あの錦橋が光り輝いている件…2
(『あの錦橋が光り輝いている件…1』のつづき)
●錦橋が迫ってくると、まず表面の質感が、以前とずいぶん違っていることに気づかされました。ご覧のとおりテラテラのツルツル! 色は白というより、ごく薄いグレーなのですね。
以前が油っ気の抜けきった、カサカサの乾燥肌なら、今は保湿成分配合の化粧水でン十歳は若返った、といったところでしょうか。工場の床などでよく見かける、エポキシ塗装を施したようです。

●中央径間をくぐると、そのテラテラぶりがより実感できました。タイトルにもすでに掲げましたが、水面や外からの光をあまさず反射して、高架下より、橋の下のほうがかえって明るく感じるという異常な事態。
かつては、表面がコンクリ打ちっぱなしのつやなしで、しかも黒く煤けて光を吸収しやすいことも手伝い、昼なお暗いドーム空間でしたから…。まるで別世界に来たようです。
●くぐってから高欄を見上げると、おお、高欄の窓にも、緑に塗り上げられた装飾が一つ一つはめ込まれて、ボロボロにやせ細っていた桟もふくよかな丸みを取り戻し、面目を一新していました。よかったねえ(涙)。
竣工時の写真を入手できていないので、装飾が復元であるかどうかはわかりませんでしたが、一見した限りでは復興橋のイメージを損なっておらず、橋全体の雰囲気ともよくマッチしており、嬉しくなりました。

●下流側、少し離れてから振り返りつつ、錦橋にお別れ。今度は上の道を渡りに来てみよう!
アーチの衝突痕や剥離した部分もすっかり補修され、煤けてまだらだった表面も、昭和2年竣工とは思えない美しさに。85年を経て、高架下を明るく照らす橋になろうとは、誰が想像しえたでしょうか。
今回の補修で何より嬉しかったのは、原形を損なわないやり方でなされたこと。タイルを張ったり、過度の装飾を施すなどして、イメージが一変してしまう例も少なくありませんでしたから、竣工当時をしのばせるシンプルな外観が保たれたことは、橋好きの目から見て慶事といってよいでしょう。

●いま一度、平成21年10月18日に撮った下流側からの姿を。ううむ、本当に見違えるようだ…。
欲をいえば、中央径間のアーチリング頂部に、銘板も復活させていただきたいですね。せっかくここまで修復したのに、銘板の跡にボルトのみ突き出させておくのは、画龍点睛を欠くといってよいと思います。
ともあれ、貴重な震災復興橋の一つであり、両端径間のアーチが2分の1という、数少ない型式ということもあって、原形を保った修復がなされたことを喜びたいと思います。照り(?)のある塗装も、高架下で橋の存在感を示す意味から考えれば、悪くないでしょう。
ちなみに、都内600余橋の故事来歴を収録した大冊「東京の橋」(石川悌二著・新人物往来社・昭和52年)には、一ツ橋も神田橋も載っているのに、なぜか錦橋は収録されていません。これも「錦橋の呪い」なのかしら?
(24年6月3日撮影)
(『常磐橋哀歌』につづく)

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以前が油っ気の抜けきった、カサカサの乾燥肌なら、今は保湿成分配合の化粧水でン十歳は若返った、といったところでしょうか。工場の床などでよく見かける、エポキシ塗装を施したようです。

●中央径間をくぐると、そのテラテラぶりがより実感できました。タイトルにもすでに掲げましたが、水面や外からの光をあまさず反射して、高架下より、橋の下のほうがかえって明るく感じるという異常な事態。
かつては、表面がコンクリ打ちっぱなしのつやなしで、しかも黒く煤けて光を吸収しやすいことも手伝い、昼なお暗いドーム空間でしたから…。まるで別世界に来たようです。

竣工時の写真を入手できていないので、装飾が復元であるかどうかはわかりませんでしたが、一見した限りでは復興橋のイメージを損なっておらず、橋全体の雰囲気ともよくマッチしており、嬉しくなりました。

●下流側、少し離れてから振り返りつつ、錦橋にお別れ。今度は上の道を渡りに来てみよう!
アーチの衝突痕や剥離した部分もすっかり補修され、煤けてまだらだった表面も、昭和2年竣工とは思えない美しさに。85年を経て、高架下を明るく照らす橋になろうとは、誰が想像しえたでしょうか。
今回の補修で何より嬉しかったのは、原形を損なわないやり方でなされたこと。タイルを張ったり、過度の装飾を施すなどして、イメージが一変してしまう例も少なくありませんでしたから、竣工当時をしのばせるシンプルな外観が保たれたことは、橋好きの目から見て慶事といってよいでしょう。

●いま一度、平成21年10月18日に撮った下流側からの姿を。ううむ、本当に見違えるようだ…。
欲をいえば、中央径間のアーチリング頂部に、銘板も復活させていただきたいですね。せっかくここまで修復したのに、銘板の跡にボルトのみ突き出させておくのは、画龍点睛を欠くといってよいと思います。
ともあれ、貴重な震災復興橋の一つであり、両端径間のアーチが2分の1という、数少ない型式ということもあって、原形を保った修復がなされたことを喜びたいと思います。照り(?)のある塗装も、高架下で橋の存在感を示す意味から考えれば、悪くないでしょう。
ちなみに、都内600余橋の故事来歴を収録した大冊「東京の橋」(石川悌二著・新人物往来社・昭和52年)には、一ツ橋も神田橋も載っているのに、なぜか錦橋は収録されていません。これも「錦橋の呪い」なのかしら?
(24年6月3日撮影)
(『常磐橋哀歌』につづく)

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