水路をゆく・第二運河 25年10~12月のご案内

【ご案内】
■「水路をゆく・第二運河」にようこそ!
モーターボートなのになぜか艪がついている、全長わずか21ft(約6m)の木っ端ブネに乗る道楽船頭は、川や運河をうろつくのが大好き。いにしえの水運全盛期に思いを馳せつつ、閘門・水門や橋、フネブネの姿を楽しみながら、各地の水辺や博物館、遊覧船を訪ね歩くブログです。東京とその近郊にある可航水路の、自艇航行による全線ご紹介を目指しています。
■画像は、クリックすると別窓で拡大表示できます。
■当ブログ掲載の本文、画像の無断使用はご遠慮ください。
■いただいたコメントは、承認後の表示となります。
■各記事と関連のないコメントは、できれば、この「ご案内」のコメント欄にお願いいたします。
■ボートオーナーの方へ…当ブログに掲載された水路を航行され、事故を起こされても、管理人は責任を負いかねますので、航行にあたっては、各艇長の責任で安全航行をお願いいたします。
■当ブログは、Doblog「水路をゆく」の姉妹編として、20年4月6日に開設、「航行水路メモ」を主な記事にしてまいりましたが、21年2月8日以降、Doblogに障害が発生、更新が不可能になったため、本文記事をこちらで継続することとなりました。
■なお、閉鎖されたDoblog「水路をゆく」の記事は、FC2ブログ「水路をゆく 過去ログ」に移設しました。
モーターボートなのになぜか艪がついている、全長わずか21ft(約6m)の木っ端ブネに乗る道楽船頭は、川や運河をうろつくのが大好き。いにしえの水運全盛期に思いを馳せつつ、閘門・水門や橋、フネブネの姿を楽しみながら、各地の水辺や博物館、遊覧船を訪ね歩くブログです。東京とその近郊にある可航水路の、自艇航行による全線ご紹介を目指しています。
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■当ブログは、Doblog「水路をゆく」の姉妹編として、20年4月6日に開設、「航行水路メモ」を主な記事にしてまいりましたが、21年2月8日以降、Doblogに障害が発生、更新が不可能になったため、本文記事をこちらで継続することとなりました。
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【更新履歴】
■【12月31日】今年もお陰さまで、無事故で川走り、水辺探訪を楽しむことができました。お世話になった皆様、ブログにお越しくださった皆様に、改めて御礼申し上げます。皆様がよいお年を迎えられますよう、船頭儀、心よりお祈りしております。
■【12月22日更新】タイトルバック画像を更新しました。養老川、西広堰の堰柱です。25年12月8日撮影。
■【12月15日更新】タイトルバック画像を更新しました。大師運河で見かけたタンカー、「大慶455」の舷側です。25年11月1日撮影。
■【12月8日更新】タイトルバック画像を更新しました。新山下運河、霞橋です。25年11月1日撮影。
■【12月1日更新】タイトルバック画像を更新しました。晴海埠頭に接岸した、海上自衛隊の護衛艦「てるづき」のマストです。25年12月1日撮影。
■【11月24日更新】タイトルバック画像を更新しました。大岡川、蒔田公園橋上流からの眺め。25年11月1日撮影。
■【11月17日更新】タイトルバック画像を更新しました。隅田川、船上から見た新大橋の夜景です。25年10月17日撮影。
■【11月10日更新】タイトルバック画像を更新しました。霞ヶ浦、土浦沖で見た、観光帆引き船です。25年10月13日撮影。
■【11月4日更新】タイトルバック画像を更新しました。中村川、万世橋付近から見上げた高架です。25年9月28日撮影。
■【10月27日更新】タイトルバック画像を更新しました。古い絵葉書より、常陸利根川をゆく通運丸(部分)です。
■【10月20日更新】タイトルバック画像を更新しました。前回に引き続き艤装中の護衛艦「いずも」、艦橋構造物を見たところ。25年9月28日撮影。
■【10月13日更新】タイトルバック画像を更新しました。JMU横浜事業所磯子工場で艤装中の、護衛艦「いずも」を艦首正面から見たところ。25年9月28日撮影。
■【10月6日更新】タイトルバック画像を更新しました。横浜市中区、国際埠頭のセミマントロリー橋型クレーン群です。25年9月28日撮影。
■【10月2日】カテゴリ「港湾・海路」を新設しました。
■【12月22日更新】タイトルバック画像を更新しました。養老川、西広堰の堰柱です。25年12月8日撮影。
■【12月15日更新】タイトルバック画像を更新しました。大師運河で見かけたタンカー、「大慶455」の舷側です。25年11月1日撮影。
■【12月8日更新】タイトルバック画像を更新しました。新山下運河、霞橋です。25年11月1日撮影。
■【12月1日更新】タイトルバック画像を更新しました。晴海埠頭に接岸した、海上自衛隊の護衛艦「てるづき」のマストです。25年12月1日撮影。
■【11月24日更新】タイトルバック画像を更新しました。大岡川、蒔田公園橋上流からの眺め。25年11月1日撮影。
■【11月17日更新】タイトルバック画像を更新しました。隅田川、船上から見た新大橋の夜景です。25年10月17日撮影。
■【11月10日更新】タイトルバック画像を更新しました。霞ヶ浦、土浦沖で見た、観光帆引き船です。25年10月13日撮影。
■【11月4日更新】タイトルバック画像を更新しました。中村川、万世橋付近から見上げた高架です。25年9月28日撮影。
■【10月27日更新】タイトルバック画像を更新しました。古い絵葉書より、常陸利根川をゆく通運丸(部分)です。
■【10月20日更新】タイトルバック画像を更新しました。前回に引き続き艤装中の護衛艦「いずも」、艦橋構造物を見たところ。25年9月28日撮影。
■【10月13日更新】タイトルバック画像を更新しました。JMU横浜事業所磯子工場で艤装中の、護衛艦「いずも」を艦首正面から見たところ。25年9月28日撮影。
■【10月6日更新】タイトルバック画像を更新しました。横浜市中区、国際埠頭のセミマントロリー橋型クレーン群です。25年9月28日撮影。
■【10月2日】カテゴリ「港湾・海路」を新設しました。
25年度川走り納め…1

