令和2年度川走り納め…8
(『花畑運河の絵葉書』のつづき)
●道々、水鳥の姿は見かけたものの、いずれも1~2羽から数羽のレベルで、大きな集団には出会いませんでした。
そこへきて鹿骨のあたりまで下ってくると、いきなりヒドリガモの大艦隊(!)がいたのですから、目を奪われました。餌があるのか、環境が良いのかはわかりませんが、護岸沿いに固まっている姿が可愛らしいですね。

●新中川とくればやはり外せないのが、明和橋。逆光の中、いかにも鋼橋らしい凛とした魅力を放っていました。空はうろこ雲が広がり、秋の夕暮れどきのような、ちょっと寂しくなるような雰囲気です。

●明和橋下流の繋留場は空きが目立ち、船影の薄いのが気になりましたが、そんな中で目を引かれたのが、ぽつりともやっていたこの業務船。
船首の作業甲板に立つユニック、船尾にまとめられたコンソールに高いブルワークと、小さいながら鋼船の魅力が詰まったスタイル。しかし、甲板上の散らかり具合や塗料の褪色から、長く放置されているような感じが。次の職場に恵まれるといいのですが‥‥。
●今井水門が見えてきました。新中川とももうすぐお別れです。設備の更新が西側4径間まで進み、残り3径間も旧扉体が撤去され、角落しで塞がれて今や工事たけなわ。
上航艇が中央、第4径間を通る姿勢を見せたので、こちらはその隣、第5径間をくぐって向こうへ出ることにしました。

●下流側に出ると、いいタイミングで陽が差してきて、水門のよい表情をものすることができました。
巻上機室が以前より張り出した形となり、堰柱も鋼材でガッチリと補強されて、旧扉体のころよりずいぶんといかつく、頼もしい感じになりましたね。扉体が塗装されないのはちょっと残念な気もしますが、コスト的にもこのやり方がベターな選択なのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(令和2年12月29日撮影)
(『令和2年度川走り納め…9』につづく)

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そこへきて鹿骨のあたりまで下ってくると、いきなりヒドリガモの大艦隊(!)がいたのですから、目を奪われました。餌があるのか、環境が良いのかはわかりませんが、護岸沿いに固まっている姿が可愛らしいですね。

●新中川とくればやはり外せないのが、明和橋。逆光の中、いかにも鋼橋らしい凛とした魅力を放っていました。空はうろこ雲が広がり、秋の夕暮れどきのような、ちょっと寂しくなるような雰囲気です。

●明和橋下流の繋留場は空きが目立ち、船影の薄いのが気になりましたが、そんな中で目を引かれたのが、ぽつりともやっていたこの業務船。
船首の作業甲板に立つユニック、船尾にまとめられたコンソールに高いブルワークと、小さいながら鋼船の魅力が詰まったスタイル。しかし、甲板上の散らかり具合や塗料の褪色から、長く放置されているような感じが。次の職場に恵まれるといいのですが‥‥。

上航艇が中央、第4径間を通る姿勢を見せたので、こちらはその隣、第5径間をくぐって向こうへ出ることにしました。

●下流側に出ると、いいタイミングで陽が差してきて、水門のよい表情をものすることができました。
巻上機室が以前より張り出した形となり、堰柱も鋼材でガッチリと補強されて、旧扉体のころよりずいぶんといかつく、頼もしい感じになりましたね。扉体が塗装されないのはちょっと残念な気もしますが、コスト的にもこのやり方がベターな選択なのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(令和2年12月29日撮影)
(『令和2年度川走り納め…9』につづく)

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花畑運河の絵葉書
(『令和2年度川走り納め…7』のつづき)
●花畑運河の回が終わったばかりで、タイミングが悪くて恐縮です。花畑運河の竣工は昭和6年とされていますが、その竣工間もないころを写したと思しき、写真の絵葉書を入手できたので、ここで紹介させていただきましょう。過去にウェブや書籍で、花畑運河現役時の写真は何度か目にしていますが、絵葉書はこれが初めてです。
開けた風景の中、歪みなくパース画のように伸びる、いかにも新開鑿といった雰囲気は、こうして眺めているだけでも実に清々しいものがあります。「混凝土(コンクリート)張護岸」のタイトルが示すとおり、護岸の施工状況の記録が、主題になった写真という意味でも珍しいですね。

