柳川堀割めぐり…13
(『柳川堀割めぐり…12』のつづき)

●船頭さんも橋の様子を見て、だいぶ低いね、といわれたものの、そのまま竿を操る手を休めずに、何と桁側面にゴツン! 提灯を下げた紅白の手すりを、もろにぶつけるというチャレンジャー(笑)ぶり。やはり、くぐるのには無理がありそうですね。
手すりを触りながら、「これがなければいいんですが、外せんようになっとるし…」と思案顔。もし無理なら、残念ですが戻るほかないかも、と思っていたのですが…。
●橋をよく観察すると、一見直線のように見えて、中央の橋脚付近は、ほんのわずかながら中高になっています。「真ん中へんなら、何とかいけませんかね?」と提案すると、船頭さんはうなずいて、竿をふるって舟の体勢を立て直してくれ、再チャレンジの構え。そうこなくっちゃ!
橋脚の近くも、充分な高さとはいえませんでしたが、私も一緒に両手で舟を押し下げるようにして、かろうじてすり抜けに成功! このまま橋の下にはさまって、抜けなくなるのでは? というスリルに肝を冷やしながらも、「橋を持ち上げる」作業はなかなかできない体験で、楽しいハプニングとなりました。
●ホッとしたところで、南側にある水路が目に入りました。住宅にはさまれた小水路に、角落とし式の水門があり、その向こうは土堤で仕切られて、さらにそこにも小さな樋門が見える…。
柳川の市内に、このような小さな水門・樋門が、いったいいくつあるのでしょうか。無数のささやかなゲートで、きめ細かに制御される堀割群の水! ひとつひとつ訪ねてみたい欲求にかられてしまいました。
●しばらく進むと、東西に伸びる外堀の東の果てが見えてきました。ここ宮永町と佃町の間で、堀は北へ90度向きを変えるのです。もう低くなった西日が、水際に立つ住宅の壁をほの赤く照らし、それが雲といっしょに水鏡に姿を映して、なかなかきれい。
「このあたりも、ついこの間まで田んぼだったんですが、だいぶ家が建ってきましたね」と船頭さん。新興住宅地といったところですか、そういえばまだ新しい家が多いですね。

●県道770号線・城東橋をくぐり、前方に見えてきた、木橋の雰囲気に惹かれて一枚。レアなコースなのでしょう、ここまでついに、一隻も行き合い舟を見ることなく遡上してきました。
あっ、木橋の向こうにチラリと見えるあれは! あそこまで戻ってきたのですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…14』につづく)

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●船頭さんも橋の様子を見て、だいぶ低いね、といわれたものの、そのまま竿を操る手を休めずに、何と桁側面にゴツン! 提灯を下げた紅白の手すりを、もろにぶつけるというチャレンジャー(笑)ぶり。やはり、くぐるのには無理がありそうですね。
手すりを触りながら、「これがなければいいんですが、外せんようになっとるし…」と思案顔。もし無理なら、残念ですが戻るほかないかも、と思っていたのですが…。

橋脚の近くも、充分な高さとはいえませんでしたが、私も一緒に両手で舟を押し下げるようにして、かろうじてすり抜けに成功! このまま橋の下にはさまって、抜けなくなるのでは? というスリルに肝を冷やしながらも、「橋を持ち上げる」作業はなかなかできない体験で、楽しいハプニングとなりました。

柳川の市内に、このような小さな水門・樋門が、いったいいくつあるのでしょうか。無数のささやかなゲートで、きめ細かに制御される堀割群の水! ひとつひとつ訪ねてみたい欲求にかられてしまいました。

「このあたりも、ついこの間まで田んぼだったんですが、だいぶ家が建ってきましたね」と船頭さん。新興住宅地といったところですか、そういえばまだ新しい家が多いですね。

●県道770号線・城東橋をくぐり、前方に見えてきた、木橋の雰囲気に惹かれて一枚。レアなコースなのでしょう、ここまでついに、一隻も行き合い舟を見ることなく遡上してきました。
あっ、木橋の向こうにチラリと見えるあれは! あそこまで戻ってきたのですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…14』につづく)

