4月29日の川景色
(『4月29日のフネブネ…2』のつづき)

●落穂拾い的に4月29日の川景色を。豊洲運河、農水省の深川倉庫跡地(平成27年、『8月31日の豊洲運河』に解体中の写真あり)、倉庫が取り壊されて以来長きに渡って工事中ですが、このところジブを高々と掲げたクレーンが並んでおり、それもだんだん数を減じてきたところ。
何ができるのかは知りませんが、基礎工事が終わりに近づいたということでしょうか。澄んだ青空に紅白のジブが映えて、爽快な眺めではありました。
●日本橋川との丁字流を右折して、おなじみ神田川の不燃ゴミ積み替え施設、三崎町中継所の前を航過。この日はバージと曳船のもやう姿はなく、少々寂しい光景ではありました。
まあ、バージがいなければいないで、護岸にボルト留めされたゴムフェンダーや、点々と設けられた繋留用のアイ(鉄環)など、ディテールが観察できるチャンスではあるので、興味深く拝見。

●お茶の水橋の下から望んだ、これもおなじみ巨大足場。御茶ノ水駅の改築工事も佳境に入ってきて、長い間眺めてきたこの足場も、撤去のスケジュールが見えてきたのではないでしょうか。もはや川景色の一部と化していたこれも、いつかは取り去られる運命、しっかりと記録しておこう‥‥。

●東武線の隅田川橋梁に併設される人道橋、「すみだリバーウォーク」と名付けられたそうですが、この日見てみたかぎりでは、ほぼ完成しているようでした。
延長のほとんどは下流側に沿って設けられ、西岸近くのみ上流側から入り、構造の中をくぐって下流側へ出るつくり。川を行き交うフネブネはもとより、鋼橋の構造も堪能できと、その筋の方にとっては、まさに一粒で2度おいしいといってよいでしょう!
●ちょっと片寄ってしまいましたが、桁の真下から仰いで。思ったより幅があり、人の行き来だけなら余裕は十分ありそう。上流側からは、原形を損なわない橋の姿が眺められるのもいいですね。
聞いたところでは、4月中に供用予定だったところ、コロナ禍の影響で6月に延期されたのだそう。供用されたら、ぜひ一度渡ってみたいです。
(令和2年4月29日撮影)
(この項おわり)

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●落穂拾い的に4月29日の川景色を。豊洲運河、農水省の深川倉庫跡地(平成27年、『8月31日の豊洲運河』に解体中の写真あり)、倉庫が取り壊されて以来長きに渡って工事中ですが、このところジブを高々と掲げたクレーンが並んでおり、それもだんだん数を減じてきたところ。
何ができるのかは知りませんが、基礎工事が終わりに近づいたということでしょうか。澄んだ青空に紅白のジブが映えて、爽快な眺めではありました。

まあ、バージがいなければいないで、護岸にボルト留めされたゴムフェンダーや、点々と設けられた繋留用のアイ(鉄環)など、ディテールが観察できるチャンスではあるので、興味深く拝見。

●お茶の水橋の下から望んだ、これもおなじみ巨大足場。御茶ノ水駅の改築工事も佳境に入ってきて、長い間眺めてきたこの足場も、撤去のスケジュールが見えてきたのではないでしょうか。もはや川景色の一部と化していたこれも、いつかは取り去られる運命、しっかりと記録しておこう‥‥。

●東武線の隅田川橋梁に併設される人道橋、「すみだリバーウォーク」と名付けられたそうですが、この日見てみたかぎりでは、ほぼ完成しているようでした。
延長のほとんどは下流側に沿って設けられ、西岸近くのみ上流側から入り、構造の中をくぐって下流側へ出るつくり。川を行き交うフネブネはもとより、鋼橋の構造も堪能できと、その筋の方にとっては、まさに一粒で2度おいしいといってよいでしょう!

