ひょうたん島周遊船…8
(『ひょうたん島周遊船…7』のつづき)

●船はほぼ真西に変針し、新町川を遡上し始めました。両岸に槍付けしたプレジャーや漁船が居並ぶ河港風景の向こうに、徳島市の象徴ともいえる名山、眉山が優しげな山容を見せていました。
船長いわく、「眉山が最も美しく見えるところ」。“ブラタモリ”でも採り上げられて評判だったとか。なるほど、川幅もあって、建物に煩わされず山裾まで一望のもとですね。朝夕の凪で川面が滑らかであれば、水鏡に写った「逆さ眉山」が楽しめそうでもあります。

●徳島県庁の近くには、一見して官船とわかる白い塗装の船が。徳島県の漁業取締船「つるぎ」だそうです。前傾した操舵室の妻、直線的な滑走船型とあいまって、いかにも早そうです。
このあたりまでは低い橋がないので、街中といえどこのような比較的大きい船や、高いマストを持つヨットがもやうことができるのですね。
●新町川に戻って初めてくぐる橋は、国道55号線かちどき橋。河口近くに架かっているのが、東京の勝鬨橋と同じでご縁を感じるものが。自転車で通りがかった男性が、笑顔で手を振ってくれました。
東京の勝鬨橋は、日露戦争の旅順陥落を記念して名づけられた、渡船の名が元になっていることは知られていますが、徳島のそれは支那事変(日中戦争)での連勝にちなんだのだとか(Wikipedia『かちどき橋』)。

●かちどき橋のすぐ西側には、牟岐線の富田川橋梁が並行しています。レンガの橋脚と、リベットで組まれた鈑桁という古豪橋。桁は最近再塗装されたのでしょう、ダークグリーンの表面がつやつやと美しく、また星霜を経たレンガの肌ともしっくりきていて、よいものでした。
●富田川橋梁の手前から、船はぐっと行き足を落として、右へ大きく舵を切りました。北岸に正対した船首方向に見えた建物は、中洲総合水産市場。徳島市の魚市場の一つだそうです。
船長はゆっくり岸へ寄せながら、「今日は来ているかな‥‥」と、何かを我々に見せてくれる様子。水面を眺めても変化はないようですが、さて、何が出てくるのでしょうか?
【撮影地点のMapion地図】
(元年9月14日撮影)
(『ひょうたん島周遊船…9』につづく)

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●船はほぼ真西に変針し、新町川を遡上し始めました。両岸に槍付けしたプレジャーや漁船が居並ぶ河港風景の向こうに、徳島市の象徴ともいえる名山、眉山が優しげな山容を見せていました。
船長いわく、「眉山が最も美しく見えるところ」。“ブラタモリ”でも採り上げられて評判だったとか。なるほど、川幅もあって、建物に煩わされず山裾まで一望のもとですね。朝夕の凪で川面が滑らかであれば、水鏡に写った「逆さ眉山」が楽しめそうでもあります。

●徳島県庁の近くには、一見して官船とわかる白い塗装の船が。徳島県の漁業取締船「つるぎ」だそうです。前傾した操舵室の妻、直線的な滑走船型とあいまって、いかにも早そうです。
このあたりまでは低い橋がないので、街中といえどこのような比較的大きい船や、高いマストを持つヨットがもやうことができるのですね。

東京の勝鬨橋は、日露戦争の旅順陥落を記念して名づけられた、渡船の名が元になっていることは知られていますが、徳島のそれは支那事変(日中戦争)での連勝にちなんだのだとか(Wikipedia『かちどき橋』)。

●かちどき橋のすぐ西側には、牟岐線の富田川橋梁が並行しています。レンガの橋脚と、リベットで組まれた鈑桁という古豪橋。桁は最近再塗装されたのでしょう、ダークグリーンの表面がつやつやと美しく、また星霜を経たレンガの肌ともしっくりきていて、よいものでした。

