中島閘門ふたたび…1
(『富岩運河で遊ぶ…9』のつづき)

●幅がぐっと広くなった閘門前の水域に入ると、「ふがん」は行き足を再び落し、待機の姿勢をとったようです。ぐんぐんと開いて、シルエットを縮めてゆく後扉室のマイタゲートの動き、滝のような滴を落とし、開くほどに視界を圧するローラーゲートの豪快さを動とすれば、まさに静の魅力を醸し出すゲートといえるでしょう。
いや、胸が高鳴ります! 前回の訪問から8年を経て、いよいよこの閘門を通ることができるんだ!
●気づけば、操舵室の後ろにお客さんが集まって、時ならぬ人だかりが。後ろだけでなく、左の通路にも陣取り、スマホやカメラを構える人まで。ちなみに、我々以外はほとんが、外国からのお客さんでした。
巨大な水上の扉を前にして、高ぶる気持ちに国境はないことが感じられて、どこか嬉しくなるシーン。しかしこれを見ると、やっぱりオープン艇にしたほうが、遠来のお客さんにも喜ばれそうではあるなあ、と‥‥。
いやいや失礼、単なる個人的な好みを、他人をダシにして語ってはいけませんね。

●ゲートが全開になると、管理橋の上に出てきていた係の方とおぼしき人影が、大きく手を振って、こちらに合図を送ってきました。同時に「ふがん」も、ゆるゆると前進を再開。お待ちかね、閘室へ進入であります。
係の方の合図でハッとしたのが、中島閘門、東京の水門ではおなじみ、信号のたぐいは備えられていないのですね。まあ、重文指定を受けていることもあり、原形を失うような追加設備は、なるべく避けられていると見てよいでしょう。

●鼻先に迫ってくる扉体を一枚、径間9.09m、扉高5.765mの威容。平成10年に新製された扉体だけに、痛みも見られず、塗り替えも定期的に行われているのか、実にきれいです。
「鋼製ゲート百選」(技報堂出版、平成12年)によれば、65年ぶりに新製更新された扉体は、竣工当時のままに復元することを旨とし、15000本に及ぶリベットによって組まれたのだとか。復元とはいっても、組み立ては溶接で行い、鋲頭のみをお飾りで添えるという方法もある中、このリベットは決して伊達などではないあたり、さすが重文といったところでしょうか。
●「ふがん」が閘室に納まったところで、早くも扉体は水面に渦を作りながら、閉まり始めました。今度は近いせいか、ロッドを駆動しているとおぼしき、モーターの唸りが聞こえてきます。
お客さんたちと並んでカメラを構え、船尾の「窓」から嬉々として扉体の動きを撮影。ううむ、やはりこの、「新幹線に似せた」がためらしい装飾は、視界をさえぎるなあ‥‥。何だかしつこくて、すみません。
上部構造がなく、頭上がすっきりと「抜け」ているのが特徴のマイタゲート、せっかくの通航体験なのですから、広い視界で、空と一緒に撮ってみたいですものね。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月20日撮影)
(『中島閘門ふたたび…2』につづく)

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●幅がぐっと広くなった閘門前の水域に入ると、「ふがん」は行き足を再び落し、待機の姿勢をとったようです。ぐんぐんと開いて、シルエットを縮めてゆく後扉室のマイタゲートの動き、滝のような滴を落とし、開くほどに視界を圧するローラーゲートの豪快さを動とすれば、まさに静の魅力を醸し出すゲートといえるでしょう。
いや、胸が高鳴ります! 前回の訪問から8年を経て、いよいよこの閘門を通ることができるんだ!

巨大な水上の扉を前にして、高ぶる気持ちに国境はないことが感じられて、どこか嬉しくなるシーン。しかしこれを見ると、やっぱりオープン艇にしたほうが、遠来のお客さんにも喜ばれそうではあるなあ、と‥‥。
いやいや失礼、単なる個人的な好みを、他人をダシにして語ってはいけませんね。

●ゲートが全開になると、管理橋の上に出てきていた係の方とおぼしき人影が、大きく手を振って、こちらに合図を送ってきました。同時に「ふがん」も、ゆるゆると前進を再開。お待ちかね、閘室へ進入であります。
係の方の合図でハッとしたのが、中島閘門、東京の水門ではおなじみ、信号のたぐいは備えられていないのですね。まあ、重文指定を受けていることもあり、原形を失うような追加設備は、なるべく避けられていると見てよいでしょう。

●鼻先に迫ってくる扉体を一枚、径間9.09m、扉高5.765mの威容。平成10年に新製された扉体だけに、痛みも見られず、塗り替えも定期的に行われているのか、実にきれいです。
「鋼製ゲート百選」(技報堂出版、平成12年)によれば、65年ぶりに新製更新された扉体は、竣工当時のままに復元することを旨とし、15000本に及ぶリベットによって組まれたのだとか。復元とはいっても、組み立ては溶接で行い、鋲頭のみをお飾りで添えるという方法もある中、このリベットは決して伊達などではないあたり、さすが重文といったところでしょうか。

お客さんたちと並んでカメラを構え、船尾の「窓」から嬉々として扉体の動きを撮影。ううむ、やはりこの、「新幹線に似せた」がためらしい装飾は、視界をさえぎるなあ‥‥。何だかしつこくて、すみません。
上部構造がなく、頭上がすっきりと「抜け」ているのが特徴のマイタゲート、せっかくの通航体験なのですから、広い視界で、空と一緒に撮ってみたいですものね。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月20日撮影)
(『中島閘門ふたたび…2』につづく)

