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ひょうたん島周遊船…7

(『ひょうたん島周遊船…6』のつづき)

239181.jpg南東に向いた河道を下り、徳住橋をくぐった直後にふたたびの分流点が。左は住吉島川で、沖洲川を経て吉野川へ出ることができます。ここの角っこもスクエアっぷりがいいですね。

助任川は先ほど同様右手ですが、見えてきた橋がちょっとが妙な形ですね。桁の下に橋脚とは違った、変にカサのある中之島のような台形の何かが。近づいてみると‥‥。

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いや‥‥何とも形容しがたい光景で、言葉を失うほど。
河道中央、やや左手寄りに石垣組みの構造物があり、桁はその上を避けて、ちょうどかぶさるような格好になっていました。遠目に見ても、桁や橋脚の形がアンバランスで、少々苦しい感じがします。名前は福島橋。

石垣組みのこれ、私の知る範囲で似たものといえば橋台ですが、橋台というには岸から離れており、また橋脚としては大造りに過ぎ、前後をとがらせるような、流速への配慮もなされていません。例えれば、昔風の城郭の櫓か、灯明台の基礎がデンと河道を塞いでいるような。正直実に奇妙な感じがしたものでした。

失礼ですが笑ってしまったのが、せっかく径間中央に「航路」と大書きしてあるのに、径間の半分以上がこの構造物で占められているということ! 「航路」の表示は、も少し右に寄せた方がよさそうですね。

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橋をくぐってみると、これまた変わったつくりでした。歩道部分が西側に湾曲していて、直進する車道との間に半月形の開口部が作ってあり、石垣のそれを橋上から眺められるような構造になっていたのです。

たびたび引用している「阿波の橋めぐり」によると、創架は延宝2(1674)年、この石垣組みが遺されているのは、江戸期に架橋工事が困難なことから、山伏を人柱に供したという伝説があり、ために文化財として保存されているとのこと。この中に、人柱を埋めたということでしょうか。

この人柱伝説はよく知られているようで、検索すれば多くの記事がヒットしますが、石垣組みが何者であるかについては、どれも納得のゆく解説がありませんでした。河道の真ん中に、いわば橋脚代わりとして中之島を築造したと解釈していいのかな‥‥。

ともあれ、河中の遺跡を大切にする心意気とともに、変わり形の橋として印象に残ったものでした。江戸期の土木構造物が保存されているという意味でも、とても意義深いものですね。

239184.jpgお次の福島新橋も変わり形で、西詰で二又になった橋です。二本とも同名を名乗っていながら、北側のRC橋が市道、鋼桁橋が県道というのも面白いですね。

しかも、かつては河口港として船舶の通航が頻繁だったため、先々代橋は昭和5年竣工の可動橋だったとのこと。今やその面影はありませんが、超絶に低いのは個人的に好みど真ん中でした!

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助任川としては最終橋、中洲みなと橋をくぐると視界が開け、船影も濃くなって賑やかになりました。新町川に戻ったのです。

写真は丁字流から左、河口を見たところで、紅白の主塔を持つ大きな斜張橋は、県道29号線末広大橋。船は右へ折れ、いよいよ最終コースとなります。
撮影地点のMapion地図

(元年9月14日撮影)

(『ひょうたん島周遊船…8』につづく)

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タグ : 助任川 新町川 ひょうたん島周遊船 徳島市