27年度川走り納め…11
(『27年度川走り納め…10』のつづき)

●「喰われるトラス」芝浦橋をくぐるのも久しぶり。変わらぬ喰われっぷりを仰ぎながら、元気な姿を確認。橋台を含む周囲にも、特に変化はないようですね。

●この堅牢そのものな感じ、まさに縁の下の力持ち。間近で見上げると、桁の下端、ちょっとコケっぽく、緑色になった部分があるのに気づきました。
高架下の橋って、直射日光に曝されることが少ない分、塗料の劣化や褪色が進まない利点がありますが、水気が乾きにくいのは致し方のないところではあります。
●例の物件(過去ログのこちら参照)もなくなって久しく、水上に張り出したような建築も、徐々に整理されつつありますが、まだ何とか生き残っている物件もあります。
そういえば、朝潮運河にもついこの間まで、似たような建物(『年の瀬の運河風景…1』参照)があったんだよなあ‥‥。あの変貌ぶりを思うと、高浜西運河のこの風景が、貴重極まりないものに思えてきます。

●高浜橋をくぐろうとしたら、高欄に「工事中 航行注意」の横断幕が。向こうにはどうやら、仮橋らしい足場も見えますね。ううん、ここもいよいよ架け替えかしら。
水路上に張り出した建築物(?)をもう一つ。背後のビルは新しそうなのに、桟橋状のこれは年季が入っているあたり、珍妙な感じがして惹かれます。今は駐車場として使われているようですが、かつてはバージが接岸することもあったのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(『27年度川走り納め…12』につづく)

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●「喰われるトラス」芝浦橋をくぐるのも久しぶり。変わらぬ喰われっぷりを仰ぎながら、元気な姿を確認。橋台を含む周囲にも、特に変化はないようですね。

●この堅牢そのものな感じ、まさに縁の下の力持ち。間近で見上げると、桁の下端、ちょっとコケっぽく、緑色になった部分があるのに気づきました。
高架下の橋って、直射日光に曝されることが少ない分、塗料の劣化や褪色が進まない利点がありますが、水気が乾きにくいのは致し方のないところではあります。

そういえば、朝潮運河にもついこの間まで、似たような建物(『年の瀬の運河風景…1』参照)があったんだよなあ‥‥。あの変貌ぶりを思うと、高浜西運河のこの風景が、貴重極まりないものに思えてきます。


水路上に張り出した建築物(?)をもう一つ。背後のビルは新しそうなのに、桟橋状のこれは年季が入っているあたり、珍妙な感じがして惹かれます。今は駐車場として使われているようですが、かつてはバージが接岸することもあったのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(『27年度川走り納め…12』につづく)

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27年度川走り納め…10
(『27年度川走り納め…9』のつづき)
●新芝北運河との十字流に接する、香取橋をくぐって。茶色い頭のホシハジロ君はじめ鴨さんたち、お邪魔してごめんなさい。
星霜を経た肌のコンクリート橋、無骨な水管橋が居並ぶ向こうにはモノレールも走ってと、いかにもかつての「東京港のバックヤード」を思わせる光景の中、橋をくぐってみると‥‥。

●鹿島橋が撤去されていた!
橋脚までもはや跡形もなく、ご覧のとおり錆色の鋼矢板や仮桁が視界いっぱいに広がって、いうまでもなく改架工事中。むう、また一つ、昭和初期の鋼橋が姿を消してしまったか‥‥合掌。

●ありし日の姿をしのんで、21年12月13日の写真から(『新芝運河に拾う…2』参照)。古い鋼橋ということで、それなりに意識はしていたのですが、どういうわけだか、呪われたようによい写真がありませなんだ。この一枚は、向こうの船溜が割とよく見えるので、選んでみたものです。埋め立てられて、短くなった水路の終端近くに架かっていたという意味では、砂町北運河の九重橋に近いものを感じますね。
鹿島橋(港区HP)によると、昭和5年3月竣工、長さ35.6m、幅17.2m。震災復興計画によるものかどうかはわかりませんが、数ある復興橋と同世代の橋といってよいでしょう。
●鹿島橋を失った十字流を背に、田町駅前、新芝橋へ向かって微速前進。狭水路にテラス、両岸に屏風を立てたように連なるビルと、芝浦運河地帯ならではの景観が続く区間。
陽があまり射さないので、少々底冷えはしますが、完璧に整備されたテラスとともに、整然とした「人工の峡谷美」が楽しめるところでもあります。

