「里帰り」した話…1

113001.jpg私の木っ端ブネ趣味の揺籃の地は、神奈川県の三浦半島にある入り江です。

まだ小さかったころから夏になるたびに訪ね、沿岸の風物や周辺の水域に親しんだこともあり、母港を東京に移して縁が薄くなった今も、第二の故郷といってもいい過ぎでない懐かしさがあって、年に何回かは訪ねたくなる土地でもあります。

「海のロシナンテ」を読み返して、20ン年前の船舶免許を取ったころが思い出されたことをきっかけに、幾度か「里帰り」したときの印象を、書き留めておきたくなりました。想い出話で恐縮ですが、しばらくお付き合いいただければ幸いです。

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タグ : 小網代湾 和船

旧岩淵水門の絵葉書

旧岩淵水門の絵葉書を2枚、お目にかけましょう。隅田川流頭部にあって、大正13年の荒川放水路通水以来、長きに渡り東京の北の護りとして活躍してきた当水門も、地盤沈下による機能不全や設備の老朽化で、昭和57年、すぐ下流に新設された新岩淵水門に道を譲って引退し、現在は現役最終時の姿のまま、現地保存されているのはご存知のとおりです。

絵葉書は2枚とももちろん現役時、竣工からまだ間もない姿を写したもので、現在とは異なるすっきりとした外観が印象的ですね。


荒川放水路
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行、「東京・九段下・青雲堂出版部發行」の銘あり。

現在の姿を見慣れた目には、実にシンプルな現役初期の旧岩淵水門。右端の、通船水門の扉体を収めたケーシング以外はあまり凹凸がなく、堤防天端と高さを合わせた本来のデザインの、直線的な美しさが堪能できる角度ですね。

多色刷りの絵葉書ながら、扉体の塗色を忠実に再現したものかどうかは、残念ながらわからないものの、キャプションに書かれた「この放水路と荒川とが王子區にとって一つのよい交通機關となってゐる」というあたり、当時まだ盛んだった水運の存在が濃厚に感じられる下りで、惹かれるものがあります。

なお、当たり前のことで恐縮ですが、葉書の発行はいうまでもなく、水門竣工後の大正13年以降のどこかで、「大正7年4月以降の発行」は、葉書の通信面(裏面)仕様からの、推測発行時期を記したものに過ぎません、念のため…。

右側径間、通船水門の右手に、すでに過去の増水記録らしいマーキングが見られ、また下に掲げた絵葉書とくらべると、水位観測施設の脚が写っていない(修正された可能性も捨てきれませんが)ので、そのあたりから撮影時期をしぼれるとは思うのですが。


近代都市的施設の荒川放水路閘門(大東京王子區)
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。

こちらはモノクロで、1枚目より少し視点が近く、着色がない分、ディテールもより細かい部分までわかる上、右手前の水位観測施設や、護岸で釣りをする人物に、水面に浮かぶ艪舟ありと、見どころの多い写真となっています。

扉体の継ぎ目や、その上に見える巻上機のシャフトらしい横棒、手前の護岸にはめ込まれたブロックの形まで、鮮明に見て取れますね。あと、タイトルにある「閘門」は間違いというわけではなく、昔は水門を閘門と呼んでしまう例は、少なくありませんでした

ちなみに通船水門上、右手にあるケーシングですが、角落としともいうべき、何枚かに分割された扉体を収めていたようですね。

「写真集・青山士/後世への遺産」(山海堂)掲載の写真で、竣工間もないころの増水時、水門が全閉鎖した場面を写したものがあったのですが、ケーシングが通船水門の真上に来ていたことから、巻上装置と扉体ごとレールの上を移動する、一種のトラベリングゲートだったと推測しています。このあたり資料が乏しいので、ご存知の方がおられたら、ご教示をいただきたいものです。

さて、実際に艇から眺めた旧岩淵水門の写真となると、今まであまりご縁がないのか、残念ながらいい写真がありません。旧水門は通航禁止で、しかも釣り人さんも少なくないことも手伝い、ちょっと近寄りがたい気持ちがあるのでしょう。

一番新しい写真も、右の23年9月25日、新芝川を訪ねた帰り道に撮ったもの、その上曇り空で、あまりよい表情が撮れなかったというていたらく。

それでも、上の絵葉書とくらべてみると、地盤沈下で扉体と水面の間隔がずいぶん狭くなっていることや、不等沈下でわずかに傾いていることがわかるかと思います。この時点(13時ごろ)では、潮位が芝浦推算で130cm前後だったので、干潮時であれば、もう少し水面との間隔が広がってくるのでしょうが。


裏側から見た写真の方が、傾き具合がよくわかりますね。記念物として美しく整備され、一見現役時と変わらないように思えますが、かしいださまを改めて眺めるとやはり痛々しく、新水門に役目を譲らなければならなかった理由が実感されます。

まあ、通航禁止とはいえ、艇で近づいて愛でるくらいのことをしても、怒られないでしょうから…。次に訪ねたら、ぐっとアップで、威容を感じられるような一枚をものしてやりたいですね。


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タグ : 旧岩淵水門 隅田川 絵葉書・古写真

木造漁船で楽しむボートライフ「海のロシナンテ」

海のロシナンテ 

宮原昭夫
集英社文庫  
256ページ
昭和58年8月25日 第一刷


ずいぶん昔に愛読した本ですが、最近本棚から引っ張り出して、久しぶりに読みふけったのを機会に、ご紹介したいと思います。作家・宮原昭夫氏が、仲間とともに小さな中古の漁船を買ったことから始まる、珍にして妙なボートライフをつづったエッセイです。