●花畑運河混凝土張護岸
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●花畑運河が竣工した昭和初期、東京の都心部など街場の運河ならともかく、田園地帯を横切る郊外の運河の、しかも全区間にコンクリート法面を施したというのは、絵葉書の題材になりうるインパクトがあったということなのでしょう。
法面は見たかぎり、途中で勾配を変えており、天端には縁石様のブロックを並べた構造のようです。先ほど通航時の写真と見比べて気づかされたのですが、竣工時の護岸、傷みみながらも現存していますね。もちろん今はこの上に、後付けの護岸や鋼矢板の堤防が積み増されていますが。
●ちなみに運河開鑿と並行して、両岸に接する一帯は道路とともに碁盤目に区画整理され、工場用地として整備されたとのこと。写真からはその様子はうかがい知れませんが、家並みも乏しいフラットな風景に、新開地らしさが感じられます。

●さて、気になるのは、この写真がどこを写したものかということ。RC橋らしき橋の架かった、マイタゲートであろう水門の径間が見えるので、現在の六ツ木水門か花畑水門のどちらかで、しかも橋の上から撮ったもの、ということになります。
堤防道の高さが割とあり、同様に橋の桁下高も高いこと、また写真では少なくとも、橋が斜に架かっていないように見えることから、「花畑水門かな?」と見当をつけたのですが、やはり裏を取りたいもの。手掛かりになりそうなものがもう一つあるとすれば、対岸にこんもりと茂っている木立かな‥‥。

●困ったときの国土変遷アーカイブ・地図・空中写真閲覧サービスということで、国土地理院のお力にすがって検索。竣工時にできるだけ近い時代、しかも鮮明なものをと物色したら、ありました。「USA-M676-135」(昭和22年11月28日・米軍撮影)、上はそのキャプチャ画像です。
対岸の集落に木立が見えるのは綾瀬川で、中川にはそれがないことがこの写真からもわかります。堤防道や橋の高さ、河道に対する道の角度と併せて考えても、花畑水門と月見橋を、雪見橋から見た写真で間違いなさそうです。
物流の大動脈として開鑿が待望され、舟航が輻輳を極めようとしていた時代の花畑運河の姿。その清新な水路の息吹きを再訪から間もなく垣間見る機会に恵まれて、嬉しいことではありました。
【参考文献】
帝都地形図 第2集 之潮
(『令和2年度川走り納め…8』につづく)

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●花畑運河の回が終わったばかりで、タイミングが悪くて恐縮です。花畑運河の竣工は昭和6年とされていますが、その竣工間もないころを写したと思しき、写真の絵葉書を入手できたので、ここで紹介させていただきましょう。過去にウェブや書籍で、花畑運河現役時の写真は何度か目にしていますが、絵葉書はこれが初めてです。
開けた風景の中、歪みなくパース画のように伸びる、いかにも新開鑿といった雰囲気は、こうして眺めているだけでも実に清々しいものがあります。「混凝土(コンクリート)張護岸」のタイトルが示すとおり、護岸の施工状況の記録が、主題になった写真という意味でも珍しいですね。

●花畑運河混凝土張護岸
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●花畑運河が竣工した昭和初期、東京の都心部など街場の運河ならともかく、田園地帯を横切る郊外の運河の、しかも全区間にコンクリート法面を施したというのは、絵葉書の題材になりうるインパクトがあったということなのでしょう。
法面は見たかぎり、途中で勾配を変えており、天端には縁石様のブロックを並べた構造のようです。先ほど通航時の写真と見比べて気づかされたのですが、竣工時の護岸、傷みみながらも現存していますね。もちろん今はこの上に、後付けの護岸や鋼矢板の堤防が積み増されていますが。
●ちなみに運河開鑿と並行して、両岸に接する一帯は道路とともに碁盤目に区画整理され、工場用地として整備されたとのこと。写真からはその様子はうかがい知れませんが、家並みも乏しいフラットな風景に、新開地らしさが感じられます。

●さて、気になるのは、この写真がどこを写したものかということ。RC橋らしき橋の架かった、マイタゲートであろう水門の径間が見えるので、現在の六ツ木水門か花畑水門のどちらかで、しかも橋の上から撮ったもの、ということになります。
堤防道の高さが割とあり、同様に橋の桁下高も高いこと、また写真では少なくとも、橋が斜に架かっていないように見えることから、「花畑水門かな?」と見当をつけたのですが、やはり裏を取りたいもの。手掛かりになりそうなものがもう一つあるとすれば、対岸にこんもりと茂っている木立かな‥‥。

