1月21日の川景色…2
(『1月21日の川景色…1』のつづき)
●横十間川を北上、テラス造成中の区間に入りました。台船がそこここに出張っているのは以前と同じでしたが、いずれも作業員の方々の姿が見え、重機は盛んに動いているあたり、休日とは違って実に賑やか。
この区間、テラスの寸法を広く取っているので、見た目の水路幅はぐっと縮まるわけですが、もともと両岸はガレ場や茂みのある浅瀬が多かったので、実際の可航幅はそんなに変わりはないと思います。

●北十間川に入りいったん西へ。そりゃもう、ここに来たらお決まりの一枚をものしなければ。少し陽が陰って、ディテールの凹部が強調された感じに撮れました。
幸い(?)にして業者さんの艇はいなかったので、おしなり橋をくぐって最奥部、閉塞フェンスの直前まで行けたのは嬉しかったです。

●転回後、北十間川を東に向かっていると、護岸の排水口に既視感のあるものが‥‥。あっ、白子川のモコモコ(『最西端の狭水路・白子川…2』参照)とそっくりのアレが、すでにモコモコと育ちつつある!
このあたり、北十間川では最も早くテラス化がなされたので、10年近くは経っているでしょうか。コンクリートの成分か、埋土のそれのせいかは知りませんが、環境によっては、思ったより短い期間でできるみたいですね。あと数年したら、白子川の前衛生け花みたいになるのかなあ‥‥。

●東端部近く、東武線鉄橋付近がこれまた賑やか。足場を組む作業員の方々にご挨拶しながら、最徐航で通過。皆さん笑って見送ってくださいました。
工事真っ盛りの光景を、間近に堪能できる狭水路ならでは、平日ならではの醍醐味! 変わりゆく内部河川の様子を、リアルタイムで体験できる貴重な機会、よ~く目に焼き付けておこう。
【撮影地点のMapion地図】
(28年1月21日撮影)
(『1月21日の川景色…3』につづく)

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この区間、テラスの寸法を広く取っているので、見た目の水路幅はぐっと縮まるわけですが、もともと両岸はガレ場や茂みのある浅瀬が多かったので、実際の可航幅はそんなに変わりはないと思います。


幸い(?)にして業者さんの艇はいなかったので、おしなり橋をくぐって最奥部、閉塞フェンスの直前まで行けたのは嬉しかったです。

●転回後、北十間川を東に向かっていると、護岸の排水口に既視感のあるものが‥‥。あっ、白子川のモコモコ(『最西端の狭水路・白子川…2』参照)とそっくりのアレが、すでにモコモコと育ちつつある!
このあたり、北十間川では最も早くテラス化がなされたので、10年近くは経っているでしょうか。コンクリートの成分か、埋土のそれのせいかは知りませんが、環境によっては、思ったより短い期間でできるみたいですね。あと数年したら、白子川の前衛生け花みたいになるのかなあ‥‥。

●東端部近く、東武線鉄橋付近がこれまた賑やか。足場を組む作業員の方々にご挨拶しながら、最徐航で通過。皆さん笑って見送ってくださいました。
工事真っ盛りの光景を、間近に堪能できる狭水路ならでは、平日ならではの醍醐味! 変わりゆく内部河川の様子を、リアルタイムで体験できる貴重な機会、よ~く目に焼き付けておこう。
【撮影地点のMapion地図】
(28年1月21日撮影)
(『1月21日の川景色…3』につづく)

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1月21日の川景色…1

砂町運河を西進、曙運河・曙北運河との十字流まで来ると、南側に浚渫船団を発見。「汐浜運河の浚渫船団」で見かけたそれと似ています。ここでは横目で眺めるにとどめ、先を急ぐので減速しつつ通過。

接岸待ちでしょうか、船首を北に向けて、乾舷ぎりぎりまで喫水を沈め、いかにも満載状態といった感じ。この水面が待機場所になっているのでしょうか、ここで出会うのはもちろん初めてです。ということは、宇部の岸壁に荷役中の船が一隻いるはず‥‥。

