小野川の復旧工事
(『ホワイトアイリス出港』のつづき)

●気になっていた川とは、佐原の市街地を流れる小野川。昨年「震災後の水郷を訪ねて…3」ほかでも触れたように、震災時の被害は大きく、噴出した土砂で河道が埋まってしまった惨状に、言葉もありませんでした。治水上も、また河川航路の途絶を考えても、一日も早い復旧が望まれたでしょうから、現状を少しでも見ておきたかったのです。
国道356号線、利根水郷ラインの北賑橋上から眺めた、小野川の下流側。おお、だいぶすっきりしている! 両岸に盛り上がっていた土砂はすっかり取り去られ、護岸や道路には工事の跡が見られますね。
【撮影地点のMapion地図】
●両岸の水際には、護岸から少し離れた位置に、しっかりと鋼矢板が打ち込まれ、足下を固めています。もやっていた船影がすっかり見られなくなっていたのは、少々寂しくもありましたが、噴出した土砂の上に座り込んでいたあの様子を思うと、致し方のないことではあります。
川の方は工事も進んで、いわば目鼻がついてきたように感じられましたが、沿岸の家屋はまだ被害の跡をそこここにとどめており、道路は波打って鉄板で仮補修されているところもあり、傷跡はなお深いようでした。
●北賑橋の上には、小野川の復旧工事を説明する看板が、何枚か掲げられていました。
左から二枚目のものに、「平成24年8月26日まで」とあり、ずいぶん早く出来上がるんだなあ、と思っていたら、その下に「河川災害復旧工事(23災河第85号その5)」とありましたから、今後も「その6」「その7」と、工事が続くのかもしれません。

●こちらは施工のイメージを断面図で描いたものと、CGによる完成予想図。鋼矢板を、護岸と間隔を開けて打ち込んでいたのは、水際に土を盛り、草の生えるスペースを設けるためだとわかりました。
「復旧河床高」とあるのは、護岸の竣工後、噴出した土砂で浅くなった河底を、本来の河床まで掘り下げるということなのでしょうか。ということは、現状ではまだ水深は浅く、遊覧舟の航行には適していないのかもしれませんね。
ともあれ、小野川が元の姿を取り戻し、舟行きが楽しめるようになることを願ってやみません。
●おまけを一枚。帰り道、江戸橋ジャンクションで渋滞したのを幸い、解体中の三菱倉庫を撮ってみました。高い目線から眺められることはめったにないので、こりゃラッキー、とニンマリ。左側の屋上、階段室の出入口でしょうか、釣鐘のような形が印象的でした。
その後もっと工事が進んで、覆いもすっかり取り去られ、中が丸見えになったときもあったようですが、この時点での記録ということで…。
【撮影地点のMapion地図】
(24年6月24日撮影)
(この項おわり)

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●気になっていた川とは、佐原の市街地を流れる小野川。昨年「震災後の水郷を訪ねて…3」ほかでも触れたように、震災時の被害は大きく、噴出した土砂で河道が埋まってしまった惨状に、言葉もありませんでした。治水上も、また河川航路の途絶を考えても、一日も早い復旧が望まれたでしょうから、現状を少しでも見ておきたかったのです。
国道356号線、利根水郷ラインの北賑橋上から眺めた、小野川の下流側。おお、だいぶすっきりしている! 両岸に盛り上がっていた土砂はすっかり取り去られ、護岸や道路には工事の跡が見られますね。
【撮影地点のMapion地図】

川の方は工事も進んで、いわば目鼻がついてきたように感じられましたが、沿岸の家屋はまだ被害の跡をそこここにとどめており、道路は波打って鉄板で仮補修されているところもあり、傷跡はなお深いようでした。

左から二枚目のものに、「平成24年8月26日まで」とあり、ずいぶん早く出来上がるんだなあ、と思っていたら、その下に「河川災害復旧工事(23災河第85号その5)」とありましたから、今後も「その6」「その7」と、工事が続くのかもしれません。

●こちらは施工のイメージを断面図で描いたものと、CGによる完成予想図。鋼矢板を、護岸と間隔を開けて打ち込んでいたのは、水際に土を盛り、草の生えるスペースを設けるためだとわかりました。
「復旧河床高」とあるのは、護岸の竣工後、噴出した土砂で浅くなった河底を、本来の河床まで掘り下げるということなのでしょうか。ということは、現状ではまだ水深は浅く、遊覧舟の航行には適していないのかもしれませんね。
ともあれ、小野川が元の姿を取り戻し、舟行きが楽しめるようになることを願ってやみません。

