水路をゆく・第二運河 27年10~12月のご案内

【ご案内】
■「水路をゆく・第二運河」にようこそ!
モーターボートなのになぜか艪がついている、全長わずか21ft(約6m)の木っ端ブネに乗る道楽船頭は、川や運河をうろつくのが大好き。いにしえの水運全盛期に思いを馳せつつ、閘門・水門や橋、フネブネの姿を楽しみながら、各地の水辺や博物館、遊覧船を訪ね歩くブログです。東京とその近郊にある可航水路の、自艇航行による全線ご紹介を目指しています。
■画像は、クリックすると別窓・別タブで拡大表示できます(初期のものには、原寸掲載で拡大しないものもあります)。
■当ブログ掲載の本文、画像の無断使用はお断りいたします。
■いただいたコメントは、管理人承認後の表示となります。
■誹謗中傷が含まれるもの、公序良俗に反するもの、当ブログの趣旨にそぐわないものなど、コメントの内容によっては、管理人の判断で削除させていただく場合があります。悪しからずご了承ください。
■各記事と関連のないコメントは、できれば、この「ご案内」のコメント欄にお願いいたします。
■お問い合わせなどありましたら、右欄最下段のメールフォーム「船頭に電信を打電」よりお願いいたします。
■ボートオーナーの方へ…当ブログに掲載された水路を航行され、事故を起こされても、管理人は責任を負いかねますので、航行にあたっては、各艇長の責任で安全航行をお願いいたします。
■当ブログは、Doblog「水路をゆく」の姉妹ブログとして、20年4月6日に開設、「航行水路メモ」を主な記事にしてまいりましたが、21年2月8日以降、Doblogに障害が発生、更新が不可能になったため、本文記事をこちらで継続することとなりました。
■なお、閉鎖されたDoblog「水路をゆく」の記事は、FC2ブログ「水路をゆく 過去ログ」に移設しました。
モーターボートなのになぜか艪がついている、全長わずか21ft(約6m)の木っ端ブネに乗る道楽船頭は、川や運河をうろつくのが大好き。いにしえの水運全盛期に思いを馳せつつ、閘門・水門や橋、フネブネの姿を楽しみながら、各地の水辺や博物館、遊覧船を訪ね歩くブログです。東京とその近郊にある可航水路の、自艇航行による全線ご紹介を目指しています。
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■ボートオーナーの方へ…当ブログに掲載された水路を航行され、事故を起こされても、管理人は責任を負いかねますので、航行にあたっては、各艇長の責任で安全航行をお願いいたします。
■当ブログは、Doblog「水路をゆく」の姉妹ブログとして、20年4月6日に開設、「航行水路メモ」を主な記事にしてまいりましたが、21年2月8日以降、Doblogに障害が発生、更新が不可能になったため、本文記事をこちらで継続することとなりました。
■なお、閉鎖されたDoblog「水路をゆく」の記事は、FC2ブログ「水路をゆく 過去ログ」に移設しました。
【更新履歴】
■【12月31日】今年もお陰さまで、事故なく川走りと水辺探訪を楽しむことができました。ブログにお越しくださった皆様、取材などでお世話になった皆様に、改めて御礼申し上げます。皆様にとって新年がよい年でありますよう、お祈り申し上げます。
■【12月13日更新】タイトルバック画像を更新しました。最上川、さみだれ大堰舟通しです。27年11月22日撮影。
■【11月30日更新】タイトルバック画像を更新しました。最上川の取水施設、草薙頭首工です。27年11月22日撮影。
■【11月19日更新】タイトルバック画像を更新しました。砂町運河、新砂水門の北側操作室です。27年10月4日撮影。
■【11月3日更新】タイトルバック画像を更新しました。京葉線荒川橋梁ほか、荒川河口の橋梁群を下流側から見たところ。27年10月4日撮影。
■【10月18日更新】タイトルバック画像を更新しました。新中川、今井水門を上流側から。27年10月4日撮影。
■【10月4日更新】タイトルバック画像を更新しました。江戸川閘門、開放中の後扉室ゲートを仰いで。27年10月4日撮影。
■【12月13日更新】タイトルバック画像を更新しました。最上川、さみだれ大堰舟通しです。27年11月22日撮影。
■【11月30日更新】タイトルバック画像を更新しました。最上川の取水施設、草薙頭首工です。27年11月22日撮影。
■【11月19日更新】タイトルバック画像を更新しました。砂町運河、新砂水門の北側操作室です。27年10月4日撮影。
■【11月3日更新】タイトルバック画像を更新しました。京葉線荒川橋梁ほか、荒川河口の橋梁群を下流側から見たところ。27年10月4日撮影。
■【10月18日更新】タイトルバック画像を更新しました。新中川、今井水門を上流側から。27年10月4日撮影。
■【10月4日更新】タイトルバック画像を更新しました。江戸川閘門、開放中の後扉室ゲートを仰いで。27年10月4日撮影。
酒田港の官船二隻
(『北楯頭首工と北楯堰…2』のつづき)
●最上峡を離れ、酒田の市街へ向かうことにしました。相変わらず陽はさんさんと降り注ぎ、刈り入れを終えた田んぼからの照り返しが、まぶしいくらいです。
道々、田んぼに結構な白鳥の群れがおり、トリ好きとしては見逃せずに寄り道して一枚。ぺったりと座ってくつろいだ様子が、実に可愛らしいですね。後で聞いたところでは、最上川畔の飛来地で餌付けが禁止されたため、周囲の田んぼに落ち穂を求めて、白鳥の群れが分散するようになったとのこと。

