雨の大河津にて…1

平成23年の新潟訪問時に回り切れなかった、あるいはその後存在を知った物件を見てみたいと思いながら早や9年、ようやく実現の日を迎えて嬉しく思っていた、のですが‥‥。
天気予報によると、東京は天候不順を脱して秋晴れを迎えたのに、北陸一帯は雨と強い風で大荒れとのこと。むう‥‥。GoToトラベルを利用して、宿も予約をしてしまったし、行けば何とかなるだろうと向かったものの、予報のとおり、長岡付近から晴れていた空がにわかにかき曇り、何とも不安な出だしとなりました。

到着したときは、すでに結構な雨脚。雲の動きが速いので、小降りになったスキを突いて見て回れそうですが、分水の可動堰から本流の洗堰まで、広大な範囲に散らばる物件を全て、限られた時間の中でめぐる余裕はなさそう。的をしぼらざるを得ない状況に、天を仰いで唇を噛んだのでありました。

●しばらく軒下で様子を見ていたら、小降りになると同時に陽が差してきました。これ幸いと分水路の堤防上に駆け上り、一番近くにあった保存水門、昭和6年竣工の旧可動堰を拝見。
管理橋が堰柱に影を作り、高水敷に茂る雨に濡れた草も瑞々しい、美しい水門風景‥‥。まだ雨に煙っている背後の山並とのコントラストも面白く、うらめしかった悪天候にも、このときばかりは感謝したものでした。

●陽が差したのは本当に一瞬で、上流側の姿をものしておこうと歩き始めたら、すでに雲が濃くなってきたという慌ただしさでした。
管理橋は意外と幅が狭く、見たかぎりでは、軽自動車の通行もおぼつかなそうな感じ。親柱に掲げられた銘板、草に隠れてしまっていますが、文字数から推定して左は「可動堰」、右のそれは「新信濃川」でしょうか?

●橋詰広場(?)に掲げられていた説明版。昭和2年に、この先代にあたる自在堰が突如陥没し、流量調節の用をなさなくなったのを受けて、わずか4年の突貫工事ですぐ上流に可動堰を建造したエピソードは、よく知られています。
説明にもあるとおり、現役時は10径間があったのですがこれは低水路のみで、河道の全幅をゲートが占めていたわけではなく、高水敷である約3分の2を固定堰とし、増水時は越流させる構造でした。
【撮影地点のMapion地図】
(令和2年10月24日撮影)
(『雨の大河津にて…2』につづく)

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