芝川に寄り道…4
(『芝川に寄り道…3』のつづき)

●中央の堰柱上部に掲げられていた、青銅風の銘板(上写真)。竣工は昭和39年3月とありました。巻上機室からの樋が正面に下がり、さらにクラックからの水垢もあって、鑑賞には具合のよい状況とはいえません。
上青木橋の上から下をのぞくと、ワイヤーは油気がほとんどないものの、ちゃんと扉体を吊っているようです。僅かに開いた扉体の下からは、流入する水音が聞こえました。
●同じく橋の上から反対側、親水公園となった旧芝川を望んだところ。
青木水門内外の水位差を考えると、ここも一種の「水位低下化河川」になるのでしょうか。すると、下流の領家水門のあたりでは、ポンプアップして新芝川に排水しているのかな?

●水門の東端から、改めて新芝川の広々とした水面を眺め、しみじみ。あそこに見える橋は、確か汐入橋…。過去ログ「新芝川…3」のときは、あの4本下流にある、白鷺橋まで上がってこれたんだよなあ…。
せんないこととは知りながらも、水深もありそうで、幅も充分な水路を前にすれば、ブツブツと始まってしまうのが水路者の業深さ。いつの日か情勢が変わって、我が艇で青木水門を仰げる日が来ることを祈りつつ、ススキそよぐ秋の芝川畔を後にしました。
(24年10月21日撮影)
(この項おわり)

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上青木橋の上から下をのぞくと、ワイヤーは油気がほとんどないものの、ちゃんと扉体を吊っているようです。僅かに開いた扉体の下からは、流入する水音が聞こえました。

青木水門内外の水位差を考えると、ここも一種の「水位低下化河川」になるのでしょうか。すると、下流の領家水門のあたりでは、ポンプアップして新芝川に排水しているのかな?


せんないこととは知りながらも、水深もありそうで、幅も充分な水路を前にすれば、ブツブツと始まってしまうのが水路者の業深さ。いつの日か情勢が変わって、我が艇で青木水門を仰げる日が来ることを祈りつつ、ススキそよぐ秋の芝川畔を後にしました。
(24年10月21日撮影)
(この項おわり)

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芝川に寄り道…3
(『芝川に寄り道…2』のつづき)
●水門の手前には、高水敷と同じくらいの高さで土堤が築かれ、本流との間を隔てていました。増水してここを越流しないかぎり、水門は芝川と接することは、もはやないといってよい状態なのですね。
水門としての機能は、なかば期待されておらず、堤防の一部と化したとあっては、少々外観が荒れているのも無理はありません。
●もっとも、右径間の扉体からは、ザーザーと水の落ちる音が聞こえ、土堤を透かしてわずかながら導水されていることがわかりました。親水公園である、旧芝川への水がここから取られているようです。
扉体の前をよく見ると、こちらも低くはありますが、角落しがはめ込まれており、扉体との間に落差を作っていました。

●高水敷から巻上機室を見上げて。水門の上、秋空に高圧線がさあっと横切っているのが、どこか爽やかな感じの眺めでした。

●堤防道に戻って、管理橋の橋詰から見たところ。あらら、堰柱にはずいぶん落書きをされてしまっていますね。自転車で買い物帰りのおばさんや、犬を散歩させている人などが頻繁に通り、交通量は少なくありません。
川を眺めながら、楽しそうに話し込んでいるご老体たちもおられ、くたびれた雰囲気とはうらはらに、水門の周りは実に賑やかでした。
管理橋の親柱を見ると、橋名は上青木橋でした。水門と同名でないのがちょっと意外でしたが、地図を見て納得。芝川と竪川放水路にはさまれた、このあたりの地名が上青木で、青木は少し南、オートレース場の敷地あたりからなのですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年10月21日撮影)
(『芝川に寄り道…4』につづく)

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水門としての機能は、なかば期待されておらず、堤防の一部と化したとあっては、少々外観が荒れているのも無理はありません。

