松川遊覧船ふたたび…3
(『松川遊覧船ふたたび…2』のつづき)

●船橋をくぐって上流側を見たところ。前回同様、ここで引き返すコースですが、草深い法面を湿しつつ流れるカーブの具合を眺めるにつけ、このままもっと奥まで行ってみたい、という気持ちが強くなりました。
やはり前日、この上流をお散歩したことで、松川に対する親しみがぐっと増したようです。ちなみにこの次の橋が、橋の下に多くの舟がもやっていた松川橋。
●棹舟なら、ここでくるりと転回するところですが、「神通Ⅱ」は船首を上流に向けたまま、後進にかけてふたたび舟橋をくぐり、ゆっくり戻り始めました。
艇の全長も結構あるし、無理して転回するより、そのまま後ずさった方が安全ではあります。でも、このまま鼬川の合流点まで下るのかしら?
●‥‥と思う間もなく、するすると左舷側へ舵を切り、転回の体制に入り始めました。えっ、こんな狭いところで? 見れば、派川の河口に船尾を突っ込んで回そうとしているようです。
前回、河口部に架かる古びたRC橋に目を奪われた、市街地の余水吐けといった風の小派川です。幅も十分あるとはいえず、落とし口の流速は結構なもの。大丈夫なのかなあ‥‥。

●船長は余裕の表情で、造作もなく転回完了。鮮やかなお手並みに、思わず歓声を上げてしまうほど! 船長のご苦労を思うと不謹慎ではありますが、棹舟のときとは違った面白さで、ちょっとしたスリルがありました。
【撮影地点のMapion地図】

●松川茶屋前まで戻り、塩倉橋をくぐったところで、前回の間違いを訂正。RC桁橋だと思っていた塩倉橋ですが、くぐりつつ見上げてみると、中央にはリベットばりばりの鈑桁がずらり! この橋も安野屋橋や安住橋同様、道路拡幅時の増設によって、原形を失った橋だったのですね。
そういえば、現在の橋は昭和27年竣工だと、旧橋の橋台跡に説明があったなあ‥‥。うかつでありました。拡幅で風格ある橋の姿が失われたのは残念ですが、よい方に考えるなら、古い施設の積極活用であり、むしろ埋もれたことで、長きにわたり古い構造が保存される、ということになるのかもしれませんね。
(27年6月21日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…4』につづく)

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●船橋をくぐって上流側を見たところ。前回同様、ここで引き返すコースですが、草深い法面を湿しつつ流れるカーブの具合を眺めるにつけ、このままもっと奥まで行ってみたい、という気持ちが強くなりました。
やはり前日、この上流をお散歩したことで、松川に対する親しみがぐっと増したようです。ちなみにこの次の橋が、橋の下に多くの舟がもやっていた松川橋。

艇の全長も結構あるし、無理して転回するより、そのまま後ずさった方が安全ではあります。でも、このまま鼬川の合流点まで下るのかしら?

前回、河口部に架かる古びたRC橋に目を奪われた、市街地の余水吐けといった風の小派川です。幅も十分あるとはいえず、落とし口の流速は結構なもの。大丈夫なのかなあ‥‥。

●船長は余裕の表情で、造作もなく転回完了。鮮やかなお手並みに、思わず歓声を上げてしまうほど! 船長のご苦労を思うと不謹慎ではありますが、棹舟のときとは違った面白さで、ちょっとしたスリルがありました。
【撮影地点のMapion地図】

●松川茶屋前まで戻り、塩倉橋をくぐったところで、前回の間違いを訂正。RC桁橋だと思っていた塩倉橋ですが、くぐりつつ見上げてみると、中央にはリベットばりばりの鈑桁がずらり! この橋も安野屋橋や安住橋同様、道路拡幅時の増設によって、原形を失った橋だったのですね。
そういえば、現在の橋は昭和27年竣工だと、旧橋の橋台跡に説明があったなあ‥‥。うかつでありました。拡幅で風格ある橋の姿が失われたのは残念ですが、よい方に考えるなら、古い施設の積極活用であり、むしろ埋もれたことで、長きにわたり古い構造が保存される、ということになるのかもしれませんね。
(27年6月21日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…4』につづく)