●最上川舟運の終点であり、かつては北前航路の重要な寄港地であった酒田港には、魅力的な水運趣味スポットがいくつかあります。かねてから訪ねたかった、ある場所を目指して移動中‥‥おおお? 写真のような光景が目に入ってしまいました! これは見ておかなければウソでしょうと、またも寄り道に。
山形県警の警備艇、「はぐろ」! 船底清掃も兼ねた再塗装で上架中なのか、隅々まで美しく塗り上げられ、ピカピカですね。

●せっかくですから、真正面よりいいお顔を。爽やかな空と海風吹く中、艇も整備成って晴れ晴れとした表情に見えます。
バックに広がる酒田港の第一印象は、漁船を中心としてもやうフネブネも多く、岸壁や上屋もきれいで、まさに盛業中といった感じ。港として賑わっているさまが、一見しただけでも伝わってくるようでした。
●上架されているとなれば、船底の様子も眺めておきたいもの。真鍮色に輝くプロペラと軸周り、そして舵も。こちらは塗料を剥がしたばかりなのか、すっかり生地があらわになっています。再塗装はこれからのようですね。
他府県の官船(自治体なので、『官』はおかしいかな?)を目にできる機会は、ごく限られるので、この出会いは実に嬉しかったものです。まして上架状態で間近に堪能できるとくれば、嬉しさも倍増であります。

●「はぐろ」の向こうには、岸壁にもやうもう一隻の官船が! 「山形県漁業監視調査船」と甲板室に大書きした艇の名は「峯月」! どちらも旧海軍艦艇っぽい名前でイイなあ。
船底色の鮮やかさを見るに、この艇も塗り替え成って間もないのでしょうか。グレーの船体が巡視艇の旧塗装を思わせて、官船らしい引き締まった好ましい雰囲気。いや~、一隻ならず二隻までも! 寄り道してよかったです、はい。
【撮影地点のMapion地図】
(27年11月22日撮影)
(『下瀬閘門跡を訪ねて』につづく)

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道々、田んぼに結構な白鳥の群れがおり、トリ好きとしては見逃せずに寄り道して一枚。ぺったりと座ってくつろいだ様子が、実に可愛らしいですね。後で聞いたところでは、最上川畔の飛来地で餌付けが禁止されたため、周囲の田んぼに落ち穂を求めて、白鳥の群れが分散するようになったとのこと。

●最上川舟運の終点であり、かつては北前航路の重要な寄港地であった酒田港には、魅力的な水運趣味スポットがいくつかあります。かねてから訪ねたかった、ある場所を目指して移動中‥‥おおお? 写真のような光景が目に入ってしまいました! これは見ておかなければウソでしょうと、またも寄り道に。
山形県警の警備艇、「はぐろ」! 船底清掃も兼ねた再塗装で上架中なのか、隅々まで美しく塗り上げられ、ピカピカですね。

●せっかくですから、真正面よりいいお顔を。爽やかな空と海風吹く中、艇も整備成って晴れ晴れとした表情に見えます。
バックに広がる酒田港の第一印象は、漁船を中心としてもやうフネブネも多く、岸壁や上屋もきれいで、まさに盛業中といった感じ。港として賑わっているさまが、一見しただけでも伝わってくるようでした。