●困ったときの国土変遷アーカイブ・地図・空中写真閲覧サービスということで、国土地理院のお力にすがって検索。竣工時にできるだけ近い時代、しかも鮮明なものをと物色したら、ありました。「USA-M676-135」(昭和22年11月28日・米軍撮影)、上はそのキャプチャ画像です。
対岸の集落に木立が見えるのは綾瀬川で、中川にはそれがないことがこの写真からもわかります。堤防道や橋の高さ、河道に対する道の角度と併せて考えても、花畑水門と月見橋を、雪見橋から見た写真で間違いなさそうです。
物流の大動脈として開鑿が待望され、舟航が輻輳を極めようとしていた時代の花畑運河の姿。その清新な水路の息吹きを再訪から間もなく垣間見る機会に恵まれて、嬉しいことではありました。
【参考文献】

(『令和2年度川走り納め…8』につづく)

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令和2年度川走り納め…7
(『花畑運河再訪…7』のつづき)

●川走り収めということで、帰路は新中川を南下することにしました。分流点を過ぎ、高砂諏訪橋をくぐってから振り返り一枚。まだ雲は多いですが、ときおり日が差して川面を照らしてくれます。
●八剱橋(やつるぎばし)は架け替え工事を継続中で、錆色の仮橋は人道橋のみ。中央径間には「航路」の表示が。西岸にはクレーンや台船が見られました。
そういえば、平成30年末も新中川を訪ねていたんでしたっけ。花畑運河の初訪も平成20年末だったし、どうもこのあたりは年の瀬にご縁があるようです。

●旧橋脚はすっかり撤去され、新たな橋脚が完成していました。橋台は未施工のようで、車道・人道橋に分かれていたころの旧橋台が、そのまま残されています。
●奥戸街道を渡す奥戸新橋を振り返って。桁下端の曲線が優美で、塗色も桁の形状によく似合い、眺めていて気持ちのよい橋。
しかし、東側に大きな剥離がいくつかあるのが惜しいですね。場所からして衝突の痕でもなさそうだし、何が原因なのでしょう。

●で、毎度通るたびに吸い寄せられて恐縮ですが、新中川の橋で白眉は、やはり辰巳新橋。擬古典調の明和橋が力強い剛の魅力なら、スマートな辰巳新橋は、たおやかな柔の魅力といっていいかも。アーチ頂部裏面に生じる影に、なぜかすごく惹かれるものがありました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和2年12月29日撮影)
(『花畑運河の絵葉書』につづく)

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●川走り収めということで、帰路は新中川を南下することにしました。分流点を過ぎ、高砂諏訪橋をくぐってから振り返り一枚。まだ雲は多いですが、ときおり日が差して川面を照らしてくれます。

そういえば、平成30年末も新中川を訪ねていたんでしたっけ。花畑運河の初訪も平成20年末だったし、どうもこのあたりは年の瀬にご縁があるようです。

●旧橋脚はすっかり撤去され、新たな橋脚が完成していました。橋台は未施工のようで、車道・人道橋に分かれていたころの旧橋台が、そのまま残されています。

しかし、東側に大きな剥離がいくつかあるのが惜しいですね。場所からして衝突の痕でもなさそうだし、何が原因なのでしょう。

●で、毎度通るたびに吸い寄せられて恐縮ですが、新中川の橋で白眉は、やはり辰巳新橋。擬古典調の明和橋が力強い剛の魅力なら、スマートな辰巳新橋は、たおやかな柔の魅力といっていいかも。アーチ頂部裏面に生じる影に、なぜかすごく惹かれるものがありました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和2年12月29日撮影)
(『花畑運河の絵葉書』につづく)

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タグ : 新中川
花畑運河再訪…7
(『花畑運河再訪…6』のつづき)

●花畑水門を離れて、両岸の釣り人さんに挨拶しながら後進で離脱、適当なところで転回して帰路へ。
右写真、富士見歩道橋の低さも改めて。3つの橋はおおむねA.P.+1.4m以下にならないとクリアできないので、仮に花畑水門が開いていても、綾瀬川上流の攻略は時間が限られそう。まあ、大潮の干潮時以外くぐれない、綾瀬新橋よりはマシではありますが‥‥。

●恐らく次に訪ねたときは、もう失われているであろう六ツ木水門を仰いで、名残を惜しみました。光のない信号を前にすると、やはり寂寥感が胸に迫るものがあります。
径間が狭まり、水深が浅くされれば、航行できないことはないにしても、進入はためらってしまうに違いありません。テラスや桜並木が築造され面目を一新した花畑運河‥‥、竣工の際はぜひ、テラスに説明板を設けて、物流に貢献した事蹟を顕彰していただきたいものです。