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松川遊覧船ふたたび…2
(『松川遊覧船ふたたび…1』のつづき)
●もやいを解き、船長がコンソールについた「神通Ⅱ」はエンジン始動、静かに岸を離れてまずは上流へ。舷内外とも、目の覚めるような真紅に塗装され、まるで新造艇のようにピカピカ。可愛がられていることがうかがえました。
船長は舵を取りながら、コンソールに備えられているマイクで見どころの解説をしてくれます。お国なまりの軽妙なトークに耳を傾けつつ、8年ぶりの松川を堪能することに。

●景雲橋を奥に控えたテラスでは、さっそく数羽のアオサギが休んでいるのを発見。前回は船を見ると、泡を喰って逃げる鳥もいましたが、皆さん船の往来に慣れたのか、今回はおしなべてリラックスムードでありました。

●七十二峰橋をくぐって見えてくるのが、RCアーチの安住橋。戦前、昭和8年製の気になる橋なのですが、ご覧のとおり上下流に歩道が併設され、側面のディテールがほとんど見えないという、ちょっと残念な橋でもあります。
近年補修をされたそうで、アーチの裏面はエポキシ塗装されたのか光沢があり、曇り空にもかかわらず、水面に反射してきれいな紡錘形をつくっていました。

●ツルツルのアーチを仰ぎながらくぐってみると‥‥おお、水鏡はさざ波ひとつなく、紡錘形のパイプを空中浮遊しているような、幻想的な眺め。桜の時季に通ったら、橋の向こうは一面の薄桃色で、さぞかし見事だろうと思われました。
安住橋の原型は、本当に格好がいいんですよ。写真がどこかにアップされていないかと探したら、松川遊覧船サイトの「読み物」の1ページ、PDF「富山の風景」に小さいですが写真がありました! 灯台下暗しであります。
●舟橋の南詰で、船長の指さす方を見ると、柵に囲われた古びた石造りの常夜灯が。表面にも刻まれているとおり、何と寛政11年(1799)建立のもので、お伊勢さん信仰にも関連しているとのこと。
かつては城下を洗う神通川の本流が通り、全国でも有数規模の舟橋が架かっていた街道筋であったところ。照明として、またランドマークとして、立派な石灯篭が建てられたのも、うなずける話であります。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月21日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…3』につづく)

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船長は舵を取りながら、コンソールに備えられているマイクで見どころの解説をしてくれます。お国なまりの軽妙なトークに耳を傾けつつ、8年ぶりの松川を堪能することに。

●景雲橋を奥に控えたテラスでは、さっそく数羽のアオサギが休んでいるのを発見。前回は船を見ると、泡を喰って逃げる鳥もいましたが、皆さん船の往来に慣れたのか、今回はおしなべてリラックスムードでありました。

●七十二峰橋をくぐって見えてくるのが、RCアーチの安住橋。戦前、昭和8年製の気になる橋なのですが、ご覧のとおり上下流に歩道が併設され、側面のディテールがほとんど見えないという、ちょっと残念な橋でもあります。
近年補修をされたそうで、アーチの裏面はエポキシ塗装されたのか光沢があり、曇り空にもかかわらず、水面に反射してきれいな紡錘形をつくっていました。

●ツルツルのアーチを仰ぎながらくぐってみると‥‥おお、水鏡はさざ波ひとつなく、紡錘形のパイプを空中浮遊しているような、幻想的な眺め。桜の時季に通ったら、橋の向こうは一面の薄桃色で、さぞかし見事だろうと思われました。
安住橋の原型は、本当に格好がいいんですよ。写真がどこかにアップされていないかと探したら、松川遊覧船サイトの「読み物」の1ページ、PDF「富山の風景」に小さいですが写真がありました! 灯台下暗しであります。