●恒例となった年末の近場回りです。好天下、おなじみの川景色やちょっとした変化を拾いながら、1時間半ほどの短いお散歩を楽しんできました。まずは新砂水門から。

ご本尊、戸袋に収納された扉体も撮ってみましたが、旋回橋の鮮やかさを見た後では、色あせてだいぶくたびれた印象。喫水線(?)のあたり、錆が目立つようになってきましたね。

青空に誘われてか、航路上には沖へ出てゆくヨットの姿もちらほら。もっとも、風はきわめて穏やかだったので、帆走日和とはいかなかったことでしょうね。

●振り返って上流側。いや~、この抜けるような、雲ひとつない蒼穹! それを映す川面もあくまで青く、油を流したような穏やかさ。
ちょっと波打ち加減で気泡の入った、昔のガラス板を思い出させるものがあり、手で撫でたら、するするとした感触がしそうにすら思えたものです。

写真は、荒川最下流の防災船着場、全長106mの岸壁を持つ、新砂リバーステーション。詰所を載せた台船や杭打船、岸壁上には生コンプラント(?)のようなものが見られます。ここしばらく、結構な規模の工事をしているようですね。
【撮影地点のMapion地図】
(25年12月29日撮影)
(『25年度川走り納め…2』につづく)

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西広堰…4
(『西広堰…3』のつづき)
●用水路沿いの公園…「西広堰農村公園」を、少し歩いてみることにしました。夕闇が迫り、しんしんと寒気が染み入ってくる時間帯にもかかわらず、ジョギングや、犬の散歩をする人など、結構な利用者が見られました。
道は未舗装ながら小石が敷かれ、護岸は木製、橋もそれに合わせて木橋がかけられるなど、「公園」を名乗るだけあって隅々まで整えられた印象。水の方は、農閑期とあって通水しておらず、養老川に近い区間は浅く溜まっている程度で、進むにつれて乾いた河底が露出するようになりました。