●確かに荷役中の独行艀が‥‥いや、それより新しいクレーンができている!
一昨年9月、「宇部のクレーンが…」では、トラス構造の素晴らしかった旧クレーンが消えたのを知り、意気消沈したものです。まさか、同じ場所に新設されるとは思ってもみなかったので、驚き、かつ嬉しくなったのでした(何度か近くを通っているのに、建造中の様子に全く気付いていないあたり)。ダブルリンク式引込みクレーン、まだ真新しいブルーのジブがきれいですね。

●場所はだいぶ飛びますが、小名木川の水位低下化区間に入りました。扇橋閘門前で少し待ち時間ができたので、ときどき前進・後進にかけ、チョイチョイと蹴飛ばしながら漂泊していると、東から都建設局のコンベア清掃船が登場。
船名は「第二みどり丸」、担当水域の作業はもう終わったのでしょう、船上の乗り組みさんものんびりムード。既報のとおり、閘門様が3月25日まで通航できないため、水位低下化水域の作業を終えても、扇橋閘門に戻ってこざるを得ないのです。

●清掃船のお出ましとなれば、閘門もさっそく通閘の準備を始め、豪快な排水シーンを見せてくれました。いつもながらレスポンスの速さには感心します。
朝は爽やかに晴れていたのに、だいぶ雲が多くなってきました。まだまだ平日ならではの風景が楽しめそうですが、天気の方は大丈夫でしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(28年1月21日撮影)
(『1月21日の川景色…2』につづく)

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富山港・知られざる閘門?!
●数日前のことです。昨年6月、富山訪問の際にお世話になった、松川遊覧船の中村珠太専務より、メールをいただきました。
さっそく開いてみると、酒田港訪問時の記事(恐らく『下瀬閘門跡を訪ねて』と思われます)を読んで、「ふと思い出した」ことがあり、メールをくださったとのことです。はて、何でしょうか?
●読み進むとまあ、驚くべきことが書いてありました!
要約すると‥‥。中村氏の著書「神通川の河川文化」(『松川遊覧船ふたたび…5』参照)で聞き取り取材をした、もと船頭さんの一人から聞いた話では、大雪で陸上交通が途絶した際、荷を積んだ舟で神通川本流の河口近くから、神通川と富山港の間に設けられた「水門」を通って、富岩運河に入った経験があったとのこと。
下瀬閘門の記事を読んで、この話を思い出された中村氏、国土地理院の空中写真を開き、終戦直後の富山港に、最上川~酒田港のそれとそっくりな位置に「水門」が存在していたことを確認、わざわざ知らせてくださったというわけです。
●中村氏は、ご親切に「水門」の位置を示す空中写真の複写ほか、資料を別便でお送りくださったのですが、船頭儀、もういてもたってもいられません。別便のファイルをダウンロードするより早く、富山の空中写真を横っ飛びに検索していました。

●興奮にハフハフしながら、昭和27年11月9日撮影の「USA-M192-2-60」を開くと‥‥。
あった! 富岩運河北口の西(赤矢印)、確かに切れ目のような部分が!

USA-M192-2-60(昭和27年11月9日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス)
●閘 門 だ !‥‥よね?
何分不鮮明な空中写真、即断ははばかられますが、前扉室・後扉室としか見えない張り出しを持つその形、マイタゲートとしか思えません。‥‥いや、二重の角落しゲートという線も、捨てきれないかも(疑い深い船頭)。
西側のゲートは一見閉じているようですが、継ぎ目がなくツライチなところ、上下に伸びる道と軸線が合っていることから、ゲート上に設けられた道路橋と推察。
いや、全く知りませんでした! 富山第三の閘門(と早合点するのは危険ですが、違ったら後で訂正します!)があったなんて! 河川本流と、分離された河口港内の通船を図るという役割、港の奥部に位置するところも、下瀬閘門にそっくりなのがまた、興味をそそりますね!

