生きている大運河・佐陀川…1
(『生きている大運河・佐陀川…0』のつづき)
●翌16日朝、私は宍道湖を望む、佐陀川流頭部の第一橋に立っていました。
空は明るいものの、前日とは変わって曇っており、靄もかかって背景は乳白色に。西日本に黄砂の襲来が報じられていたころですので、あるいはこれも、大陸由来の砂塵だったのかもしれません。
これが佐陀川の、いわば始まりの風景! 対岸はるかにけぶる山並を望む、水際まで迫る集落にはさまれた「呑口」の川景色を前に、しばらく立ちつくしてほれぼれ。「大運河」の始まりにふさわしい川幅と、すがすがしく開けた眺望、佐陀川との初対面は、実に気分のよいものでした。
●同じ橋の上から反対側、下流方を見ると、すぐそばには国道431号線・佐陀大橋が。その向こうには、一畑電車の鉄道橋も渡っています。橋の手前左側、佐陀川で初めて見た船影が。宍道湖のシジミ採りをする船でしょうか。
「宍道湖の風」さんのブログ「思いつくまま」の記事、「幻の『浜佐陀駅』の写真を探しています」によれば、この右手には昭和39年まで、一畑電車の浜佐陀駅があり、合同汽船との乗り換えの便も図られていたとのこと。電車から便利に乗り換えられる運河航路! 船と電車が一緒に写った写真があったら、ぜひ見てみたいものです!
【撮影地点のMapion地図】
●ところで、今立っている橋、すでにタイトルで、高欄をご覧に入れましたが…。

●木製橋なんです!
●名前は茶屋前橋。昔はこの近くにお茶屋でもあったのか、いかにもいわくありげな橋名ですね。佐陀川開鑿以来、運河の入口として、江戸時代から集落が栄えてきたことを匂わせるなあ…などと、妄想が広がります。国道ができる前は、この橋が一畑や出雲に至る、本道を渡していたのでしょうか。
反対側の親柱をのぞくと、平成11年3月の改架。わざわざ木製橋として、架け替えられ続けているのも、何か理由がありそう。
この大運河の栄えある第一橋が、木製橋だったなんて! 渡ってみるだけでは気が済まなくなり、もう少し木橋のある川景色を味わってみようと、駆けまわるはめになりました。

●まずは南側東岸、橋詰近くに駆け下りて、水際から見上げたところを。さすがに基礎はコンクリート製でしたが、橋脚から桁まで、主要部材は皮をむいたままの丸太組み。まごうかたなき、木製橋であります!
一代か二代前の橋が、この決して広くない径間に、行商人や海水浴客を満載した発動機船をくぐらせていたのでしょう。佐陀川を訪ねた初っぱなから、かつてを髣髴させられる橋に出会えた幸せ! この川に「呼ばれた」としか思えない、と好都合な勘違いをしても、無理からぬことではありました。
(25年3月16日撮影)
(『生きている大運河・佐陀川…2』につづく)

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空は明るいものの、前日とは変わって曇っており、靄もかかって背景は乳白色に。西日本に黄砂の襲来が報じられていたころですので、あるいはこれも、大陸由来の砂塵だったのかもしれません。
これが佐陀川の、いわば始まりの風景! 対岸はるかにけぶる山並を望む、水際まで迫る集落にはさまれた「呑口」の川景色を前に、しばらく立ちつくしてほれぼれ。「大運河」の始まりにふさわしい川幅と、すがすがしく開けた眺望、佐陀川との初対面は、実に気分のよいものでした。

「宍道湖の風」さんのブログ「思いつくまま」の記事、「幻の『浜佐陀駅』の写真を探しています」によれば、この右手には昭和39年まで、一畑電車の浜佐陀駅があり、合同汽船との乗り換えの便も図られていたとのこと。電車から便利に乗り換えられる運河航路! 船と電車が一緒に写った写真があったら、ぜひ見てみたいものです!
【撮影地点のMapion地図】
●ところで、今立っている橋、すでにタイトルで、高欄をご覧に入れましたが…。

●木製橋なんです!

反対側の親柱をのぞくと、平成11年3月の改架。わざわざ木製橋として、架け替えられ続けているのも、何か理由がありそう。
この大運河の栄えある第一橋が、木製橋だったなんて! 渡ってみるだけでは気が済まなくなり、もう少し木橋のある川景色を味わってみようと、駆けまわるはめになりました。

●まずは南側東岸、橋詰近くに駆け下りて、水際から見上げたところを。さすがに基礎はコンクリート製でしたが、橋脚から桁まで、主要部材は皮をむいたままの丸太組み。まごうかたなき、木製橋であります!
一代か二代前の橋が、この決して広くない径間に、行商人や海水浴客を満載した発動機船をくぐらせていたのでしょう。佐陀川を訪ねた初っぱなから、かつてを髣髴させられる橋に出会えた幸せ! この川に「呼ばれた」としか思えない、と好都合な勘違いをしても、無理からぬことではありました。
(25年3月16日撮影)
(『生きている大運河・佐陀川…2』につづく)

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タグ : 佐陀川
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