大島川水門の工事…2
(『大島川水門の工事…1』のつづき)

●近いうちにお別れと思うと、やはり撮っておきたくなる扉体と巻上機室。
更新がすでに終わった、兄弟分の亀島川・日本橋の両水門と違うのは、巻上機室両端に尖塔状の飾りがついて、少しオシャレをしていること。新設されるそれにも、何か意匠が施されるのでしょうか。

●右径間を抜けようとすると、クレーンを載せた台船が姿を現しました。日曜日なので動いていませんでしたが、平日は角落しをはめ込んだり、足場を組んだりと忙しかったことでしょう。
ブレてしまいましたが、右写真は表側の角落し。扉体の表面に、ホースが二本たらされて、内部の水を常時排水していました。

●搭載のクレーンは、キャタピラがついたまま台船の凹部にはまり込んだタイプで、側面に「常陸海事建設(株)」、「常陸122号」の文字が。ブルーの塗装もまだ新しくキレイ。台船も手入れがよいようで、そんなに古びた感じはしませんでした。
微速で離れつつ、振り返ってクレーンと水門のツーショットを。いつもくぐっているかぎりでは、痛んだところも見えないので、何かもったいないような気もするのですが、どんなカタチに生まれ変わるのか、楽しみではあります。
【撮影地点のMapion地図】
(26年8月17日撮影)
(『8月17日の天王洲運河』につづく)

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●近いうちにお別れと思うと、やはり撮っておきたくなる扉体と巻上機室。
更新がすでに終わった、兄弟分の亀島川・日本橋の両水門と違うのは、巻上機室両端に尖塔状の飾りがついて、少しオシャレをしていること。新設されるそれにも、何か意匠が施されるのでしょうか。


ブレてしまいましたが、右写真は表側の角落し。扉体の表面に、ホースが二本たらされて、内部の水を常時排水していました。


微速で離れつつ、振り返ってクレーンと水門のツーショットを。いつもくぐっているかぎりでは、痛んだところも見えないので、何かもったいないような気もするのですが、どんなカタチに生まれ変わるのか、楽しみではあります。
【撮影地点のMapion地図】
(26年8月17日撮影)
(『8月17日の天王洲運河』につづく)

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大島川水門の工事…1
(『「都市計画運河橋梁」!』のつづき)

●汐浜運河から大横川に入ろうと、平久川を遡上していたら、賑やかな祭囃子が聞こえてきました。大横川との変則十字流まで出てみると、汐見橋の上に人だかりがしているので、どうやら永代通りをお神輿が通るようです。
ぎりぎりの桁下を首をすくめてすり抜け、いったん橋の上流側に出て、椅子の上から背伸びしてパチリ。高い潮位に助けられて、お神輿の頭だけ撮れました。
●大横川に入ったのは、久しぶりに艪漕ぎを楽しむため。東富橋の下でエンジンをチルトアップ、ピンを抜いてベンチを下げ、艪をログイにはめてハイオをかけ‥‥と、準備を整えいざ、最微速前進。
久しぶりなので、ペースを抑えてかなりゆっくり目に漕いだつもりでしたが、高い湿度も手伝って、40分余りでもう汗だく。日ごろの運動不足と、さらなる体力の衰えを実感する艪走と相成った始末でした。
●大横川を西進したとなれば、やはり気になるのが、「7月20日の水路風景…1」で見た、大島川水門の工事。くぐりざま、間近に眺めてゆきましょう。練兵衛橋のリベットが後ろに飛んでゆくのを、頭上に感じつつ接近。
思い起こせば、堰柱以外の大規模な更新工事は、ここ数年では亀島川水門、日本橋水門、そしてここと、隅田川下流部の支派川で続いていますね。

●裏側から見た近影。7月20日とくらべると、扉体と巻上機室が取り去られた径間に、3組の足場が立ち上がっているのが違います。巻上機室の桁を取り付ける準備でしょうか。

●扉体のあったところには、向こう側が計画高水位の高さまで、こちらは満潮位ぐらいまで、それぞれ角落しがはめ込まれ、内部は排水されているようです。水面下の戸溝まで、更新工事が施されるようですね。
【撮影地点のMapion地図】
(26年8月17日撮影)
(『大島川水門の工事…2』につづく)

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●汐浜運河から大横川に入ろうと、平久川を遡上していたら、賑やかな祭囃子が聞こえてきました。大横川との変則十字流まで出てみると、汐見橋の上に人だかりがしているので、どうやら永代通りをお神輿が通るようです。
ぎりぎりの桁下を首をすくめてすり抜け、いったん橋の上流側に出て、椅子の上から背伸びしてパチリ。高い潮位に助けられて、お神輿の頭だけ撮れました。

久しぶりなので、ペースを抑えてかなりゆっくり目に漕いだつもりでしたが、高い湿度も手伝って、40分余りでもう汗だく。日ごろの運動不足と、さらなる体力の衰えを実感する艪走と相成った始末でした。

