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7月20日9時36分に、「水雷艇の写真を眺めていたら…」についてご感想およびご質問をメールで頂戴した方、同日晩に返信しましたが、メールサーバーよりエラーが返され、受信されないようです。お手数ですがお調べいただけますでしょうか。
(7月21日記、24日追記・この記事は問題が解決次第削除します。)

砂町北運河の埋め立て区間を訪ねて

221001.jpg諸事手塞がりで、実に2ヶ月ぶりのお出かけとなってしまいました。艇のホコリと蜘蛛の巣をはらい、息もつまりそうな酷暑をついてまず向かったのはご近所、砂町北運河です。

入口付近東岸、中島運輸の曳船溜はやはり目を奪われるものが。中でも異形といえる一隻、「第105中島丸」を通り過ぎざま一枚。

砂町北運河を訪ねたのは、北端の区間が埋め立て工事にかかったことを、昨年より耳にしていたからです。最近訪ねた記事でいうと「27年度川走り納め…5」、「27年度川走り納め…6」の区間。

旧水上警察がまとめた水路誌、「東京都河川図」で砂町北運河の項を見てみると、北端部は「オイルフェンスから先、私有地」と記載があって、公設の運河でないことが匂わせてあったので、役目を終えれば埋め立てられることは、ある種納得ではありましたが‥‥。ともあれ、自艇で行動できる内水面が縮小してゆくのは寂しいもの。せめて末路を見届けようと、訪ねてきたというわけです。

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半ばを過ぎ、右手に東京湾マリーナのポンド、左手に旧石川島造船化工機の広大な跡地を眺めつつ、最奥部を望んだところ。かつては黒く水面が続いていた位置に、護岸とおぼしき白い一線が認められました。

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マリーナの繋留船列が途切れたあたりで一旦ニュートラル、新たに運河終端となった護岸の全貌を眺めたところ。

写真左手、かつての水路の間口分は護岸が東西に伸び、右手は従来の岸をなぞって、東に行くにつれ南(手前)へ降りてくる形で斜めになっています。

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少し背伸びして、護岸越しに旧最奥部を一枚。重機の並ぶ向こう、九重橋がどうやらそのまま架かっているようですね。

ああ、本当に埋め立てられてしまったんだなあと、今さらながら実感してしみじみ。中防水路、南前堀、そしてここ。東京の可航水路、短い間にずいぶん延長を減じてしまったものですが、水路が消えゆくその過程に立ち会えたことは、ある意味貴重な体験だったといえるかもしれません。

221005.jpg少しゴチャゴチャっとしていたこの辺りも、工事に伴ってかすっかり整理され、大型艇でも楽に転回できそうな、広大な水面が広がっていました。

整理されたおかげか、東岸に水門があることに気づかされたのは、収穫(?)といっていいかも。もっともよく見ると濃厚に蔦がからみ、径間もコンクリートで塞がれているようだったので、すでに廃止されて久しいのかもしれません。
撮影地点のMapion地図

(30年7月22日撮影)

(『7月22日の辰巳埠頭…1』につづく)

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タグ : 砂町北運河 曳船

消えたマイタゲート閘門、二題

すでに撤去されて久しい、マイタゲートの閘門を写した絵葉書を2枚ご紹介します。いずれも竣工間もないころの撮影と思われるものです。

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ROCKENYA-LOCK AT NEZUMIJIMA
裏面に「大阪若林獨立軒製版印刷」の記載あり。
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。


新淀川開鑿を主とした淀川改修工事の一環として、中洲である鼠島に明治43年竣工した、六軒屋閘門を写したものです。扉室両岸に洋装の人物が多く集まっているところを見ると、竣工からさほど日が経っていないときに行われた、記念撮影のように思えます。

「運河と閘門」によると、最小幅10.91m、有効長89.08mで、大正12年に六軒屋第二閘門が併設されたため、以後は六軒屋第一閘門と呼ばれるようになりました。用途廃止は昭和25年3月だそうで、鼠島とともに現在は埋め立てられて面影はなく、「六軒屋閘門」(北摂の街道・道標)によれば、記念碑が立つのみとのこと。

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扉室をアップでトリミングしてみましょう。ゲートの様子からして、開いている手前は後扉室(低水位側)で、六軒屋川の上から写した写真ということになります。閘室の岸は、土のままか、何らかの護岸を施してあるのかはわかりませんが、法面ですね。すでに多数の舟が入閘し、注水を待っているのがうかがえます。

六軒屋閘門の消長については、「ある小さな島(鼠島)の生涯 その6」(なにわ ふくしま資料館)に詳しくまとめられており、私ごときがつけ加えることはありません。ぜひご覧いただきたいのですが、それとは別に、今回大いに驚かされたことが一つ。

絵葉書に書かれた版元名「若林獨立軒」で検索したところ‥‥、「若林鍼灸院のブログ『獨立軒雑記帳』」がヒット。これがナント、獨立軒のご子孫の方のブログなのでした!

