淀川畔を歩いて…1
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…9』のつづき)

●短いながら濃厚なひとときを過ごして、淀川の堤防道に立ち小休止。下流側を望むと、水管橋、阪急千里線淀川橋梁、国道14号長柄橋が並んで、好天も手伝い実に爽快な川景色。いや、来てよかった‥‥。
●上流側には、右手に排水機場の巨大な建屋、奥には毛馬水門・閘門と続いています。時間が限られていますが、も少しお散歩してゆきましょう。
写真ではわかりにくいですが、堤防道を横断する舗装路があって、ダンプがしきりに横切り、そのたびに警備員さんが通行人を止めています。ダンプは左手の坂道を下って、どこへ行くかというと‥‥。

●眼前に河道を圧して立ち並ぶ、利根大堰の工事現場に向かっていたのでした。手前には、既製鋼桁を組んだ仮設橋も見られ、堰のすぐかたわらまで道が通じているのがわかります。何の工事かというとですね‥‥!

●堰に併設される閘門を造っているのです!
淀川大堰に閘門を併設し、通船の便をはかる計画があることは報道されていたので、またこれで閘門が増えるワイと、閘門好きとして単純に喜んでいたのですが、こうして生で現在進行形の工事を目にすると、「ホントにできるんだなあ!」と興奮の度合いも桁違い。
計画の詳細は「淀川大堰閘門」(国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所)をご覧ください。リンク先のPDFパンフレットに掲載された3Dモデル図によると、閘室長は70m、径間は20mとありました。ゲート形式は、外観からローラーゲートでしょう。

●さらに上流側へ歩いて、淀川大堰の堰柱ズラリを堪能。いや~、ここに閘門ができたら、毛馬閘門と連続で通航する水上バスの便ができるのかなあ。影も形もないうちから、早くも妄想が広がったのでありました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年9月30日撮影)
(『淀川畔を歩いて…2』につづく)

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●短いながら濃厚なひとときを過ごして、淀川の堤防道に立ち小休止。下流側を望むと、水管橋、阪急千里線淀川橋梁、国道14号長柄橋が並んで、好天も手伝い実に爽快な川景色。いや、来てよかった‥‥。

写真ではわかりにくいですが、堤防道を横断する舗装路があって、ダンプがしきりに横切り、そのたびに警備員さんが通行人を止めています。ダンプは左手の坂道を下って、どこへ行くかというと‥‥。

●眼前に河道を圧して立ち並ぶ、利根大堰の工事現場に向かっていたのでした。手前には、既製鋼桁を組んだ仮設橋も見られ、堰のすぐかたわらまで道が通じているのがわかります。何の工事かというとですね‥‥!

●堰に併設される閘門を造っているのです!
淀川大堰に閘門を併設し、通船の便をはかる計画があることは報道されていたので、またこれで閘門が増えるワイと、閘門好きとして単純に喜んでいたのですが、こうして生で現在進行形の工事を目にすると、「ホントにできるんだなあ!」と興奮の度合いも桁違い。
計画の詳細は「淀川大堰閘門」(国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所)をご覧ください。リンク先のPDFパンフレットに掲載された3Dモデル図によると、閘室長は70m、径間は20mとありました。ゲート形式は、外観からローラーゲートでしょう。

●さらに上流側へ歩いて、淀川大堰の堰柱ズラリを堪能。いや~、ここに閘門ができたら、毛馬閘門と連続で通航する水上バスの便ができるのかなあ。影も形もないうちから、早くも妄想が広がったのでありました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年9月30日撮影)
(『淀川畔を歩いて…2』につづく)

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旧毛馬第一閘門を訪ねて…9
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…8』のつづき)

●旧毛馬第一閘門の北側に保存されている、旧毛馬洗堰も訪ねてみました。新旧淀川の分流という意味では、むしろこちらが主役といってよい施設なのですが、新設された排水機場に支障したため大半が撤去され、10径間のうち3径間のみの保存となっています(現役時の姿は『毛馬閘門…3』参照)。
前に立つと、堤防上から階段を降りて見学できるのは旧閘門と同様ながら、左手が撤去され小さくなってしまったせいか、どこかうら寂しい雰囲気です。

