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5月3日の西側河川…3

(『5月3日の西側河川…2』のつづき)

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172012.jpgもうね、何もいいますまいよ。イイ感じの急カーブ区間、いつもどおりのイイ感じ。ここも以前は、外側に木製の桟橋があって、初めて通ったときにそれは緊張させられたものですが、いつの間にかきれいになくなっていました。

曲がり切ったところで、沢海橋が見えてくるわけですが、目にした瞬間感じたのが、いつにも増して表情が剣呑(?)だなあ、ということ。何ぞやと思われるかもしれませんが、西側河川で橋が禍々しさ(??)を発散するときといえば、一つしかありません。

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いや低いのなんの。

ううん、やはり出遅れたか(当たり前だ)‥‥。これはアレであろうと確信を深めつつも、前進を止めないあたり、病膏肓に入った狭水路狂の業は、大川より深いのであります。わけがわからないな。

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172015s.jpg沢海橋に併設された水管橋。橋の鑑賞の妨げになるという意味では、少々アレなところもありますが、こうして単体で見上げてみるとなかなか格好よし。

大横橋の低さも、もはや限界レベル。船外機とくらべた高さからしてこれですから、バウに立とうものなら、ひょいと橋に乗り移れるレベルです。この後の結末はわかっていても、これはこれで大横川の醍醐味、桁裏をポンポン手のひらで叩きながら、低さを堪能したのでありました。
撮影地点のMapion地図

(27年5月3日撮影)

(『5月3日の西側河川…4』につづく)

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タグ : 大横川江東内部河川

5月3日の西側河川…2

(『5月3日の西側河川…1』のつづき)

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平木橋はこのあたりで唯一、桁側面に河道断面図を掲げ航路幅を示しているという、いわば通航艇に向けてメッセージを発している親切な(?)橋。

しかし今回見てみたら、以前にもまして看板の腐食が進んでいて、残念ながら断面図も風前のともしびです。貴重な存在ではあるので、せめて通るたびに記録だけでもしておこう。

172007.jpg寒色系の多い小橋梁の中でも、赤く塗り上げられた新田橋の存在は、一服の清涼剤といってもいいほど。

旧橋を意識した造作とともに、狭い水路幅によく似合う塗色だと思っているのですが、こちらもちょっと色あせてきたようですね。以前の真紅も鮮やかな桁を、取り戻していただきたいものです。



172008.jpg大横川南支川との丁字流近く、例のイイ感じの急カーブの手前には、木製の杭が並び、角材をつなげた素朴な浮桟橋がもやっているのは何度か紹介しましたが、今日はここのヌシである曳船君が休んでいました。

姿を見かけないときもあるので、引退したかしらと心配させられることもあったものの、一見したところまだまだ現役のようです。今や大横川を母港(?)とする唯一の船、原木と筏曳船で水面が埋め尽くされていた時代を、かすかに忍ばせてくれる、これも貴重な存在なのですから。

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曳船‥‥と呼んでいいものか、バウにも小さいながら甲板室があって、胴の間も広く取られ、通船も兼ねていそうな造作ではありますね。フロントグラスは折り畳み式、甲板室はブルワークと高さがさして変わらないほど、めり込んだような造りで、とにかく全高を抑えようという、強烈な意志が感じられます。

昔の木場を写した写真で、この船よりさらに平べったい、まるでつぶれたようなスタイルの木造曳船が、筏を曳いて活躍しているのを何度か見たことがあります。考えてみると、これはいってみれば「江東内部河川型」なのではないでしょうか? 都内の川が、全体的に橋が低いとはいえ、ここまで高さを抑える必要は、江東以外は無いように思えるからです。

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通り過ぎざまに、大横川南支川の弁天橋も。考えてみれば‥‥って、考えてばかりで恐縮ですが(普段は何も考えていない)、両側面の鈑桁で高欄を兼ねた、中路式というんでしょうか、この手の最も簡素な鋼桁橋も、もはや数少なくなってきましたよね。

過去にも触れたように、神田川可航部ではもう絶滅してしまったし、都内にはあといくつ残っているのでしょうか。むしろトラスより、震災復興橋としては希少になっているのかもしれません。
撮影地点のMapion地図