私が手にしたのは高校生のころ、写真の昭和58年発行になる文庫版ですが、原著は昭和50年に出されたそうですから、書かれた内容はもう37年も昔のお話になるのですね。

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タグ : 海のロシナンテ 宮原昭夫

1月2日の小野川…2

(『1月2日の小野川…1』のつづき)

112026.jpg
舟が下り始めて間もなく、河畔の石垣や家並がすっかり修復され、元の姿を取り戻していることがわかり、嬉しくなるとともに、その間のご苦労がしのばれて、何ともいえない気持ちになりました。

震災後の水郷を訪ねて…2」の写真と、くらべていただくとわかりますが、写真左手は石垣が大きく崩壊していた部分で、違和感なく修復されています。右手に見えるお宅も、瓦が落ちてブルーシートをかけられていたのですが、真新しい瓦でふき直されていました。

112027.jpg船頭さんによれば、修復だけでなく、被災したお宅の中には、一から建て直した例もあるとのこと。しばらく下ってから船頭さんの指す方を見ると、なるほど、瓦だけでなく、白木の壁も新しそうなお宅が。

自治体から手が差し伸べられるにせよ、地元の皆さんに、街並みを維持してゆこうという強い意志がなければ、ここまでのことはできないでしょう。水郷随一の河港街・佐原の心意気を見た思いでした。

112028.jpg成田線鉄橋のすぐ南にある、開運橋の桁側面には、「一時停止」の表示が。この向こうには2ヶ所、地震ではらみ出した石垣を、網でくるんだ砕石の山で押さえてあるところがあり、可航幅が狭くなっているからです。

トラ模様のポールが航路標識として、それぞれの前に2本づつ立てられ、水面下にも張り出しがあることを示していました。いわば応急処置に近いのですが、今は被害の大きい部分が最優先で修復されるでしょうから、差し支えのないところは、当分このままなのでしょう。

112029.jpgおおお、この艇は! 「震災後の水郷を訪ねて…4」で見た、噴出した土砂に持ち上げられ、傾いて座り込んでいたあの艇! 救出されたのですね。

船体がかなり傷んでいたこともあり、このまま処分されるのでは、とばかり思っていたので、立派に浮いているのを目にしたときには、正直嬉しくなりました。以前乗っていた先代艇と同系列の艇、ということも手伝い、気になっていたこともあるでしょう。

112030.jpg
そして今回、もっとも驚かされたのが、利根水郷ラインを渡す北賑橋の手前まで来たとき。何と、土嚢で仮の堰が造られ、堰き止められていたのです! 

向こうの水位が、明らかに低いのがわかりますね。左側には一部切れ目が造られて、水の吐け口となっているようです。不謹慎とは思いながら、物珍しさにまじまじと見入ってしまいました。驚きのあまりききそびれてしまったのですが、何か、上流側の水位を高めなければならない理由があったのでしょうか。

道々で船頭さんに、土砂が盛り上がったあの区間は、通れるようになったかしらと問うと、「それが、まだなんですよ。工事が済めば、利根川まで出るコースもできるんだけどねえ…」との答えだったので、昨年6月に「小野川の復旧工事」で見た改修は、まだ完工していないことは察せられたものの、まさか堰き止められているとは…。

ともあれ、小野川可航区間の復旧が成り、利根川までのコースがふたたび楽しめるようになる日が来ることを、お祈りしています。
撮影地点のMapion地図

(25年1月2日撮影)

(この項おわり)

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タグ : 佐原 小野川 水郷

1月2日の小野川…1

(『謎の切合水門…4』のつづき)

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十六島を後にして、佐原の街にやってきました。震災からまだ間もないころの様子は、「震災後の水郷を訪ねて…1」のシリーズで紹介しましたが、その後なかなかゆっくり訪ねる機会がなく、申しわけなく思っていたのです。

今回は、久々に小野川の観光舟を楽しみながら、河畔と街並みの復興ぶりも拝見しようと、まずは忠敬橋周辺の中心部へ。樋橋上流のここから見ても、修理中なのか、足場に囲まれている建物が目につきますね。

112022.jpg樋橋の橋詰にある伊能忠敬旧宅は、フェンスと足場にすっぽり覆われて、どうやら改修工事中のようですね。伊能忠敬記念館利用案内によれば、やはり震災の復旧工事中とのことでした。

佐原市街の象徴ともいえる建物だけに、修繕にも細心の注意がはらわれていることでしょう。この日、内部の見学はできるようでしたが、案内にも書かれているように、工事の進捗によっては入れない場合もあるとのことです。

112023.jpg忠敬橋橋詰から西を見たところ。震災で瓦が落ち、ブルーシートがかかっていた家も、ふき替えがだいぶ進んだようで、真新しい瓦が陽光を反射しているのを見ることができました。

しかし、写真のように、工事中の家もまだまだ多く、完全な復旧にはなお時間が必要なようです。あれ、写真中央、西詰北側の角地には白い壁の3階建てがあった(この写真の左側の建物)のですが、取り壊されて更地になってしまいました。

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しばらく買い物がてら街を散策して、樋橋の乗り場に戻り、乗り合い舟の最終便へ。

ちょうど乗り込んだところで、樋橋の放流時刻が重なり、ジャージャー橋の通称にたがわぬ姿を間近で拝めたのはよかったのですが、風が強いとあって、飛んでくる水しぶきもかなりのものでした。

112025.jpg舟は忠敬橋の下まで後進のまま進み、船首をめぐらして小野川を下ります。川面を抜ける風はもちろん冷たいものの、舟上はこたつでぬくもっているとあって、それほどつらいわけではありません。

ここから見たかぎり、両岸の石垣はだいぶ改修が進んだようですが、下流の様子はどうでしょうか。
撮影地点のMapion地図

(25年1月2日撮影)

(『1月2日の小野川…2』につづく)

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タグ : 佐原 小野川 水郷