●巻上機器の一部らしいものが残っていました。フランジ付きの車輪が水平に一対ついたものと、その右はクランクが見えることから、人力操作の車地ですね。どういう用途で使われたものか、ちょっと想像しにくい遺物ではあります。
後ろの高欄や、石材で組まれた橋脚の水切りなど、眺めてみたかったディテールもご覧のとおり蔦に覆われて、鑑賞には具合のよくない現状です。
●階段の入口に設けられた説明板。こちらもだいぶ褪色が進んでいるものの、かろうじて読めるレベル。
ゲートは戦後だいぶ経った、昭和36年まで角落しだったことに触れていますが、大都市近傍の大型制水施設としては、近代化が遅かった部類だったのではないでしょうか。

●階段を降りて、径間をのぞき込んだところ。柵で塞がれているので、ゲートのあったスリットを仰いだり、アーチの質感を愛でられないのが寂しいですね。
旧閘門はあらゆる視点から観察できるよう、配慮が行き届いていたので、この扱いの落差は目立ちます。もちろん構造物の剥落など、安全に配慮した結果であれば、仕方のないことではありますが。

●径間の右手、レンガ製の擁壁部分を眺めて。この面だけでもレンガが露出していれば、石材とのコントラストが楽しめるのですが‥‥ううん、蔦がうらめしいですね。
植物が絡みつくのは、はた目に風情があるかもしれないけれど、レンガや石材の保存を考えると、決していいことではないでしょう。見学エリアの拡大も含め、ご一考いただきたいところではあります。
(令和5年9月30日撮影)
(『淀川畔を歩いて…1』につづく)

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●旧毛馬第一閘門の北側に保存されている、旧毛馬洗堰も訪ねてみました。新旧淀川の分流という意味では、むしろこちらが主役といってよい施設なのですが、新設された排水機場に支障したため大半が撤去され、10径間のうち3径間のみの保存となっています(現役時の姿は『毛馬閘門…3』参照)。
前に立つと、堤防上から階段を降りて見学できるのは旧閘門と同様ながら、左手が撤去され小さくなってしまったせいか、どこかうら寂しい雰囲気です。

●巻上機器の一部らしいものが残っていました。フランジ付きの車輪が水平に一対ついたものと、その右はクランクが見えることから、人力操作の車地ですね。どういう用途で使われたものか、ちょっと想像しにくい遺物ではあります。
後ろの高欄や、石材で組まれた橋脚の水切りなど、眺めてみたかったディテールもご覧のとおり蔦に覆われて、鑑賞には具合のよくない現状です。

ゲートは戦後だいぶ経った、昭和36年まで角落しだったことに触れていますが、大都市近傍の大型制水施設としては、近代化が遅かった部類だったのではないでしょうか。

●階段を降りて、径間をのぞき込んだところ。柵で塞がれているので、ゲートのあったスリットを仰いだり、アーチの質感を愛でられないのが寂しいですね。
旧閘門はあらゆる視点から観察できるよう、配慮が行き届いていたので、この扱いの落差は目立ちます。もちろん構造物の剥落など、安全に配慮した結果であれば、仕方のないことではありますが。

●径間の右手、レンガ製の擁壁部分を眺めて。この面だけでもレンガが露出していれば、石材とのコントラストが楽しめるのですが‥‥ううん、蔦がうらめしいですね。
植物が絡みつくのは、はた目に風情があるかもしれないけれど、レンガや石材の保存を考えると、決していいことではないでしょう。見学エリアの拡大も含め、ご一考いただきたいところではあります。
(令和5年9月30日撮影)
(『淀川畔を歩いて…1』につづく)

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旧毛馬第一閘門を訪ねて…8
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…7』のつづき)

