2月10日の水路風景…2
(『2月10日の水路風景…1』のつづき)

●汐浜運河に入ったあたりで、漁船が追いついてきました。右に寄せて追い越してもらうと、あらら、結構な曳き波が‥‥。垂直護岸なので、反射波がなかなか消えないんですよねえ。
右はテラスの補修でしょうか、機材を諸々載せた台船。手前にもやわれたポンツン、柵や階段を備えた桟橋役とおぼしきものですが、可愛らしいサイズで妙に目を引かれました。

●汐浜運河を西航すれば、やはりおなじみの水門観察であります。いつもは正面から撮りがちなので、少しでも変化をつけようとちょっとはすから。
洲崎南水門、引き続き放置されているようで、褪色が進んだスキンプレートと、継手に沿ってじわじわと上がってゆく錆が何とももの悲しい感じ。

●平久水門、右径間が閉じていました。錆こそ見られないものの、こちらも褪色が進んできましたねえ‥‥。
大横川を西進し、大島川水門を出たところで、右側の基礎上にアオサギ君がうっそり立っているのを発見。喜んでカメラを構えたら、静寂を破った不審船がお気に召さなかったのでしょう、不機嫌そうに飛び立ってしまいました。残念。
【撮影地点のMapion地図】
(31年2月10日撮影)
(『2月10日の水路風景…3』につづく)

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右はテラスの補修でしょうか、機材を諸々載せた台船。手前にもやわれたポンツン、柵や階段を備えた桟橋役とおぼしきものですが、可愛らしいサイズで妙に目を引かれました。

●汐浜運河を西航すれば、やはりおなじみの水門観察であります。いつもは正面から撮りがちなので、少しでも変化をつけようとちょっとはすから。
洲崎南水門、引き続き放置されているようで、褪色が進んだスキンプレートと、継手に沿ってじわじわと上がってゆく錆が何とももの悲しい感じ。


大横川を西進し、大島川水門を出たところで、右側の基礎上にアオサギ君がうっそり立っているのを発見。喜んでカメラを構えたら、静寂を破った不審船がお気に召さなかったのでしょう、不機嫌そうに飛び立ってしまいました。残念。
【撮影地点のMapion地図】
(31年2月10日撮影)
(『2月10日の水路風景…3』につづく)

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2月10日の水路風景…1

これといったあてもなく、まずは曙北運河へ入りました。北上しながら、本日のイグアナ先生にご挨拶がてらスナップ。

この日は、2羽の鴨さんがツブれて、まったりしていました。左の1羽はすわ不審船襲来と立ち上がってしまいましたが、右の子は動じずに落ち着いたもの。いや、タマラン姿をありがとう。

●都市計画運河橋梁の桁側面を仰いでアップ。ずいぶん傷んできましたね。9年前、22年3月の記事「『きよす』の航跡を追って」に載せた写真を見ると、少なくとも北側はきれいなものなのですが。

●その2本北側に架かる、東西線の橋は両端の径間がRCラーメン、中央が鋼桁の橋。今回ふと桁の右端に塗装時の記載らしきものがあるのに気づいて、ズームで撮ってみようと思ったのです。
さんざん通っておきながら、今になって気づく粗忽ぶり‥‥。まあ、いつものパターンではありますが、お恥ずかしい限りであります。

●スロットルを戻し行き足だけで流しながら、ズームでたぐって失敗の無いよう数枚撮影。橋梁名が載っていますね、よしよし。名前は「東西線汐浜川運河橋」!
これは興味深い結果になりました。都市計画運河橋梁とともに、鉄道橋が2本並んで現在の名称とは違った運河名をつけているとは。江戸川放水路の例を引くまでもなく、河川や運河の名前が変わっても、橋は旧名そのままという例は少なくありませんが、この橋もその伝だったのでしょうか?
【撮影地点のMapion地図】
(31年2月10日撮影)
(『2月10日の水路風景…2』につづく)

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手賀沼調節水門を訪ねて…5
(『手賀沼調節水門を訪ねて…4』のつづき)

●ふたたび管理橋上、北詰近くから南を見て。高低2基のゲートが並立しているのって、いかにも閘門、という感じがして高揚感のある眺め。
いや、二つ並んだゲートに喜び勇んで近づいてみたら、単なる二重水門だった、という悔しい過去が何度かありますんでねえ‥‥。高さに差があれば、まず閘門に間違いないからです。
●そうそう、後扉室のセルフ操作チェーンをもう一度見てみたら、気になるところがあったのでメモとして。チェーンの先端近く、亜鉛引き鉄板らしいプレートがボルト留めされているのが見えますが、手前の横になった1枚、薄れてはいるものの「開」の文字が読めますね。
セルフ閘門には珍しく、一切の操作説明が掲げられていない中、唯一の説明らしいものがこのプレートというわけ。まあ、これがないとどっちを引っ張っていいのか、わかりませんものね。