業種こそ創業時と違うとはいえ、つい最近まで同じ屋号を名乗って営業されており、しかもご先祖の業績を顕彰されている! 素晴らしいことではないでしょうか。船頭もかくありたいと深く感銘を受けたのでありました。

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志木町商工會(伊呂波橋)横内辰男撮影
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


右上の写真、3径間の水門に併設されたマイタゲート閘門は、宗岡閘門。新河岸川にもかつて閘門があったことは、「川越舟運」(斎藤貞夫著:昭和57年6月初版・さきたま出版会)を読んで知り、非常に短命だったこともあって、以前から気になる存在でした。

10年前、「新河岸川再訪…4」でも少し触れましたが、直線河道化にともない、長きに渡り「川越夜船」でその名を知られた通船を、昭和6年に禁じられた新河岸川。この宗岡閘門が竣功したのは、驚くなかれ昭和4年! 通船禁止後もしばらくは通航が続いたであろうとはいえ、「悲劇の閘門」と呼んでも、決して大げさではないでしょう。

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宗岡閘門、直線河道化により水深が保てなくなった宗岡村(現志木市)から上流を、堰上げと閘門によって舟航を維持する目的で建造され、工事の労働者には近隣の農民はもとより、失業した船頭たちも参加したとのことです。

ふたたび「運河と閘門」から諸元を引くと、閘頭部幅6.0m、全長37.1m、ゲート間25.76m、扉体は鋼製。躯体は用途廃止後も長らく残っていたようで、昭和53年より閘門部分撤去開始との記述も。ウェブ上では、「新河岸川を歩こう! 6日目 柳瀬川合流点から南畑橋まで」(ハイフィネス・ジャパン株式会社)に、現地の説明板とおぼしき写真が掲載されていますが、それによれば昭和55年に撤去とありました。

写真を目にしてまず違和感があったのは、水門の堰上げの低さにくらべて、閘門がやけに高く造ってあること。素人目には、いずれは堤防や護岸を嵩上げできたら、水門も閘門に合わせて高める計画でもあったのかな、と勘繰ってしまったほど。まあ、このレベルの堰上げで、通船できる水深には十分ということなのでしょうが、それにしても閘門の高さは気になります。

通船禁止を間近にしての建造といい、首をひねらざるを得ないものがありますが、短命であったがゆえに希少な竣工直後の写真に出会えたことは、閘門好きとして嬉しいことには違いありません。このあたり、新たな史料の発見やご教示に待つところ、大なるものがあります。

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タグ : 絵葉書・古写真 閘門 六軒屋閘門 宗岡閘門 六軒屋川 新河岸川

通運丸の複製錦絵から始まる興味深いあれこれ

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上に掲げた絵については、ご存知の方も多いでしょう。川蒸気船・通運丸を題材にした錦絵としては代表的なもので、タイトルは「東京兩國通運會社川蒸氣往復盛栄真景之圖」、明治10年代に野澤定吉という人が描いた多色刷り版画です。

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タグ : 通運丸 川蒸気船 隅田川 絵葉書・古写真

5月20日の神田川・日本橋川…4

(『5月20日の神田川・日本橋川…3』のつづき)

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220082.jpgタイル張りと和船のエンブレムで化粧され、オリジナルの雰囲気は失われているものの、実は昭和3年竣工という湊橋。中央径間に「豊海橋 工事中につき 航路幅減少」という横断幕が掲げられていました。

その下流右手、業務船の桟橋にもやう通船や曳船の数隻を一枚。右手、南岸に連なっていた船溜が一掃されてから、ちょっと寂しくなりましたが、小ぎれいなここが生き残ってくれていると、ホッとさせられます。

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ご本尊、豊海橋も世紀の大工事(?)が迫ったことだし、しみじみ味わってくぐるとしましょう。逆光ながら、青空と白い雲たちをバックにした表情はどこか晴れ晴れとして、河水もほどよくさざ波立ち、撮っていて気持ちのよい一枚に。

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220085.jpg足場で狭まった航路幅と横断幕を。ジャッキアップ前のこのシーンも、いずれよい記念になるであろうと、足場の断面を含めてしっかり記録。

で、すでにSNSなどで有志が報じられていたので、すでにご存じのこととは思いますが、「豊海橋がジャッキアップされる?」で触れた5月23日ほかの通航止めの日、仮橋を架けるためのものだったのですね。この場を借りてお詫び申し上げます‥‥。

(30年5月20日撮影)

(この項おわり)

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タグ : 日本橋川 曳船