10月14日の川景色…5
(『10月14日の川景色…4』のつづき)
その4 :橋とトリさんと‥‥

●豊洲市場開場とともに、架橋以来10年の長きに渡って不遇をかこっていた豊洲大橋も、ようやく供用のスケジュールが発表されて何より。曇り空とて、グレーの桁が保護色になってどうもいま一つですが、エッジの立った魅力的な桁を仰いで一枚。
あれ? この日ようやく気付いたのもうかつでしたが、橋脚がグレーに塗り込められている‥‥。平成20年7月の架橋時、「春海運河スペクタクル…2」のときは少なくとも、石で化粧張りが施されていたのですけれど、いつからこうなったんだろう。

●上は晴海埠頭で見かけたウミネコの群れ。くるんと首を突っ込んで丸くふくらまり、やはり寒そうです。今まで暖かだったのに、急に気温が下がりましたからね。
右は神田川、和泉橋下流の堤防上で出会ったウミネコさん。ボリボリと羽づくろいしているところを撮ったつもりだったんですが、カメラを向けたら「ん? 何撮ってんだ!」といった風情でにらまれてしまいました。
●そうそう、珍しいお客さんがありました。神田川を遡上していたら、和泉橋上流でトンボさんが飛来、そのままご乗船に。
羽をゆるめて休んでいるようだったので、驚かさないようにそ~っと艇を歩かせて、しばらく水路行にお付き合いいただきました。くつろいだ様子がとても可愛らしかったです。

●清洲橋は主塔までメッシュですっぽり養生され、遠くから見ると「リアルドット絵」といった雰囲気。
昨年「10月9日の川景色」で、白髭橋が同様の状態になっていましたよね。隅田川の橋梁群でも、曲線の多い下路式の震災復興橋は特にリアルドット絵になりやすい(?)ようで、面白くはあります。
【撮影地点のMapion地図】
(30年10月14日撮影)
(『10月14日のフネブネ…1』につづく)

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●豊洲市場開場とともに、架橋以来10年の長きに渡って不遇をかこっていた豊洲大橋も、ようやく供用のスケジュールが発表されて何より。曇り空とて、グレーの桁が保護色になってどうもいま一つですが、エッジの立った魅力的な桁を仰いで一枚。
あれ? この日ようやく気付いたのもうかつでしたが、橋脚がグレーに塗り込められている‥‥。平成20年7月の架橋時、「春海運河スペクタクル…2」のときは少なくとも、石で化粧張りが施されていたのですけれど、いつからこうなったんだろう。


右は神田川、和泉橋下流の堤防上で出会ったウミネコさん。ボリボリと羽づくろいしているところを撮ったつもりだったんですが、カメラを向けたら「ん? 何撮ってんだ!」といった風情でにらまれてしまいました。

羽をゆるめて休んでいるようだったので、驚かさないようにそ~っと艇を歩かせて、しばらく水路行にお付き合いいただきました。くつろいだ様子がとても可愛らしかったです。

●清洲橋は主塔までメッシュですっぽり養生され、遠くから見ると「リアルドット絵」といった雰囲気。
昨年「10月9日の川景色」で、白髭橋が同様の状態になっていましたよね。隅田川の橋梁群でも、曲線の多い下路式の震災復興橋は特にリアルドット絵になりやすい(?)ようで、面白くはあります。
【撮影地点のMapion地図】
(30年10月14日撮影)
(『10月14日のフネブネ…1』につづく)

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10月14日の川景色…4
(『10月14日の川景色…3』のつづき)
その3 :豊洲市場開場を祝う
●おなじみ豊洲新市場を右手に見ながら、東雲運河を南下しているときのこと。そうだ、今日は今までと違って、市場はすでに開場しているんだ、と気づきました。
紆余曲折はありましたが、何はともあれめでたいことです。この4日前、10月11日に取引開始したばかりの新市場、運河から見てわかる変化は何かあるでしょうか。

●正横に来ると、ちょうどトラックがスロープを降りてくるところに出くわし、左手の特徴ある大屋根の下にも、トラックの姿がちらほら。本当に開場したんだなあ、としみじみ。
魚介運搬船の市場横づけが移転後も継続されたという、水路にも縁浅からぬ施設だけに、やはり嬉しいものがありました。そうそう、春海運河側に設けられた、岸壁も見ておかなくては。
●春海運河に回ると、おなじみの山吹色に塗り上げた船体が、しかも2隻もやっていました。手前が「第三八幡丸」、奥が「第一八幡丸」。
石炭埠頭のかつてを思うとささやかですが、この岸壁のお陰で豊洲は、今後も埠頭としての面目を保つことになるんだと思うと、感慨深いものがありました。