●雲で陽射しがさえぎられ、寒さが厳しくなってきました。両岸に残るマイタゲート跡を眺めながら、花畑運河とお別れです。
利根運河が導水路に転用され、可航環境を失って久しい今、二河川をショートカットする内陸の運河としては、抜けられずとも貴重な可航状態を保っていた花畑運河。大きな変化を前にした姿を目の当たりにできて、何よりではありました。
(令和2年12月29日撮影)
(『令和2年度川走り納め…7』につづく)

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右写真、富士見歩道橋の低さも改めて。3つの橋はおおむねA.P.+1.4m以下にならないとクリアできないので、仮に花畑水門が開いていても、綾瀬川上流の攻略は時間が限られそう。まあ、大潮の干潮時以外くぐれない、綾瀬新橋よりはマシではありますが‥‥。

●恐らく次に訪ねたときは、もう失われているであろう六ツ木水門を仰いで、名残を惜しみました。光のない信号を前にすると、やはり寂寥感が胸に迫るものがあります。
径間が狭まり、水深が浅くされれば、航行できないことはないにしても、進入はためらってしまうに違いありません。テラスや桜並木が築造され面目を一新した花畑運河‥‥、竣工の際はぜひ、テラスに説明板を設けて、物流に貢献した事蹟を顕彰していただきたいものです。


利根運河が導水路に転用され、可航環境を失って久しい今、二河川をショートカットする内陸の運河としては、抜けられずとも貴重な可航状態を保っていた花畑運河。大きな変化を前にした姿を目の当たりにできて、何よりではありました。
(令和2年12月29日撮影)
(『令和2年度川走り納め…7』につづく)

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花畑運河再訪…6
(『花畑運河再訪…5』のつづき)
●雪見橋のテラス区間を出たところで、魚探の感を記録。12年前の通航時と同様で、西に進むほど少しづつ水深が増していることに変わりはありませんでした。
これは、六ツ木水門が常時開で、中川との間で水の代謝をしており、わずかづつ中川が運んできた土砂が堆積しているのに対し、花畑水門が常時閉で、開放する時間も月一回程度とわずかであり、また開放した際も、流れは中川から綾瀬川へ向かっているため、と見てよいでしょう。
●そうそう、環境整備事業で唯一解せなかった、水深をA.P.-0.5mにかさ上げする件ですが、「第4回 花畑川環境整備事業の説明会及び意見交換会」(PDF・足立区)に理由が明記されていたので、ここで引用しておきましょう。
10ページ「7-2 水質について」に、「滞留時間(水の入れ替え時間)が長くなると、アオコが発生するなどの水質悪化を引き起こす恐れがあります。」
「 本整備事業では、新水門(4.5m)に合わせて水量を減らすことで、入れ替え時間を短くして水質の保全を行います。」
●‥‥なるほど、水門が樋門化されて狭くなった分、水の代謝が現在の水深では滞りがちとなり、汚濁が懸念されるので、水深を浅くして貯留量を減らすということですね。
しかし、流れの方向が東から西へ向かう造りになっているのなら、花畑水門をまめに開き、適宜綾瀬川へフラッシュ放水みたいな形で流下させた方が、工事の必要もなくよいような気もするのですが、いかがでしょう。まあ、各河川の決められた流量や水門の管理上、面倒な点もありそうなので、水深減少が採られたのは、それなりの理由があるのでしょうね。

●花畑水門と月見橋が近づいてきました。花畑水門は、綾瀬川から訪ねた平成21年3月以来、11年ぶりです。手前の人道橋が桁を補修され、きれいになったほかは、水門も周囲も特にお変わりないようですね。
運河西端付近は特に釣り人さんが多く、さすがに緊張させられたのですが、「お邪魔します、すみません、すぐ戻りますんでちょっと通らせてください!」と両岸におられた皆さんに声をかけたところ、「はーい」「おーう」と、元気よく応えてくれました。ありがとうございます。

●今回は、少しだけ踏破区間を伸ばすことになりました。花畑水門の扉体周りを観察しておきたくなり、月見橋の真下まで入ることにしたのです。
橋台と緩い法面の基礎護岸が迫り、幅は半分以下に。風向きの関係か、水門近くの水面には細かいゴミがたまり、水面にしわが寄ったようになっています。
●月見橋の手前には3径間の人道橋が併設されており、橋脚はご覧のとおり重厚で、護岸から離れてはいるものの、橋台のような風情です。
これも岸に橋台を設けるより、基礎工事ほかの点で施工が楽なため、採られた方法のように思えました。雪見橋、桜木橋と同じ伝なのでしょう。

