横利根閘門の写真は「空撮」なのか?

以下、分析というよりはほとんど妄想ですが、そう考えるに至ったきっかけなど、いくつか書き散らしてみたいと思います。
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●横利根閘門の写真を改めて取り出し、ルーペで飽かず眺めていたときのこと。閘室軸線のはるか彼方、利根本流の佐原沖あたりに、ぽつりと浮かぶ船影(赤矢印)が気になりだしました。
距離から考えて、これだけの大きさに写っているということは、かなりの巨船です。三角に盛り上がった中央部、その左手にはマストともつかぬ棒状のものが、高々と突き出している特徴あるシルエット。浚渫船に違いありません。周囲に点々と、ごま粒をまいたように見える小舟の群れは、浚渫船の見物に繰り出した、地場のフネブネでしょうか。
●ここでふと、「この写真、もしかして、ああいった浚渫船の櫓の上から撮ったものじゃないか?」と、妄想がふくらみ始めました。消去法で、航空写真だろうと結論を出したものの、あまりにもど真ん中過ぎるアングル、ブレ一つない完璧な仕上がりに、疑問を覚えないわけではなかったのです。
ただ、幅広な台船でもあるこの手の浚渫船が、横利根閘門を通れるのか、また、この時代のバケット式の浚渫船の櫓高が、実際の撮影高さに相当するくらいあるのか…など、残念ながら手持ちの資料がなくわからなかったので、この妄想は袋小路となってしまいました。

●以上の妄想が、新たなオカズを得て再燃したのは、上に掲げた絵葉書「津宮鳥居岸眺望(利根川浚渫船千葉號)」(宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。表面に『伊藤寫眞館印行』、裏面に『PRINTED BY MARUKIYA SHIBA TOKYO』の銘あり)に出会ってから。撮影地の津宮については、過去ログ「津宮」でも紹介しましたが、利根川畔に立つ、香取様の浜鳥居がある場所で、かつては水郷観光の拠点の一つでもあったところです。
しかし、実にいい写真ですね! 忽然と現れた巨船をひと目見ようと、水際に集まってきた人々の話し声が聞こえてきそうです。洋装の人がほとんど見えないことも時代を感じさせ、また左手には、編み笠らしいものをかぶった二人がいるのもわかるなど、ディテールが鮮明に写っていますね。根元を舟入りに浸した、名実ともに浜鳥居であったころの津宮河岸の風景も、貴重なものと思います。

●そして何より目を奪われるのが、沖に浮かぶ浚渫船「千葉号」(…と書いたのは、キャプションにそうあるからで、今のところ確かめるすべはありませんが)の威容! ここまで全容に迫り、また細部まで鮮やかにとらえられた河用浚渫船の写真は、今まで出会ったことがなかっただけに、感動も深いものがありました。
左側に二本突き立った、丸棒らしいスパッド、手前に長々と伸びる排土用コンベア(いや、単なる樋?)を吊るための、高々と組まれた鉄骨櫓、構造の間からのぞくバケットの列…。まるで小屋掛けのような屋根は、トタンの波板か何かでふかれているのでしょうか。興味が尽きません。
●妄想のつづきに戻りますると、櫓の構造と高さから見て、あの写真を撮った可能性は、十分あり得ると感じました。もっともこのままでは、櫓によじ登るだけでも難渋しそうですが、オフィシャルな写真の撮影とくれば、事前の準備はなされたでしょうから、仮設のはしごや足場くらいは、取り付けられたのではないでしょうか。
あとは、船のどちら側を向いて撮ったか、ということですが、前後どちらを向いても、二本のスパッドやバケットの吊り枠が視界に入ってしまいそうです。あるいは、船を河道に対して横に向けて、撮ったのかもしれません。幅はどうでしょう、一見したかぎりでは、閘室の幅に収まりそうな…。高さの方は、橋もまだ架けられておらず、閘門もマイタゲートですから、まったく問題ありませんね。
●…まあ、いずれも好き者の妄想ではありますが、いつものことながら、あれこれ想像をふくらませるのは楽しいもので、絵葉書や古写真をためつすがめつ眺めていると、つい時間を過ごしてしまう夜更かし船頭でありました。

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