かつては城下を洗う神通川の本流が通り、全国でも有数規模の舟橋が架かっていた街道筋であったところ。照明として、またランドマークとして、立派な石灯篭が建てられたのも、うなずける話であります。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月21日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…3』につづく)

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松川遊覧船ふたたび…1
(『松川にもやう舟たち…2』のつづき)
●明けて6月21日、雲の濃さは前日以上、今にも降り出しそうな空模様です。前夜にも雨が降ったので、富山城の櫓はしっとりと濡れた肌を見せていました。
本日は、お隣の高岡まで足をのばし、高岡古城公園の遊覧船にでも乗ろうか、と考えていました。しかし、前日飛ばし過ぎたのがたたったのか、すっかり寝坊して宿を出るのが遅れ、とても帰りの新幹線には間に合わないことが判明。お天気も心配ではあるしと、市内観光に変更することに。
そうと決まれば向かうのは一つ、前回(過去ログ『松川を棹舟でゆく…1』以下参照)もお世話になった、松川遊覧船(富山観光遊覧船株式会社)に乗ってみることにしたのです。この判断は結果的に、嬉しい出会いをもたらすことになりました。

●道々、水たまりがところどころ残る城址公園を、少しお散歩してみました。前回も眺めた「松川七橋」のうち、間近に見ていなかった景雲橋にご挨拶。遊覧船のコースに数えられながら、唯一舟のくぐれない、眺めるだけの橋です。
ご覧のとおり、泉水に架かる丹塗り風の反橋ですが、赤い高欄が周囲の緑によく映えて、細身の桁も軽快な感じ。泉水には色とりどりの錦鯉が泳いで、水面に映る橋をゆらめかせていました。

●景雲橋のすぐ脇から、松川を渡る七十二峰橋に出ることができました。下流側、塩倉橋と遊覧船の船着場を望んで。
夜来の雨に濡れた木々の葉がつややかで、玉石垣の護岸とあわせ、静かな川面をより素敵に見せています。あれ? もやっている舟の中に、棹舟の姿が見えないなあ‥‥。乗り場である松川茶屋に向かってみましょう。
●松川茶屋への途中、遊具の並ぶ一角にあった保存蒸機、9600型ですね。頑丈そうな屋根が架けられているのが、いかにも雪国らしい感じ。
近寄ってみると、残念ながらあまり状態は良くなく、4枚あるはずのナンバープレートのうち、少なくとも2枚は消え失せて、痛みもだいぶ進んでいます。とはいえ、貨物用機のどっしりとした魅力は味わえて、ちょっとトクをした気分でした。

●松川茶屋で切符を買って、案内された船は意外や、写真の「神通Ⅱ」! 嬉しくなったと同時に、脳内でぐるぐる回る心の叫び、
この船で富岩運河を楽しんでみたかった。
眺望のよいオープン、しかもデッキの広々とした、ポンツンボート風の船型! 思う存分運河風景を楽しめたことでしょう!
後でうかがったところでは、老船頭さんたちが高齢となり、引退されたことで棹舟はすでに無く、かなり前からこの「神通Ⅱ」が、松川遊覧の定期便を担っているとのこと。前回と違った水路行が味わえそうで、曇天につられ下がりがちだったテンションも、もりもりと上がってきました。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月21日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…2』につづく)

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本日は、お隣の高岡まで足をのばし、高岡古城公園の遊覧船にでも乗ろうか、と考えていました。しかし、前日飛ばし過ぎたのがたたったのか、すっかり寝坊して宿を出るのが遅れ、とても帰りの新幹線には間に合わないことが判明。お天気も心配ではあるしと、市内観光に変更することに。
そうと決まれば向かうのは一つ、前回(過去ログ『松川を棹舟でゆく…1』以下参照)もお世話になった、松川遊覧船(富山観光遊覧船株式会社)に乗ってみることにしたのです。この判断は結果的に、嬉しい出会いをもたらすことになりました。