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柳川堀割めぐり…12
(『柳川堀割めぐり…11』のつづき)
●両岸に道を隔てて商家が並び、観光客が賑やかに行きかうさまは、関東でいえば佐原の小野川沿いを思わせますが、ご覧のとおり船べりと変わらない岸の低さに加え、道の際に柵どころか駒止め(縁石)すら見えないのがまことに効果絶大、水と陸の近しさが桁違いの感を受けました。
柳並木の向こうをそぞろ歩く人々の足元まで、舟の胴の間に座った目線から、腰を浮かせもせずに自然に眺められるのは、自艇での舟行きを思うとどこか不思議な感じ。水上と陸上の視点が、これほどまでに変わらない、しかもそれが、街場で体験できるなんて、素敵なことじゃないですか!
●西側の正面には、サングラスをかけ、くわえタバコの白秋像が掲げられた、お祭りの飾り付けが。街堀はこの奥で北へ90度曲がって終わりますが、我々はここで転回して戻ります。
●そうそう、「水の構圖」の中の一章、「沖ノ端」の冒頭にある序文が、この街の来歴を簡潔に紹介していて興味深かったので、長くなりますが引用させていただきましょう。
「柳河を南に約半里ほど隔てて六騎(ロッキュ)の街沖ノ端がある。(六騎とはこの街に住む漁夫の渾名であつて、昔平家没落の砌に打ち洩らされの六騎がここへ落ちて來て初めて漁りに從事したといふ、而してその子孫が世々その業を繼承し、繁殖して今日の部落を爲すに至つたのである。)畢竟は柳河の一部と見做すべきも、海に近いだけ凡ての習俗もより南國的な、闊達さと魚臭とがある。(後略)」
●白秋が生まれ育った街とあって、その思い入れが伝わってくるような文章ですが、興味をひかれたのは、この街がいわゆる柳川とは一線を画していた土地柄だったらしいこと、そして六騎なる、字面も読み方も一風変わった通称の漁民が住まい、この集落を興したらしいことの二つ。
このあたり、機会があれば調べてみたいのですが、「六騎」に関しては今なお、お茶屋と船着場にその名前を残していることが地図を見てわかり、面白く思ったものでした。

●舟は一旦、城門観光本社の桟橋まで戻り、ここで船頭さんと名残りを惜しんでお別れ、いま一人の船頭さんと交代です。
えっ、まだ乗り続けるのかって?
片道だけで降りるなんて、もったいないことはしない(断言)! せっかく柳川に来たんですから、帰りもドンコ舟と決めていたのです。ただし、往路とコースは変えてもらいました。南側と東側をぐるりと周る、外堀コースです!
かんぽの宿がある丁字流を左折して進むと、視界が大きく開けて、爽やかな秋空を水鏡に映す、胸のすくような水路風景が広がりました。これまでも、およそ5km弱の航程中で、柳川の水路はさまざまな表情を見せてくれましたが、ここでまた新たな一面を見た思いでした。
●こちらは行き交う舟も少なく、観光スポットとも離れているせいで、とにかく静か。広大な堀割を一人占めした気分です。
船頭さんの自己紹介によれば、なんと昭和6年生まれの81歳、100人以上いるといわれる、柳川各船社の船頭さんの中でも最高齢とか。もっともキャリアは10年ほどで、この道に入る前は、有明海でノリの養殖をされていたそう。さっそく東京湾のノリ養殖との違いをうかがったり、美味をうたわれた有明ノリのお話など、ノリ談義でひとしきり盛り上がりました。

●何度か触れたように、この日は水位が高いため、船頭さんは岸にごく近い浅いところを選んで、竿をさしつつ進みます。県道766号線の御堀橋を過ぎ、さらに東進すると、やけにフラットな造りのRC橋が出現。地図によると、宮永橋とあります。
ううん、これはヤバいんじゃないか? 目線を低めても、桁裏が全く見えない…。一見おとなしい外観のこの橋が、近づくほどにある種の禍々しさを発散してきたのを、すり抜け歴の長い(?)当方としては、見逃すはずはありませんでした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…13』につづく)