船長はゆっくり岸へ寄せながら、「今日は来ているかな‥‥」と、何かを我々に見せてくれる様子。水面を眺めても変化はないようですが、さて、何が出てくるのでしょうか?
【撮影地点のMapion地図】
(元年9月14日撮影)
(『ひょうたん島周遊船…9』につづく)

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ひょうたん島周遊船…7
(『ひょうたん島周遊船…6』のつづき)
●南東に向いた河道を下り、徳住橋をくぐった直後にふたたびの分流点が。左は住吉島川で、沖洲川を経て吉野川へ出ることができます。ここの角っこもスクエアっぷりがいいですね。
助任川は先ほど同様右手ですが、見えてきた橋がちょっとが妙な形ですね。桁の下に橋脚とは違った、変にカサのある中之島のような台形の何かが。近づいてみると‥‥。

●いや‥‥何とも形容しがたい光景で、言葉を失うほど。
河道中央、やや左手寄りに石垣組みの構造物があり、桁はその上を避けて、ちょうどかぶさるような格好になっていました。遠目に見ても、桁や橋脚の形がアンバランスで、少々苦しい感じがします。名前は福島橋。
石垣組みのこれ、私の知る範囲で似たものといえば橋台ですが、橋台というには岸から離れており、また橋脚としては大造りに過ぎ、前後をとがらせるような、流速への配慮もなされていません。例えれば、昔風の城郭の櫓か、灯明台の基礎がデンと河道を塞いでいるような。正直実に奇妙な感じがしたものでした。
失礼ですが笑ってしまったのが、せっかく径間中央に「航路」と大書きしてあるのに、径間の半分以上がこの構造物で占められているということ! 「航路」の表示は、も少し右に寄せた方がよさそうですね。

●橋をくぐってみると、これまた変わったつくりでした。歩道部分が西側に湾曲していて、直進する車道との間に半月形の開口部が作ってあり、石垣のそれを橋上から眺められるような構造になっていたのです。
たびたび引用している「阿波の橋めぐり」によると、創架は延宝2(1674)年、この石垣組みが遺されているのは、江戸期に架橋工事が困難なことから、山伏を人柱に供したという伝説があり、ために文化財として保存されているとのこと。この中に、人柱を埋めたということでしょうか。
●この人柱伝説はよく知られているようで、検索すれば多くの記事がヒットしますが、石垣組みが何者であるかについては、どれも納得のゆく解説がありませんでした。河道の真ん中に、いわば橋脚代わりとして中之島を築造したと解釈していいのかな‥‥。
ともあれ、河中の遺跡を大切にする心意気とともに、変わり形の橋として印象に残ったものでした。江戸期の土木構造物が保存されているという意味でも、とても意義深いものですね。
●お次の福島新橋も変わり形で、西詰で二又になった橋です。二本とも同名を名乗っていながら、北側のRC橋が市道、鋼桁橋が県道というのも面白いですね。
しかも、かつては河口港として船舶の通航が頻繁だったため、先々代橋は昭和5年竣工の可動橋だったとのこと。今やその面影はありませんが、超絶に低いのは個人的に好みど真ん中でした!

●助任川としては最終橋、中洲みなと橋をくぐると視界が開け、船影も濃くなって賑やかになりました。新町川に戻ったのです。
写真は丁字流から左、河口を見たところで、紅白の主塔を持つ大きな斜張橋は、県道29号線末広大橋。船は右へ折れ、いよいよ最終コースとなります。
【撮影地点のMapion地図】
(元年9月14日撮影)
(『ひょうたん島周遊船…8』につづく)

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助任川は先ほど同様右手ですが、見えてきた橋がちょっとが妙な形ですね。桁の下に橋脚とは違った、変にカサのある中之島のような台形の何かが。近づいてみると‥‥。