●前後のほどよい屈曲と、四周を高いビルに囲まれているおかげで、まず風が抜けることはなく、もちろん水面もきわめて穏やか。両岸はテラスが整備されているので、水面下にひそむ基礎護岸や、ガレ場などの危険物もなし。その上、転回も何とかできるくらいの、ほどよい狭水路――ん? これって冷静に考えてみると、艪漕ぎには最適の環境じゃないですか!
以前もお話ししたように、我が木っ端ブネは和船と違って上部構造があるため、艪漕ぎ中はわずかな風でも影響甚大で、頭が風下に落とされてしまいます。流れについてはいわずもがな。操縦性も極端に落ちる(これは、漕ぎ手の技量の低さもある)ので、船底を傷つけるような沈置物や、水面下の構造物も禁物。巡航0.5kt程度という超微速で、行き足を実感するには岸の近い、狭水路がよい‥‥。
いや、ここで艪を漕がなかったのが、ずいぶんもったいないことのように思えてきました。大横川一択はそろそろ卒業して、次は新芝運河で艪声を響かせてみようと、一人妄想してはニヤつくおっさんでありました。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(『27年度川走り納め…11』につづく)

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星霜を経た肌のコンクリート橋、無骨な水管橋が居並ぶ向こうにはモノレールも走ってと、いかにもかつての「東京港のバックヤード」を思わせる光景の中、橋をくぐってみると‥‥。

●鹿島橋が撤去されていた!
橋脚までもはや跡形もなく、ご覧のとおり錆色の鋼矢板や仮桁が視界いっぱいに広がって、いうまでもなく改架工事中。むう、また一つ、昭和初期の鋼橋が姿を消してしまったか‥‥合掌。

●ありし日の姿をしのんで、21年12月13日の写真から(『新芝運河に拾う…2』参照)。古い鋼橋ということで、それなりに意識はしていたのですが、どういうわけだか、呪われたようによい写真がありませなんだ。この一枚は、向こうの船溜が割とよく見えるので、選んでみたものです。埋め立てられて、短くなった水路の終端近くに架かっていたという意味では、砂町北運河の九重橋に近いものを感じますね。
鹿島橋(港区HP)によると、昭和5年3月竣工、長さ35.6m、幅17.2m。震災復興計画によるものかどうかはわかりませんが、数ある復興橋と同世代の橋といってよいでしょう。

陽があまり射さないので、少々底冷えはしますが、完璧に整備されたテラスとともに、整然とした「人工の峡谷美」が楽しめるところでもあります。

●前後のほどよい屈曲と、四周を高いビルに囲まれているおかげで、まず風が抜けることはなく、もちろん水面もきわめて穏やか。両岸はテラスが整備されているので、水面下にひそむ基礎護岸や、ガレ場などの危険物もなし。その上、転回も何とかできるくらいの、ほどよい狭水路――ん? これって冷静に考えてみると、艪漕ぎには最適の環境じゃないですか!
以前もお話ししたように、我が木っ端ブネは和船と違って上部構造があるため、艪漕ぎ中はわずかな風でも影響甚大で、頭が風下に落とされてしまいます。流れについてはいわずもがな。操縦性も極端に落ちる(これは、漕ぎ手の技量の低さもある)ので、船底を傷つけるような沈置物や、水面下の構造物も禁物。巡航0.5kt程度という超微速で、行き足を実感するには岸の近い、狭水路がよい‥‥。
いや、ここで艪を漕がなかったのが、ずいぶんもったいないことのように思えてきました。大横川一択はそろそろ卒業して、次は新芝運河で艪声を響かせてみようと、一人妄想してはニヤつくおっさんでありました。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(『27年度川走り納め…11』につづく)

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牛堀・権現山の絵葉書
●1月2日に訪ねた、水郷は牛堀の権現山公園(『権現山公園と新横利根閘門』参照)から見た風景と、ほぼ同じ視点から撮った古い絵葉書があったのを、すっかり忘れていました。
まったくトシはとりたくないものですが、せっかく気づいたということもあり、自分の撮った写真と並べて悦に入ろうと、ここに掲げさせていただきます。