●旧毛馬第一閘門の周辺にある、記念物についてまとめてみました。世紀の大工事であった淀川改修事業、その目玉となる毛馬洗堰・閘門が設けられた新淀川との分流点だけあって、さまざまな記念物が閘門とともに時を過ごしています。写真の淀川改修紀功碑から見てゆきましょう。
【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】

●旧毛馬第一閘門の周辺にある、記念物についてまとめてみました。世紀の大工事であった淀川改修事業、その目玉となる毛馬洗堰・閘門が設けられた新淀川との分流点だけあって、さまざまな記念物が閘門とともに時を過ごしています。写真の淀川改修紀功碑から見てゆきましょう。
【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】
旧毛馬第一閘門を訪ねて…7
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…6』のつづき)

●閘室底の遊歩道を歩いて、後扉室まで戻ってきました。やはりマイタゲート、半開きの状態をこうして中心線から眺めると、護岸上から見下ろすより充実感が桁違い。こちらは前扉室と異なり囲われていないため、扉体に触れたりできるのもいいですね。
護岸上は散策の人影がちらほら見られましたが、閘室底は滞在中私一人。公園の動線から外れているせいでしょうか。まあ、おかげさまで心ゆくまで楽しめましたが。

●扉体を撫で回したり、周りをうろついて眺めたりとやりたい放題(?)。かつては船上からしか得られなかった視点が、こうして気軽にお散歩しながら思うさまできる嬉しさよ。ネットが張ってあるのは、トリさんの営巣や、ゴミの放置を防ぐ手立てでしょう。
しかし斜接部の復元された木製水密材、こちらもホンモノ臭が薄くていま一つですね。天端に腐朽を防ぐ帽子をかむせてしまったこともあるでしょうが、こう何か、扉体とガッチリ一体化している雰囲気に欠けているように感じるのです。

●ネット越しに扉体の中をのぞいてみると、こんなマンホールと思しきものが。ボルトでがっちりと封をされた蓋は、ぽこりと球状に盛り上がり、圧力に耐える造りのよう。
やはり表裏に鋼板を張られたところは、いわばシェル式ゲートで、気室をつくることで扉体が浮力を持ち、開閉を容易にしていたのでは‥‥と思えたのですが、いかがでしょう。
●スキンプレートに、塗装時の表記がありました。平成16年7月、もう19年前ですが、現役設備同様の丁寧な塗装が幸いしたのか、褪色はあっても傷んだ感じはしません。
ふと、竣工時の塗色は何色だったのだろう、と「毛馬閘門の絵葉書」を見返してみたら、そんなに濃い色ではなく、グレーか明るい茶色あたりのように感じられました。そのあたりの史料は残っているのかな?

●後扉室を大川側から。絵葉書の視点にできるだけ近い角度で眺めたかったのですが、まず柵があって距離が取れず、もちろん埋め立てられた分は高さもあるため、これが限界です。それでも、二つの扉体を通しで見通せるこのポイントは閘門好きにとって至福のアングルで、いわくいいがたい幸福感に包まれたものでした。
(令和5年9月30日撮影)
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…8』につづく)

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●閘室底の遊歩道を歩いて、後扉室まで戻ってきました。やはりマイタゲート、半開きの状態をこうして中心線から眺めると、護岸上から見下ろすより充実感が桁違い。こちらは前扉室と異なり囲われていないため、扉体に触れたりできるのもいいですね。
護岸上は散策の人影がちらほら見られましたが、閘室底は滞在中私一人。公園の動線から外れているせいでしょうか。まあ、おかげさまで心ゆくまで楽しめましたが。

●扉体を撫で回したり、周りをうろついて眺めたりとやりたい放題(?)。かつては船上からしか得られなかった視点が、こうして気軽にお散歩しながら思うさまできる嬉しさよ。ネットが張ってあるのは、トリさんの営巣や、ゴミの放置を防ぐ手立てでしょう。
しかし斜接部の復元された木製水密材、こちらもホンモノ臭が薄くていま一つですね。天端に腐朽を防ぐ帽子をかむせてしまったこともあるでしょうが、こう何か、扉体とガッチリ一体化している雰囲気に欠けているように感じるのです。