●いや‥‥何とも形容しがたい光景で、言葉を失うほど。
河道中央、やや左手寄りに石垣組みの構造物があり、桁はその上を避けて、ちょうどかぶさるような格好になっていました。遠目に見ても、桁や橋脚の形がアンバランスで、少々苦しい感じがします。名前は福島橋。
石垣組みのこれ、私の知る範囲で似たものといえば橋台ですが、橋台というには岸から離れており、また橋脚としては大造りに過ぎ、前後をとがらせるような、流速への配慮もなされていません。例えれば、昔風の城郭の櫓か、灯明台の基礎がデンと河道を塞いでいるような。正直実に奇妙な感じがしたものでした。
失礼ですが笑ってしまったのが、せっかく径間中央に「航路」と大書きしてあるのに、径間の半分以上がこの構造物で占められているということ! 「航路」の表示は、も少し右に寄せた方がよさそうですね。

●橋をくぐってみると、これまた変わったつくりでした。歩道部分が西側に湾曲していて、直進する車道との間に半月形の開口部が作ってあり、石垣のそれを橋上から眺められるような構造になっていたのです。
たびたび引用している「阿波の橋めぐり」によると、創架は延宝2(1674)年、この石垣組みが遺されているのは、江戸期に架橋工事が困難なことから、山伏を人柱に供したという伝説があり、ために文化財として保存されているとのこと。この中に、人柱を埋めたということでしょうか。
●この人柱伝説はよく知られているようで、検索すれば多くの記事がヒットしますが、石垣組みが何者であるかについては、どれも納得のゆく解説がありませんでした。河道の真ん中に、いわば橋脚代わりとして中之島を築造したと解釈していいのかな‥‥。
ともあれ、河中の遺跡を大切にする心意気とともに、変わり形の橋として印象に残ったものでした。江戸期の土木構造物が保存されているという意味でも、とても意義深いものですね。

しかも、かつては河口港として船舶の通航が頻繁だったため、先々代橋は昭和5年竣工の可動橋だったとのこと。今やその面影はありませんが、超絶に低いのは個人的に好みど真ん中でした!

●助任川としては最終橋、中洲みなと橋をくぐると視界が開け、船影も濃くなって賑やかになりました。新町川に戻ったのです。
写真は丁字流から左、河口を見たところで、紅白の主塔を持つ大きな斜張橋は、県道29号線末広大橋。船は右へ折れ、いよいよ最終コースとなります。
【撮影地点のMapion地図】
(元年9月14日撮影)
(『ひょうたん島周遊船…8』につづく)

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10月27日の水路風景
(『10月27日のフネブネ…2』のつづき)

●27日の船以外のスナップを少し。15号地の西、木材投下泊地には、数本の鋼管杭を打った上に、RCの天端を載せた形のドルフィンが点々と設けられているんですが、ご覧のように大きく傾いたものが目に留まりました。
以前からこんな風だったかなあ‥‥。すでに使われなくなって久しいとはいえ、本船の衝突で荒廃が進むのはちょっと考えものですね。台風のときに走錨した船がぶつかったのかな。

●第一航路を北上中、船の科学館前にさしかかったらちょっとした衝撃が。建設中の新客船埠頭、桟橋上に建屋が立ち上がって、保存船「宗谷」はもとより、船の科学館にも大きく覆いかぶさる形になっていたのです。
こちらは「東京国際クルーズターミナル」と名付けられ、来年7月14日の竣工後は、晴海の客船ターミナルを閉鎖するとのこと。う~ん、そうでしたか‥‥。
●隅田川に入り、勝鬨橋の跳開橋径間を見上げて。すでに紹介したように塗装のため足場がかかり、メッシュで養生されていますが、注意書きの横断幕がキレイに撮れたので掲載。
河上の船艇に向けられたメッセージ全般に弱いので、見慣れたものでも、ついカメラを向けてしまいます。

