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水郷案内にしのぶ航路とフネブネ

103001.jpg過去ログ「水郷案内のパノラマ地図」でも一枚を紹介しましたが、昭和一桁の水郷観光の盛り上がりは相当なものがあったようで、今でも鳥瞰図を主題にした観光案内を、古書店やネットオークションなどでよく見かけることができます。

水郷ファンであり、内水航路の時代に大いに惹かれるものがある船頭としても、この手の刷り物には目がないたちであります。今回は手持ちの「水郷案内」の中から、もっとも大判で美しく、かつ惹かれるパーツの多い一枚を肴に、悦に入ってみたいと思います。

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103009.jpg「香取鹿島と水郷 霞ヶ浦と筑波山 案内図」
770mm×176mm 発行者:佐原商工会・水郷の利根保勝会 
昭和5年2月発行

色彩豊かな地図の美しさもさることながら、まずその大きさに驚かされます。地元旅館などから発行された観光案内はせいぜいが二つ折りのところ、これは八つ折りで長さも800mm近く、香取神宮から筑波山、那珂湊までと収録範囲も広いもので、さすが商工会といったところ。

また発行年が不祥なものが多い中、裏面の解説に「昭和5年2月」と年月が明記されているのも珍しい点です。ちなみに、解説文は当時の佐原駅長によるもので、名所旧跡の故事来歴から周遊コースの例、各区間の運賃に至るまでこちらも鳥瞰図に劣らず懇切丁寧で、文体にも味がありました。

文中から、航路に関するデータをいくつか拾ってみましょう。まず各区間の船賃を見てみると、佐原~銚子・75銭、佐原~土浦・93銭、鹿島~土浦・95銭とのこと。中でも面白く思ったのは、団体客向けに船1隻の貸切賃も載せていることで、180人乗り蒸気船で、佐原~鹿島を貸し切ると80円、とありました。

水郷汽船が新造した大型ディーゼル船、「あやめ丸」「さつき丸」の就航はこの翌年ですから、ここでいう「蒸気船」は、「土浦のマイタゲートと川口港」で紹介したような、川蒸気改造の観光船か、あるいは原形のままの船だったことでしょう。ちなみに、両国橋(現両国)~佐原の往復汽車賃(三等)は2円84銭とのことで、距離から考えると、船賃も決して安くはなかったことがわかります。

佐原・潮来、銚子といった大河川沿いの主邑から、香取・鹿島・息栖の三社、そして霞ヶ浦・北浦の各地をあまさず結んでいた汽船たち…。

まさに内水航路が大きく輝いた最後の時代! 十六島や佐原・潮来だけでない、広義の水郷を一目で鳥瞰できるだけで楽しく、飽きさせないものがあるのですが、それ以上に、この地図が欲しくなった決定的な理由は……。

103002.jpg外輪川蒸気が、ちゃんと描かれていること! しかも3つも!

さらに説明文冒頭、観光コースの例を記した「遊覧の順序」の中に、「…水郷に相應しい百屯程ある前世紀型外輪汽船(但この船は往復とも閘門経由)か軽快なるモーター船に乗って…」の下りで、まさにトドメをさされた気持ちになり、即決定! 

目分量とはいえ「百屯」は盛り過ぎ(大きな船でも50~70t前後が大半)にしても、「水郷に相應しい」「前世紀型外輪汽船」というのが、何とも泣かせるじゃないですか! 文明の先端を自負する(?)鉄道に奉職する佐原駅長の目には、川蒸気たちが、水郷ののどかさによく似合った、長閑な乗り物に映っていたことが感じられ、興味深いものがあります。

103003.jpgこちらは横利根川を走る川蒸気、水辺に描かれたあやめが何ともかわいらしい! しかし、船が結構細かく描きこまれているのにくらべて、横利根閘門の略されぶり(笑)は、かわいそうなくらいですね。

背後には、十二橋・新左衛門川を通って与田浦を横断する、小型モーター船もそれとわかるように描き分けられています。

かつては中利根の各河港街や、利根運河を経由して遠く東京までを結び、花形ともてはやされた川蒸気たちが、東関東の湖沼地帯に集約されていくさま…。どこか、戦後に本州を追われた蒸気機関車たちが、北海道に最後の活躍の舞台を見いだしたことを、思い出させるような情景ではあります。