●東屋のある屈曲部を過ぎ、ほぼ北西に向かう河道に沿って歩いてゆくと、小さな樋門を発見。いや、樋門…なのかしら?
扉体を上下させるものと、塵芥取りの格子をメンテナンスするためでしょうか、大小3つものホイストを備えた、まだ真新しいもの。背後の建物は、公民館にしてはちょっと妙な雰囲気だったので、揚水機場か何かと思われます。
●そして、樋門(?)の数m下流にあった、コレ! 小さな堰ですよね? 橋と作業足場を兼ねた梁、堰柱もすべて、混じりっ気なしの木製。これも板羽目堰同様、技術伝承のために復元保存されているのでしょうか。こじんまりとまとまった可愛らしさ、大いに惹かれます。
一見したところでは、扉体というか、角落としの装着方法がいま一つわかりません。戸溝が切っていないところを見ると、水圧で角落としを密着させる方式なのかな? 堰柱の上に彫られた、ホゾのような凹部の用途も気になります。
【撮影地点のMapion地図】

●遠くから踏切の音が聞こえてきたので、小湊鉄道の線路のある方を眺めていると、間なしに3輌編成のディーゼルカーがやってきました。
いまや珍しくなったタイプの気動車ですが、美しく整備されているようで、背後の住宅群がなければ、40年くらい前の田園風景といっても通じそうです。
●静かな夕暮れの中、水門や水路風景を眺めながらお散歩できて、楽しいひとときでした。田んぼの中の道を歩いていると、チュンチュンと元気な鳴き声とともに、田んぼの真ん中からスズメの大群が飛び立って、電線にびっしりと留まり、まさに鈴生り。
寒いのでしょう、羽をふくらませてボールのようです。田んぼで落ち穂を拾って、満腹したことでしょうね。
(25年12月8日撮影)
(この項おわり)

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道は未舗装ながら小石が敷かれ、護岸は木製、橋もそれに合わせて木橋がかけられるなど、「公園」を名乗るだけあって隅々まで整えられた印象。水の方は、農閑期とあって通水しておらず、養老川に近い区間は浅く溜まっている程度で、進むにつれて乾いた河底が露出するようになりました。

●東屋のある屈曲部を過ぎ、ほぼ北西に向かう河道に沿って歩いてゆくと、小さな樋門を発見。いや、樋門…なのかしら?
扉体を上下させるものと、塵芥取りの格子をメンテナンスするためでしょうか、大小3つものホイストを備えた、まだ真新しいもの。背後の建物は、公民館にしてはちょっと妙な雰囲気だったので、揚水機場か何かと思われます。

一見したところでは、扉体というか、角落としの装着方法がいま一つわかりません。戸溝が切っていないところを見ると、水圧で角落としを密着させる方式なのかな? 堰柱の上に彫られた、ホゾのような凹部の用途も気になります。
【撮影地点のMapion地図】

●遠くから踏切の音が聞こえてきたので、小湊鉄道の線路のある方を眺めていると、間なしに3輌編成のディーゼルカーがやってきました。
いまや珍しくなったタイプの気動車ですが、美しく整備されているようで、背後の住宅群がなければ、40年くらい前の田園風景といっても通じそうです。

寒いのでしょう、羽をふくらませてボールのようです。田んぼで落ち穂を拾って、満腹したことでしょうね。
(25年12月8日撮影)
(この項おわり)

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西広堰…3
(『西広堰…2』のつづき)

●西広堰を離れ、上流側に歩いて、先ほど見えた床固というか、堰堤の真横から眺めてみました。二段に造られた低い堰の上を、河水が音を立てて越流しています。
●この堰堤こそ、旧西広堰…現在は「西広板羽目堰」として保存され、数年ごとに組み立て・倒伏が実演されている、明治時代に考案された一種の可動堰の基礎部分。実演のたびにテレビなどで報じられるので、ご覧になった方も少なくないでしょう。
幅61mの堰堤を前に、水を湛えた木製の堰が一瞬にして倒され、水がどっと流れだす勇壮なシーンが思い出されました。一度見てみたいものです。護岸上には、板羽目堰の組み立てや回収に用いるのか、FRP和船が保管され、柵は開閉できるようになっていました。

