生きている大運河・佐陀川…4
(『生きている大運河・佐陀川…3』のつづき)
●樋門裏の道路上から、潟湖「西潟ノ内」を見たところ。左は樋門の銘板にもあった、古江地区西排水機場です。「佐太水海」の名残の水面ともいえますが、見たかぎりではなかなか雄大で、冬はきっと、水鳥の楽園になっていることでしょうね。
元々あった水面を仕切って運河化、というと、何やら簡単に思えますが、足場の極度に悪い沼沢地で、水を堰き止めつつ水路敷を掘り下げ、その余土を両岸に客土してゆく、という土工をすべて人手だけで行うのですから、その難しさは想像を絶するものだったことでしょう。
●さて、「潟ノ内」を離れた後、もう少し平野部の区間を眺めてみたかったのですが、残念ながら時間もあまりなく、次なる目的地へと県道264号線を北上。
ここは河道の里程でいえば、「西潟ノ内」から3.7kmを経たところ。すでに山間部の区間ともいってよいところです。平凡なRC桁橋ですが、擬宝珠付きの親柱が、何かいわくを感じさせる橋ですね。名前は佐太橋、昭和37年10月竣工の銘がありました。川景色はひとまず後のお楽しみにして、橋を渡ったところに、ご挨拶せねばならないところがあるのです。
【撮影地点のMapion地図】

●それは、佐太神社です!
いや…これは…! 緑濃い小山を背にしておわす、星霜を経た木の肌を見せた社殿の素晴らしさに、息を呑みました。「古式ゆかしい」という言葉がそのままビジュアル化されたような、素人目にも歴史の重みというか、凄味を感じさせるそのたたずまい。ご当地にお邪魔させていただいたご挨拶を兼ねて、道中の無事をお祈りしました。
佐陀川がすぐ近くを通っているだけに、そのかかわりも浅からぬものがあるようですね。計画河道が、神社の神池としてかつて在った、「身澄池」を通るため、やはり神社側は難色を示したとのこと。それに対して、清原太兵衛は百日間も日参、代替となる池を新たに造ることで、神社の許しを得たそうです。また、竣工後盛大に催されたと伝えられる川開き式典も、ここ佐太の地が会場となったとのことでした。

●神社を訪ねたいま一つの目的が、境内にある石碑、「清原太兵衛紀功碑」。下に掲げた説明板にあるように、清原太兵衛頌徳会が中心となって、昭和3年に建立されたものです。
この他、佐陀川の対岸にある「さいのかみ公園」には、清原太兵衛の銅像もあるとのこと。古来からこの地区の中心であり、佐陀川開鑿のハイライトともいうべき区間だっただけに、やはり、ゆかりの物件が集中しているようですね。
●この後、隣接する鹿島歴史民俗資料館を駆け足で見学、学芸員さんに合同汽船のことをうかがったところ、幸いにして汽船就航時の記事がある小冊子を紹介くださり、さっそく購入。
あわただしく神社を辞して、佐太橋へ戻ります。さて、山間を縫って流れる運河風景はいかに?
【撮影地点のMapion地図】
(25年3月16日撮影)
(『生きている大運河・佐陀川…5』につづく)

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元々あった水面を仕切って運河化、というと、何やら簡単に思えますが、足場の極度に悪い沼沢地で、水を堰き止めつつ水路敷を掘り下げ、その余土を両岸に客土してゆく、という土工をすべて人手だけで行うのですから、その難しさは想像を絶するものだったことでしょう。

ここは河道の里程でいえば、「西潟ノ内」から3.7kmを経たところ。すでに山間部の区間ともいってよいところです。平凡なRC桁橋ですが、擬宝珠付きの親柱が、何かいわくを感じさせる橋ですね。名前は佐太橋、昭和37年10月竣工の銘がありました。川景色はひとまず後のお楽しみにして、橋を渡ったところに、ご挨拶せねばならないところがあるのです。
【撮影地点のMapion地図】

●それは、佐太神社です!
いや…これは…! 緑濃い小山を背にしておわす、星霜を経た木の肌を見せた社殿の素晴らしさに、息を呑みました。「古式ゆかしい」という言葉がそのままビジュアル化されたような、素人目にも歴史の重みというか、凄味を感じさせるそのたたずまい。ご当地にお邪魔させていただいたご挨拶を兼ねて、道中の無事をお祈りしました。
佐陀川がすぐ近くを通っているだけに、そのかかわりも浅からぬものがあるようですね。計画河道が、神社の神池としてかつて在った、「身澄池」を通るため、やはり神社側は難色を示したとのこと。それに対して、清原太兵衛は百日間も日参、代替となる池を新たに造ることで、神社の許しを得たそうです。また、竣工後盛大に催されたと伝えられる川開き式典も、ここ佐太の地が会場となったとのことでした。

●神社を訪ねたいま一つの目的が、境内にある石碑、「清原太兵衛紀功碑」。下に掲げた説明板にあるように、清原太兵衛頌徳会が中心となって、昭和3年に建立されたものです。
この他、佐陀川の対岸にある「さいのかみ公園」には、清原太兵衛の銅像もあるとのこと。古来からこの地区の中心であり、佐陀川開鑿のハイライトともいうべき区間だっただけに、やはり、ゆかりの物件が集中しているようですね。

あわただしく神社を辞して、佐太橋へ戻ります。さて、山間を縫って流れる運河風景はいかに?
【撮影地点のMapion地図】
(25年3月16日撮影)
(『生きている大運河・佐陀川…5』につづく)

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