●思い切り寄せながら、「第三八幡丸」の船橋周りを眺めて。舷側がずいぶんくたびれて、任務の厳しさを感じさせるものが。
新しい船だとばかり思っていたのですが、「第三八幡丸」(船の写真館)によると平成4年竣功、もうかなりのベテランです。

●「第一八幡丸」も船首から。ガット船とか、こういった小型の本船って、自分的にはすごく夢のある存在です。小説「無頼船」シリーズの孤北丸や、アニメ「七つの海のティコ」のペペロンチーノ号など、物語の中で活躍するフネブネが思い出されてしまうのです。
ともあれ、舟運とのご縁がつながり、「河岸」としての形を小規模ながら受け継いだ豊洲市場開場を言祝ぐとともに、春海運河で眺められる船影が増えて、これまた嬉しいことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(30年10月14日撮影)
(『10月14日の川景色…5』につづく)

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紆余曲折はありましたが、何はともあれめでたいことです。この4日前、10月11日に取引開始したばかりの新市場、運河から見てわかる変化は何かあるでしょうか。

●正横に来ると、ちょうどトラックがスロープを降りてくるところに出くわし、左手の特徴ある大屋根の下にも、トラックの姿がちらほら。本当に開場したんだなあ、としみじみ。
魚介運搬船の市場横づけが移転後も継続されたという、水路にも縁浅からぬ施設だけに、やはり嬉しいものがありました。そうそう、春海運河側に設けられた、岸壁も見ておかなくては。

石炭埠頭のかつてを思うとささやかですが、この岸壁のお陰で豊洲は、今後も埠頭としての面目を保つことになるんだと思うと、感慨深いものがありました。

●思い切り寄せながら、「第三八幡丸」の船橋周りを眺めて。舷側がずいぶんくたびれて、任務の厳しさを感じさせるものが。
新しい船だとばかり思っていたのですが、「第三八幡丸」(船の写真館)によると平成4年竣功、もうかなりのベテランです。

●「第一八幡丸」も船首から。ガット船とか、こういった小型の本船って、自分的にはすごく夢のある存在です。小説「無頼船」シリーズの孤北丸や、アニメ「七つの海のティコ」のペペロンチーノ号など、物語の中で活躍するフネブネが思い出されてしまうのです。
ともあれ、舟運とのご縁がつながり、「河岸」としての形を小規模ながら受け継いだ豊洲市場開場を言祝ぐとともに、春海運河で眺められる船影が増えて、これまた嬉しいことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(30年10月14日撮影)
(『10月14日の川景色…5』につづく)

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10月14日の川景色…3
(『10月14日の川景色…2』のつづき)
その2:常磐橋復元進む

●日本橋川を下って、復元工事中の常磐橋にやってきました。遠目には錆色の足場と建機を載せた台船が目立ち、ここしばらく変わらぬ風景に見えましたが、進捗の方はどうでしょうか。
●橋を観察する前に、台船にもやった豆曳船に目線を吸い寄せられました。錆びた上にペンキを塗り重ねボッテリとした肌、高さの抑えられた扁平なスタイルに加え角型の船首と、川の土木風景にしっくりくる雰囲気。
船名は「アント102」らしいのですが、船固有の名前ではなく、後ろのクレーンに見える通り社名が「(株)アント」なのですね。
同社サイトの「工事実績・施行例」を開くと、平成25年に鉄建建設が元請となった「国指定史跡常盤橋門跡常盤橋解体工事(第514号)」が載っていました。今回の復元工事も、同じ事業で連続しているのでしょうか。

●微速で近づいて、鋼矢板で囲まれた橋脚周りに注目すると‥‥おおお、ずいぶん積み上がっているぞ! 中央上の凹部は、扇形の銘を彫った石材がはめ込まれるところでしょう。だんだん橋の形を成してくるなあ。

●くぐって下流側から。石を一つ一つ洗浄して、キレイになったのはいいのですが、中にいくつか妙に平滑な石が‥‥。まあ、明治の竣工以来たびたび補修はされただろうし、解体前の写真を見ると、質感の違う石があるのは確かなのですが、洗浄して白くなると目立ちますね。
●下流側から振り返って。左手、常磐橋公園から伸びていた橋台地も、まだ姿を現わしていませんし、復元完成まで道のりはまだまだ長そうですね。
東京の河川に架かる橋では最も古く、明治のデザインや技術を今に伝える貴重な石造アーチ。復活を楽しみに待つこととしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(30年10月14日撮影)
(『10月14日の川景色…4』につづく)

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●日本橋川を下って、復元工事中の常磐橋にやってきました。遠目には錆色の足場と建機を載せた台船が目立ち、ここしばらく変わらぬ風景に見えましたが、進捗の方はどうでしょうか。

