9月20日の水路風景…6
(『9月20日の水路風景…5』のつづき)
●晴海埠頭に沿って遡上(?)し、ららぽーとを正面に見ながら左折、春海運河の最奥部に入ったところで、ショッキングな光景を目にすることになりました。
太平洋セメント・小野田レミコンのプラント設備が無くなっている!
いや、まだ残っている部分はありましたから、撤去工事中といったところですが、左半分は見たところすでに更地に近いようで、解体に携わるクレーンが目立つばかりとなっていました。
【撮影地点のMapion地図】

●右半分はまだ原形を留めていますが、建屋は足場でおおわれ、姿を消す日がそう遠くないことを感じさせます。埠頭南東岸の貨物用上屋やクレーンは、すでにほとんどが撤去されてしまいましたし、この工事を持って、晴海埠頭の貨物扱いは、完全に終焉を迎えることになるのでしょう。
しかし、水路をうろつくようになってから、川や運河畔で活躍してきた荷役設備を、いくつ見送ってきたことか‥‥。舟運が衰退してすでに久しく、最近まで生き残ってきたものは、いうなれば最後の一握り。このペースでゆくと、東京の水路から小型の内航船や艀による輸送が絶滅する瞬間に、立ち会うことになるのかもしれません‥‥。
●例によって、この機会に現役時代をしのんでおこうと、24年2月12日に撮った写真(『ゲートブリッジの開通した日…6』参照)を二枚。
舷側の抜き文字が素敵だった「第参拾八龍丸」、青く塗りあげた船体の「第一たかお丸」が並んで荷役する姿です。晴海大橋ができてからは、マストを折りたたんで、首をすくめるようにして入港してくるシーンが印象的でした。

●アンローダーは、ダブルリンク引込みクレーン式。すでに両岸には高層マンション群が迫り、肩身の狭い思いをしたことでしょう。
この対岸が石川島の造船所で、水路狭しと巨船が横付けし活気にあふれていたことが、つい昨日のことのように思い出されます。

●何とも寂しいことではありましたが、秋晴れの下、撤去中に立ち会えただけでもよしとして、スロットルを倒し帰路へ。
厳しかった猛暑も遠く去り、雨続きの週末からもどうやら脱出できそうな気配、水路行に最も適した季節を迎えて、もう少しお散歩の頻度を上げてゆきたいものですね。
(27年9月20日撮影)
(この項おわり)

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太平洋セメント・小野田レミコンのプラント設備が無くなっている!
いや、まだ残っている部分はありましたから、撤去工事中といったところですが、左半分は見たところすでに更地に近いようで、解体に携わるクレーンが目立つばかりとなっていました。
【撮影地点のMapion地図】

●右半分はまだ原形を留めていますが、建屋は足場でおおわれ、姿を消す日がそう遠くないことを感じさせます。埠頭南東岸の貨物用上屋やクレーンは、すでにほとんどが撤去されてしまいましたし、この工事を持って、晴海埠頭の貨物扱いは、完全に終焉を迎えることになるのでしょう。
しかし、水路をうろつくようになってから、川や運河畔で活躍してきた荷役設備を、いくつ見送ってきたことか‥‥。舟運が衰退してすでに久しく、最近まで生き残ってきたものは、いうなれば最後の一握り。このペースでゆくと、東京の水路から小型の内航船や艀による輸送が絶滅する瞬間に、立ち会うことになるのかもしれません‥‥。

舷側の抜き文字が素敵だった「第参拾八龍丸」、青く塗りあげた船体の「第一たかお丸」が並んで荷役する姿です。晴海大橋ができてからは、マストを折りたたんで、首をすくめるようにして入港してくるシーンが印象的でした。

●アンローダーは、ダブルリンク引込みクレーン式。すでに両岸には高層マンション群が迫り、肩身の狭い思いをしたことでしょう。
この対岸が石川島の造船所で、水路狭しと巨船が横付けし活気にあふれていたことが、つい昨日のことのように思い出されます。

●何とも寂しいことではありましたが、秋晴れの下、撤去中に立ち会えただけでもよしとして、スロットルを倒し帰路へ。
厳しかった猛暑も遠く去り、雨続きの週末からもどうやら脱出できそうな気配、水路行に最も適した季節を迎えて、もう少しお散歩の頻度を上げてゆきたいものですね。
(27年9月20日撮影)
(この項おわり)

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