●【水郷景勝】双眸に冴えわたる美と平和の繪画的風景。牛堀附近の展望
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●正面から左手に屈曲して消えてゆく、横利根川の穏やかな川面、あくまで平らかな、典型的水郷風景が一望のもと。
東京や上利根各河港とを結ぶような、長距離航路はすでに衰えていたとはいえ、霞ケ浦・北浦の各地や、佐原・銚子など下利根を往来する便はなお盛んだった時代で、水郷汽船自慢の大型客船も、目前の横利根川を通って観光客を運んでいたころです。

●「権現山公園と新横利根閘門」より再掲。改めて比較してみると、河道は拡幅され、堤防や閘門が整備されて、対岸も家が建て込んでと、変化がはっきり見てとれるものの、水郷らしい雰囲気はまったく失われていないのに嬉しくなります。
特に手前の牛堀の家並み、どこか箱庭然とした、肩を寄せ合ったような風情は当時と変わらず、河港として栄えていた時代を髣髴させるものがありますね。

●【鹿島・香取名勝】空に水に爽涼の色溢れる、牛堀橋附近の佳景。
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●もう一枚、牛堀の河畔から対岸を写したものもあったので、ついでといっては何ですがご参考まで。主題になっている牛堀橋は、現在の北利根橋の先代橋で、上路式鈑桁橋ながら、下端に曲線を用いたり、中央径間を下路式にして船舶に配慮したりと、水郷らしさが感じられる外観ですね。
残念ながら資料がなく、橋の竣工年がわからなかったのですが、「北利根橋」(『目的地までが目的地』より)によると、昭和7年竣工とのこと。
なるほどサイト主さんのおっしゃる通りで、水郷大橋(『横利根閘門遊覧…4』参照)、神宮橋の先代橋と同世代で、陸路鹿島まで行けるルート‥‥現国道51号が成立した時期の完成とみれば、しっくりきます。河川航路が欠くことのできない交通手段だった水郷地域にも、近代陸上交通の第一波が押し寄せてきた、そんな時代だったのですね。
●最後によい機会なので、明治43年発行の河川航路ガイド、「利根川汽船航路案内」から、「牛堀汽船寄港場」の項を抜粋してみましょう。
「‥‥霞ヶ浦及北浦、利根川等へ通ずる汽船航路の分岐點たり戸数二百戸、人口七百餘人有り」
「此地汽船の發着は左の如し/鉾田行 往復 二回/鹿島行 同 四回/佐原行 同 五回/土浦行 同 三回/高濱行 往復 一回/銚子行 同 二回」
町としてはささやかな規模ながら、四通八達していた川汽船航路の、まさに要であったことがわかります。「水駅」という言葉がしっくりくるような、川蒸気の煙絶えない河岸場風景を想像して、しばし陶然となったことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(28年1月2日撮影)

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まったくトシはとりたくないものですが、せっかく気づいたということもあり、自分の撮った写真と並べて悦に入ろうと、ここに掲げさせていただきます。

●【水郷景勝】双眸に冴えわたる美と平和の繪画的風景。牛堀附近の展望
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●正面から左手に屈曲して消えてゆく、横利根川の穏やかな川面、あくまで平らかな、典型的水郷風景が一望のもと。
東京や上利根各河港とを結ぶような、長距離航路はすでに衰えていたとはいえ、霞ケ浦・北浦の各地や、佐原・銚子など下利根を往来する便はなお盛んだった時代で、水郷汽船自慢の大型客船も、目前の横利根川を通って観光客を運んでいたころです。

●「権現山公園と新横利根閘門」より再掲。改めて比較してみると、河道は拡幅され、堤防や閘門が整備されて、対岸も家が建て込んでと、変化がはっきり見てとれるものの、水郷らしい雰囲気はまったく失われていないのに嬉しくなります。
特に手前の牛堀の家並み、どこか箱庭然とした、肩を寄せ合ったような風情は当時と変わらず、河港として栄えていた時代を髣髴させるものがありますね。