船名は「アント102」らしいのですが、船固有の名前ではなく、後ろのクレーンに見える通り社名が「(株)アント」なのですね。
同社サイトの「工事実績・施行例」を開くと、平成25年に鉄建建設が元請となった「国指定史跡常盤橋門跡常盤橋解体工事(第514号)」が載っていました。今回の復元工事も、同じ事業で連続しているのでしょうか。

●微速で近づいて、鋼矢板で囲まれた橋脚周りに注目すると‥‥おおお、ずいぶん積み上がっているぞ! 中央上の凹部は、扇形の銘を彫った石材がはめ込まれるところでしょう。だんだん橋の形を成してくるなあ。

●くぐって下流側から。石を一つ一つ洗浄して、キレイになったのはいいのですが、中にいくつか妙に平滑な石が‥‥。まあ、明治の竣工以来たびたび補修はされただろうし、解体前の写真を見ると、質感の違う石があるのは確かなのですが、洗浄して白くなると目立ちますね。

東京の河川に架かる橋では最も古く、明治のデザインや技術を今に伝える貴重な石造アーチ。復活を楽しみに待つこととしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(30年10月14日撮影)
(『10月14日の川景色…4』につづく)

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10月14日の川景色…2
(『10月14日の川景色…1』のつづき)

●送泥管は結構長く続いており、どこかで台船でも出てくるのか、それとも流路なりに右へ曲がって、白鳥橋の方へ向かうのかしらと、横目でにらみながら高架下を遡上して約1㎞。
台船も現れず曲がりもせずに、そのまま直進して船河原橋をくぐり、何と飯田橋の下へ消えていたのでした。

●さらに近づいてのぞき込んでみると、送泥管は飯田橋をくぐってその奥、暗渠の中まで続いているようですね。これでは末端を確認することはできません。
暗渠は上に飯田橋セントラルプラザが立つ旧飯田濠で、牛込・市ヶ谷濠の水をはける落し口。この先にあるお濠や、暗渠の底ざらえでもしているのかなあ。飯田橋の真下にある管上では、先ほど同様鷺が休んでいて、じっとこちらを見つめていました。

●工事の詳細はさておき、水面から見られるところまで見届けたので、転回して下航。下りながらの視点だと、根元のフェンダーがよいアクセントになって、背の高い橋脚が引き立ち、なかなか格好よい眺めです。
右写真、可撓継手が何とはなしに気になって一枚。数十m置きに設けられ、引き波などによるたわみを吸収するとともに、屈折点にも用いられていました。
(30年10月14日撮影)
(『10月14日の川景色…3』につづく)

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台船も現れず曲がりもせずに、そのまま直進して船河原橋をくぐり、何と飯田橋の下へ消えていたのでした。

●さらに近づいてのぞき込んでみると、送泥管は飯田橋をくぐってその奥、暗渠の中まで続いているようですね。これでは末端を確認することはできません。
暗渠は上に飯田橋セントラルプラザが立つ旧飯田濠で、牛込・市ヶ谷濠の水をはける落し口。この先にあるお濠や、暗渠の底ざらえでもしているのかなあ。飯田橋の真下にある管上では、先ほど同様鷺が休んでいて、じっとこちらを見つめていました。


右写真、可撓継手が何とはなしに気になって一枚。数十m置きに設けられ、引き波などによるたわみを吸収するとともに、屈折点にも用いられていました。
(30年10月14日撮影)
(『10月14日の川景色…3』につづく)

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10月14日の川景色…1

おなじみの水路ばかりながら、以下目に留まった変化、気になったことどもを、思いつくまま順不同で備忘録としてみました。


●神田川、日本橋川を分かつ分流点から、上流を望んだところ。小石川橋の向こうに、紅白のジブをもたげたクレーン船が見えますね。
以前より仕事でこのあたりを通るたび、クレーン船と合わせて、川面に変化があったのに気づいていました。この日はことのついでと、艇から観察してみることに。

●場所はちょうど、水道橋2号分水路吐口の南側。クレーン船は河底にスパッドを突いて、ずいぶん前からここに腰を据えています。右側、奥に向かってパイプが伸びているのが見えるでしょうか。

●パイプは、簡易な桟橋に使うような、黄色いプラ製のポンツンをフロートにして水面から浮かせ、流路の左手に片寄せてアンカーとブイで固定し、上流に向かって延々と続いています。浚渫した泥土を、土運船や陸上の処理施設などに流送するときに使う、送泥管というやつですね。
クレーン船がさらった泥を上流へ向けて送っているものか、その逆なのかはわかりませんでしたが、この管がどこまで続いているのか、見届けてやりたくなりました。

送泥管に沿ってゆるゆる走るうち、管上を休憩所として利用する鷺さんを発見。フランジの出っ張りが足にフィットしてラクチンらしく、近づいても逃げませんでした。
(30年10月14日撮影)
(『10月14日の川景色…2』につづく)

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