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水路をゆく・第二運河 27年10~12月のご案内

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【ご案内】
水路をゆく・第二運河にようこそ!
モーターボートなのになぜか艪がついている、全長わずか21ft(約6m)の木っ端ブネに乗る道楽船頭は、川や運河をうろつくのが大好き。いにしえの水運全盛期に思いを馳せつつ、閘門・水門や橋、フネブネの姿を楽しみながら、各地の水辺や博物館、遊覧船を訪ね歩くブログです。東京とその近郊にある可航水路の、自艇航行による全線ご紹介を目指しています。

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ボートオーナーの方へ…当ブログに掲載された水路を航行され、事故を起こされても、管理人は責任を負いかねますので、航行にあたっては、各艇長の責任で安全航行をお願いいたします。

当ブログは、Doblog「水路をゆく」の姉妹ブログとして、20年4月6日に開設、「航行水路メモ」を主な記事にしてまいりましたが、21年2月8日以降、Doblogに障害が発生、更新が不可能になったため、本文記事をこちらで継続することとなりました。
なお、閉鎖されたDoblog「水路をゆく」の記事は、FC2ブログ「水路をゆく 過去ログ」に移設しました。

【更新履歴】
【12月31日】今年もお陰さまで、事故なく川走りと水辺探訪を楽しむことができました。ブログにお越しくださった皆様、取材などでお世話になった皆様に、改めて御礼申し上げます。皆様にとって新年がよい年でありますよう、お祈り申し上げます。
【12月13日更新】タイトルバック画像を更新しました。最上川、さみだれ大堰舟通しです。27年11月22日撮影。
【11月30日更新】タイトルバック画像を更新しました。最上川の取水施設、草薙頭首工です。27年11月22日撮影。
【11月19日更新】タイトルバック画像を更新しました。砂町運河、新砂水門の北側操作室です。27年10月4日撮影。
【11月3日更新】タイトルバック画像を更新しました。京葉線荒川橋梁ほか、荒川河口の橋梁群を下流側から見たところ。27年10月4日撮影。
【10月18日更新】タイトルバック画像を更新しました。新中川、今井水門を上流側から。27年10月4日撮影。
【10月4日更新】タイトルバック画像を更新しました。江戸川閘門、開放中の後扉室ゲートを仰いで。27年10月4日撮影。

日和山公園と山居倉庫

(『下瀬閘門を訪ねて』のつづき)

183116.jpg江戸から明治にかけて、最上川舟運がもたらした富を、内貿海運である北前航路への中継ぎをすることで栄えてきた酒田は、いわば水運によって一時代を築いた街です。

当然、往時をしのばせる史跡がいくつも残っているわけですが、今回は代表的ともいえる二つ、日和山公園と山居倉庫を訪ね、この小旅行の締めとしました。

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タグ : 酒田港巡視船和船日和山公園山居倉庫新井田川

下瀬閘門跡を訪ねて

(『酒田港の官船2隻』のつづき)

183101.jpg酒田港を訪ねた第一の目的は、最上川本流と酒田港の間にかつて存在した、下瀬閘門の跡をぜひ見ておきたかったからです。

この閘門を知ったのは、以前入手した古い絵葉書の写真から。この絵葉書こそ、私が最上川舟運を意識したきっかけでもあります。今回の小旅行は、この一枚から始まったといってもいい過ぎではありません。まずはその絵葉書からご覧いただきましょう。
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タグ : 下瀬閘門閘門最上川酒田港絵葉書・古写真

酒田港の官船二隻

(『北楯頭首工と北楯堰…2』のつづき)

183096.jpg最上峡を離れ、酒田の市街へ向かうことにしました。相変わらず陽はさんさんと降り注ぎ、刈り入れを終えた田んぼからの照り返しが、まぶしいくらいです。

道々、田んぼに結構な白鳥の群れがおり、トリ好きとしては見逃せずに寄り道して一枚。ぺったりと座ってくつろいだ様子が、実に可愛らしいですね。後で聞いたところでは、最上川畔の飛来地で餌付けが禁止されたため、周囲の田んぼに落ち穂を求めて、白鳥の群れが分散するようになったとのこと。

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最上川舟運の終点であり、かつては北前航路の重要な寄港地であった酒田港には、魅力的な水運趣味スポットがいくつかあります。かねてから訪ねたかった、ある場所を目指して移動中‥‥おおお? 写真のような光景が目に入ってしまいました! これは見ておかなければウソでしょうと、またも寄り道に。

山形県警の警備艇、「はぐろ」! 船底清掃も兼ねた再塗装で上架中なのか、隅々まで美しく塗り上げられ、ピカピカですね。

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せっかくですから、真正面よりいいお顔を。爽やかな空と海風吹く中、艇も整備成って晴れ晴れとした表情に見えます。

バックに広がる酒田港の第一印象は、漁船を中心としてもやうフネブネも多く、岸壁や上屋もきれいで、まさに盛業中といった感じ。港として賑わっているさまが、一見しただけでも伝わってくるようでした。

183099.jpg上架されているとなれば、船底の様子も眺めておきたいもの。真鍮色に輝くプロペラと軸周り、そして舵も。こちらは塗料を剥がしたばかりなのか、すっかり生地があらわになっています。再塗装はこれからのようですね。