思い起こせば、堰柱以外の大規模な更新工事は、ここ数年では亀島川水門、日本橋水門、そしてここと、隅田川下流部の支派川で続いていますね。

●裏側から見た近影。7月20日とくらべると、扉体と巻上機室が取り去られた径間に、3組の足場が立ち上がっているのが違います。巻上機室の桁を取り付ける準備でしょうか。

●扉体のあったところには、向こう側が計画高水位の高さまで、こちらは満潮位ぐらいまで、それぞれ角落しがはめ込まれ、内部は排水されているようです。水面下の戸溝まで、更新工事が施されるようですね。
【撮影地点のMapion地図】
(26年8月17日撮影)
(『大島川水門の工事…2』につづく)

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「都市計画運河橋梁」!

猛暑続きの中で珍しく、夜間に24℃くらいまで気温が急降下したせいでしょう。夏の涼しい朝、無風時に視程が急速に悪化するというのは、湾奥ではよくあることですが、出くわしたのは久しぶりとあって、そりゃもう、やる気の萎えることったらありません。

●とはいえ、雨は降らなそうだし、風が出れば青空ものぞくであろうと、気を取り直して出港。空同様、心晴れぬ気持ちを抱えながら、まずは曙北運河へ。
イグアナクレーンが睥睨する、汐見運河との丁字流近く、越中島線の鈑桁橋をまずは一枚。ガスるほどの無風のおかげで、水面はぬめったように平らかですが、何分この薄暗さでは、水鏡も楽しめないや‥‥と、ゼイタクな不満を抜かす船頭一人。
【撮影地点のMapion地図】

リベット組みの古い橋、かつこの付近では最も低いということもあって、親しく思ってきた橋の一つですが、どういうわけだか、名前や銘板の有無には、まったく注意を払わずにきてしまいました。きっと「越中島線・曙北運河橋梁」とでもいうのだろう‥‥と、軽く考えていたふしがあります。
●ところがこの日は、これまたどうしたことか、「そういえば、この橋の銘板て見たことないな。どこかにあるのかな?」と、見まわしてみる気になったのが妙なところ。
晴れぬ空に気をもんでいたおかげか、だとしたら、このお天気に感謝しなければなりますまい。まあ、不注意と気まぐれ、ここに極まれりで、ほめられた話ではありません。

●で、くぐりつつ見回してみると、あった! 北側側面の東詰です。‥‥えええ?
都市計画運河橋梁!
その古さと外観からして、地名の入った単純明快な名前を想像していたので‥‥。予想を裏切られたどころか、斜め上に突き抜けたようなネーミングにびっくり。悪いけど、全然似合ってない(ごめんね)!
●しかし、この名前はどこから来たのでしょう。荒川放水路が荒川と名を変えても、橋の方は元のまま「荒川放水路橋梁」を名乗り続ける伝で、曙北運河はかつて、「都市計画運河」を名乗っていたのでしょうか?一部の幹線道路が、「都市計画×号線」などと呼ばれていたのと、近いものも感じます。
橋梁趣味書の草分け「東京の橋」の著者、伊東孝氏の講演記録「川崎の都市計画と運河計画」(PDF)によれば、戦前の旧都市計画法にもとづいて、造られた運河もあったとのこと。
もしかしたら、戦前の曙北運河は、旧都市計画法のもとに造られた数少ない運河のうちの一つで、それを記念した命名だったのかしら‥‥? 以上はもちろん、単なる妄想に過ぎないので、ご存知の方がおられたら、ぜひご教示いただきたいものです。

●で、やはり気になるのが、塗装表記の下の銘板。暗くてブレたのと、文字がつぶれて読めない箇所もありますが、書き出してみると‥‥。読めない文字は〇で示しました。間違いがあったらごめんなさい。
昭和五年(午〇〇‘56’)
東京石川島造船所製作
活荷重 KS-18
鉄 道 省
-------------
〇 八幡製鉄所
材 L 製鉄所 日本鋼管會社
料 〇 浅野造船所
鋲(?) 浅野小倉製鋼所
●昭和5年生まれの、震災復興橋と同世代といってよい橋。こちらは名前と違って、予想通りといったところ。しかし、付き合いが短くないのも手伝って、名前のインパクトは相当なものでした。ユルい、ひらがな系の橋名とは対極の位置にありそうなこの名前、驚きはしましたが、嫌いではありません。一発で覚えたし。
(26年8月17日撮影)
(『大島川水門の工事…1』につづく)

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アルス「河川工学」に涙する
TBS「ゴロウ・デラックス」に…

ほとんど話題になったこともなく(版元様申しわけございません)、しかも上梓以来、はや4年も経った本を紹介していただけた上、作家でも何でもないいち水路バカにお声掛けくださるとは、まったく勿体ないかぎりであります。以下御礼かたがた、緊張に暑熱も加わり汗だくの、撮影当日のスナップを紹介させていただきます。
【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】