●ネット越しに扉体の中をのぞいてみると、こんなマンホールと思しきものが。ボルトでがっちりと封をされた蓋は、ぽこりと球状に盛り上がり、圧力に耐える造りのよう。
やはり表裏に鋼板を張られたところは、いわばシェル式ゲートで、気室をつくることで扉体が浮力を持ち、開閉を容易にしていたのでは‥‥と思えたのですが、いかがでしょう。

ふと、竣工時の塗色は何色だったのだろう、と「毛馬閘門の絵葉書」を見返してみたら、そんなに濃い色ではなく、グレーか明るい茶色あたりのように感じられました。そのあたりの史料は残っているのかな?

●後扉室を大川側から。絵葉書の視点にできるだけ近い角度で眺めたかったのですが、まず柵があって距離が取れず、もちろん埋め立てられた分は高さもあるため、これが限界です。それでも、二つの扉体を通しで見通せるこのポイントは閘門好きにとって至福のアングルで、いわくいいがたい幸福感に包まれたものでした。
(令和5年9月30日撮影)
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…8』につづく)

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旧毛馬第一閘門を訪ねて…6
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…5』のつづき)

●前扉室を振り返って、「いや~‥‥いいわ‥‥」と、その素晴らしさに一人つぶやいてしまうほど。半ば開いたマイタゲートの向こうに、青空と緑の法面が広がり、どこか爽やかな光景になっていたのもよかったのでしょう。
扉体は上部3段がスキンプレートのみ、下部9段が閘室側も鋼板が張られ、ボックス状になった構造。水密になっているのなら、扉体自体に浮力を持たせていたのでしょうか。

●制水門周りも、反対側からもう一度。これまた佳いではないですか。運用に謎は残ったものの、この構造物が本閘門の魅力をいや増していることは、異論がないことと思います。

●勾配のついた底を登って、後扉室に向かいます。芝生を敷いた両側を盛り上げて、歩道を低めてあるのは、排水のためでしょうか。お天気がよくて何よりでした。
後扉室に近づいたところで、左手に「係船環」と題した説明板が出現。こちらもだいぶ褪色・劣化が進んでいますが、まだ無事でお役目を果たしているようで、ちょっとホッとしました。

●こういった側壁にツライチで埋め込まれたタイプのアイ、鉄製だと北上運河の石井閘門、石造なら大岡川の石垣護岸など、いくつか見てきましたが、地方色が濃く出そうで、バリエーションを拾ってまとめたら、面白いものができそうですね。
(令和5年9月30日撮影)
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…7』につづく)

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●前扉室を振り返って、「いや~‥‥いいわ‥‥」と、その素晴らしさに一人つぶやいてしまうほど。半ば開いたマイタゲートの向こうに、青空と緑の法面が広がり、どこか爽やかな光景になっていたのもよかったのでしょう。
扉体は上部3段がスキンプレートのみ、下部9段が閘室側も鋼板が張られ、ボックス状になった構造。水密になっているのなら、扉体自体に浮力を持たせていたのでしょうか。

●制水門周りも、反対側からもう一度。これまた佳いではないですか。運用に謎は残ったものの、この構造物が本閘門の魅力をいや増していることは、異論がないことと思います。


後扉室に近づいたところで、左手に「係船環」と題した説明板が出現。こちらもだいぶ褪色・劣化が進んでいますが、まだ無事でお役目を果たしているようで、ちょっとホッとしました。

●こういった側壁にツライチで埋め込まれたタイプのアイ、鉄製だと北上運河の石井閘門、石造なら大岡川の石垣護岸など、いくつか見てきましたが、地方色が濃く出そうで、バリエーションを拾ってまとめたら、面白いものができそうですね。
(令和5年9月30日撮影)
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…7』につづく)

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