●これは帰港後ですが、豊洲大橋を初めて渡りました。橋脚の立ち上げから10年あまり、水上より眺め続けてきたものの、竣工後はなかなかご縁がなく、この日ようやく渡り初めができたのです。
広々とした橋上と、前方に立ち並ぶタワーマンション群を眺めながら、周囲の変貌ぶりを目の当たりにして感慨深いものが。架橋後も長らく供用されず、不遇を囲っていただけにしみじみ「よかったねえ‥‥」と一人ごちたものでした。
●「しらせ」の出港を見送った後、客船ターミナルから背後の選手村となるマンション群も一枚。こちらも水上からはつぶさに眺めていたものの、視点を変えるとまあ、信じがたいくらいの変貌ぶりが実感できました。
このあたりの地先感が大好きで、若いころからたびたび訪れたものですが、閉鎖も目前に迫ったときいては、やはり感慨胸に迫るものがあり。もう一度くらい、時間を取ってゆっくり訪れたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(元年10月27日撮影)
(この項おわり)

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●27日の船以外のスナップを少し。15号地の西、木材投下泊地には、数本の鋼管杭を打った上に、RCの天端を載せた形のドルフィンが点々と設けられているんですが、ご覧のように大きく傾いたものが目に留まりました。
以前からこんな風だったかなあ‥‥。すでに使われなくなって久しいとはいえ、本船の衝突で荒廃が進むのはちょっと考えものですね。台風のときに走錨した船がぶつかったのかな。

●第一航路を北上中、船の科学館前にさしかかったらちょっとした衝撃が。建設中の新客船埠頭、桟橋上に建屋が立ち上がって、保存船「宗谷」はもとより、船の科学館にも大きく覆いかぶさる形になっていたのです。
こちらは「東京国際クルーズターミナル」と名付けられ、来年7月14日の竣工後は、晴海の客船ターミナルを閉鎖するとのこと。う~ん、そうでしたか‥‥。

河上の船艇に向けられたメッセージ全般に弱いので、見慣れたものでも、ついカメラを向けてしまいます。

●これは帰港後ですが、豊洲大橋を初めて渡りました。橋脚の立ち上げから10年あまり、水上より眺め続けてきたものの、竣工後はなかなかご縁がなく、この日ようやく渡り初めができたのです。
広々とした橋上と、前方に立ち並ぶタワーマンション群を眺めながら、周囲の変貌ぶりを目の当たりにして感慨深いものが。架橋後も長らく供用されず、不遇を囲っていただけにしみじみ「よかったねえ‥‥」と一人ごちたものでした。

このあたりの地先感が大好きで、若いころからたびたび訪れたものですが、閉鎖も目前に迫ったときいては、やはり感慨胸に迫るものがあり。もう一度くらい、時間を取ってゆっくり訪れたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(元年10月27日撮影)
(この項おわり)

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10月27日のフネブネ…2
(『10月27日のフネブネ…1』のつづき)

●第一航路から天王洲南運河へ。おなじみ古川組の船溜は、いつも目を引かれてしまう楽しいフネ好きスポットですが、今回も期待を裏切りませんでした。この「ふじ丸」! 一見しただけで、すっかり気に入ってしまいました。
●日通色のような塗装もいいですが、チャームポイントはぐっと高めた船首のブルワークと、なりの割に大ぶりな操舵室でしょう。
船首に備えたユニックを守るためでしょうが、小兵ながら船首楼船のように見えるブルワークが、どこか模型のような可愛らしさを醸し出していますね。
●芝浦西運河では、「TOKYO WATER TAXI」の一隻、ハルナンバー02と行逢。手を振りあって別れました。
後ろに立っていた方も、乗り組みさんなのでしょうか。以前取材で乗った際、バウに操舵席がある上、居住性ベースの造りでワンオペは難しそうだな、という感想を持ったのですが、船社も同様の考えにいたり、二人乗務が標準になったのかもしれません。