(27年5月3日撮影)

(『5月3日の西側河川…3』につづく)

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タグ : 大横川大横川南支川江東内部河川曳船

5月3日の西側河川…1

172001.jpg5月3日は好天を得て、ふらりと近場を徘徊してきました。望月の大潮を翌日に控え、日中の潮位も低いことだし、江東の西側河川を、くまなく見て回れたらと思ったのです。

ところがうまくゆかないもので、昼食に入った食堂が混んで出るのがすっかり遅くなり、内部河川に入ったときは、すでに満ちてゆく時間帯に。まあ、できるだけうろつければよしと、汐見運河と平久運河の十字流を右折、第一石油販売に挨拶しながら北上。

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夏日が続いたこともあり、水温も上がったせいか水はだいぶ茶色いのですが、浮流物も少なく、魚影もちらほら見られてまずまずのコンディション。

こげ茶に塗り上げられた浜崎橋の桁もつやつやして、両岸の新緑と素敵なコントラストをなし、なじみの水路とあって心身ともにリラックスしつつ、ゆるゆる前進。

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汐浜運河以南でも名うての低い橋とはいえ、白妙橋をくぐったときのスレスレぶりは、前途の多難さを暗示するものが‥‥。先を急いだ方がよさそうですね。

ところで、最近塗り替えられた、あるいは架け替えられた江東の橋、白妙橋と同じようなこげ茶か、それに近い茶系の塗色が多くありませんか? 上の浜崎橋しかり、復興橋の大栄橋、後で出てきますが、改架ほやほやの三石橋もそう。

リベット組みの古い橋に良く似合うし、今風のフラットな桁橋も引き締まった感じになって、むしろ好ましく思っているくらいなのですが、何か方針でもあるのでしょうか。

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そして平野橋。残っていた足場もすっかり取り払われたことだし、晴れた空の下で改めていいお顔をと一枚。

桁が奥まっているので目立ちませんが、これも濃いグレーでしょうか、暗めの塗色ですよね。両端のコンクリートや化粧板の白さが引き立って、どこか品の良い感じすらします。

172005.jpg大横川の狭い区間に入って、ちょっと嬉しくなるのが、自艇が立てる水音がはっきり聞こえてくること。もちろん行き足はぐっと落し、ほぼ最微速でのそろそろ歩きをしているのですが、それでもなおハルの分ける水音が、左右の護岸に反射して耳に届くのです。

つまりそれだけ護岸が近い、すなわち川幅が狭いということに他なりません。河上が静かだということもありますが、この音を耳にすると、いかにも大横川の深部(?)を堪能している感じがして、嬉しくなるのでした。
撮影地点のMapion地図

(27年5月3日撮影)

(『5月3日の西側河川…2』につづく)

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タグ : 汐見運河平久運河平久川大横川江東内部河川

4月29日の内部河川…6

(『4月29日の内部河川…5』のつづき)

171026.jpg東京製粉の終焉を目にして沈みがちな気持が、扇橋閘門の通航待ちのワクワク感で少し回復。豪快な排水が終わって出てきた艇は、お客さんを満載したカタマランの観光船でした。

お客さんも閘門通航でテンション高めなのか、思い切り手を振って応えてくれました。都内の観光船、平井さんのようなモノハルも少なくありませんが、ここ数年ですっかりカタマランが主流になった観があります。収容力と安定性を兼ね備えるという意味では、確かにこの船型に勝るものはないでしょう。

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ドルドルドル、という独特の作動音を耳にしながら、閉まる後扉を眺めてさて、注水です。

出閘するとき、出てきた職員の方に「船名は?」ときかれたので答えながら、「いつも通らせてもらって、お世話になってます!」というと、笑って手を振ってくれました。

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曇り空とはいえこの陽気だったら、さぞかし賑わっているだろうと、ちょっとのぞいてみたくなり、日本橋に寄り道してみました。案の定、船着場は2隻がもやい、3隻が達着を待って遊弋もしくは漂泊中といった賑やかさ。