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柳並木の向こうをそぞろ歩く人々の足元まで、舟の胴の間に座った目線から、腰を浮かせもせずに自然に眺められるのは、自艇での舟行きを思うとどこか不思議な感じ。水上と陸上の視点が、これほどまでに変わらない、しかもそれが、街場で体験できるなんて、素敵なことじゃないですか!

●そうそう、「水の構圖」の中の一章、「沖ノ端」の冒頭にある序文が、この街の来歴を簡潔に紹介していて興味深かったので、長くなりますが引用させていただきましょう。
「柳河を南に約半里ほど隔てて六騎(ロッキュ)の街沖ノ端がある。(六騎とはこの街に住む漁夫の渾名であつて、昔平家没落の砌に打ち洩らされの六騎がここへ落ちて來て初めて漁りに從事したといふ、而してその子孫が世々その業を繼承し、繁殖して今日の部落を爲すに至つたのである。)畢竟は柳河の一部と見做すべきも、海に近いだけ凡ての習俗もより南國的な、闊達さと魚臭とがある。(後略)」
●白秋が生まれ育った街とあって、その思い入れが伝わってくるような文章ですが、興味をひかれたのは、この街がいわゆる柳川とは一線を画していた土地柄だったらしいこと、そして六騎なる、字面も読み方も一風変わった通称の漁民が住まい、この集落を興したらしいことの二つ。
このあたり、機会があれば調べてみたいのですが、「六騎」に関しては今なお、お茶屋と船着場にその名前を残していることが地図を見てわかり、面白く思ったものでした。

●舟は一旦、城門観光本社の桟橋まで戻り、ここで船頭さんと名残りを惜しんでお別れ、いま一人の船頭さんと交代です。
えっ、まだ乗り続けるのかって?
片道だけで降りるなんて、もったいないことはしない(断言)! せっかく柳川に来たんですから、帰りもドンコ舟と決めていたのです。ただし、往路とコースは変えてもらいました。南側と東側をぐるりと周る、外堀コースです!
かんぽの宿がある丁字流を左折して進むと、視界が大きく開けて、爽やかな秋空を水鏡に映す、胸のすくような水路風景が広がりました。これまでも、およそ5km弱の航程中で、柳川の水路はさまざまな表情を見せてくれましたが、ここでまた新たな一面を見た思いでした。

船頭さんの自己紹介によれば、なんと昭和6年生まれの81歳、100人以上いるといわれる、柳川各船社の船頭さんの中でも最高齢とか。もっともキャリアは10年ほどで、この道に入る前は、有明海でノリの養殖をされていたそう。さっそく東京湾のノリ養殖との違いをうかがったり、美味をうたわれた有明ノリのお話など、ノリ談義でひとしきり盛り上がりました。

●何度か触れたように、この日は水位が高いため、船頭さんは岸にごく近い浅いところを選んで、竿をさしつつ進みます。県道766号線の御堀橋を過ぎ、さらに東進すると、やけにフラットな造りのRC橋が出現。地図によると、宮永橋とあります。
ううん、これはヤバいんじゃないか? 目線を低めても、桁裏が全く見えない…。一見おとなしい外観のこの橋が、近づくほどにある種の禍々しさを発散してきたのを、すり抜け歴の長い(?)当方としては、見逃すはずはありませんでした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…13』につづく)

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柳川堀割めぐり…11
(『柳川堀割めぐり…10』のつづき)