●【鹿島・香取名勝】空に水に爽涼の色溢れる、牛堀橋附近の佳景。
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●もう一枚、牛堀の河畔から対岸を写したものもあったので、ついでといっては何ですがご参考まで。主題になっている牛堀橋は、現在の北利根橋の先代橋で、上路式鈑桁橋ながら、下端に曲線を用いたり、中央径間を下路式にして船舶に配慮したりと、水郷らしさが感じられる外観ですね。
残念ながら資料がなく、橋の竣工年がわからなかったのですが、「北利根橋」(『目的地までが目的地』より)によると、昭和7年竣工とのこと。
なるほどサイト主さんのおっしゃる通りで、水郷大橋(『横利根閘門遊覧…4』参照)、神宮橋の先代橋と同世代で、陸路鹿島まで行けるルート‥‥現国道51号が成立した時期の完成とみれば、しっくりきます。河川航路が欠くことのできない交通手段だった水郷地域にも、近代陸上交通の第一波が押し寄せてきた、そんな時代だったのですね。
●最後によい機会なので、明治43年発行の河川航路ガイド、「利根川汽船航路案内」から、「牛堀汽船寄港場」の項を抜粋してみましょう。
「‥‥霞ヶ浦及北浦、利根川等へ通ずる汽船航路の分岐點たり戸数二百戸、人口七百餘人有り」
「此地汽船の發着は左の如し/鉾田行 往復 二回/鹿島行 同 四回/佐原行 同 五回/土浦行 同 三回/高濱行 往復 一回/銚子行 同 二回」
町としてはささやかな規模ながら、四通八達していた川汽船航路の、まさに要であったことがわかります。「水駅」という言葉がしっくりくるような、川蒸気の煙絶えない河岸場風景を想像して、しばし陶然となったことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(28年1月2日撮影)

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27年度川走り納め…9
(『27年度川走り納め…8』のつづき)
●顔なじみの魚介運搬船「第一八幡丸」も、陽光を浴びてのんびりとした風情。築地大橋架橋のおかげで、ぶつ切りとなった一隻分の桟橋にギリギリ納まる姿は、少々寂しげでもあり、ユーモラスでもあり。
築地大橋が開通したら、橋上から手の届くような近くに船橋が望めることでしょう。乗り組みさんは、人目があって落ち着かないかもしれません。

●8月31日、「『いずも』来航!…9」では丸裸だった汐留川水門、早くも巻上機室が竣功していました。浜離宮公園がほど近いこともあり、小洒落たデザインになるかしらと思っていたらさにあらず、従来のものよりむしろ簡素な感じです。
光線の塩梅がいいこともあって、真っ赤に塗り上げられた角落しの映えること! 新しい扉体もゼヒ赤く塗ってほしいと、赤水門原理主義者としては強く進言するものであります。

●さて、逆光まぶしい港内を南下し、芝浦運河地帯へやってきました。潮位も高めとあって、低い地標高が味わえるであろうとの目論見です。
より狭い水路がよかろうと、迷わず新芝運河へ。舵について背伸びせずとも、目の高さで路面が余裕で見える、一種の解放感が楽しめる区間。外郭堤防と水門があってこその水路風景です。

●右手、ちょっと惹かれるものがあったビル。昭和一桁風の下層に、同じく40年代テイストの上層をポンと乗っけたような、斬新ながらどこか懐かしくなるような外観。最近建ったものでしょうか、地図には「愛育病院」とありました。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(『27年度川走り納め…10』につづく)

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築地大橋が開通したら、橋上から手の届くような近くに船橋が望めることでしょう。乗り組みさんは、人目があって落ち着かないかもしれません。

●8月31日、「『いずも』来航!…9」では丸裸だった汐留川水門、早くも巻上機室が竣功していました。浜離宮公園がほど近いこともあり、小洒落たデザインになるかしらと思っていたらさにあらず、従来のものよりむしろ簡素な感じです。
光線の塩梅がいいこともあって、真っ赤に塗り上げられた角落しの映えること! 新しい扉体もゼヒ赤く塗ってほしいと、赤水門原理主義者としては強く進言するものであります。


より狭い水路がよかろうと、迷わず新芝運河へ。舵について背伸びせずとも、目の高さで路面が余裕で見える、一種の解放感が楽しめる区間。外郭堤防と水門があってこその水路風景です。