扉体の前をよく見ると、こちらも低くはありますが、角落しがはめ込まれており、扉体との間に落差を作っていました。

●高水敷から巻上機室を見上げて。水門の上、秋空に高圧線がさあっと横切っているのが、どこか爽やかな感じの眺めでした。


川を眺めながら、楽しそうに話し込んでいるご老体たちもおられ、くたびれた雰囲気とはうらはらに、水門の周りは実に賑やかでした。
管理橋の親柱を見ると、橋名は上青木橋でした。水門と同名でないのがちょっと意外でしたが、地図を見て納得。芝川と竪川放水路にはさまれた、このあたりの地名が上青木で、青木は少し南、オートレース場の敷地あたりからなのですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年10月21日撮影)
(『芝川に寄り道…4』につづく)

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芝川に寄り道…2
(『芝川に寄り道…1』のつづき)
●道路から水門わきにある小公園に入り、土堤道の上に出てみると、水門が間近に眺められました。この角度から見て意表を突かれたのは、巻上機室の中にある、大きなスパーギヤや操作盤ボックスなど、機械類がほぼ丸見えだということ。
窓の大きさからすれば当たり前なのかもしれませんが、床面から天井まで、ここまで素通しなのはおそらく、初めてです。
昔あったオモチャのロボットに、胸のハッチを開けると、歯車類が見えるように造られているものがありましたが、それを連想される露出ぶり。これで窓がはめ殺しときたら、真夏の点検は地獄のようでしょうね…。

●竪川樋門から下流側に向かうと、芝川との合流点近くに、こんな格好のよい人道橋を発見。橋の名前は、と橋詰の柵にあった銘板をのぞくと…。
ふれあい橋。
久しぶりに出会いましたわ(笑)。
以前、「ふれあい橋づくし」なんて記事をつくってみたりもしましたが、橋梁愛好家の皆さんの成果を結集して、「全国ふれあい橋名鑑」みたいなサイトができたら、面白いだろうな…と妄想。
●ふれあい橋の真ん中から下流側を見ると、芝川・新芝川と竪川の合流点が一望できました。右手奥には、目指す青木水門…旧芝川の分流点も見えます。秋晴れの空の下、川面もさざ波一つなく、実に穏やか。
それにしても…と、眺めているうちに、ある感情が湧きあがってくるのを、抑えることができませんでした。低水敷は幅も十分だし、水を湛えていかにも可航河川らしい表情、過去ログ「新芝川…3」のときに、ここまで到達できなかったのが、今さらながら、もどかしさとなって込み上げてきたのです。
今は「新芝川再訪…6」でも紹介したように、フェンスで閉鎖されているので、かなわぬ夢となってしまいましたが、水路の状況から見れば、我が艇でここまで到達するのは決して難しくはなかったであろうだけに、やはり、残念でならないのです。青木水門を、艇から見上げてみたかったなあ!

●半ば走って、青木水門のそばに到着。各所で紹介されているので、状態があまりよくないことは知っていましたが、実見してみると、そのうらぶれた雰囲気は予想以上。同じ旧芝川の河口にある、領家水門(『新芝川再訪…1』参照)とは、ずいぶん扱いに差があるように思えます。
やはり左径間が、錆びた鋼材の角落としを重ねて塞がれてしまっていること、その左にある水位観測機器らしいものも赤錆びているため、廃墟然とした感じを受けるのでしょう。さらにもう一つ、廃墟感を助長するようなものがあることに、今回訪ねて気づかされました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年10月21日撮影)
(『芝川に寄り道…3』につづく)

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窓の大きさからすれば当たり前なのかもしれませんが、床面から天井まで、ここまで素通しなのはおそらく、初めてです。
昔あったオモチャのロボットに、胸のハッチを開けると、歯車類が見えるように造られているものがありましたが、それを連想される露出ぶり。これで窓がはめ殺しときたら、真夏の点検は地獄のようでしょうね…。


