常磐橋哀歌
(『あの錦橋が光り輝いている件…2』のつづき)
●日本橋川の橋でもう一つ、気になっていたのが常磐橋です。ご存じ、明治10年竣工の石造アーチで、都内の可航河川に現存する橋としては、群を抜いて古いもの。純粋な石橋としても貴重な存在です。
道路橋としてはすでに現役を退いており、常盤橋公園への人道橋として、竣工当時を色濃く残す姿で現地保存されていたものの、昨年の震災以降フェンスで閉鎖され、渡ることができなくなってしまいました。遅まきながら現状を眺めておこうと、スロットルを引いて最微速に。

●上流側の側面を眺めてみると、まず目につくのが、右径間上に掲げられた「航行注意」の看板、またその上の高欄にはパイプの足場様のものが組まれて、ものものしい雰囲気。高欄のコンクリート製の束柱(白い六角柱)が、一見すると傾いているように見えたので、それを補強するためのものでしょうか。
全体的に石組みが緩んででこぼこし、また自重による経年で、アーチが扁平ぎみになっているのは今に始まったことではありませんから、パッと見で変化は目につきませんでしたが、さらに近づいてしげしげ眺めてみると、いくつかズレてはみ出している石があることに気づかされ、今さらながら、大きな力でゆすられたことがわかりました。
●くぐりざま輪石を見上げていたら…あっ、要石の隣の輪石に、「ヒビ」とチョーク書きしてある! 矢印の指す上を見ると、なるほど持ち送りの石材に、上下方向にヒビが入っていますね。
いや、ヒビより気になるのが、その左の持ち送りが一つ、ごっそり欠けてしまっていることなんですが…。これは以前からそうだったのかな? その上の束柱も、やはり基部が崩れているようで、パイプや番線で支えてあるのもうなずけます。
●ブレてしまいましたが、くぐりながらアーチを見上げたところ。まあ、こちらも以前からなのか、地震でこうなったのかは定かではないものの、その気になって眺めると、だいぶ輪石が波打っているような…。
赤矢印をつけた石のように、わずかにはみ出ているものも見られました。この状態で安定しているのなら、そんなに心配せずともよいのかもしれませんが…。
もともと、あまり手入れがなされていないこともあり、加えて無造作なバッチ当てをされて、満身創痍の悲壮感漂う現状を見ると、やはり何とかして、しっかりとした補修をしてやれたら、という気持ちにもなります。

●くぐって、下流側を眺めたところ。こちらにも「航行注意」の看板があり、干潮時とあって、橋名板の下に顔を出した、水切りの造形を楽しむことがきました。
そうそう、水切りといえば、むしろあってしかるべき上流側に、その痕跡すらうかがえないのが気になっていました。ところが古い絵葉書によると、かつては上流側にも、立派な水切りが設けられていたようなのです。おまけとして、以下に掲げさせていただきましょう。
【撮影地点のMapion地図】

●「日本銀行」
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行、銘なし。
●ご覧のとおり、橋名板に触れんばかりの高さまで、水切りが立ち上がっていたことがわかります。現存している下流側のものとも、形がずいぶん異なりますね。どういった理由で撤去されたのでしょうか。増水時に壊れたからかな? もしかしたら、下流側のそれも、竣工時はこれと同じ形だったのかもしれません。
しかし、日本銀行と常磐橋…重厚な洋館と和洋折衷の石造アーチのツーショット、実にしっくり来ていて、まさに一枚の絵画のような、素晴らしい水辺の景観です。竿さす和船が、常磐橋をくぐる瞬間をとらえているのも、憎い心配りですね。
●常磐橋を艇から見上げるたびに思いだされるのが、橋梁趣味書の古典(と、少なくとも私は思っている)である、「東京の橋 水辺の都市景観」(伊東 孝著、鹿島出版会、昭和61年初版)の一節です。
常磐橋については、特に一項目を設けて詳しく解説されているのですが、中でも感銘を受けたのが「歴史の積層が見える空間」と題した一文。
常盤橋公園に見られる江戸時代からの桝形、明治29年竣工の日本銀行、公園内に立つ渋沢栄一の銅像、下流には震災復興橋・大正15年竣工の常盤橋…。こうして並べてみると、なるほどとうなずかされます。各時代の建造物が、常磐橋を核として一堂に会した、都内でもまれな場所なのです。ここ百数十年の土木・建築の歴史が、まさに「積層」している空間!
●個人的は、頭上に架かる首都高も、高度成長期の代表として仲間入りさせていただきたいもの。江戸から明治、大正、昭和に至る、それぞれの時代を反映した建物が大集合した空間を、文字どおり「橋渡し」する常磐橋!
加えて、全国的に見ても貴重な、竣工百年超の石造アーチなのですから、満身創痍のまま放置されている現状は、やはり、あまりにも惜しいといわざるをえません。
(24年6月3日撮影)
(『三菱倉庫の解体工事』につづく)

