松川にもやう舟たち…2
(『松川にもやう舟たち…1』のつづき)
●橋齢(?)相応に古びたRCラーメンの梁が、頭上低く迫っていたのは入って間もなくまでで、すぐにのっぺりとしたスラブの平天井になりました。昭和11年生まれの安野屋橋はほんの一部で、今やその大半が、後に拡幅されたものなのです。
続いて現われた2杯の舟も、中にこれといった船具は見られず、少々ほこりをかぶった状態。橋の下なら、スカッパー(喫水線上の排水口)がない和船でも、水が溜まることがない反面、ほこりっぽくなってはしまいますね。
あっ、そういえば、松川水門の下流で見た舟、露天繋留なのに、水が溜まっていなかったなあ‥‥。使われていないと思ったのは勘違いで、きちんと管理されているのかもしれません。

●安野屋橋の「地下道」から河畔の道へ登ると、一本下流の橋の下にも、繋留されている舟がある‥‥ええい、ここまで来たらアレも見ておこうと、走ること走ること。
荒い息でのぞき込むと、ひいふうみい、何と9つ! 桁から取ったもやいにぶら下がるようにして、流れに揺られてゴトゴトと音を立てつつ、思い思いの方を向いて憩うフネブネ。どこか、賑やかに語り合っているように思えたものでした。
中でも気になったのは、青く塗られた幅の広い舟。前回、松川で棹舟に乗ったときのそれによく似ています。もしかしたら、使われなくなった観光舟なのかもしれません。
●いや~、松川がこれほど船影濃い川だったとは! 現状はどうだかわかりませんでしたが、少なくとも近年まで、結構な数の舟が現役で頑張っていた証拠を目の当たりにして、松川への認識が変わりました。棹舟中心とはいえ、立派な実用可航水路だったのですね。
松川橋の親柱は、一本水押の和船を模した素敵なつくり。ふと足元を見ると、青銅製らしい先代橋の銘板(下写真)も残されていました。昭和26年3月竣工、現在の橋は平成8年2月竣工とのこと。


●気軽に夕食前の散策と思っていたお出かけが、濃厚かつ興奮のひとときとなってしまいました。楽しかったですが、だいぶ疲れが‥‥。電停のベンチにへたり込んで、しばし休憩です。
おりしも下り線を去ってゆく電車は、子供のころに乗った都電を思い出させるような、オヘソライトにZビューゲルの懐かしいタイプ。赤いテールランプを見せながら、側面に夕日を反射させて富山大橋を渡る姿が素敵で、疲れも少し抜けたような気分になったものでした。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月20日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…1』につづく)

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続いて現われた2杯の舟も、中にこれといった船具は見られず、少々ほこりをかぶった状態。橋の下なら、スカッパー(喫水線上の排水口)がない和船でも、水が溜まることがない反面、ほこりっぽくなってはしまいますね。
あっ、そういえば、松川水門の下流で見た舟、露天繋留なのに、水が溜まっていなかったなあ‥‥。使われていないと思ったのは勘違いで、きちんと管理されているのかもしれません。

●安野屋橋の「地下道」から河畔の道へ登ると、一本下流の橋の下にも、繋留されている舟がある‥‥ええい、ここまで来たらアレも見ておこうと、走ること走ること。
荒い息でのぞき込むと、ひいふうみい、何と9つ! 桁から取ったもやいにぶら下がるようにして、流れに揺られてゴトゴトと音を立てつつ、思い思いの方を向いて憩うフネブネ。どこか、賑やかに語り合っているように思えたものでした。
中でも気になったのは、青く塗られた幅の広い舟。前回、松川で棹舟に乗ったときのそれによく似ています。もしかしたら、使われなくなった観光舟なのかもしれません。

松川橋の親柱は、一本水押の和船を模した素敵なつくり。ふと足元を見ると、青銅製らしい先代橋の銘板(下写真)も残されていました。昭和26年3月竣工、現在の橋は平成8年2月竣工とのこと。


●気軽に夕食前の散策と思っていたお出かけが、濃厚かつ興奮のひとときとなってしまいました。楽しかったですが、だいぶ疲れが‥‥。電停のベンチにへたり込んで、しばし休憩です。
おりしも下り線を去ってゆく電車は、子供のころに乗った都電を思い出させるような、オヘソライトにZビューゲルの懐かしいタイプ。赤いテールランプを見せながら、側面に夕日を反射させて富山大橋を渡る姿が素敵で、疲れも少し抜けたような気分になったものでした。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月20日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…1』につづく)

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タグ : 松川
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