MCB612-C31-30(昭和36年5月25日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス)
●変遷を追ってみたくなり、近い年代の写真を探したものの、お次は昭和36年と、上の写真から9年を隔てたもののみでした。ご覧のとおり、早くも本流側が埋め立てられて、通船機能は失われていたことがわかります。
道路や橋が太くなっていることから、背割堤上の開発が進行していることもうかがえますね。

MCB702-C2-13(昭和45年5月22日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス)
●さらに9年後、昭和45年には、もはや神通川高水敷の凹部と、埋め立てた跡が生々しい更地に面影を残すのみ。東側には岸壁が完成しているものの、倉庫や山積みした資材らしきものが、閘室跡を避けているあたり、まだ埋土が締まっていないのでしょう。

ホンモノのGoogleマップで富山港の閘門(?)跡付近を見る(上は単なる画像)
●そして現在、跡形もなし‥‥。道が曲がっている地点は動いていないようなので、位置は何とか特定できますが、下瀬閘門と同様の運命をたどったのは、一目瞭然であります。
●さて、未知の閘門を知ったとなると、名前や諸元が知りたくなるのは当然の流れ。とりあえず手持ちの乏しい資料を何冊かひっくり返してみたものの、言及したものはありませんでした。挿画に富岩運河・東岩瀬港の計画図は2つ見つかったのですが、いずれも描画なし。ううん、当初の計画に入っていなかったのか、それとも閘門でなく、単なる水門付きの通船路なのか‥‥。
ウェブ上はいわずもがなで、中島・牛島両閘門のビッグネームに意識が吸い取られて(?)いるのか、いくつかアップされている東岩瀬・富山港の開発史にも、この閘門に触れたものは見当たりませんでした。当時の官報にでも丹念に当るか、地元の図書館を訪ねて工事記録を探すかしないと、詳細を知ることは難しそうです。
水運・港湾関係者以外、まず訪ねることのない地先にあったこと、昭和30年代と早期に廃止されていたことも手伝って、研究者・趣味者の目に触れることがないまま、消えていったのであろうと妄想。中島閘門を動態保存し、牛島閘門復元を成し遂げた、土木史跡に理解ある土地柄、正体がわかるのなら、せめて跡地に説明板でも立てて、顕彰してあげたいものですね。
●ちなみに、ご当地の中島・牛島両閘門とも、近傍の地名を名乗っていることから、これがもし閘門であるなら、草島閘門(Mapion地図)と名乗っていた可能性が高かろうと、勝手に妄想して悦に入っています。当たっていたら嬉しいな!
というわけで、今のところは何もわからず、閘門であるかどうかすら確定できないのですが、その分想像力をかきたてられ、興味はいや増すものがあります。 懇切にご教示くださった中村氏に、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました!

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さっそく開いてみると、酒田港訪問時の記事(恐らく『下瀬閘門跡を訪ねて』と思われます)を読んで、「ふと思い出した」ことがあり、メールをくださったとのことです。はて、何でしょうか?
●読み進むとまあ、驚くべきことが書いてありました!
要約すると‥‥。中村氏の著書「神通川の河川文化」(『松川遊覧船ふたたび…5』参照)で聞き取り取材をした、もと船頭さんの一人から聞いた話では、大雪で陸上交通が途絶した際、荷を積んだ舟で神通川本流の河口近くから、神通川と富山港の間に設けられた「水門」を通って、富岩運河に入った経験があったとのこと。
下瀬閘門の記事を読んで、この話を思い出された中村氏、国土地理院の空中写真を開き、終戦直後の富山港に、最上川~酒田港のそれとそっくりな位置に「水門」が存在していたことを確認、わざわざ知らせてくださったというわけです。
●中村氏は、ご親切に「水門」の位置を示す空中写真の複写ほか、資料を別便でお送りくださったのですが、船頭儀、もういてもたってもいられません。別便のファイルをダウンロードするより早く、富山の空中写真を横っ飛びに検索していました。

●興奮にハフハフしながら、昭和27年11月9日撮影の「USA-M192-2-60」を開くと‥‥。
あった! 富岩運河北口の西(赤矢印)、確かに切れ目のような部分が!