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富岩運河で遊ぶ…9
(『富岩運河で遊ぶ…8』のつづき)

●中洲ができた原因は、正横を通過したときに一目でわかりました。小河川が運河の東岸に河口を構え、ほぼ直角に流入していたのです。ガイドさんによれば、「がめ川」とのこと。変わった名前ですが、漢字ではどう書くのか、帰宅後に検索してもわかりませんでした。
カワウ君と鴨さんが、船がすぐそばを通過しても、驚くそぶりも見せずおくつろぎの様子。ここから眺めたかぎりでは、少なくとも表面は砂礫っぽく、泥っ気はありませんでした。がめ川も流速が意外と速いのでしょう。
艀船運河としての処理を徹底するなら、流入河川は伏越(アンダーパス)で立体交差させ、神通川に落とすのが理想的ですが、それができない理由があったのでしょう。あるいはここも、運河竣工時は可航河川として利用されていたのかもしれません。
●中洲が水面上に顔を出している面積はわずかでも、浅瀬は大きく流路中央を侵食しているようで、「ふがん」は右側の岸に寄せること寄せること、そのギリギリっぷりは相当なもの。ちなみに、赤い桁橋は国道8号線富山高岡バイパスを渡す、富岩運河橋とそのものズバリの名前。神通川の中島大橋につながっているとのこと。
操舵席後ろから前方を見ても、右舷から顔を出して後方を振り返って(下写真)も、接岸せんばかりに寄せていることが、わかるかと思います。

●ゴロタ石のある水際が間近に迫り、引き波は浅い岸辺の泥を巻き上げるほど。
水面下に杭か、沈置物でもあるのか、小さなブイが揺れているのも不気味でした。船長のご苦労も大変なものと思います。
●水深はその後、たたみかけるように浅くなり、ついには0.61mまで! 想像の斜め上をゆく豪快(?)な河床の上がりぶりに、言葉がありません。
たびたび引用している矢野剛「運河論」(昭和10年4月発行)によれば、「朔望平均干潮面以下水深‥‥水閘の下流に於いては五尺八寸」つまり、中島閘門から下の感潮水域でも、平均干潮面から約1.76mの水深を確保する設計だったとのこと。先ほど下流で見た水深と、ほぼ一致することがわかり、また、がめ川の及ぼす影響が、いかに大きいかも理解できます。
これでは現役だった時代も、定期的な浚渫が欠かせないなど、ネックになっていたのではないでしょうか? どのくらい放置するとここまで堆積が進むのか、ちょっと興味を惹かれるものがありますね。

●ハラハラドキドキというより、どこか考えさせられてしまうイベントの後は、いよいよ本物の大イベント、中島閘門が見えてきました! すでに排水を終えたのか、マイタゲートが開き始めて、閘室の水面がすき間からのぞいています。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月20日撮影)
(『中島閘門ふたたび…1』につづく)

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●中洲ができた原因は、正横を通過したときに一目でわかりました。小河川が運河の東岸に河口を構え、ほぼ直角に流入していたのです。ガイドさんによれば、「がめ川」とのこと。変わった名前ですが、漢字ではどう書くのか、帰宅後に検索してもわかりませんでした。
カワウ君と鴨さんが、船がすぐそばを通過しても、驚くそぶりも見せずおくつろぎの様子。ここから眺めたかぎりでは、少なくとも表面は砂礫っぽく、泥っ気はありませんでした。がめ川も流速が意外と速いのでしょう。
艀船運河としての処理を徹底するなら、流入河川は伏越(アンダーパス)で立体交差させ、神通川に落とすのが理想的ですが、それができない理由があったのでしょう。あるいはここも、運河竣工時は可航河川として利用されていたのかもしれません。

操舵席後ろから前方を見ても、右舷から顔を出して後方を振り返って(下写真)も、接岸せんばかりに寄せていることが、わかるかと思います。

●ゴロタ石のある水際が間近に迫り、引き波は浅い岸辺の泥を巻き上げるほど。
水面下に杭か、沈置物でもあるのか、小さなブイが揺れているのも不気味でした。船長のご苦労も大変なものと思います。

たびたび引用している矢野剛「運河論」(昭和10年4月発行)によれば、「朔望平均干潮面以下水深‥‥水閘の下流に於いては五尺八寸」つまり、中島閘門から下の感潮水域でも、平均干潮面から約1.76mの水深を確保する設計だったとのこと。先ほど下流で見た水深と、ほぼ一致することがわかり、また、がめ川の及ぼす影響が、いかに大きいかも理解できます。
これでは現役だった時代も、定期的な浚渫が欠かせないなど、ネックになっていたのではないでしょうか? どのくらい放置するとここまで堆積が進むのか、ちょっと興味を惹かれるものがありますね。

●ハラハラドキドキというより、どこか考えさせられてしまうイベントの後は、いよいよ本物の大イベント、中島閘門が見えてきました! すでに排水を終えたのか、マイタゲートが開き始めて、閘室の水面がすき間からのぞいています。
【撮影地点のMapion地図】
(27年6月20日撮影)
(『中島閘門ふたたび…1』につづく)

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