他府県の官船(自治体なので、『官』はおかしいかな?)を目にできる機会は、ごく限られるので、この出会いは実に嬉しかったものです。まして上架状態で間近に堪能できるとくれば、嬉しさも倍増であります。


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「はぐろ」の向こうには、岸壁にもやうもう一隻の官船が! 「山形県漁業監視調査船」と甲板室に大書きした艇の名は「峯月」!  どちらも旧海軍艦艇っぽい名前でイイなあ。

船底色の鮮やかさを見るに、この艇も塗り替え成って間もないのでしょうか。グレーの船体が巡視艇の旧塗装を思わせて、官船らしい引き締まった好ましい雰囲気。いや~、一隻ならず二隻までも! 寄り道してよかったです、はい。
撮影地点のMapion地図

(27年11月22日撮影)

(『下瀬閘門跡を訪ねて』につづく)

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タグ : 警備艇漁業監視艇酒田港水辺の鳥たち

北楯頭首工と北楯堰…2

(『北楯頭首工と北楯堰…1』のつづき)

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水路に沿って県道45号線を東へ進むと、やがて水路は90度近く流路を曲げ、県道の下をくぐって北上するかたちになりました。ここが先ほど、樋門を目にした地点です。

道から降りてみると、水路の屈曲に沈砂池らしい水面があって、それを囲むように3つの水門があり、そのうち一つは県道の下に至る本流を管制している造り。写真の水門がそれですが、目はすでに左の、古そうな樋門に吸い寄せられていました。往きの道路上からはわからなかったので、これは嬉しい伏兵です!

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5径間、コンクリート製ながら、竣工6~70年は下らない雰囲気。水路の改良とともに、上写真の新しい水門が完成したことで、すでに役目は終えたのでしょう、扉体や巻上装置はきれいに取り外されていました。

樋門の左右に伸びる護岸も石垣製で、この灌漑水路が古くから利用されてきたことを感じさせました。さて、せっかく出会ったのだから、せめて名前が知りたいところ。銘板や竣工記念碑のたぐいがあればと、周囲を嗅ぎ回ってみることに。

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裏側は管理橋というか、扉体を操作するための足場があつらえられていて、可愛らしい親柱もあったのですが、銘板のたぐいはなし。しかし、星霜を経たコンクリートの肌といい、鳥居を思わせる梁の張り出しといい、実に味がありますね。梁の天には、径間と同じ数だけセメントで塞いだ穴の跡が見られ、扉体を上下するスピンドルか何かが、梁を貫いていたことがわかりました。

県道を渡った東岸には、水神大権現を祀った小さな祠があり、お賽銭を奉納してご挨拶したものの、他に水路に関連した碑などは見当たらず、ちょっと拍子抜けした思い。

ちなみに県道の橋(下写真)は、4枚の銘板があり、写真のものから反時計回りに「北楯堰橋」、「北楯大堰」、「きただてせきはし」、「昭和51年3月拡巾」とありました。

う~ん、「大堰」はいくらなんでも盛り過ぎだなあ、今の北楯頭首工に当たる、旧取水堰を指しているのかしら? それにしても、堰から遠く隔たった灌漑水路の樋門を渡る橋に、「大堰」の名を掲げるのはいかにも違和感があります。ハテ? この謎は、ずいぶん後に解明されることになりました。

183094.jpg帰宅後、しばらくたってから検索してみると、「北楯大堰 周辺マップ」なる、カラー2ページのPDFがヒット。

それによると、どうも「北楯大堰」は、この灌漑水路そのものを指す呼び名のようだと知って、驚きました。さらに、慶長17(1612)年に開鑿された、実に竣功398年を数える歴史ある用水であり、しかも「日本の疏水百選」にも選ばれているとのこと。まあ何というか、三度ビックリとしかいいようがありませなんだ。

取水施設の名がそのまま水路名になっているとは、意外を通り越して斜め上の感がありましたが、一番知りたかったこの古い樋門の名は、PDFの地図でもなぜか触れられておらず、わからずじまい。何やら、モヤモヤ感のみ残ったという結末ではありました。

183095.jpgというわけで、水路に関する遺物は見つからなかったものの、むしろ最初に引き寄せられたのがこちら。橋の西詰北側、山裾を小高く削平してあり、石碑らしいものもいくつかあって、非常に目立ちます。

左端にある石碑の碑文をざっと読み下してみると、この地は戊辰戦役の古戦場で、碑の右にいくつかある墓石は、この地で斃れた官軍兵士のお墓なのだそう。思わず手を合わせましたが、驚かされたのは賛助者の芳名に、首相時代の岸信介以下、当時の閣僚や山形県知事などが名を連ね、右端の大きな石碑も、岸首相の揮毫によるものだったことです。

そういえば、この北にある集落・清川も、幕末の活躍で知られる、清河八郎の生誕地なのだそうですね。頭首工や樋門に惹かれて、知らないうちに、濃厚な歴史スポットに迷い込んでいたというお粗末でした。
撮影地点のMapion地図

(27年11月22日撮影)

(『酒田港の官船二隻』につづく)

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タグ : 北楯堰立谷沢川