USA-M192-2-60(昭和27年11月9日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス)
●閘 門 だ !‥‥よね?
何分不鮮明な空中写真、即断ははばかられますが、前扉室・後扉室としか見えない張り出しを持つその形、マイタゲートとしか思えません。‥‥いや、二重の角落しゲートという線も、捨てきれないかも(疑い深い船頭)。
西側のゲートは一見閉じているようですが、継ぎ目がなくツライチなところ、上下に伸びる道と軸線が合っていることから、ゲート上に設けられた道路橋と推察。
いや、全く知りませんでした! 富山第三の閘門(と早合点するのは危険ですが、違ったら後で訂正します!)があったなんて! 河川本流と、分離された河口港内の通船を図るという役割、港の奥部に位置するところも、下瀬閘門にそっくりなのがまた、興味をそそりますね!

MCB612-C31-30(昭和36年5月25日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス)
●変遷を追ってみたくなり、近い年代の写真を探したものの、お次は昭和36年と、上の写真から9年を隔てたもののみでした。ご覧のとおり、早くも本流側が埋め立てられて、通船機能は失われていたことがわかります。
道路や橋が太くなっていることから、背割堤上の開発が進行していることもうかがえますね。

MCB702-C2-13(昭和45年5月22日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス)
●さらに9年後、昭和45年には、もはや神通川高水敷の凹部と、埋め立てた跡が生々しい更地に面影を残すのみ。東側には岸壁が完成しているものの、倉庫や山積みした資材らしきものが、閘室跡を避けているあたり、まだ埋土が締まっていないのでしょう。

ホンモノのGoogleマップで富山港の閘門(?)跡付近を見る(上は単なる画像)
●そして現在、跡形もなし‥‥。道が曲がっている地点は動いていないようなので、位置は何とか特定できますが、下瀬閘門と同様の運命をたどったのは、一目瞭然であります。
●さて、未知の閘門を知ったとなると、名前や諸元が知りたくなるのは当然の流れ。とりあえず手持ちの乏しい資料を何冊かひっくり返してみたものの、言及したものはありませんでした。挿画に富岩運河・東岩瀬港の計画図は2つ見つかったのですが、いずれも描画なし。ううん、当初の計画に入っていなかったのか、それとも閘門でなく、単なる水門付きの通船路なのか‥‥。
ウェブ上はいわずもがなで、中島・牛島両閘門のビッグネームに意識が吸い取られて(?)いるのか、いくつかアップされている東岩瀬・富山港の開発史にも、この閘門に触れたものは見当たりませんでした。当時の官報にでも丹念に当るか、地元の図書館を訪ねて工事記録を探すかしないと、詳細を知ることは難しそうです。
水運・港湾関係者以外、まず訪ねることのない地先にあったこと、昭和30年代と早期に廃止されていたことも手伝って、研究者・趣味者の目に触れることがないまま、消えていったのであろうと妄想。中島閘門を動態保存し、牛島閘門復元を成し遂げた、土木史跡に理解ある土地柄、正体がわかるのなら、せめて跡地に説明板でも立てて、顕彰してあげたいものですね。
●ちなみに、ご当地の中島・牛島両閘門とも、近傍の地名を名乗っていることから、これがもし閘門であるなら、草島閘門(Mapion地図)と名乗っていた可能性が高かろうと、勝手に妄想して悦に入っています。当たっていたら嬉しいな!
というわけで、今のところは何もわからず、閘門であるかどうかすら確定できないのですが、その分想像力をかきたてられ、興味はいや増すものがあります。 懇切にご教示くださった中村氏に、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました!

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新砂水門の可動橋が!