聞いたところでは、4月中に供用予定だったところ、コロナ禍の影響で6月に延期されたのだそう。供用されたら、ぜひ一度渡ってみたいです。
(令和2年4月29日撮影)
(この項おわり)

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4月29日のフネブネ…2
(『4月29日のフネブネ…1』のつづき)
●隅田川に戻ったところで、先ほど別れた「建設河清第1号」と再びの出会い。
狭水路での作業中とは打って変わって、船尾に噴流を白く盛り上げ、文字通り“爆走”(?)する姿を見ることができ、ちょっとトクした気分に。

●吾妻橋をくぐって、観光汽船の浅草乗場にふと目をやると‥‥好天の日中にもかかわらず、乗船待ちのお客さんが全くいない異様な光景。コロナ対策で運休中のため当然ではありますが、非常事態を象徴するようなシーンに思えて、しばらく見入ってしまいました。

●東雲北運河、木村造船所にはどんな船がいるかな‥‥と近づいてみると、これは神田川のゴミ運搬で顔なじみ、曳船「第30中島丸」と、バージ「中島第五八号」が寄り添うように憩うているのを発見。横抱き繋留のスタイルは三崎町中継所でのそれと一緒ですが、どこかリラックスした、ホッとさせる雰囲気じゃありませんか。

●その奥、墨田川造船の前まで来て、アッと声を上げました。前回4月4日、建屋の中で建造中だった「みかづき」もそろそろ進水したろう、と期待していたのですが、建屋のシャッターは閉まっていたにもかかわらず、艤装桟橋に「みかづき」の姿はなし‥‥。
これはもしかして、進水早々、辰巳埠頭の艤装桟橋に回航されてしまったのでしょうか。大型船であれば、船橋やマストなど上部構造を重ねた後では、橋がくぐれなくなるでしょうからね。惜しいことをしました。
●10年近くも墨田川造船に通っていて、今回ようやく気づかされたことが一つ。工場建屋の奥には本社社屋がチラッと見えるのですが、ご覧のとおり時計台が設けられていて、しかも屋根の上にある風見が、なんと帆船の形!
いや、洒落てますねえ。「みかづき」には会えなかったけれど、これに気づけたことはちょっとした感動で、マイナスを取り戻せたような気分になったものでした。
(令和2年4月29日撮影)
(『4月29日の川景色』につづく)

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狭水路での作業中とは打って変わって、船尾に噴流を白く盛り上げ、文字通り“爆走”(?)する姿を見ることができ、ちょっとトクした気分に。

●吾妻橋をくぐって、観光汽船の浅草乗場にふと目をやると‥‥好天の日中にもかかわらず、乗船待ちのお客さんが全くいない異様な光景。コロナ対策で運休中のため当然ではありますが、非常事態を象徴するようなシーンに思えて、しばらく見入ってしまいました。

●東雲北運河、木村造船所にはどんな船がいるかな‥‥と近づいてみると、これは神田川のゴミ運搬で顔なじみ、曳船「第30中島丸」と、バージ「中島第五八号」が寄り添うように憩うているのを発見。横抱き繋留のスタイルは三崎町中継所でのそれと一緒ですが、どこかリラックスした、ホッとさせる雰囲気じゃありませんか。

●その奥、墨田川造船の前まで来て、アッと声を上げました。前回4月4日、建屋の中で建造中だった「みかづき」もそろそろ進水したろう、と期待していたのですが、建屋のシャッターは閉まっていたにもかかわらず、艤装桟橋に「みかづき」の姿はなし‥‥。
これはもしかして、進水早々、辰巳埠頭の艤装桟橋に回航されてしまったのでしょうか。大型船であれば、船橋やマストなど上部構造を重ねた後では、橋がくぐれなくなるでしょうからね。惜しいことをしました。

いや、洒落てますねえ。「みかづき」には会えなかったけれど、これに気づけたことはちょっとした感動で、マイナスを取り戻せたような気分になったものでした。
(令和2年4月29日撮影)
(『4月29日の川景色』につづく)

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4月29日のフネブネ…1

●4月29日、軽く近場めぐりをした際に出会ったフネブネを。まずはいつも前を通る、都建設局は潮見分室の船溜をスナップ。
プッシャー+バージのゴミ運搬船「すみだ1号」、手作業船「河清機第26号」が憩う姿。平成19年の記事、過去ログ「河川清掃船たち」と見くらべると、「河清機第26号」は船首側の甲板室にもフロントグラス+ハードトップが追加装備されたのですね。