103004.jpg最後の一つは、大利根の流れを悠然と遡上する川蒸気。銚子を発して、佐原や潮来へ向かうのでしょうか。ここにも、後ろに合流点から浪逆浦に入り、息栖神社経由で大船津に向かうモーター船の姿も見られます。

そうそう、川蒸気ばかりでなく、水郷観光の一翼を担ったモーター船についても、その姿を愛でておきたいものです。以下、それとおぼしき船影が写っている絵葉書を掲げてみましょう。

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「官幣大社鹿島神宮 一ノ鳥居」
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。「名古屋・澤田文精社謹製」の銘あり。

鹿島神宮の浜鳥居、大船津(過去ログ『大船津水門めぐり…1』参照)の船着場を写したもので、背後にチラリと通運丸が見えるのも貴重ですが、手前にモーター船が全体を見せているのも、それに劣らず珍しいものと思います。

一見したかぎりでは、一本ミヨシに棚板構造らしい船体で、和船に近い雰囲気が感じられます。箱型の甲板室は前端に操舵室、中央部に客室、後部の窓のない部分は機械室でしょう。数tから10t前後と想像される規模からすると、主機は焼玉エンジンだったかもしれません。この時期の発動機船としては、そこそこの大型船だったことと思われます。

103007.jpg「(水郷三社) 息栖神社大鳥居」
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。

右の写真は、船こそ見られないものの、「モーター船のりば」と大書きされた看板が鮮明に写っているので、当時の船着場の例として。場所は息栖神社の浜鳥居(過去ログ『息栖船溜…1』参照)で、現在の立派な鳥居から見ると、節くれだった細身の木で、ずいぶん素朴な造りなのが印象的ですね。

看板の上部には、小見川、鹿島などの行き先がいくつか記されて、観光航路としてはもとより、渡船や生活航路としての性格も持っていたことが感じられます。まだ下利根には道路橋が一つも架かっていない時代ですから、移動手段としてはほとんど唯一の存在であったといってよいでしょう。

川蒸気では大身に過ぎたこれらの航路も、小型かつ小人数で運行のできる軽快なモーター船の出現で、いわばフリークエントサービスが可能になった面もあったものと思われます。

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「舟唄流れ」
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。

十二橋のある新左衛門川での一枚。小型モーター船を間近にとらえたもので、側面の落とし込み式窓や出入り口の上げ蓋など、各部のディテールがよくわかりますね。

佐原を発して、十六島を経由し潮来に至る航路は、狭いエンマや低い橋を通らねばならないことから、このような小型船が重宝されたのでしょう。数人規模の貸切船としても、対応しやすかったものと思われます。

川蒸気だけでなく、群小船社や個人船主による幾多のモーター船が、それこそはたを織る杼のように走っていた、水郷観光の時代! それはまさに、竿と艪に代わって内燃機関が一気に普及した、小型動力船の台頭期でもあったことでしょう。

川蒸気たちの最後の奮闘ぶりとともに、水上交通が輝いていたころのこの地域の賑わいがしのばれて、描かれた小さなフネブネたちを飽かず眺めるのです。


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タグ : 水郷新左衛門川川蒸気船通運丸絵葉書・古写真

コメント

水郷三昧!!

案内図も絵ハガキもとても心躍ります!!

鹿島神宮も一の鳥居は湖に面しているんですね!
香取神宮の旧一の鳥居(香取市津宮)しか見たことありませんが、東国三社はどれも同じく水が玄関なんですね~。

新左衛門川の写真、と~ても心に響きます!
今の新島小学校付近でしょうか。
十六島は今も当時の面影を伝えるとても魅力的な場所ですね。私も水郷、とくに十六島の魅力にとても魅せられています。

Re: 水郷三昧!!

>Hasegawaさん
浜鳥居がほど近い場所に3つも固まっているあたり、いかにも水郷ならではという感じで、いいものですね。
新左衛門川の絵葉書ですが、屈曲の具合と、左側に寺社建築が見え、岸に石造りの柵もあることから、今の加藤洲大観音のあたりでは、と想像しています。現在は川から少し引っ込んだところにある(震災で被害を受け、復旧していないとのことでした)ようですが、戦後移転したのでしょうか。
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