他府県の官船(自治体なので、『官』はおかしいかな?)を目にできる機会は、ごく限られるので、この出会いは実に嬉しかったものです。まして上架状態で間近に堪能できるとくれば、嬉しさも倍増であります。

●「はぐろ」の向こうには、岸壁にもやうもう一隻の官船が! 「山形県漁業監視調査船」と甲板室に大書きした艇の名は「峯月」! どちらも旧海軍艦艇っぽい名前でイイなあ。
船底色の鮮やかさを見るに、この艇も塗り替え成って間もないのでしょうか。グレーの船体が巡視艇の旧塗装を思わせて、官船らしい引き締まった好ましい雰囲気。いや~、一隻ならず二隻までも! 寄り道してよかったです、はい。
【撮影地点のMapion地図】
(27年11月22日撮影)
(『下瀬閘門跡を訪ねて』につづく)

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北楯頭首工と北楯堰…2
(『北楯頭首工と北楯堰…1』のつづき)

●水路に沿って県道45号線を東へ進むと、やがて水路は90度近く流路を曲げ、県道の下をくぐって北上するかたちになりました。ここが先ほど、樋門を目にした地点です。
道から降りてみると、水路の屈曲に沈砂池らしい水面があって、それを囲むように3つの水門があり、そのうち一つは県道の下に至る本流を管制している造り。写真の水門がそれですが、目はすでに左の、古そうな樋門に吸い寄せられていました。往きの道路上からはわからなかったので、これは嬉しい伏兵です!

●5径間、コンクリート製ながら、竣工6~70年は下らない雰囲気。水路の改良とともに、上写真の新しい水門が完成したことで、すでに役目は終えたのでしょう、扉体や巻上装置はきれいに取り外されていました。
樋門の左右に伸びる護岸も石垣製で、この灌漑水路が古くから利用されてきたことを感じさせました。さて、せっかく出会ったのだから、せめて名前が知りたいところ。銘板や竣工記念碑のたぐいがあればと、周囲を嗅ぎ回ってみることに。

●裏側は管理橋というか、扉体を操作するための足場があつらえられていて、可愛らしい親柱もあったのですが、銘板のたぐいはなし。しかし、星霜を経たコンクリートの肌といい、鳥居を思わせる梁の張り出しといい、実に味がありますね。梁の天には、径間と同じ数だけセメントで塞いだ穴の跡が見られ、扉体を上下するスピンドルか何かが、梁を貫いていたことがわかりました。
県道を渡った東岸には、水神大権現を祀った小さな祠があり、お賽銭を奉納してご挨拶したものの、他に水路に関連した碑などは見当たらず、ちょっと拍子抜けした思い。
●ちなみに県道の橋(下写真)は、4枚の銘板があり、写真のものから反時計回りに「北楯堰橋」、「北楯大堰」、「きただてせきはし」、「昭和51年3月拡巾」とありました。
う~ん、「大堰」はいくらなんでも盛り過ぎだなあ、今の北楯頭首工に当たる、旧取水堰を指しているのかしら? それにしても、堰から遠く隔たった灌漑水路の樋門を渡る橋に、「大堰」の名を掲げるのはいかにも違和感があります。ハテ? この謎は、ずいぶん後に解明されることになりました。
●帰宅後、しばらくたってから検索してみると、「北楯大堰 周辺マップ」なる、カラー2ページのPDFがヒット。
それによると、どうも「北楯大堰」は、この灌漑水路そのものを指す呼び名のようだと知って、驚きました。さらに、慶長17(1612)年に開鑿された、実に竣功398年を数える歴史ある用水であり、しかも「日本の疏水百選」にも選ばれているとのこと。まあ何というか、三度ビックリとしかいいようがありませなんだ。
取水施設の名がそのまま水路名になっているとは、意外を通り越して斜め上の感がありましたが、一番知りたかったこの古い樋門の名は、PDFの地図でもなぜか触れられておらず、わからずじまい。何やら、モヤモヤ感のみ残ったという結末ではありました。
●というわけで、水路に関する遺物は見つからなかったものの、むしろ最初に引き寄せられたのがこちら。橋の西詰北側、山裾を小高く削平してあり、石碑らしいものもいくつかあって、非常に目立ちます。
左端にある石碑の碑文をざっと読み下してみると、この地は戊辰戦役の古戦場で、碑の右にいくつかある墓石は、この地で斃れた官軍兵士のお墓なのだそう。思わず手を合わせましたが、驚かされたのは賛助者の芳名に、首相時代の岸信介以下、当時の閣僚や山形県知事などが名を連ね、右端の大きな石碑も、岸首相の揮毫によるものだったことです。
そういえば、この北にある集落・清川も、幕末の活躍で知られる、清河八郎の生誕地なのだそうですね。頭首工や樋門に惹かれて、知らないうちに、濃厚な歴史スポットに迷い込んでいたというお粗末でした。
【撮影地点のMapion地図】
(27年11月22日撮影)
(『酒田港の官船二隻』につづく)