171029.jpgおなじみZEN船長のエスエスNANO1は、西河岸橋の桁裏に軽くもやいを取って待機していました。橋脚の水面下には張り出しもないようで、水位から桁下高も、もやいを取るのにちょうどよかったようです。

しかし、船着場もこれだけ混雑するようになると、接岸の順番を指示したり、事故のないよう待機艇をさばく管制係が必要だなあと思えました。今は予約時刻をもとに、船長同士声をかけあって上手にやっておられるのでしょうか。

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帰路は東雲北運河を通って、日本橋川とは一転した静けさを堪能しつつ今回の〆。

今や数少なくなった水面に張り出す建物、木村造船所とその前にもやうグリーンの曳船。水辺の新緑とともに、全体的に緑色過多な運河風景、よいものでした。
撮影地点のMapion地図

(27年4月29日撮影)

(この項おわり)

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タグ : 小名木川日本橋川東雲北運河江東内部河川水位低下化河川扇橋閘門閘門曳船高架下水路

4月29日の内部河川…5

(『4月29日の内部河川…4』のつづき)

171021.jpgテラス造成が急ピッチで進む、横十間川南半部の様子を少し。北十間川との丁字流近くは、すでに護岸に化粧板も張られ、仕上げを待つばかりまでになっていましたが、ここ天神橋近くは台船やバージがいくつか接岸し、工事たけなわといった雰囲気です。

右手は工事も終わりに近づきつつあるようでしたが、左手は基礎工事を済ませ、鋼矢板を打ち込んで間がないようです。よく見てみると‥‥。

171022.jpgどうやら、コンクリートを流し込んだばかりのようで、鋼矢板の天端ひたひたまで満たされたグレーの表面が、まだ水気を含んで光っていました。

一番奥に水位低下化前からあるコンクリート堤防、その前にアルミ柵を設けた現テラス、一番手前に造成中のテラスが来てと、水面を狭めて、ひな段のように「陸地」を前進させてきたことがわかる角度です。


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そして、今回最も衝撃的だったシーン。

小名木川に入り、扇橋閘門に向かって西進、小名木川橋の東側から南岸を見ると、何やらパネルで囲まれた解体現場が‥‥。

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そう、水位低下化水域で唯一、艀輸送で操業されていた工場であり、都内でも希少な実用水運に関わってきた企業、東京製粉がついに撤退されたのです!

数ヶ月前から、複数の方より「東京製粉がやめるようだ」との話は耳にしていましたので、覚悟はできていましたが、サイロ解体の現場を目の当たりにすると、何ともいえない寂しさが身に沁みてきました。

最後のバージ便は、いつだったのでしょうか。美しく整備されたテラスはよいものですが、こうして解体されるサイロとともに眺めてみると、テラス整備が撤退を速めたようにも感じられ(直接伺ったわけではないので、真相はわかりません)、もの悲しい風景に見えてしまいます。

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近くで見上げてみると、サイロの一つが無造作に喰いちぎられたように破れているあたり、寂しさを加速させるものが。

両隣をマンションに挟まれて以来、操業にはさぞ気を遣われたことでしょう、お疲れさまでした‥‥。都内からまた一つ、実用河川舟運の風景が消えたことになりますね。

そうそう、実用舟運といえば‥‥。扇橋閘門は、水位低下化後も内部河川沿岸で操業を続ける、水運を利用する企業のために設けられた通船施設でありました。今回、東京製粉が止められたことで、扇橋閘門も実用閘門としての歴史に終止符を打った、と見て差し支えないと思われます。

非常時の防災施設という見方をするにしても、清掃船や工事の業務船をのぞけば、平時に通るのはまず不定期の観光船(と、船頭のようなモノ好き)のみで、もはや水路観光の通船が業務の主体になった、といっても外れてはいないでしょう。

その観光船たちは幸い、増加の一途をたどっています。江東の2閘門や水位低下化区間が多くの人々の目に触れ、長きに渡った水防整備への理解が、より進むことを願ってやみません。
撮影地点のMapion地図

(27年4月29日撮影)

(『4月29日の内部河川…6』につづく)

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タグ : 横十間川小名木川江東内部河川水位低下化河川台船東京製粉