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松川にもやう舟たち…1

(『富山の極小閘門! 松川舟通し水門…4』のつづき)

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そろそろ日も暮れてきたので、宿に戻るとしましょう。幸い300mほど北上すれば、富山大橋東詰の安野屋電停があり、市内線に乗って帰ることができます。

お別れにもう一度松川水門の前に寄り、下流を眺めてみました。すぐ先で桜並木とテラスが途切れ、水際まで家並の迫る、都市河川の顔を見せ始める区間‥‥。あっ、あそこに舟がもやっている! 見どころの多い松川、なかなかすんなりと帰らせてくれません。 

175142.jpg舟のもやう岸には、おあつらえ向きに児童遊園があったので、柵越しに舟を眺めることができました。せっかくだからと、松川水門を振り返って一枚。

仕切堤ともいうべき土堤が松川の流路を横断していて、松川水門はその土堤に設けられた、樋門であることがわかります。水門の近く、水面に低い落差があるようですね。棹舟なら、このくらいは何とか乗り越えて、舟通しに到達できるのかなあ。


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舟通しの中にいた舟とは対照的に、胴の間には船具らしい船具も見られず、使われなくなって相当の時間が経ったとおぼしき雰囲気。これが純木造であれば、すでに半ば腐朽して、沈みかけていたに違いありません。

護岸には頑丈そうな鉄製の踏み段が設けられて、もやいの一端は鎖につながれているところを見るに、この河岸を定繋地として久しいのでしょう。かつては舟通しをくぐって、神通川に出漁していた漁舟でしょうか。

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道は河畔を離れ、しばらく住宅地の間を進むと、県道44号線の側道に出ました。ここで右へ折れ、横断歩道を渡れば電停なのですが、手前に見えた松川を渡る橋、「安野屋橋」がまた気になって、またしても引っかかることに。

あっ、橋の下に降りる階段があるぞ? 道幅が広いので、橋の下をいわば地下道として利用しているようです。階段を下りると‥‥おおお! これは魅力的なRC橋ですね! 橋詰へ流れるような曲面をなす石張りの高欄、ラーメンの下部構造も昭和初期風。明らかに、震災復興橋と近い世代の匂いがします。

帰宅後に検索したところ、「松川の橋めぐり」(富山インターネット市民塾)なるPDFがヒット。それによれば、昭和11年竣工とのことでした。やはり!

175145.jpg高欄を撫でまわしたり、銘板を探しに戻らなかったのは、上の写真にもちらりと写っているように、橋の下の薄暗がりから、舟のへさきが顔を出していたからです。ううう、本当に帰してくれないなあ松川。

電灯もついていない、少々不気味な橋の下の歩道をずんずん進むと、先ほどのものよりずっと大きな舟が、暗がりの中から次々と現れたのです! 

橋の下を船溜にする例は、他地方の川でも見られたので、合点のいく光景ではありました。が、まさか松川がここまで船影濃いとは思わなかったので、大いに驚いたものでした。
撮影地点のMapion地図

(27年6月20日撮影)

(『松川にもやう舟たち…2』につづく)

【27年9月2日追記】
舟通しや高水敷の水路の謎、松川の和船については、解明編「松川の舟通しと和船のことなど」をご覧ください。

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タグ : 松川橋の裏側