●北詰西側にある詰所風の建物は、門柱に「調節水門操作室」とありました。銘板にも「コンクリートブロック造り」とあったように、壁面は全てブロック積みというのが、今となっては珍しいですね。窓周りの様子から、サッシは一度更新されたようです。

●操作室の裏手に回って、枯れたガマの穂越しに、冬枯れた雰囲気の一枚をとスナップしてみたもの。
とにかく風が冷たくて、手袋なしの手がかじかんで往生しましたが、爽やかに晴れた冬空の下、閘門と水門風景を大いに楽しんだのでした。
●水門を眺めた後は、北詰近くの手賀沼水産会館2階にある、「numa Cafe」でおいしいコーヒーをいただいて温まったのですが、敷地内に観音像があったので、気になって説明を読んでみました。
説明板によると、この像は手賀沼聖観世音菩薩といって、明治以降に水難で亡くなられた250人余りを供養するため、昭和53年に建立されたものだそう。観音様に手を合わせ、一礼してから湖畔を離れたのでした。
【撮影地点のMapion地図】
(31年1月27日撮影)
(この項おわり)

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●ふたたび管理橋上、北詰近くから南を見て。高低2基のゲートが並立しているのって、いかにも閘門、という感じがして高揚感のある眺め。
いや、二つ並んだゲートに喜び勇んで近づいてみたら、単なる二重水門だった、という悔しい過去が何度かありますんでねえ‥‥。高さに差があれば、まず閘門に間違いないからです。

セルフ閘門には珍しく、一切の操作説明が掲げられていない中、唯一の説明らしいものがこのプレートというわけ。まあ、これがないとどっちを引っ張っていいのか、わかりませんものね。

●北詰西側にある詰所風の建物は、門柱に「調節水門操作室」とありました。銘板にも「コンクリートブロック造り」とあったように、壁面は全てブロック積みというのが、今となっては珍しいですね。窓周りの様子から、サッシは一度更新されたようです。

●操作室の裏手に回って、枯れたガマの穂越しに、冬枯れた雰囲気の一枚をとスナップしてみたもの。
とにかく風が冷たくて、手袋なしの手がかじかんで往生しましたが、爽やかに晴れた冬空の下、閘門と水門風景を大いに楽しんだのでした。

説明板によると、この像は手賀沼聖観世音菩薩といって、明治以降に水難で亡くなられた250人余りを供養するため、昭和53年に建立されたものだそう。観音様に手を合わせ、一礼してから湖畔を離れたのでした。
【撮影地点のMapion地図】
(31年1月27日撮影)
(この項おわり)

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手賀沼調節水門を訪ねて…4
(『手賀沼調節水門を訪ねて…3』のつづき)

●管理橋を渡って南岸、西側から眺めたところ。低く抑えられた堰柱と、間口にくらべ天地をしぼった水門の扉体が、どこか控え目な雰囲気を醸し出しています。水門と舟通しでは、扉体のスキンプレートの向きが逆なのがわかりますね。

●舟通しの前扉室をズームでたぐって。左側の堰柱、セルフ操作のチェーンが2本、強風にあおられて揺れているのが見えますね。こちらはちぎれてしまったのか、先端のアイ(環)は失われていました。周囲に何の説明もないのは他と一緒です。
●まだ設置して間がないのか、矢印の赤も鮮やかな河川管理境界の標識。水門から東、利根川に至る水路を手賀川としています。
ご存知のように、干拓によって東側の大半が手賀川となった手賀沼は、東西2つに分かれてしまいました。この点お隣の印旛沼とよく似ていますが、印旛沼が長門川を経て利根川に舟航できるのに対し、手賀川は排水機場のみで、利根川に出られないのが大きな違いです。

●水門の東側には新しい橋が架かっており、しかも管理橋より高さがあるとあって、眺めるには実に好都合です。ただし交通量は多く歩道も仕切られていないので、訪ねられる際はお気をつけて。
イヤ、いいですねえ。離れずとも、全容が視界にすっかり収まってしまうのは、小閘門ならではの楽しさ。実際に稼働することはもうほとんど無きに等しいにせよ、かろうじて現役状態に踏み留まってここに在ってくれるのは、閘門ファンとしてありがたいことです。