●丁字流を右に折れ、「御花」の南側水路に出ると、水面上に伸びる枝葉の間から、木橋が姿を現わしました。中央径間を一本ものの反橋としたあたり、舟航を考えた造りで、高欄に装飾のないのもかえって風情があります。
船頭さんによれば、平成に入ってから「御花」と吉富町の間に架けられた新しい橋で、「出逢い橋」というそう。ううむ、「ふれあい橋」系のネーミングか、とも思ったのですが、もらった地図を見るとひらがなでなく漢字で、橋の渋い外観とあいまって、それ系のユルさはあまり感じられませんでした。
●三度右に折れて、西側の水路に入ったところ。堀割上に伸びる枝はますます低く、まるで這うようにゆく手をさえぎります。写真前方の枝は、低過ぎて支えまでしていますね。決して放置してこうなったのではなく、ある程度管理はされているのでしょう。
船頭さんは最初、支えの右側をくぐろうとしていた(!)ものの、余りの低さにあきらめて、左の護岸ギリギリをすり抜けていました。「いつもは(水面が)低いから、くぐれるんですが…」ははあ、お祭り期間中で水位を上げているという、さっきも聞いた話の伝ですか。
●さらに進むと右側には、水面から立ち上がったなまこ壁、「殿の倉」が見えてきました。写真集「水の構圖」でも、最初の一枚に選ばれただけあって印象深い建物で、高さと長大さには圧倒されます。現在は「立花家史料館」になっているそうです。
奥からはちょうど、お客さんを乗せたドンコが一艘出てきて、こちらに向かってきました。左のお店が、大きく張り出しているのも面白いですね。
●我々も同様に左に折れ、沖端橋をくぐります。橋名板につけられた番号は、12番。もっと多くの橋をくぐったような気がしたけれど、そんなものだったかしら?
橋に続いて、奥の道路も桟道状に張り出していますね。お店も道も、幅員が不足気味のようです。ここをくぐればいよいよ…。

●沖端の街堀! 東西にほぼまっすぐ約200m、柵のない低い石垣の水辺と、緑したたる柳並木が、整然とした水路の美をおりなす、文字通り街場の堀割です。
「水の構圖」でも、「街堀は柳しだたる兩岸を汲水場の水照穏に燒けつつ」とうたわれ、商家の並ぶ水辺が活写されていますが、まさに詩のとおり、草深いのどかな堀割とはまた違った、柳川を代表する水辺風景の一つがそこにありました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…12』につづく)

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●丁字流を右に折れ、「御花」の南側水路に出ると、水面上に伸びる枝葉の間から、木橋が姿を現わしました。中央径間を一本ものの反橋としたあたり、舟航を考えた造りで、高欄に装飾のないのもかえって風情があります。
船頭さんによれば、平成に入ってから「御花」と吉富町の間に架けられた新しい橋で、「出逢い橋」というそう。ううむ、「ふれあい橋」系のネーミングか、とも思ったのですが、もらった地図を見るとひらがなでなく漢字で、橋の渋い外観とあいまって、それ系のユルさはあまり感じられませんでした。

船頭さんは最初、支えの右側をくぐろうとしていた(!)ものの、余りの低さにあきらめて、左の護岸ギリギリをすり抜けていました。「いつもは(水面が)低いから、くぐれるんですが…」ははあ、お祭り期間中で水位を上げているという、さっきも聞いた話の伝ですか。

奥からはちょうど、お客さんを乗せたドンコが一艘出てきて、こちらに向かってきました。左のお店が、大きく張り出しているのも面白いですね。

橋に続いて、奥の道路も桟道状に張り出していますね。お店も道も、幅員が不足気味のようです。ここをくぐればいよいよ…。

●沖端の街堀! 東西にほぼまっすぐ約200m、柵のない低い石垣の水辺と、緑したたる柳並木が、整然とした水路の美をおりなす、文字通り街場の堀割です。
「水の構圖」でも、「街堀は柳しだたる兩岸を汲水場の水照穏に燒けつつ」とうたわれ、商家の並ぶ水辺が活写されていますが、まさに詩のとおり、草深いのどかな堀割とはまた違った、柳川を代表する水辺風景の一つがそこにありました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…12』につづく)