●道々、水たまりがところどころ残る城址公園を、少しお散歩してみました。前回も眺めた「松川七橋」のうち、間近に見ていなかった景雲橋にご挨拶。遊覧船のコースに数えられながら、唯一舟のくぐれない、眺めるだけの橋です。
ご覧のとおり、泉水に架かる丹塗り風の反橋ですが、赤い高欄が周囲の緑によく映えて、細身の桁も軽快な感じ。泉水には色とりどりの錦鯉が泳いで、水面に映る橋をゆらめかせていました。

●景雲橋のすぐ脇から、松川を渡る七十二峰橋に出ることができました。下流側、塩倉橋と遊覧船の船着場を望んで。
夜来の雨に濡れた木々の葉がつややかで、玉石垣の護岸とあわせ、静かな川面をより素敵に見せています。あれ? もやっている舟の中に、棹舟の姿が見えないなあ‥‥。乗り場である松川茶屋に向かってみましょう。

近寄ってみると、残念ながらあまり状態は良くなく、4枚あるはずのナンバープレートのうち、少なくとも2枚は消え失せて、痛みもだいぶ進んでいます。とはいえ、貨物用機のどっしりとした魅力は味わえて、ちょっとトクをした気分でした。

●松川茶屋で切符を買って、案内された船は意外や、写真の「神通Ⅱ」! 嬉しくなったと同時に、脳内でぐるぐる回る心の叫び、
この船で富岩運河を楽しんでみたかった。
眺望のよいオープン、しかもデッキの広々とした、ポンツンボート風の船型! 思う存分運河風景を楽しめたことでしょう!
後でうかがったところでは、老船頭さんたちが高齢となり、引退されたことで棹舟はすでに無く、かなり前からこの「神通Ⅱ」が、松川遊覧の定期便を担っているとのこと。前回と違った水路行が味わえそうで、曇天につられ下がりがちだったテンションも、もりもりと上がってきました。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月21日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…2』につづく)

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強行接舷?

●海上保安庁の監視取締艇「かぺら」が、マリーナに入ってきました。青海の東京海上保安部に配属されている、湾奥ではおなじみの艇で、運河や港内でもたびたび出会ったことがあります。
ディーゼル2機掛け2軸、合計600馬力の爆音は重々しく、鼻先に迫ってくるとなかなかの迫力。回頭しようとしていたので、ニュートラルに入れて待ちながら眺めていると、一つ気づいたことがありました。左舷に長々と伸びる黒いフェンダー、べっこり凹んだところや、痛々しく破れたところがありますね。
●「やっ、フェンダーがこの状態ということは、違反船相手に強行接舷でもして、一戦交えたということか。勇ましいな!」などと勝手な妄想をしつつ、回頭の済んだ「かぺら」の脇をすり抜けて別れました。
家に帰ってから、ふと「そういえば、以前『かぺら』に臨検されたことがあったなあ」と思い出し、「臨検ではじまる水路行!」のときの写真と、今回のを見くらべてみると‥‥。

●一昨年からあったことが判明。
あのときは、「臨検! 臨検!」とすっかり舞い上がっており、フェンダーまで注意が及んでいませんでした。お恥ずかしい。
しかし、フネの機能に差し障りがない部分とはいえ、3年近くもほぼそのままとは、少々哀れな気がしないでもありません。破れてだらりと垂れ下がっていた外皮を、無造作に繕って済ませているのもいじましく、任務激増の折柄、諸事物要りで手元不如意な保安庁のご苦労を、取り替えることもかなわないフェンダーに察せられたというお話でありました。
(27年7月19日撮影)

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松川にもやう舟たち…2
(『松川にもやう舟たち…1』のつづき)
●橋齢(?)相応に古びたRCラーメンの梁が、頭上低く迫っていたのは入って間もなくまでで、すぐにのっぺりとしたスラブの平天井になりました。昭和11年生まれの安野屋橋はほんの一部で、今やその大半が、後に拡幅されたものなのです。
続いて現われた2杯の舟も、中にこれといった船具は見られず、少々ほこりをかぶった状態。橋の下なら、スカッパー(喫水線上の排水口)がない和船でも、水が溜まることがない反面、ほこりっぽくなってはしまいますね。
あっ、そういえば、松川水門の下流で見た舟、露天繋留なのに、水が溜まっていなかったなあ‥‥。使われていないと思ったのは勘違いで、きちんと管理されているのかもしれません。