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●水路に沿って県道45号線を東へ進むと、やがて水路は90度近く流路を曲げ、県道の下をくぐって北上するかたちになりました。ここが先ほど、樋門を目にした地点です。
道から降りてみると、水路の屈曲に沈砂池らしい水面があって、それを囲むように3つの水門があり、そのうち一つは県道の下に至る本流を管制している造り。写真の水門がそれですが、目はすでに左の、古そうな樋門に吸い寄せられていました。往きの道路上からはわからなかったので、これは嬉しい伏兵です!

●5径間、コンクリート製ながら、竣工6~70年は下らない雰囲気。水路の改良とともに、上写真の新しい水門が完成したことで、すでに役目は終えたのでしょう、扉体や巻上装置はきれいに取り外されていました。
樋門の左右に伸びる護岸も石垣製で、この灌漑水路が古くから利用されてきたことを感じさせました。さて、せっかく出会ったのだから、せめて名前が知りたいところ。銘板や竣工記念碑のたぐいがあればと、周囲を嗅ぎ回ってみることに。

●裏側は管理橋というか、扉体を操作するための足場があつらえられていて、可愛らしい親柱もあったのですが、銘板のたぐいはなし。しかし、星霜を経たコンクリートの肌といい、鳥居を思わせる梁の張り出しといい、実に味がありますね。梁の天には、径間と同じ数だけセメントで塞いだ穴の跡が見られ、扉体を上下するスピンドルか何かが、梁を貫いていたことがわかりました。
県道を渡った東岸には、水神大権現を祀った小さな祠があり、お賽銭を奉納してご挨拶したものの、他に水路に関連した碑などは見当たらず、ちょっと拍子抜けした思い。
●ちなみに県道の橋(下写真)は、4枚の銘板があり、写真のものから反時計回りに「北楯堰橋」、「北楯大堰」、「きただてせきはし」、「昭和51年3月拡巾」とありました。
う~ん、「大堰」はいくらなんでも盛り過ぎだなあ、今の北楯頭首工に当たる、旧取水堰を指しているのかしら? それにしても、堰から遠く隔たった灌漑水路の樋門を渡る橋に、「大堰」の名を掲げるのはいかにも違和感があります。ハテ? この謎は、ずいぶん後に解明されることになりました。

それによると、どうも「北楯大堰」は、この灌漑水路そのものを指す呼び名のようだと知って、驚きました。さらに、慶長17(1612)年に開鑿された、実に竣功398年を数える歴史ある用水であり、しかも「日本の疏水百選」にも選ばれているとのこと。まあ何というか、三度ビックリとしかいいようがありませなんだ。
取水施設の名がそのまま水路名になっているとは、意外を通り越して斜め上の感がありましたが、一番知りたかったこの古い樋門の名は、PDFの地図でもなぜか触れられておらず、わからずじまい。何やら、モヤモヤ感のみ残ったという結末ではありました。

左端にある石碑の碑文をざっと読み下してみると、この地は戊辰戦役の古戦場で、碑の右にいくつかある墓石は、この地で斃れた官軍兵士のお墓なのだそう。思わず手を合わせましたが、驚かされたのは賛助者の芳名に、首相時代の岸信介以下、当時の閣僚や山形県知事などが名を連ね、右端の大きな石碑も、岸首相の揮毫によるものだったことです。
そういえば、この北にある集落・清川も、幕末の活躍で知られる、清河八郎の生誕地なのだそうですね。頭首工や樋門に惹かれて、知らないうちに、濃厚な歴史スポットに迷い込んでいたというお粗末でした。
【撮影地点のMapion地図】
(27年11月22日撮影)
(『酒田港の官船二隻』につづく)

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