ふれあい橋。
久しぶりに出会いましたわ(笑)。
以前、「ふれあい橋づくし」なんて記事をつくってみたりもしましたが、橋梁愛好家の皆さんの成果を結集して、「全国ふれあい橋名鑑」みたいなサイトができたら、面白いだろうな…と妄想。

それにしても…と、眺めているうちに、ある感情が湧きあがってくるのを、抑えることができませんでした。低水敷は幅も十分だし、水を湛えていかにも可航河川らしい表情、過去ログ「新芝川…3」のときに、ここまで到達できなかったのが、今さらながら、もどかしさとなって込み上げてきたのです。
今は「新芝川再訪…6」でも紹介したように、フェンスで閉鎖されているので、かなわぬ夢となってしまいましたが、水路の状況から見れば、我が艇でここまで到達するのは決して難しくはなかったであろうだけに、やはり、残念でならないのです。青木水門を、艇から見上げてみたかったなあ!

●半ば走って、青木水門のそばに到着。各所で紹介されているので、状態があまりよくないことは知っていましたが、実見してみると、そのうらぶれた雰囲気は予想以上。同じ旧芝川の河口にある、領家水門(『新芝川再訪…1』参照)とは、ずいぶん扱いに差があるように思えます。
やはり左径間が、錆びた鋼材の角落としを重ねて塞がれてしまっていること、その左にある水位観測機器らしいものも赤錆びているため、廃墟然とした感じを受けるのでしょう。さらにもう一つ、廃墟感を助長するようなものがあることに、今回訪ねて気づかされました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年10月21日撮影)
(『芝川に寄り道…3』につづく)

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芝川に寄り道…1

川口市周辺は、かつて物流の動脈であった芝川を中心に、六ヶ村用水ほか、いにしえの灌漑水路や小河川が縦横に走っており、地名も川や橋を冠した味のあるものが多く見受けられ、内陸の水郷の面影を残す、ココロ惹かれる地域でもあります。クルマを降りては、水門まで走って見にゆくという慌ただしさながら、よい息抜きになりました。

●最初に訪ねた水門がこれ。堤防高相応に天地のある扉体、しかも3径間とくれば結構なボリュームで、堂々とした印象です。巻上機室の窓は、角に曲面ガラスをおごった出窓状。扉体が色あせてしまっているのが、ちょっとかわいそうですね。
対岸からでは水門の名前が確認できなかったので、帰宅後検索してみたところ、柳根(やなね)水門と判明(『KAZ's Log』の『ポタリング/芝川編』を参考にさせていただきました)。隣接する排水機場は、Mapion地図上に「柳根排水機場」とありました。水門を通って芝川に合流する水路は、藤右衛門川(Wikipedia『藤右衛門川』参照)ですね。
【撮影地点のMapion地図】

1径間ながら、こちらも高さがかなりあって、堰柱や巻上機室も頑丈そうな、全体的にどっしりとした印象。堰柱は左右とも波型の装飾が施され、巻上機室はタイルでツートンに化粧し、水門名も大きく掲げられているなど、柳根水門とずいぶん扱いが違いますね。ここを通る水路は、先ほどの藤右衛門川の放水路に当たるのだとか。
【撮影地点のMapion地図】

交通量の多い二車線道路を挟んで、はす向かいにぬっと立つ姿は威圧感があり、初めて出会ったときは、その異様さに驚いたものです。人目につくことを意識したのか、巻上機室の側面が妙に小洒落た(?)造作になっているものの、むしろ異様さを助長しているようで、そのヘンテコぶり(失礼)に惹かれたものでした。側面中央に掲げられた銘板は、真鍮磨き出し風の立派なものなのですね。

【撮影地点のMapion地図】
(24年10月21日撮影)
(『芝川に寄り道…2』につづく)

