第一芝浦丸のディテール

写真は港南小学校前交差点近くから北を見た風景ですが、歩道の上空低くモノレールの線路がかすめ、海岸通りの車道を首都高羽田線が覆い、そのさらに上を新幹線の高架が圧倒的スケールで横切るという、緊迫感あふれる高架の洪水。
●ここをさらに北へ向かえば、お目当てのモノに会える…。すでに各所で紹介されている、すこぶるつきの有名物件ながら、自分の目で確かめ、できれば触れておきたいと思っていたのです。
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●ひっきりなしに通るモノレールの電車を頭上に仰ぎながら、しばらく歩くと、目的のものが植え込みと街路樹の間から、ぬっといった感じで姿を現しました。保存船・第一芝浦丸です!
【撮影地点のMapion地図】

●生い茂るにまかせた植え込みからたちのぼる、草いきれにむせつつも、植え込みのふちに上がって近影を一枚。
色あせて錆が浮いているものの、黒い舷側色と船底色のコントラストが美しく、リベット組みされた無骨な船体のラインと、この時代の曳船らしい魅力が伝わってきます。船首に立つ曲がった金物は、錨を吊り上げて格納するための、アンカーダビットですね。最近の船には見られないものです。

ディテールを堪能する前に、まずはぐるりから第一芝浦丸と、注意書きいうところの「展示場」を眺めてみようと、一周してみることに。


もう少し高いところから見下ろしてみたいと、船尾北側にある階段へ。看板でもおわかりのように、第一芝浦丸のあるここは、東京港建設事務所・管理事務所の庁舎の敷地内なのです。

●階段を少し上がり、やや右舷寄りから船尾を眺めて。曳船らしい丸々と肥えたスターン、鎖で固定されたゴムの円筒形フェンダーが、量感をもって眼前に迫ってきます。

●さらに階段を上がり、左舷後方から。煙突の向こうに、先ほどくぐってきた新幹線の高架が見えます。ここから「展示場」に降りられる階段が分岐しているのですが、扉は鎖錠されており、入ることはできません。しかし、左舷側の周囲も雑草が伸び放題で、あまり手入れはされていないようですね。

●左舷正横には植え込みがあって、見下ろせる場所はないようです。仕方がないので階段を上がり、遠回りして左舷前方へ出ました。こちらの扉も閉まってはいるものの、ご覧のとおり柵も植え込みもないので、事実上の出入り自由。
この位置から眺めると、船体の周りに雑草が茂って、背景がなければ、まるで置き去りにされたような雰囲気です。

●「展示場」の中に失礼して、さて、スペックです。
大正15年10月竣工、昭和49年3月除籍。37.74総t、全長18.29m、主機三連成汽機、170馬力。48年の長きにわたり、港内浚渫船団の一隻として働き続けた船なのですね。「技術の粋を集めた」云々はおくとして、当時のこの大きさの曳船としては、かなりの大馬力です。浚渫船を押し引きする任務上、要求された性能だったのでしょう。最近の例でいえば、雲取船団の金剛丸(『7月23日のフネブネ…2』参照)に相当する船だったのですね。
●個人的に気になったのは、やはりエンジン。現存するレシプロ船というだけでも今や貴重ですが、三連成汽機(『三段膨張機械』の方が一般的かな。高・中・低圧のそれぞれ異なる直径の三気筒を備えた複式エンジン)が、取り外されずにこの中に入ったままだとしたら、さらに貴重なものになるのではないでしょうか。ハッチを開けてのぞいてみたい誘惑にかられましたが、ここはグッとガマン。
そうそう、かつて東京港で活躍した浚渫船といえば、過去ログ「浚渫船『榛名号』の写真」で紹介した、「榛名号」が思い出されます。こちらは戦後、昭和25年の竣工でかなり後輩ですが、大先輩である第一芝浦丸とも、あるいはペアを組んだことがあるかもしれないと思うと、楽しくなってきました。

●一周したところで、各部のディテールを堪能するとしましょう。
船首材はほぼ垂直に立ち上がり、錨鎖口から垂れた鎖にはアンカーがつながれ、地面に立っています。ロープを編んだフェンダーが、古タイヤが幅をきかせる現在とくらべて時代を感じさせますね。ガンネルにリベット付けされた帯材やフェアリーダー、船体のリベット継手の様子と、ディテールの豊かさは、最近の船とまさにけた違い。

