の町名、倭町から名付けられたようです。昭和5年12月の竣工とありました。
親柱右側面の配管(橋灯への電線のようでした)がちょっと残念ですが、巴波川橋のそれより汚れや欠けた部分は少なく、状態はよいようです。橋灯の台座など全体のデザインも、巴波川橋とよく似ていますね。標準化が図られていたのかもしれません。

●倭橋のすぐ下流の西岸に、派川に架かる橋があるのに気づいたので、まずは東岸のベストポジションから一枚。この間わずか50mほど、実に効率のよい橋めぐりであります。
ううん、高欄のパターンや親柱の形こそ、先ほどの湊橋と略同ながら、派川とはいえそこそこの径間長があり、しかも桁は浅いアーチ状と、また違った魅力を発散していますね。
今でこそ、礫の目立つ河床を薄く水が流れているに過ぎませんが、かつては可航河川だったに違いないと思わせる、ナニカを勝手に感じ取るおっさん一名。対岸に渡って、間近に眺めてみましょう。
●その前に、上の写真を撮った位置の、河畔の遊歩道に設けられていた案内板、「街しるべ」を一枚。ううむ、この橋が架かる派川が描いていないのう。
舟航区間である幸来橋~うずま公園と、倭橋付近の位置関係がおわかりいただけるかと思います。この範囲だけ見ても、結構な水路密度なのが感じられ、「橋めぐりにはまさにうってつけの土地柄だな」と、好都合な妄想がふくらみます。
●さて、倭橋を渡って西岸に至り、目指す小橋梁の上に降り立ちました。親柱に刻まれた橋名は「會橋」。あいばし…いや、かいばし、と読むのかな? 旧地名なのか、何か他に由来があるのか、気になるところです。
ちょっと興味をそそられたのが、親柱の天端にある段々(?)、湊橋は2段だったのに、この會橋は3段に造られていたこと。
ちょうど兵隊さんの階級章のように、「径間何m以上は何段」といったふうに、橋の規模によって親柱の造りも決められていたのかな、と思わせる面白さがありました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…3』につづく)

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木製橋の、肉が退いて木目が浮き出た手触りといい、コンクリートの骨材が梨地になった感触といい、時間を経て風化したものに惹かれるたちのようです。
●橋名は「倭橋」…やまとばし、と読むのでしょう。湊橋同様、東岸のこの一帯の町名、倭町から名付けられたようです。昭和5年12月の竣工とありました。
親柱右側面の配管(橋灯への電線のようでした)がちょっと残念ですが、巴波川橋のそれより汚れや欠けた部分は少なく、状態はよいようです。橋灯の台座など全体のデザインも、巴波川橋とよく似ていますね。標準化が図られていたのかもしれません。

●倭橋のすぐ下流の西岸に、派川に架かる橋があるのに気づいたので、まずは東岸のベストポジションから一枚。この間わずか50mほど、実に効率のよい橋めぐりであります。
ううん、高欄のパターンや親柱の形こそ、先ほどの湊橋と略同ながら、派川とはいえそこそこの径間長があり、しかも桁は浅いアーチ状と、また違った魅力を発散していますね。
今でこそ、礫の目立つ河床を薄く水が流れているに過ぎませんが、かつては可航河川だったに違いないと思わせる、ナニカを勝手に感じ取るおっさん一名。対岸に渡って、間近に眺めてみましょう。

舟航区間である幸来橋~うずま公園と、倭橋付近の位置関係がおわかりいただけるかと思います。この範囲だけ見ても、結構な水路密度なのが感じられ、「橋めぐりにはまさにうってつけの土地柄だな」と、好都合な妄想がふくらみます。

ちょっと興味をそそられたのが、親柱の天端にある段々(?)、湊橋は2段だったのに、この會橋は3段に造られていたこと。
ちょうど兵隊さんの階級章のように、「径間何m以上は何段」といったふうに、橋の規模によって親柱の造りも決められていたのかな、と思わせる面白さがありました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…3』につづく)

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