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雨上がりの巴波川
(『栃木市RC橋めぐり…7』のつづき)
●県庁堀を離れて、小雨ぱらつく中、雨宿り先を探しつつ自転車を走らせていたら、裏通りに鉢植えとアンティークでいっぱいの素敵な喫茶店を発見。ここで一休みさせてもらいましょう。
注文したお茶が出てきて間もなく、雷が鳴ったと思うが早く、滝のような大雨に! 早めに引き揚げてよかった…。お茶をおかわりして、パラソルをたわめんばかりの豪雨を眺めていたら、30分ほどで雨が上がりました。

●このまま帰ってもよかったのですが、増水した川や堰の表情が見たくなり、みたび巴波川へ。幸来橋の上から下流を眺めると、河水は茶色く濁り、2~30cmは増水したでしょうか、丸太の護岸もほとんど水没して、荒々しい表情。雨に濡れた瓦屋根や舗装が夕日に光って、しっとりと美しい川景色…(10月7日からのタイトル参照)。
そういえば、舟たちはどこへ行ったのでしょう?上架して裏返すか、屋根のあるところに保管しないと、水が入ってたちまち沈没してしまうに違いありません。
●もしかして、橋の下にいるかも…と、下流側から幸来橋の下をのぞいてみたら、おお、いました!
前後にもやいを取るだけでなく、右の舟は桁裏から8本も控えを取って、吊り下げんばかりの厳重ぶり。過去の経験から編み出された方法なのでしょうか、興味深く見入ってしまいました。
●湊橋を対岸から見てみると、先ほどの水叩きが見えそうな細流とは打って変わり、濁流となって巴波川を責め立てていました。
小魚や鯉が群れ、藻が流れにゆらめくのどかな表情からは一変、やはり都市河川なのだなあと、改めて感じ入った次第でありました。

●瀬戸ヶ原堰も、木製扉体の方はあとわずかで越流、鋼製扉体も下のすき間がなくなるほどの増水ぶり。鯉や小魚たちは、だいぶ流されてしまったのかなあ…。
ともあれ、小舟での遊覧に始まり、バラエティー豊かなRC橋たちを楽しみ、可航河川時代の残影もかいま見ることができて、楽しいお出かけでした。蔵造りの商家など建物だけでなく、昭和一桁のRC橋たちも貴重な歴史的建造物の仲間として、大切にしていただきたいものですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(この項おわり)

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注文したお茶が出てきて間もなく、雷が鳴ったと思うが早く、滝のような大雨に! 早めに引き揚げてよかった…。お茶をおかわりして、パラソルをたわめんばかりの豪雨を眺めていたら、30分ほどで雨が上がりました。

●このまま帰ってもよかったのですが、増水した川や堰の表情が見たくなり、みたび巴波川へ。幸来橋の上から下流を眺めると、河水は茶色く濁り、2~30cmは増水したでしょうか、丸太の護岸もほとんど水没して、荒々しい表情。雨に濡れた瓦屋根や舗装が夕日に光って、しっとりと美しい川景色…(10月7日からのタイトル参照)。
そういえば、舟たちはどこへ行ったのでしょう?上架して裏返すか、屋根のあるところに保管しないと、水が入ってたちまち沈没してしまうに違いありません。

前後にもやいを取るだけでなく、右の舟は桁裏から8本も控えを取って、吊り下げんばかりの厳重ぶり。過去の経験から編み出された方法なのでしょうか、興味深く見入ってしまいました。

小魚や鯉が群れ、藻が流れにゆらめくのどかな表情からは一変、やはり都市河川なのだなあと、改めて感じ入った次第でありました。

●瀬戸ヶ原堰も、木製扉体の方はあとわずかで越流、鋼製扉体も下のすき間がなくなるほどの増水ぶり。鯉や小魚たちは、だいぶ流されてしまったのかなあ…。
ともあれ、小舟での遊覧に始まり、バラエティー豊かなRC橋たちを楽しみ、可航河川時代の残影もかいま見ることができて、楽しいお出かけでした。蔵造りの商家など建物だけでなく、昭和一桁のRC橋たちも貴重な歴史的建造物の仲間として、大切にしていただきたいものですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(この項おわり)

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