木村造船所で整備を終えて、定繋地に戻る途中でしょうか。きれいにしてもらったのでしょう、遠目にもサッパリした風情です。

●豊洲運河に入ったところで、白い曳船と行逢‥‥おお、押船「UTSUMI60」だ。昨年8月にもここで出くわしましたよね。ご縁があるなあ。ビシッと引き締まった感じの塗色とスタイル、何度見てもいいものです。

作業のお邪魔をしては悪いので、間隔を取ってそろそろと続航していたら、常盤橋の下流で取舵一杯(下写真)、おや、引き返すのかな?

●「建河清第1号」、基礎護岸ギリギリまで寄せて、くるくると器用な回頭ぶり。いや~、何度か目にしていますが、旋回半径の小ささには毎度驚かされますね。転回が終わって、河道右側が空いたところで、声をかけながら微速で通過。いつも本当にご苦労さまです。
(令和2年4月29日撮影)
(『4月29日のフネブネ…2』につづく)

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新潟の川蒸気・安進丸の「*」は‥‥

●「新潟の川蒸気史覚え書き」の冒頭に掲載したこの1枚。萬代橋北詰にもやう、安進丸とみられる外輪川蒸気の写真で、外輪カバーの「『*』に見える文字は、社章など何かのシンボルだろうか?」と疑問を呈して、そのまま調べもせず(ごめんなさい)早や8年。
ちなみに上に掲げたものは、「新潟の川蒸気ふたたび」に再録した、同じ写真の高解像度版です。
●新潟訪問の際にも資料をご案内いただいてお世話になった、新潟市歴史博物館・みなとぴあのTwitterを先日、たまたま発見。興味深く拝読していたところ、いきなり8年来の謎が解明して、躍り上がったのであります!
前同、川蒸気船を運営していた安進社です。#エア博物館 pic.twitter.com/rUr3RyjWvH
— 新潟市歴史博物館(みなとぴあ) (@minatopia) May 10, 2020
●「*」が社名の上と外輪カバーに!! 旗も掲げられている!
この扱いから見て、社章と思って間違いないでしょう。8年来の謎がおかげさまで氷解、みなとぴあのウェブご担当様に、厚く御礼申し上げます!
●絵柄からして、最初、引き札か何かと思っていたら、この一つ前のツイートによれば、明治22年刊の「北越商工便覧」掲載のものだそう。
明治の中ごろとて、社屋も普通の商家らしい造りで、道ゆく人もほとんどが和装のようですね。しかし、この単純明快な社章の由来を知りたいものです。意外と「外輪のスポークから採った」とか、意匠にたがわずシンプルな理由だったりして。
みなとぴあ「新潟市の文化財」展では会期途中に数点展示替えがあります!前期は5月12日(日)まで。
— 新潟市歴史博物館(みなとぴあ) (@minatopia) April 30, 2019
初代五姓田芳柳が描いた「新潟萬代橋」図(明治21年)もその1点。写真をもとに描いたという本図、通行人のにぎわいや汽船発着場の「安進社」社旗は芳柳の演出によるもの。お見逃しなく! pic.twitter.com/APLHQX8TZE
●過去のツイートを追って拝見してゆくと、安進社の社章がもう一つ見つかりました。こちらは初代の五姓田芳柳(生没年:文政10年~明治25年)による、北詰から見た萬代橋を描いた絵画。橋を渡る一人一人の仕草や装い、親柱の文字一つ一つ、それに遠くの川面には川蒸気船もと、細部まで描き込まれていて、眺めているだけで楽しくなりますよね。
こちらの絵が嬉しかったのは、安進社の社章の色が赤かったことを、今に伝えてくれたことです。安進社は、明治19年に安全社と彙進社が合併してつくられた船社ですが、当時の経営者たちは、企業のイメージカラーというべき真っ赤なアスターリスクに、どんな想いを込めたのでしょうか‥‥。

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