花畑運河の絵葉書
(『令和2年度川走り納め…7』のつづき)
●花畑運河の回が終わったばかりで、タイミングが悪くて恐縮です。花畑運河の竣工は昭和6年とされていますが、その竣工間もないころを写したと思しき、写真の絵葉書を入手できたので、ここで紹介させていただきましょう。過去にウェブや書籍で、花畑運河現役時の写真は何度か目にしていますが、絵葉書はこれが初めてです。
開けた風景の中、歪みなくパース画のように伸びる、いかにも新開鑿といった雰囲気は、こうして眺めているだけでも実に清々しいものがあります。「混凝土(コンクリート)張護岸」のタイトルが示すとおり、護岸の施工状況の記録が、主題になった写真という意味でも珍しいですね。

●花畑運河混凝土張護岸
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●花畑運河が竣工した昭和初期、東京の都心部など街場の運河ならともかく、田園地帯を横切る郊外の運河の、しかも全区間にコンクリート法面を施したというのは、絵葉書の題材になりうるインパクトがあったということなのでしょう。
法面は見たかぎり、途中で勾配を変えており、天端には縁石様のブロックを並べた構造のようです。先ほど通航時の写真と見比べて気づかされたのですが、竣工時の護岸、傷みみながらも現存していますね。もちろん今はこの上に、後付けの護岸や鋼矢板の堤防が積み増されていますが。
●ちなみに運河開鑿と並行して、両岸に接する一帯は道路とともに碁盤目に区画整理され、工場用地として整備されたとのこと。写真からはその様子はうかがい知れませんが、家並みも乏しいフラットな風景に、新開地らしさが感じられます。

●さて、気になるのは、この写真がどこを写したものかということ。RC橋らしき橋の架かった、マイタゲートであろう水門の径間が見えるので、現在の六ツ木水門か花畑水門のどちらかで、しかも橋の上から撮ったもの、ということになります。
堤防道の高さが割とあり、同様に橋の桁下高も高いこと、また写真では少なくとも、橋が斜に架かっていないように見えることから、「花畑水門かな?」と見当をつけたのですが、やはり裏を取りたいもの。手掛かりになりそうなものがもう一つあるとすれば、対岸にこんもりと茂っている木立かな‥‥。

●困ったときの国土変遷アーカイブ・地図・空中写真閲覧サービスということで、国土地理院のお力にすがって検索。竣工時にできるだけ近い時代、しかも鮮明なものをと物色したら、ありました。「USA-M676-135」(昭和22年11月28日・米軍撮影)、上はそのキャプチャ画像です。
対岸の集落に木立が見えるのは綾瀬川で、中川にはそれがないことがこの写真からもわかります。堤防道や橋の高さ、河道に対する道の角度と併せて考えても、花畑水門と月見橋を、雪見橋から見た写真で間違いなさそうです。
物流の大動脈として開鑿が待望され、舟航が輻輳を極めようとしていた時代の花畑運河の姿。その清新な水路の息吹きを再訪から間もなく垣間見る機会に恵まれて、嬉しいことではありました。
【参考文献】
帝都地形図 第2集 之潮
(『令和2年度川走り納め…8』につづく)

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●花畑運河の回が終わったばかりで、タイミングが悪くて恐縮です。花畑運河の竣工は昭和6年とされていますが、その竣工間もないころを写したと思しき、写真の絵葉書を入手できたので、ここで紹介させていただきましょう。過去にウェブや書籍で、花畑運河現役時の写真は何度か目にしていますが、絵葉書はこれが初めてです。
開けた風景の中、歪みなくパース画のように伸びる、いかにも新開鑿といった雰囲気は、こうして眺めているだけでも実に清々しいものがあります。「混凝土(コンクリート)張護岸」のタイトルが示すとおり、護岸の施工状況の記録が、主題になった写真という意味でも珍しいですね。

●花畑運河混凝土張護岸
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●花畑運河が竣工した昭和初期、東京の都心部など街場の運河ならともかく、田園地帯を横切る郊外の運河の、しかも全区間にコンクリート法面を施したというのは、絵葉書の題材になりうるインパクトがあったということなのでしょう。
法面は見たかぎり、途中で勾配を変えており、天端には縁石様のブロックを並べた構造のようです。先ほど通航時の写真と見比べて気づかされたのですが、竣工時の護岸、傷みみながらも現存していますね。もちろん今はこの上に、後付けの護岸や鋼矢板の堤防が積み増されていますが。
●ちなみに運河開鑿と並行して、両岸に接する一帯は道路とともに碁盤目に区画整理され、工場用地として整備されたとのこと。写真からはその様子はうかがい知れませんが、家並みも乏しいフラットな風景に、新開地らしさが感じられます。

●さて、気になるのは、この写真がどこを写したものかということ。RC橋らしき橋の架かった、マイタゲートであろう水門の径間が見えるので、現在の六ツ木水門か花畑水門のどちらかで、しかも橋の上から撮ったもの、ということになります。
堤防道の高さが割とあり、同様に橋の桁下高も高いこと、また写真では少なくとも、橋が斜に架かっていないように見えることから、「花畑水門かな?」と見当をつけたのですが、やはり裏を取りたいもの。手掛かりになりそうなものがもう一つあるとすれば、対岸にこんもりと茂っている木立かな‥‥。

●困ったときの国土変遷アーカイブ・地図・空中写真閲覧サービスということで、国土地理院のお力にすがって検索。竣工時にできるだけ近い時代、しかも鮮明なものをと物色したら、ありました。「USA-M676-135」(昭和22年11月28日・米軍撮影)、上はそのキャプチャ画像です。
対岸の集落に木立が見えるのは綾瀬川で、中川にはそれがないことがこの写真からもわかります。堤防道や橋の高さ、河道に対する道の角度と併せて考えても、花畑水門と月見橋を、雪見橋から見た写真で間違いなさそうです。
物流の大動脈として開鑿が待望され、舟航が輻輳を極めようとしていた時代の花畑運河の姿。その清新な水路の息吹きを再訪から間もなく垣間見る機会に恵まれて、嬉しいことではありました。
【参考文献】

(『令和2年度川走り納め…8』につづく)

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