●この一帯はご覧のとおり、ちょっとした広場になっていて、「西広板羽目堰資料保管庫」と大書きされた看板の両脇に、説明板らしいものも見られます。保管庫はこの西側にあり、板羽目堰を構成する部材の収納と、展示・休憩室を兼ねているのだとか(『自然の力をしなやかに調和させた先人の知恵「養老川西広板羽目堰」』農林水産省)。
広場になっているのは、堰の部材を保管庫から出し入れする、作業スペースとみてよいでしょう。右に見える樋門は、堰上げられた河水を田畑に取水する、導水路のものでしょうか。説明板を見に行ってみましょう。
●説明板のアップ。西広板羽目堰の構造や歩みが簡潔にまとめられ、写真や図面も添えられて、市を挙げて技術伝承と保存につとめていることが感じられました。次の実演は、いつになるんだろう…。
ちなみに、「西広板羽目堰における伝統工法・技術の評価」(PDF)には、原理や構造の詳細はもちろん、最盛期、養老川に6ヶ所も存在した板羽目堰の歴史についても触れられており、一読をお勧めします。
実演時の動画もいくつかアップされているようですが、「西広 板羽目堰」(You Tube)が解像度はいま一つであるものの、短くまとまっており、雰囲気はよく伝わってきます。
●こちらは、周辺の案内図。堰上げられた水を導く灌漑用水路に沿って、小湊鉄道の近くまで散策路が整備されているのですね。
検索してみたところ、この水路に沿ったお散歩道は「西広堰農村公園」(もったねえよいちはら)というそう。記事を読んでみると、おお! 養老川も水運が盛んだった時代があったんだ!
しかし、かつて6ヶ所も板羽目堰があったということは、少なくとも春から秋にかけて、舟航が途絶していたということですよね? 記事中にある「堰が開放されるまで船上に足止めされた人々」前後の文章からすると、舟運のため、割と頻繁に堰が倒伏されていたようにも読めますが、果たしてどんな形で折り合いをつけていたのでしょうね。
【撮影地点のMapion地図】
(25年12月8日撮影)
(『西広堰…4』につづく)

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●西広堰を離れ、上流側に歩いて、先ほど見えた床固というか、堰堤の真横から眺めてみました。二段に造られた低い堰の上を、河水が音を立てて越流しています。

幅61mの堰堤を前に、水を湛えた木製の堰が一瞬にして倒され、水がどっと流れだす勇壮なシーンが思い出されました。一度見てみたいものです。護岸上には、板羽目堰の組み立てや回収に用いるのか、FRP和船が保管され、柵は開閉できるようになっていました。

●この一帯はご覧のとおり、ちょっとした広場になっていて、「西広板羽目堰資料保管庫」と大書きされた看板の両脇に、説明板らしいものも見られます。保管庫はこの西側にあり、板羽目堰を構成する部材の収納と、展示・休憩室を兼ねているのだとか(『自然の力をしなやかに調和させた先人の知恵「養老川西広板羽目堰」』農林水産省)。
広場になっているのは、堰の部材を保管庫から出し入れする、作業スペースとみてよいでしょう。右に見える樋門は、堰上げられた河水を田畑に取水する、導水路のものでしょうか。説明板を見に行ってみましょう。

ちなみに、「西広板羽目堰における伝統工法・技術の評価」(PDF)には、原理や構造の詳細はもちろん、最盛期、養老川に6ヶ所も存在した板羽目堰の歴史についても触れられており、一読をお勧めします。
実演時の動画もいくつかアップされているようですが、「西広 板羽目堰」(You Tube)が解像度はいま一つであるものの、短くまとまっており、雰囲気はよく伝わってきます。

検索してみたところ、この水路に沿ったお散歩道は「西広堰農村公園」(もったねえよいちはら)というそう。記事を読んでみると、おお! 養老川も水運が盛んだった時代があったんだ!
しかし、かつて6ヶ所も板羽目堰があったということは、少なくとも春から秋にかけて、舟航が途絶していたということですよね? 記事中にある「堰が開放されるまで船上に足止めされた人々」前後の文章からすると、舟運のため、割と頻繁に堰が倒伏されていたようにも読めますが、果たしてどんな形で折り合いをつけていたのでしょうね。
【撮影地点のMapion地図】
(25年12月8日撮影)
(『西広堰…4』につづく)

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