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柳川堀割めぐり…10
(『柳川堀割めぐり…9』のつづき)

●2段のクランクを抜けたところで、右手に見えたいい雰囲気のこの橋は、安東橋。RC橋のようですが、白秋道路とあって高欄や桁の側面を木製とし、地味ながらほどよいまとまりを見せています。
向こうの水路もイイ感じで、惹かれるものがあるのですが、残念ながらコース外、間近になったゴール目指してさらに南下です。
●逆行を透かして見る、県道770号線を渡す柳城1号橋。柳川城址や白秋の生家を間近に控え、各船社の船着場もこのあたりに集中しているせいか、橋上は堀割を眺める観光客が多く、ちょっと気恥ずかしいくらいです。
出発直後にいくつか見てきた、柳川駅にほど近い各船社の船着場は、いわば「川下り」の起点で、出張所といったところ。本社機能はこちら、旧藩主邸「御花」の周囲から、沖端の街のあたりに散在する船着場の近くに、事務所を構えている例がほとんどのようですね。
●というわけで豊後橋西詰、城門観光本社の前に到着。こちらも送迎のバスやお客さんで賑わっていますね。桟橋はこの右手、橋詰の南側にあります。
本来ならばここが終点なのですが、船頭さんは「せっかく来たんですから、御花の周りと沖端を一周してから戻りましょう」と提案してくれ、陸上から声をかけてきたスタッフに、その旨を大きな声で伝えていました。嬉しい、まだ乗っていられるんだ!

●豊後橋をくぐって左折すると、右手に「御花」の敷地内から伸びる木々が水面低くまで枝を広げ、進むほどに音が吸い取られて、喧噪も次第に遠くなってゆく感じ。
四方山話の中で、船頭さんが「川下り」観光の歴史に触れてくれました。一見、昔からあるように見える「川下り」は、戦後昭和29年に封切られた、ご当地ロケの日活映画「からたちの花」が大ヒットしてから立ち上げられたものだそう。
そうえば、十六島水郷も美空ひばり主演の映画「娘船頭さん」の公開から、観光客が急増したという話を聞きました、と返せば、「いずこも同じですねえ」と船頭さんも笑っていました。
(そうそう、You Tubeに『娘船頭さん』のPV?がアップされているのですが、水郷汽船の客船が走っているシーンが一瞬だけ出てきて、もう大興奮です!)
●北側から東へと、「御花」周囲の2辺をたどったあたりで、正面に見えてきたのは「かんぽの宿 柳川」。
堀割からはあまり、巨大な建物が見えなかったので、見通しのよい水面にすっかり姿を写した眺めは、ちょっと新鮮でした。ここは丁字流で、左に折れれば外堀をたどって、並倉で先ほど通ってきたコースに戻ることができます。
●船頭さんの話から、「川下り」観光のそもそもが気になって、先ほども引用させていただいた「水と光につつまれて」を、帰宅後に読んでみました。
「からたちの花」の反響を受けて、ご当地でも舟による観光事業の機運が盛り上がり、商工会議所がまず視察したのが、なんと水郷潮来。商工会議所・観光協会・西鉄の三者による、常設的な川下りが始まったのは昭和30年。さらに初の民間船社である、柳川観光(株)は昭和39年に発足したとのこと。
もちろん、チャーターによる小規模な舟遊びは昔からあったそうですが、江戸時代すでに十二橋が名所としてうたわれ、戦前には水郷三社を含め、モーター船による観光コース化していた十六島周辺のことを思うと、意外なくらい新しいのですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…11』につづく)

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●2段のクランクを抜けたところで、右手に見えたいい雰囲気のこの橋は、安東橋。RC橋のようですが、白秋道路とあって高欄や桁の側面を木製とし、地味ながらほどよいまとまりを見せています。
向こうの水路もイイ感じで、惹かれるものがあるのですが、残念ながらコース外、間近になったゴール目指してさらに南下です。

出発直後にいくつか見てきた、柳川駅にほど近い各船社の船着場は、いわば「川下り」の起点で、出張所といったところ。本社機能はこちら、旧藩主邸「御花」の周囲から、沖端の街のあたりに散在する船着場の近くに、事務所を構えている例がほとんどのようですね。

本来ならばここが終点なのですが、船頭さんは「せっかく来たんですから、御花の周りと沖端を一周してから戻りましょう」と提案してくれ、陸上から声をかけてきたスタッフに、その旨を大きな声で伝えていました。嬉しい、まだ乗っていられるんだ!