●後扉室を正面から。小なりといえどやはり閘門、どっしりとした頼もしさを感じさせる風貌。橋上で寒風に震えながら、その星霜を経た枯れた面持ちに、しばし見入ったことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(31年1月27日撮影)
(『手賀沼調節水門を訪ねて…5』につづく)

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●管理橋を渡って南岸、西側から眺めたところ。低く抑えられた堰柱と、間口にくらべ天地をしぼった水門の扉体が、どこか控え目な雰囲気を醸し出しています。水門と舟通しでは、扉体のスキンプレートの向きが逆なのがわかりますね。

●舟通しの前扉室をズームでたぐって。左側の堰柱、セルフ操作のチェーンが2本、強風にあおられて揺れているのが見えますね。こちらはちぎれてしまったのか、先端のアイ(環)は失われていました。周囲に何の説明もないのは他と一緒です。

ご存知のように、干拓によって東側の大半が手賀川となった手賀沼は、東西2つに分かれてしまいました。この点お隣の印旛沼とよく似ていますが、印旛沼が長門川を経て利根川に舟航できるのに対し、手賀川は排水機場のみで、利根川に出られないのが大きな違いです。

●水門の東側には新しい橋が架かっており、しかも管理橋より高さがあるとあって、眺めるには実に好都合です。ただし交通量は多く歩道も仕切られていないので、訪ねられる際はお気をつけて。
イヤ、いいですねえ。離れずとも、全容が視界にすっかり収まってしまうのは、小閘門ならではの楽しさ。実際に稼働することはもうほとんど無きに等しいにせよ、かろうじて現役状態に踏み留まってここに在ってくれるのは、閘門ファンとしてありがたいことです。

●後扉室を正面から。小なりといえどやはり閘門、どっしりとした頼もしさを感じさせる風貌。橋上で寒風に震えながら、その星霜を経た枯れた面持ちに、しばし見入ったことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(31年1月27日撮影)
(『手賀沼調節水門を訪ねて…5』につづく)

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手賀沼調節水門を訪ねて…3
(『手賀沼調節水門を訪ねて…2』のつづき)

●高欄ギリギリまで迫った前扉室ゲート。裏側も褪色が進み、塗料が剥離して生地が出てしまっている部分も見受けられました。点検運転しているのかなあ‥‥。
●前扉室堰柱の橋上から向かって右側、2本のレバーにチェーンが下がっている‥‥。もしかして、セルフ操作の把手? 後扉室を急いで見直してみると、向かって左側にチェーンが2本、からまったようになって下がっていました。
操作説明など、どこを見回しても何も掲げられていませんでしたが、セルフ操作式だったのですね。機側操作と思ったのは勘違いでした。

●左側の堰柱には、風格ある書体で書かれた銘板が。正式名称は関東農政局手賀沼調節水門、扉体の製造は三菱重工横浜造船所。竣工年が記載されていないのが妙ですね。管理橋の親柱に書いてあるので、こちらは省略ということでしょうか。
閘門はやはり「舟通し」と呼称、径間5m、巻上速度0.5m/秒。閘室寸法に触れられていないのが、ちょっと物足りません。

●舟通しゲート前から管理橋上、南を見て。水門のゲートが低いため、管理橋としては眺望が妨げられておらず、明るい印象です。
右写真、塗料がすっかり剥離して読みにくいですが、水門ゲートの銘板。2000年3月とあるので、扉体周りは一度更新されていることがわかりました。もしかして、更新以来再塗装はされていないということでしょうか‥‥。
(31年1月27日撮影)
(『手賀沼調節水門を訪ねて…4』につづく)

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●高欄ギリギリまで迫った前扉室ゲート。裏側も褪色が進み、塗料が剥離して生地が出てしまっている部分も見受けられました。点検運転しているのかなあ‥‥。

操作説明など、どこを見回しても何も掲げられていませんでしたが、セルフ操作式だったのですね。機側操作と思ったのは勘違いでした。

●左側の堰柱には、風格ある書体で書かれた銘板が。正式名称は関東農政局手賀沼調節水門、扉体の製造は三菱重工横浜造船所。竣工年が記載されていないのが妙ですね。管理橋の親柱に書いてあるので、こちらは省略ということでしょうか。
閘門はやはり「舟通し」と呼称、径間5m、巻上速度0.5m/秒。閘室寸法に触れられていないのが、ちょっと物足りません。


右写真、塗料がすっかり剥離して読みにくいですが、水門ゲートの銘板。2000年3月とあるので、扉体周りは一度更新されていることがわかりました。もしかして、更新以来再塗装はされていないということでしょうか‥‥。
(31年1月27日撮影)
(『手賀沼調節水門を訪ねて…4』につづく)

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