●操舵室は木製のようですね。後ろの甲板室は、罐(ボイラー)や機械(エンジン)があることから鋼製ですが、居住性を考えたのでしょう。扉の取っ手が、最近のものらしいですが、保存後に腐朽して扉を作り替えたのか、現役時の交換ですでにこうなっていたのかはわかりません。
甲板室を覆うオーニングもどうでしょう、全体のスタイルとしては違和感はなかったものの、支えの取り方にいくつかハテ? と感じる部分も見受けられましたから、引退後に取り付けられた可能性もあります。

●こちらは船首ブルワークの影に備えられた、ケーブルホルダー。錨鎖を巻き上げる機械で、ロープを巻き取るキャプスタンも併設されているタイプ。動力はわかりませんでしたが、床下に小さな蒸気機械でもあるのでしょうか。

●操舵室直後の甲板室、幅が狭くなったこの部分には、二か所の四角い小型ハッチが。煙突の位置から、この下はおそらく罐室の一部と思われます。
説明に石炭焚きなのか、重油焚きかが書いていなかったので、これもわかりませんが、石炭焚きだとしたら、このハッチから石炭を投入したのかもしれません。

川蒸気のヒョロ長い煙突を見慣れた目には、いかにも馬力のありそうな大直径のこれに、頼もしさすら感じてしまうのです。
東京都(竣工当時は『東京市』ですね)の旧章や、その下に巻かれた白線も、薄板で造られた別パーツであることがわかります。頂部付近にいくつか見える小さなアイには、かつては煙突を固定するリギン(静索)が張られていたのでしょうね。小さな笠をチョコンとかむった、蒸気捨管もユーモラスでよいものです。


●後部甲板を背伸びしてのぞき込んだところ。舷側同様、木部もだいぶ痛みが進んで、蔦が這いのぼってきているあたり、ちょっと物悲しい雰囲気。それでも大小の曳航杭など、曳船らしいディテールは健在でした。
右手前、甲板上から立ちあがったパイプ、えらく思いきった曲げ方ですね。コックやゴムの注ぎ口がついているところを見ると、真水に関連したものでしょうか。下の写真は左舷後方からのアップ。



緑青のふいた真鍮鋳物の4翼プロペラも、交換されていなければ大正末製造のものということになります。エンジン同様、この時代の現存するプロペラは、希少なのではないでしょうか。
舵は、丸棒の舵軸に巻き付けた帯金2本で、一枚の羽板を支える簡素なもの。舵軸の船首側にもささやかなヒレが溶接されているので、型式としては半釣合舵になるのでしょうか。羽板船尾側上部に、拡大したらしい跡が見られるのも興味深いですね。

●左舷側から撮ると、逆光でチカチカしてしまうのが何とも。
下写真、船尾寄りの甲板室…トップライト(天井の明かり取り)と舷窓があることから、機械室(エンジンルーム)と思われます。右舷側でオーニングを突きぬけているのは、キセルの雁首型ベンチレーター。


ううむ、本船は「標本」に類別されるのか…。取得年度が昭和51年ということは、退役後3年経って、ここに据えられたことになりますね。

●ステッカーの右上には、補強で盛り上がった穴が。何でしょう、冷却水(蒸気機関なので、シリンダーではなく復水器の冷却)の排水口かしら。しかし、この跡の付き方、船内のどこかに水が溜まってしまっているようですね。中の腐食が心配です。

●煙突のほぼ直下にある甲板室、罐室と思われる部分の側面には、人の出入りできる大きなハッチが。こちら左舷は1ケ所ですが、右舷には2ヶ所ありました。
下写真、操舵室直後のそれも、小型のハッチが右舷は2ヶ所のなのに、左舷は1ケ所です。しかし、何でどのハッチも、薄めに開いているのだろう…。


●最後に、船首ブルワークのネームプレートを。
状態はご覧のとおりではあるものの、今や珍しい大正期の曳船が、平成の御代までこうして現存しえたのも、ここに保存されたおかげ。雲取も去った今日、東京港整備の歴史を伝える証人として、大切にしていただきたいものです。
(24年6月10日撮影)

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