●豊後橋をくぐって左折すると、右手に「御花」の敷地内から伸びる木々が水面低くまで枝を広げ、進むほどに音が吸い取られて、喧噪も次第に遠くなってゆく感じ。
四方山話の中で、船頭さんが「川下り」観光の歴史に触れてくれました。一見、昔からあるように見える「川下り」は、戦後昭和29年に封切られた、ご当地ロケの日活映画「からたちの花」が大ヒットしてから立ち上げられたものだそう。
そうえば、十六島水郷も美空ひばり主演の映画「娘船頭さん」の公開から、観光客が急増したという話を聞きました、と返せば、「いずこも同じですねえ」と船頭さんも笑っていました。
(そうそう、You Tubeに『娘船頭さん』のPV?がアップされているのですが、水郷汽船の客船が走っているシーンが一瞬だけ出てきて、もう大興奮です!)

堀割からはあまり、巨大な建物が見えなかったので、見通しのよい水面にすっかり姿を写した眺めは、ちょっと新鮮でした。ここは丁字流で、左に折れれば外堀をたどって、並倉で先ほど通ってきたコースに戻ることができます。
●船頭さんの話から、「川下り」観光のそもそもが気になって、先ほども引用させていただいた「水と光につつまれて」を、帰宅後に読んでみました。
「からたちの花」の反響を受けて、ご当地でも舟による観光事業の機運が盛り上がり、商工会議所がまず視察したのが、なんと水郷潮来。商工会議所・観光協会・西鉄の三者による、常設的な川下りが始まったのは昭和30年。さらに初の民間船社である、柳川観光(株)は昭和39年に発足したとのこと。
もちろん、チャーターによる小規模な舟遊びは昔からあったそうですが、江戸時代すでに十二橋が名所としてうたわれ、戦前には水郷三社を含め、モーター船による観光コース化していた十六島周辺のことを思うと、意外なくらい新しいのですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…11』につづく)

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柳川堀割めぐり…9
(『柳川堀割めぐり…8』のつづき)
●田中吉政像を右に見て左折、木々に囲まれた狭水路の奥に見えてきたのが、この弥兵衛門(やえもん)橋! 先にくぐった石橋より、輪をかけた橋台地の張り出しと径間の狭さに、自然と腰が浮いて「おおお!」と声を上げてしまうほど。船頭さんも呆れていたことでしょう。
外観だけでもそそりますが、弥兵衛門橋、先にも引用させていただいた「近世以前の土木遺産」の福岡県の一覧によれば、「柳川城堀にかかる橋としては最古」とあり、江戸時代に造られたものなのだそう(追記:これは帰宅後に知ったことです、念のため)。その濃厚な外観からも、ぜひくぐってみたい注目の橋だったのです。高欄は擬木風の最近のものですが、桁や橋台地は、竣工当時のままということでしょうか?