●安野屋橋の「地下道」から河畔の道へ登ると、一本下流の橋の下にも、繋留されている舟がある‥‥ええい、ここまで来たらアレも見ておこうと、走ること走ること。
荒い息でのぞき込むと、ひいふうみい、何と9つ! 桁から取ったもやいにぶら下がるようにして、流れに揺られてゴトゴトと音を立てつつ、思い思いの方を向いて憩うフネブネ。どこか、賑やかに語り合っているように思えたものでした。
中でも気になったのは、青く塗られた幅の広い舟。前回、松川で棹舟に乗ったときのそれによく似ています。もしかしたら、使われなくなった観光舟なのかもしれません。
●いや~、松川がこれほど船影濃い川だったとは! 現状はどうだかわかりませんでしたが、少なくとも近年まで、結構な数の舟が現役で頑張っていた証拠を目の当たりにして、松川への認識が変わりました。棹舟中心とはいえ、立派な実用可航水路だったのですね。
松川橋の親柱は、一本水押の和船を模した素敵なつくり。ふと足元を見ると、青銅製らしい先代橋の銘板(下写真)も残されていました。昭和26年3月竣工、現在の橋は平成8年2月竣工とのこと。


●気軽に夕食前の散策と思っていたお出かけが、濃厚かつ興奮のひとときとなってしまいました。楽しかったですが、だいぶ疲れが‥‥。電停のベンチにへたり込んで、しばし休憩です。
おりしも下り線を去ってゆく電車は、子供のころに乗った都電を思い出させるような、オヘソライトにZビューゲルの懐かしいタイプ。赤いテールランプを見せながら、側面に夕日を反射させて富山大橋を渡る姿が素敵で、疲れも少し抜けたような気分になったものでした。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月20日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…1』につづく)

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続いて現われた2杯の舟も、中にこれといった船具は見られず、少々ほこりをかぶった状態。橋の下なら、スカッパー(喫水線上の排水口)がない和船でも、水が溜まることがない反面、ほこりっぽくなってはしまいますね。
あっ、そういえば、松川水門の下流で見た舟、露天繋留なのに、水が溜まっていなかったなあ‥‥。使われていないと思ったのは勘違いで、きちんと管理されているのかもしれません。

●安野屋橋の「地下道」から河畔の道へ登ると、一本下流の橋の下にも、繋留されている舟がある‥‥ええい、ここまで来たらアレも見ておこうと、走ること走ること。
荒い息でのぞき込むと、ひいふうみい、何と9つ! 桁から取ったもやいにぶら下がるようにして、流れに揺られてゴトゴトと音を立てつつ、思い思いの方を向いて憩うフネブネ。どこか、賑やかに語り合っているように思えたものでした。
中でも気になったのは、青く塗られた幅の広い舟。前回、松川で棹舟に乗ったときのそれによく似ています。もしかしたら、使われなくなった観光舟なのかもしれません。

松川橋の親柱は、一本水押の和船を模した素敵なつくり。ふと足元を見ると、青銅製らしい先代橋の銘板(下写真)も残されていました。昭和26年3月竣工、現在の橋は平成8年2月竣工とのこと。


●気軽に夕食前の散策と思っていたお出かけが、濃厚かつ興奮のひとときとなってしまいました。楽しかったですが、だいぶ疲れが‥‥。電停のベンチにへたり込んで、しばし休憩です。
おりしも下り線を去ってゆく電車は、子供のころに乗った都電を思い出させるような、オヘソライトにZビューゲルの懐かしいタイプ。赤いテールランプを見せながら、側面に夕日を反射させて富山大橋を渡る姿が素敵で、疲れも少し抜けたような気分になったものでした。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月20日撮影)
(『松川遊覧船ふたたび…1』につづく)

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タグ : 松川