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雨の大河津にて…2

(『雨の大河津にて…1』のつづき)

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雨脚が再び強くなったこともあり、大河津資料館の館内に入って見学することにしました。江戸時代以来の、分水開鑿の実現に尽力した人物の事績や、数々の収蔵品を興味深く拝見。

写真は明治42年より始められた、開鑿工事の様子を模型化したもの。バケット式のエキスカベーター、蒸気ショベルなど、国内ではまだ珍しかった大規模な機械化土工の光景が再現されていて、重機の喧騒や人夫の掛け声が聞こえてきそうです。

256007.jpg明治3年に始められた開鑿工事は、通水を目前にしながら反対運動などにより同8年に中断、30年余も放置された後42年に再開され、13年の歳月をかけ大正11年に通水したとのこと。紆余曲折があったのですね。

右は「昭和6年宮本武之輔が製作させた可動堰模型」とあり、松丸太杭や粘土の基礎構造まで再現した素晴らしいもの。当時の機材や工法が理解できます。

256008.jpgひととおり拝見して、4階の展望室に上がってみました。大粒の雨はますます強く、横殴りで音を立てて窓を濡らすほど。晴れていれば、分流点の雄大な光景にほれぼれと見入るところですが、今は座り込んで止むのを祈るばかり。

20分ほど経ったでしょうか、雨脚が弱まり、空も薄明るくなってきました。それっ、とばかり階段を降り、資料館を出て次のスポットへ向かうことに。

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資料館のすぐ南には、信濃川本流への落とし口を務めた、旧洗堰が現役時代そのままの形で保存されていました。大正11年竣工、ゲートの上に番号が振ってあったので追ってみると、何と27径間。物量に圧倒される思いがしますよね。

信濃川本流は当時通船が盛んだったので、洗堰も当然閘門とセットで建造されたのですが、洗堰が立派に保存されているのに、閘門は跡形もないのが、閘門ファンとして大いに残念なところです。

初代閘門は画面奥の建物、北陸地方整備局・信濃川河川事務所の手前あたりに設けられていたそう。資料館のサイトによれば、初代、二代目とも旧閘門を記念した碑はあるそうですが、今回は道々で雨がぱらついてきたため、現行の閘門を優先しパスさせてもらいました。初代閘門の絵葉書は手持ちがあるので、次回ご覧に入れましょう。

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旧洗堰を堤防側から見て。オレンジ色に塗られた扉体、今日的な視点からするとずいぶん小さく思えますが、堅牢なつくりにするにはこれが当時の最適解だったのでしょう。なお管理橋の親柱にある銘板は、「洗堰」と単純明快でした。

写真のとおり、北側4径間が今なお下に水を流していて、現役時代を思い起こさせます。これは、派川である西川へ樋門を通じて導水した水路で、旧洗堰のゲートは固定されていて、制水の用はなしていません。
撮影地点のMapion地図

(令和2年10月24日撮影)

(『大河津の絵葉書』につづく)

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タグ : 大河津分水信濃川大河津資料館信濃川旧洗堰