●右手、ちょっと惹かれるものがあったビル。昭和一桁風の下層に、同じく40年代テイストの上層をポンと乗っけたような、斬新ながらどこか懐かしくなるような外観。最近建ったものでしょうか、地図には「愛育病院」とありました。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(『27年度川走り納め…10』につづく)

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27年度川走り納め…8
(『27年度川走り納め…7』のつづき)
●「6月7日の水門…2」で撤去されたのに気づいた、住吉水門の工事進捗は如何、と近づいてみると‥‥。
管理橋が撤去されたくらいで、外見に大きな変化は見られなかったものの、右手の管理棟が新築されたのか、単にリフォームしただけなのか、面目を一新していました。建屋正面には都のマークに「住吉水門」と大書きされ、以前と違ってアピールもしっかり。堰柱や巻上機室のデザインは、どんなものになるのでしょうね。

●前回は説明板が撮れなかったので、雪辱とばかり舵を切って接近。流れも複雑で、通航船の引き波も絶えない水域とあって、3度再挑戦して、ようやく見られるものが1枚撮れました。
「住吉水門耐震補強工事(その1)」、いや、補強じゃなくて、上回りはほとんど新築だと思うのですが。「その1」が27年11月までとすると、この時点ですでに「その2」にかかっていたことになります。おっ、完成予想図もある! 見たかぎりは鉄骨組みの堰柱のようで、雰囲気的には従来とあまり変わらなそう。巻き上げ装置はチェーンのようですね。

●続いて「3月29日のお花見水路…4」で触れた、月島川水門の工事の様子も。巻上機室は完全に撤去、左手の管理棟もすっぽり足場で覆われています。住吉水門同様、こちらも改築するのでしょうか。
●豊洲への移転も迫っていることだしと、築地市場の川表側の全景を撮っておくことに。空も晴れ渡って光線の塩梅もよろしく、冬の陽をいっぱいに浴びたいい姿を拝めました。
魚介運搬船の横着けもできなくなり、桟橋構造も有名無実化してしばらくたちますが、大川口を賑やかに彩ってきたその存在感は衰えを見せていません。最後の日まで、その威容を誇ってほしいものです。

●周囲の風景ともだいぶなじんできた感のある新第一橋、築地大橋をくぐって港内に出てみましょう。通航船の引き波もだいぶ落ち着いてきて、ぬめったような肌を見せる川面に、青空が映りなかなか爽快な水路風景、冬ならではの澄んだ水と空気が嬉しくなります。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(『27年度川走り納め…9』につづく)

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管理橋が撤去されたくらいで、外見に大きな変化は見られなかったものの、右手の管理棟が新築されたのか、単にリフォームしただけなのか、面目を一新していました。建屋正面には都のマークに「住吉水門」と大書きされ、以前と違ってアピールもしっかり。堰柱や巻上機室のデザインは、どんなものになるのでしょうね。

●前回は説明板が撮れなかったので、雪辱とばかり舵を切って接近。流れも複雑で、通航船の引き波も絶えない水域とあって、3度再挑戦して、ようやく見られるものが1枚撮れました。
「住吉水門耐震補強工事(その1)」、いや、補強じゃなくて、上回りはほとんど新築だと思うのですが。「その1」が27年11月までとすると、この時点ですでに「その2」にかかっていたことになります。おっ、完成予想図もある! 見たかぎりは鉄骨組みの堰柱のようで、雰囲気的には従来とあまり変わらなそう。巻き上げ装置はチェーンのようですね。

●続いて「3月29日のお花見水路…4」で触れた、月島川水門の工事の様子も。巻上機室は完全に撤去、左手の管理棟もすっぽり足場で覆われています。住吉水門同様、こちらも改築するのでしょうか。

魚介運搬船の横着けもできなくなり、桟橋構造も有名無実化してしばらくたちますが、大川口を賑やかに彩ってきたその存在感は衰えを見せていません。最後の日まで、その威容を誇ってほしいものです。

●周囲の風景ともだいぶなじんできた感のある新第一橋、築地大橋をくぐって港内に出てみましょう。通航船の引き波もだいぶ落ち着いてきて、ぬめったような肌を見せる川面に、青空が映りなかなか爽快な水路風景、冬ならではの澄んだ水と空気が嬉しくなります。
【撮影地点のMapion地図】
(27年12月31日撮影)
(『27年度川走り納め…9』につづく)

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