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干拓博物館とカタブネ…3

(『干拓博物館とカタブネ…2』のつづき)

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船尾は戸立造りで、船底から平面が跳ね上がった形になっているのは、他の和船にもよく見られる構造ですが‥‥。舟の断面自体がほぼ矩形のため、のぞき込んだ戸立も、船尾、船底方向ともに絞りのない四角で、やはり初めて目にするカタチ。

機付きゆえの造りが、いくつか目にできるのも興味深いものが。舷縁近くの太い梁は、本来なかったものでしょう。水密隔壁の支えと、プロペラシャフトを引き上げるための、垂直に通るレバーを支える軸受けになっているのですね。戸立に開けられた丁字形の穴は、引き上げられたペラを避けるためのものに違いないと思えます。スロープで上架する、機付き和船にはよく見られた構造ですよね。

しかし、舵軸を入れる穴が見当たりません。梁の穴を舵軸のそれとするには、ペラの位置が苦しく、また直径も稼げないような。2枚下の写真にあるように、船尾端にもそれらしき部分は見当たらなかったので、謎が残りました。

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船首周りを内側から見て。板組みのラインはまったく直線で、内側はほぼ垂直。外から見られた船首部の開きは、厚みを活かして削り出したような造りなのですね。天端に沿わされたガンネルに当たる縁材は、錆びた船釘の四角い頭が点々と出っ張ったままで、丁寧に埋め木をした船底、舷側とは対照的な、アバウトさが感じられます。

船首部最上部の内舷、他の箇所にくらべて、船釘の穴に施した埋め木の密度が桁違い。開きのある部分なので、波をさばいた際に力がかかるからでしょうか、接合に一段と手間をかけたように見受けられました。

302113.jpg左舷後部から全体を見て。船尾材左舷寄りに、ログイがあったと思しき凹部は見えますが、舵軸のそれは見当たらず。艪を舵の代りにでもしていたのかなあ。

こうして眺めてみて、外観はまさにカタブネそのものながら、何らかの理由で刳舟構造を止め、完全な板組みに移行したものとお見受けしました(間違っていたらごめんなさい)。いわば、最末期の姿といってよいのでしょうか?

ともあれ、今まで目にした地場の和船の中では、私の少ない見聞からとはいえ、群を抜いて"異形"さが際立っていた舟といえるでしょう。それだけに感動もまた、大きいものでした。ここに保存してくださった皆様には、感謝のほかありません。何分希少な舟、願わくば、いずれ屋内で保管されることを祈っております。

302114.jpg見学後、博物館に隣接した「道の駅 おおがた」ものぞいて、お土産を物色。でも気になってしまうのは、やはりトリさんたちでした。

軒先では、まだぽやぽやのツバメのヒナが、元気よく鳴いて親鳥に餌をねだる姿が。周りは水田とあって、スズメの張りのある声もあちこちで聞かれ、人里で暮らす鳥たちにとって住みよい環境であることが感じられ、ほっこりしたのでした。


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帰りの道々、八郎潟干拓地らしい風景を目にしておきたいと、ちょっと脇に入って小休止。青々とした美田が見渡すかぎり広がる、清々しく雄大な景色! 来てよかった‥‥。

中央を走るのは、「H1幹線用水路」と名付けられた用水路。コルゲート板とアングル鋼材で組まれた、いわば巨大な樋ですね。周りの地表面と同じくらいか、少し高めの水面が貫いてゆくみずみずしい青田、実に魅力的な水路風景でした。


【参考文献】 丸木舟(ものと人間の文化史 98) 出口晶子著 法政大学出版局

(令和5年7月26日撮影)

(この項おわり)

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タグ : 大潟村干拓博物館カタブネ