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生きている大運河・佐陀川…6

(『生きている大運河・佐陀川…5』のつづき)

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鹿島町名分付近、鹿島中学校のある丘の下から上流側を見て。水際にすとんと落ち込むようだった山肌が次第にひらけて、手前では、ささやかながら住宅や畑が見られるようになりました。かつてはこの奥あたりが、いわば分水界だったのでしょう。

いやしかし、舟行きしたくて、こうウズウズするような運河風景ですね! 何度も同じようなことを繰り返して恐縮ですが、山間を貫く、しかもイイ感じに屈曲した、先の見通せない水路! それが小さな谷間の細流や、ゴロタ石の洗う急流河川のような、見るからに舟航できなさそうな川などでなく、満々と水を湛えた可航水路なのですから、そそるのもむべなるかなであります。
撮影地点のMapion地図

115079.jpgほぼ同じところから振り返って、下流側に目を転じると、向こうに桁橋が架かっているのが見えます。よく見ると、橋脚の配置がちょっと妙。左端の径間だけ、なぜか極端に短くなっていますね。

これ、実はもと水門で、堰柱や扉体を撤去して、管理橋だけ残したという変わり種の、いわば「水門遺跡」。左端の狭い径間には、閘門も備えてあったようで、閘門ファンとしては、失礼ながら少々残念な物件でもあります。


115080.jpg通り過ぎざまカメラを向けてみると、橋脚の上流側に戸溝が残っているのが見えました。ここにあった水門は、「佐陀川(さだがわ)水門」(中国四国農政局)といって、中海・宍道湖淡水化事業の中止を受け、中海に設けられていた中浦水門とともに撤去されたそう。

二つの湖の汽水環境を守るため、という趣旨は理解できるのですが、高潮や津波など、万が一の逆水防止のことを考えると、佐陀川水門のみ常時開で残しておいてもよかったような…。淡水化事業が中止されたため、日常の維持管理の予算も出なくなった、ということなのでしょうか。

115081.jpg水門跡からさらに下流側へ移動、松江市役所鹿島支所の近くから上流側を望んで。山肌はだいぶ遠ざかり、狭いながら平野のおもむきになってきました。船影は少ないものの、それでも岸にはぽつり、ぽつりと繋留船が見られます。

写真に写っている舗装道路、実は県道37号線の廃道で、現道は左側の、小高い場所に少しづつ移設工事の最中。地元の方の話では、旧道は水面に近すぎて、増水時に冠水してしまうことも、たびたびあったとのことでした。

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そして、鹿島マリーナ! 櫛形桟橋を備えた、ご覧のとおり実に立派なマリーナで、なだらかな山塊がバックに広がる、風光明媚なところでもあります。ある種、現代の佐陀川を象徴する施設といってよいかもしれません。

東京にいてこそ、運河や川を利用したマリーナは珍しくありませんが、他府県でこのような、運河の懐深くに広がる、これだけの規模のマリーナは、いくつあるでしょうか。
水運と舟遊び、かつてと用途こそ違え、今なおこれだけのフネブネが、この水路を利用している…。「生きている運河」をリアルに実感できた光景でした。
撮影地点のMapion地図】 (←地図に新道が描かれていないので、このあたりかな?)

(25年3月16日撮影)

(『生きている大運河・佐陀川…7』につづく)

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タグ : 佐陀川