●新砂水門の可動橋が、動いているところに初めて出くわしました!
●いや、正確には昨年に続き2回目ですが、初回は桟橋上から遠望しただけだったので、艇上から間近に拝んだのは、まさに初体験ということになります(タイトルはこの一瞬後に撮ったもの)。
完全に閉じていたときに、下をくぐれなかったのが惜しいといえば惜しかったのですが‥‥。どこか気の抜けるような警報音を発しながら、予想以上の速さで旋回する可動橋を鼻先に眺めることができ、嬉しさのあまり「うひゃ~!」と奇声が漏れ出てしまったのも、無理からぬところであります。
●初通航して20年あまりになりますが、ご多分にもれず出かけるのはまず休日とあって、よしんば平日に出られても、点検運転日に当たるのは、まずまれなことといわざるを得ません。貴重極まりない、このよき日にヒットした幸福感、たとえようのないものがありました。
平日の川走りとあって、この他にもいくつか、働くフネブネを含め躍動する川景色を楽しむことができました。まずはさわりの一報まで、近日中に順次ご紹介できればと思います。
(28年1月21日撮影)

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27年度川走り納め…17
(『27年度川走り納め…16』のつづき)
●最後に墨田川造船をのぞいて帰ろうと、汐見運河を少しうろついてから、東雲北運河へ。
久しく使われていないであろう、原木をつないだだけの桟橋が連なる前を微速で通過していると、羽を休めていたカワウ君たちがいっせいに伸びあがって、警戒態勢に入るのが見えました。黒一色だけかと思ったら、頭の白い子もいるんだなあ。

●さて、墨田川造船の様子は如何‥‥おお、二隻いますね! いずれも新造艇のようで、嬉しくなりました。
手前は「みやこ」、都章を掲げていること、放水銃を備えていることから、港湾局の監視船でしょう。高さを抑えた一層の甲板室、後部の広く取った作業甲板には、オーニングのフレームが取り付けられているのがわかります。

●トランサムは中央が切り欠かれ、スリップウェイとなっていました。港湾局の監視船は、たいてい油防除の装備をしているようですから、これもそのための設備ではないでしょうか。
妄想するに、オイルフェンスをスリップウェイからぞろぞろ繰り出すのかな‥‥。左舷に寄せて設けられた甲板上のユニックは、オイルフェンスの回収用でしょうか?

●いま一隻は、保安庁の巡視艇「さつかぜ」、20mタイプの「すずかぜ型」に見えますが、いかがでしょうか。間違っていたらごめんなさい。
CL01のハルナンバーを掲げているところからすると、新型艇かしら? ご存知の方、ご教示いただければ幸いです。

●ほぼ正横から。塗装して間もない船体が白く輝いて、新造艇らしい清々しさが感じられ、実によいものです。大晦日の川走り納めのシメにふさわしい、新造艇のいる運河風景を後に、大満足で帰港したのでした。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(この項おわり)

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久しく使われていないであろう、原木をつないだだけの桟橋が連なる前を微速で通過していると、羽を休めていたカワウ君たちがいっせいに伸びあがって、警戒態勢に入るのが見えました。黒一色だけかと思ったら、頭の白い子もいるんだなあ。

●さて、墨田川造船の様子は如何‥‥おお、二隻いますね! いずれも新造艇のようで、嬉しくなりました。
手前は「みやこ」、都章を掲げていること、放水銃を備えていることから、港湾局の監視船でしょう。高さを抑えた一層の甲板室、後部の広く取った作業甲板には、オーニングのフレームが取り付けられているのがわかります。

●トランサムは中央が切り欠かれ、スリップウェイとなっていました。港湾局の監視船は、たいてい油防除の装備をしているようですから、これもそのための設備ではないでしょうか。
妄想するに、オイルフェンスをスリップウェイからぞろぞろ繰り出すのかな‥‥。左舷に寄せて設けられた甲板上のユニックは、オイルフェンスの回収用でしょうか?

●いま一隻は、保安庁の巡視艇「さつかぜ」、20mタイプの「すずかぜ型」に見えますが、いかがでしょうか。間違っていたらごめんなさい。
CL01のハルナンバーを掲げているところからすると、新型艇かしら? ご存知の方、ご教示いただければ幸いです。

●ほぼ正横から。塗装して間もない船体が白く輝いて、新造艇らしい清々しさが感じられ、実によいものです。大晦日の川走り納めのシメにふさわしい、新造艇のいる運河風景を後に、大満足で帰港したのでした。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(この項おわり)

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