●こちらは六ツ木水門のように、マイタゲートの痕跡は残っていないか‥‥と、左右を見回しながら扉体ギリギリまで寄せてみて、アッと声を上げました。手前にある戸溝に角落しがはめ込まれている! 完全閉塞か?
シャッターを何回か押した後、ほんの一瞬でゴースターンをかけて離れたので、よく確かめる余裕はありませんでしたが、帰宅後に写真で観察してみると、角落しにしてはどうもおかしい。アルミの生地みたいな色でしかも円筒みたいだし、戸溝の天端には何か箱型の機械が。
もしかして、アバ(浮き)をフェンスとしてはめてあり、扉体に水面のゴミが寄せないようにしているのかも‥‥。天端にある機械は、小型の巻上機なのかしら、と想像。根拠はありませんが、水門を定期的に点検運転している以上、完全閉塞はおかしいですものね。まあ、謎は残りましたが、思い切って近づいてこその新発見だったので、よしとしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(令和2年12月29日撮影)
(『花畑運河再訪…7』につづく)

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これは、六ツ木水門が常時開で、中川との間で水の代謝をしており、わずかづつ中川が運んできた土砂が堆積しているのに対し、花畑水門が常時閉で、開放する時間も月一回程度とわずかであり、また開放した際も、流れは中川から綾瀬川へ向かっているため、と見てよいでしょう。
●そうそう、環境整備事業で唯一解せなかった、水深をA.P.-0.5mにかさ上げする件ですが、「第4回 花畑川環境整備事業の説明会及び意見交換会」(PDF・足立区)に理由が明記されていたので、ここで引用しておきましょう。
10ページ「7-2 水質について」に、「滞留時間(水の入れ替え時間)が長くなると、アオコが発生するなどの水質悪化を引き起こす恐れがあります。」
「 本整備事業では、新水門(4.5m)に合わせて水量を減らすことで、入れ替え時間を短くして水質の保全を行います。」
●‥‥なるほど、水門が樋門化されて狭くなった分、水の代謝が現在の水深では滞りがちとなり、汚濁が懸念されるので、水深を浅くして貯留量を減らすということですね。
しかし、流れの方向が東から西へ向かう造りになっているのなら、花畑水門をまめに開き、適宜綾瀬川へフラッシュ放水みたいな形で流下させた方が、工事の必要もなくよいような気もするのですが、いかがでしょう。まあ、各河川の決められた流量や水門の管理上、面倒な点もありそうなので、水深減少が採られたのは、それなりの理由があるのでしょうね。

●花畑水門と月見橋が近づいてきました。花畑水門は、綾瀬川から訪ねた平成21年3月以来、11年ぶりです。手前の人道橋が桁を補修され、きれいになったほかは、水門も周囲も特にお変わりないようですね。
運河西端付近は特に釣り人さんが多く、さすがに緊張させられたのですが、「お邪魔します、すみません、すぐ戻りますんでちょっと通らせてください!」と両岸におられた皆さんに声をかけたところ、「はーい」「おーう」と、元気よく応えてくれました。ありがとうございます。

●今回は、少しだけ踏破区間を伸ばすことになりました。花畑水門の扉体周りを観察しておきたくなり、月見橋の真下まで入ることにしたのです。
橋台と緩い法面の基礎護岸が迫り、幅は半分以下に。風向きの関係か、水門近くの水面には細かいゴミがたまり、水面にしわが寄ったようになっています。

これも岸に橋台を設けるより、基礎工事ほかの点で施工が楽なため、採られた方法のように思えました。雪見橋、桜木橋と同じ伝なのでしょう。

●こちらは六ツ木水門のように、マイタゲートの痕跡は残っていないか‥‥と、左右を見回しながら扉体ギリギリまで寄せてみて、アッと声を上げました。手前にある戸溝に角落しがはめ込まれている! 完全閉塞か?
シャッターを何回か押した後、ほんの一瞬でゴースターンをかけて離れたので、よく確かめる余裕はありませんでしたが、帰宅後に写真で観察してみると、角落しにしてはどうもおかしい。アルミの生地みたいな色でしかも円筒みたいだし、戸溝の天端には何か箱型の機械が。
もしかして、アバ(浮き)をフェンスとしてはめてあり、扉体に水面のゴミが寄せないようにしているのかも‥‥。天端にある機械は、小型の巻上機なのかしら、と想像。根拠はありませんが、水門を定期的に点検運転している以上、完全閉塞はおかしいですものね。まあ、謎は残りましたが、思い切って近づいてこその新発見だったので、よしとしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(令和2年12月29日撮影)
(『花畑運河再訪…7』につづく)

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