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道路橋としてはすでに現役を退いており、常盤橋公園への人道橋として、竣工当時を色濃く残す姿で現地保存されていたものの、昨年の震災以降フェンスで閉鎖され、渡ることができなくなってしまいました。遅まきながら現状を眺めておこうと、スロットルを引いて最微速に。

●上流側の側面を眺めてみると、まず目につくのが、右径間上に掲げられた「航行注意」の看板、またその上の高欄にはパイプの足場様のものが組まれて、ものものしい雰囲気。高欄のコンクリート製の束柱(白い六角柱)が、一見すると傾いているように見えたので、それを補強するためのものでしょうか。
全体的に石組みが緩んででこぼこし、また自重による経年で、アーチが扁平ぎみになっているのは今に始まったことではありませんから、パッと見で変化は目につきませんでしたが、さらに近づいてしげしげ眺めてみると、いくつかズレてはみ出している石があることに気づかされ、今さらながら、大きな力でゆすられたことがわかりました。

いや、ヒビより気になるのが、その左の持ち送りが一つ、ごっそり欠けてしまっていることなんですが…。これは以前からそうだったのかな? その上の束柱も、やはり基部が崩れているようで、パイプや番線で支えてあるのもうなずけます。

赤矢印をつけた石のように、わずかにはみ出ているものも見られました。この状態で安定しているのなら、そんなに心配せずともよいのかもしれませんが…。
もともと、あまり手入れがなされていないこともあり、加えて無造作なバッチ当てをされて、満身創痍の悲壮感漂う現状を見ると、やはり何とかして、しっかりとした補修をしてやれたら、という気持ちにもなります。

●くぐって、下流側を眺めたところ。こちらにも「航行注意」の看板があり、干潮時とあって、橋名板の下に顔を出した、水切りの造形を楽しむことがきました。
そうそう、水切りといえば、むしろあってしかるべき上流側に、その痕跡すらうかがえないのが気になっていました。ところが古い絵葉書によると、かつては上流側にも、立派な水切りが設けられていたようなのです。おまけとして、以下に掲げさせていただきましょう。
【撮影地点のMapion地図】

●「日本銀行」
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行、銘なし。
●ご覧のとおり、橋名板に触れんばかりの高さまで、水切りが立ち上がっていたことがわかります。現存している下流側のものとも、形がずいぶん異なりますね。どういった理由で撤去されたのでしょうか。増水時に壊れたからかな? もしかしたら、下流側のそれも、竣工時はこれと同じ形だったのかもしれません。
しかし、日本銀行と常磐橋…重厚な洋館と和洋折衷の石造アーチのツーショット、実にしっくり来ていて、まさに一枚の絵画のような、素晴らしい水辺の景観です。竿さす和船が、常磐橋をくぐる瞬間をとらえているのも、憎い心配りですね。
●常磐橋を艇から見上げるたびに思いだされるのが、橋梁趣味書の古典(と、少なくとも私は思っている)である、「東京の橋 水辺の都市景観」(伊東 孝著、鹿島出版会、昭和61年初版)の一節です。
常磐橋については、特に一項目を設けて詳しく解説されているのですが、中でも感銘を受けたのが「歴史の積層が見える空間」と題した一文。
常盤橋公園に見られる江戸時代からの桝形、明治29年竣工の日本銀行、公園内に立つ渋沢栄一の銅像、下流には震災復興橋・大正15年竣工の常盤橋…。こうして並べてみると、なるほどとうなずかされます。各時代の建造物が、常磐橋を核として一堂に会した、都内でもまれな場所なのです。ここ百数十年の土木・建築の歴史が、まさに「積層」している空間!
●個人的は、頭上に架かる首都高も、高度成長期の代表として仲間入りさせていただきたいもの。江戸から明治、大正、昭和に至る、それぞれの時代を反映した建物が大集合した空間を、文字どおり「橋渡し」する常磐橋!
加えて、全国的に見ても貴重な、竣工百年超の石造アーチなのですから、満身創痍のまま放置されている現状は、やはり、あまりにも惜しいといわざるをえません。
(24年6月3日撮影)
(『三菱倉庫の解体工事』につづく)

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コメント
常磐橋
Re: 常磐橋
>ともさん
なんと、あの瞬間に河上にいらしたとは!
「砂埃が舞い上がり」という表現に、すごい臨場感を感じました。
ともあれ、常磐橋が落ちなくて、何よりではありましたね。
なんと、あの瞬間に河上にいらしたとは!
「砂埃が舞い上がり」という表現に、すごい臨場感を感じました。
ともあれ、常磐橋が落ちなくて、何よりではありましたね。
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そんな状況でした。
常磐橋は、あの地震をジッと耐えてたんですよね…