●東雲北運河、木村造船所の屋外にある船台には、通船が上架されていました。塗装やスタイルからして、芝浦通船の艇ですね。
バウに向かうにつれ船足が深くなる、和船に似た水線下形状、トランサムにぺたりと貼られたジンクや舵の羽板と、ディテールが観察できてよいものです。脚立が一つズッコケているのもご愛嬌。

●帰港した後、晴海に寄り道してみたら、ちょうど砕氷艦「しらせ」が出航してゆくところに出くわしました。客船ターミナルのデッキに上がり、暮れなずむ東京港を曳船に付き添われて消えゆく姿を、一眼レフを構えるファンの皆さんと一緒にお見送り。
すっかり陽が落ちるのが早くなり、急速に冷え込んでゆく空気に秋の深まりを感じる出港風景。水鳥たちの姿も増えてきたし、冬の訪れももう間もなくですね。
(元年10月27日撮影)
(『10月27日の水路風景』につづく)

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●第一航路から天王洲南運河へ。おなじみ古川組の船溜は、いつも目を引かれてしまう楽しいフネ好きスポットですが、今回も期待を裏切りませんでした。この「ふじ丸」! 一見しただけで、すっかり気に入ってしまいました。

船首に備えたユニックを守るためでしょうが、小兵ながら船首楼船のように見えるブルワークが、どこか模型のような可愛らしさを醸し出していますね。

後ろに立っていた方も、乗り組みさんなのでしょうか。以前取材で乗った際、バウに操舵席がある上、居住性ベースの造りでワンオペは難しそうだな、という感想を持ったのですが、船社も同様の考えにいたり、二人乗務が標準になったのかもしれません。

●東雲北運河、木村造船所の屋外にある船台には、通船が上架されていました。塗装やスタイルからして、芝浦通船の艇ですね。
バウに向かうにつれ船足が深くなる、和船に似た水線下形状、トランサムにぺたりと貼られたジンクや舵の羽板と、ディテールが観察できてよいものです。脚立が一つズッコケているのもご愛嬌。

●帰港した後、晴海に寄り道してみたら、ちょうど砕氷艦「しらせ」が出航してゆくところに出くわしました。客船ターミナルのデッキに上がり、暮れなずむ東京港を曳船に付き添われて消えゆく姿を、一眼レフを構えるファンの皆さんと一緒にお見送り。
すっかり陽が落ちるのが早くなり、急速に冷え込んでゆく空気に秋の深まりを感じる出港風景。水鳥たちの姿も増えてきたし、冬の訪れももう間もなくですね。
(元年10月27日撮影)
(『10月27日の水路風景』につづく)

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10月27日のフネブネ…1
(『中防水路の新水門…2』のつづき)
●新水門を訪ねた日、道々に出会ったフネブネの姿をまとめて。まずは中防に向かう前から。
●辰巳埠頭、墨田川造船の浮きドック前に、二層の甲板室を持つ船がいるのを発見。トランサムの船名を見ると、何と「仁王丸」! 「7月28日の水路風景…2」のとき、墨田川造船前で艤装中だった、松島航路の旅客船ですね。

●客室は一層だとばかり思っていたので、倍増した姿にびっくり。橋の桁下高が低いこともあって、造船所で高さのある艤装はできませんから、こちらで残工事をというわけでしょう。
操舵室、客室とも妻をぐっと前傾させていて、全体に直線的なデザインなのも手伝い、スピード感のあるスタイルですね。
●西へ距離を取ってから、振り返ってもう一枚。曇っているのでサエないことおびただしいのですが、立ち寄るたびに新しい出会いのある、楽しいところです。
二隻の巡視艇は、「8月11日のフネブネ」で紹介済みの「あさぎり」および「うみぎり」。位置もそのままに、引き続き艤装を進めているようですね。