●いやもう、これは狭い。橋台も桁も荒削りなだけに、頭皮を削られそうな恐ろしさというか、圧迫感もひとしお。剥落の跡がある桁下に、経てきた星霜が感じられますね。桁は両端を残して、最近のものと入れ替えられているようでした。
船頭さんの話では、「この2~3日は白秋祭なので、水面を上げているので、橋もいつもよりくぐりにくい」とのこと。堀割の導水量も、意識して増減させることがあるのですね。なぜお祭りの最中のみ、水位を上げるのかは聞きそびれましたが、通船量が激増することから、水が濁らないように、代謝を良くするということなのでしょうか?
●興奮の弥兵衛門橋をくぐって少し進むと、変則丁字流のある広い水面に出ました。写真はこの丁字流の北西角に立つ、蜘蛛手網の棚とその仕掛け。「水の構圖」にも、「蜘蛛手棚」と題した歌とともに、写真が掲げられていました。滑車を備えた、デリックのような大がかりな仕掛けです。
船頭さんがポツリと「観光用に造ったもんで、使っているわけじゃないんですがね」。…あれ、近江八幡でも似たセリフを聞いたような(過去ログ『西の水郷を訪ねて…4』参照)。まあ、古いものがきちんと保存され、維持されているのは悪いことではありません。
【撮影地点のMapion地図】
●丁字流を左に折れ、少年白秋が通学した道・「白秋道路」と名付けられ整備された、河畔の遊歩道に沿って南下。秋の日はつるべ落とし、陽が低くなったせいか、ちょっと雲がかかると、だいぶ肌寒くなってきました。カメラを向けても、薄暗く撮れてしまいます。
今までお祭りの飾り付けをたくさん見てきましたが、舞台をのぞけば、これはその中でも最大のもの。提灯のトンネル! くぐりながら、「これだけ造ってもねえ、あとは真っ暗ですから、夜は…」と、船頭さんはやはり、夜はお勧めでない様子!

●城西橋をくぐり、クランク状に何度か屈曲する区間の半ば、今度は唐傘をオブジェ風に飾り付けたものが。絵柄はとてもキレイですが、何かもったいないような気も…。お祭りの最終日、ここも夜にはライトアップされて、昼とは違った美しさがあることでしょうね。
(24年11月3日撮影)
【24年11月24日追記】1段目に追記・訂正しました。
(『柳川堀割めぐり…10』につづく)

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外観だけでもそそりますが、弥兵衛門橋、先にも引用させていただいた「近世以前の土木遺産」の福岡県の一覧によれば、「柳川城堀にかかる橋としては最古」とあり、江戸時代に造られたものなのだそう(追記:これは帰宅後に知ったことです、念のため)。その濃厚な外観からも、ぜひくぐってみたい注目の橋だったのです。高欄は擬木風の最近のものですが、桁や橋台地は、竣工当時のままということでしょうか?

●いやもう、これは狭い。橋台も桁も荒削りなだけに、頭皮を削られそうな恐ろしさというか、圧迫感もひとしお。剥落の跡がある桁下に、経てきた星霜が感じられますね。桁は両端を残して、最近のものと入れ替えられているようでした。
船頭さんの話では、「この2~3日は白秋祭なので、水面を上げているので、橋もいつもよりくぐりにくい」とのこと。堀割の導水量も、意識して増減させることがあるのですね。なぜお祭りの最中のみ、水位を上げるのかは聞きそびれましたが、通船量が激増することから、水が濁らないように、代謝を良くするということなのでしょうか?

船頭さんがポツリと「観光用に造ったもんで、使っているわけじゃないんですがね」。…あれ、近江八幡でも似たセリフを聞いたような(過去ログ『西の水郷を訪ねて…4』参照)。まあ、古いものがきちんと保存され、維持されているのは悪いことではありません。
【撮影地点のMapion地図】

今までお祭りの飾り付けをたくさん見てきましたが、舞台をのぞけば、これはその中でも最大のもの。提灯のトンネル! くぐりながら、「これだけ造ってもねえ、あとは真っ暗ですから、夜は…」と、船頭さんはやはり、夜はお勧めでない様子!

●城西橋をくぐり、クランク状に何度か屈曲する区間の半ば、今度は唐傘をオブジェ風に飾り付けたものが。絵柄はとてもキレイですが、何かもったいないような気も…。お祭りの最終日、ここも夜にはライトアップされて、昼とは違った美しさがあることでしょうね。
(24年11月3日撮影)
【24年11月24日追記】1段目に追記・訂正しました。
(『柳川堀割めぐり…10』につづく)

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