●ここからは中防を離れた後のお話。そう、今ごろ晴れてきたんですよ‥‥。何分天の思し召しとあっては、悔しくてもいかんともしがたいのであります。
●中防水路西口から第一航路をはさんで対岸、大井埠頭に珍しい巡視船が接岸しており、勇んで近づいてみました。三重県は尾鷲港からやってきた、はてるま型巡視船「すずか」。即位の礼の警備で、陸上では各地から県警の部隊が動員されたのと同様、水上でも普段見られない海保船艇が東京港に集まり、その一隻というわけです。
このサイズの巡視船としては30ktと高速で、警備に軸足を置いた船だけに、外観はまことに精悍そのもの。しかし、舷側排気の汚れが痛々しいですね‥‥。ホームセンターで市販のアルミ製ダクトを買ってきて、排気口に突っ込みダクトテープで固定しながら、マストトップあたりまでズルズル伸ばしてやりたい‥‥。そんな衝動に駆られました!

●船橋から船首周りを見て。滑走船型を思わせる船首から舷側にかけてのライン、甲板上には放水砲と30㎜機関砲が縦列に並び、後傾した船橋と併せて、実に剽悍な印象。
この数日前、仕事で「ヴァンテアン」に乗った際、第一航路の防波堤外に、複数のヘリ巡視船や消防艇が漂泊していたのを目にし、さすが即位の礼、警備の厳重さはけた違いだなと感心したものです。この日もそれを期待したのですが、さすがにヘリ巡視船は姿を消しており、残ってくれていた「すずか」をありがたく拝見したというわけです。
【撮影地点のMapion地図】
(元年10月27日撮影)
(『10月27日のフネブネ…2』につづく)

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●辰巳埠頭、墨田川造船の浮きドック前に、二層の甲板室を持つ船がいるのを発見。トランサムの船名を見ると、何と「仁王丸」! 「7月28日の水路風景…2」のとき、墨田川造船前で艤装中だった、松島航路の旅客船ですね。

●客室は一層だとばかり思っていたので、倍増した姿にびっくり。橋の桁下高が低いこともあって、造船所で高さのある艤装はできませんから、こちらで残工事をというわけでしょう。
操舵室、客室とも妻をぐっと前傾させていて、全体に直線的なデザインなのも手伝い、スピード感のあるスタイルですね。

二隻の巡視艇は、「8月11日のフネブネ」で紹介済みの「あさぎり」および「うみぎり」。位置もそのままに、引き続き艤装を進めているようですね。

●ここからは中防を離れた後のお話。そう、今ごろ晴れてきたんですよ‥‥。何分天の思し召しとあっては、悔しくてもいかんともしがたいのであります。
●中防水路西口から第一航路をはさんで対岸、大井埠頭に珍しい巡視船が接岸しており、勇んで近づいてみました。三重県は尾鷲港からやってきた、はてるま型巡視船「すずか」。即位の礼の警備で、陸上では各地から県警の部隊が動員されたのと同様、水上でも普段見られない海保船艇が東京港に集まり、その一隻というわけです。
このサイズの巡視船としては30ktと高速で、警備に軸足を置いた船だけに、外観はまことに精悍そのもの。しかし、舷側排気の汚れが痛々しいですね‥‥。ホームセンターで市販のアルミ製ダクトを買ってきて、排気口に突っ込みダクトテープで固定しながら、マストトップあたりまでズルズル伸ばしてやりたい‥‥。そんな衝動に駆られました!

●船橋から船首周りを見て。滑走船型を思わせる船首から舷側にかけてのライン、甲板上には放水砲と30㎜機関砲が縦列に並び、後傾した船橋と併せて、実に剽悍な印象。
この数日前、仕事で「ヴァンテアン」に乗った際、第一航路の防波堤外に、複数のヘリ巡視船や消防艇が漂泊していたのを目にし、さすが即位の礼、警備の厳重さはけた違いだなと感心したものです。この日もそれを期待したのですが、さすがにヘリ巡視船は姿を消しており、残ってくれていた「すずか」をありがたく拝見したというわけです。
【撮影地点のMapion地図】
(元年10月27日撮影)
(『10月27日のフネブネ…2』につづく)

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