その後もっと工事が進んで、覆いもすっかり取り去られ、中が丸見えになったときもあったようですが、この時点での記録ということで…。
【撮影地点のMapion地図】
(24年6月24日撮影)
(この項おわり)

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ホワイトアイリス出港
(『上戸川舟溜を眺めて…3』のつづき)
●昼食後、くちくなったお腹を抱えて常陸利根川畔を散歩していたら、潮来大橋の向こう、こちらに近づいてくる船影があることに気づきました。
午後の陽射しを反射させながら、遡上してくるその船にカメラを向けていたところ、どうも見覚えのあるカタチ…あっ、これはもしかして!
【撮影地点のMapion地図】

●やっぱり、ホワイトアイリスだ!
季節航路で、潮来通いの便があることは知っていましたが、まさか出会えるとは思っていませんでした。ついこの間、5月に乗ったばかり(『ホワイトアイリスに乗って…1』ほか参照)なので、嬉しさもひとしおです。
●二層の甲板を持つホワイトアイリスにとって、潮来大橋の桁下高はあまり十分とはいえないのか、首をすくめるかのような微速航行。トップのマストも折りたたんでいます。
あやめの時季限定とはいえ、かつての水郷汽船の花型航路であった土浦~潮来間を、こうしてお客さんを乗せた船が行き来しているというだけで、血沸き肉躍るものが。航程およそ35kmあまりの内水航路の旅、楽しいでしょうね。

●橋をくぐってしばらくすると、ホワイトアイリスはがぜん爆音を高めて、引き波を立てながらスピードを上げ始めました。
側面には「船で行くらくらく潮来あやめ祭り H24.6.24 潮来発15:00 ラクスマリーナ」と書かれた横断幕が掲げられ、あやめ祭りに合わせた臨時航路であることを示しています。
土浦~潮来の往復と、潮来到着後に屋形船での昼食がセットになっていますが、ラクスマリーナに問い合わせたところでは、往復または片道の乗船のみでの利用も可能とのことでした。その様子は「霞ヶ浦写真館」の「ホワイトアイリス号潮来就航」に掲載されています。
●十六島を通っての帰路、お決まりの扇島閘門跡に寄り道。護岸が施されたクロ(あぜ道)も、すっかり夏草におおわれ、ゲート跡にはなぜかネットが渡されて、水路を閉鎖していました。
寄り道といえば、もう一つ立ち寄って、その後の状況を見ておきたい水路があったのだった…。震災による被害が、最も大きかったあの川、復旧は進んでいるのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(24年6月24日撮影)
(『小野川の復旧工事』につづく)

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午後の陽射しを反射させながら、遡上してくるその船にカメラを向けていたところ、どうも見覚えのあるカタチ…あっ、これはもしかして!
【撮影地点のMapion地図】

●やっぱり、ホワイトアイリスだ!
季節航路で、潮来通いの便があることは知っていましたが、まさか出会えるとは思っていませんでした。ついこの間、5月に乗ったばかり(『ホワイトアイリスに乗って…1』ほか参照)なので、嬉しさもひとしおです。

あやめの時季限定とはいえ、かつての水郷汽船の花型航路であった土浦~潮来間を、こうしてお客さんを乗せた船が行き来しているというだけで、血沸き肉躍るものが。航程およそ35kmあまりの内水航路の旅、楽しいでしょうね。

●橋をくぐってしばらくすると、ホワイトアイリスはがぜん爆音を高めて、引き波を立てながらスピードを上げ始めました。
側面には「船で行くらくらく潮来あやめ祭り H24.6.24 潮来発15:00 ラクスマリーナ」と書かれた横断幕が掲げられ、あやめ祭りに合わせた臨時航路であることを示しています。
土浦~潮来の往復と、潮来到着後に屋形船での昼食がセットになっていますが、ラクスマリーナに問い合わせたところでは、往復または片道の乗船のみでの利用も可能とのことでした。その様子は「霞ヶ浦写真館」の「ホワイトアイリス号潮来就航」に掲載されています。

寄り道といえば、もう一つ立ち寄って、その後の状況を見ておきたい水路があったのだった…。震災による被害が、最も大きかったあの川、復旧は進んでいるのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(24年6月24日撮影)
(『小野川の復旧工事』につづく)

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上戸川舟溜を眺めて…3
(『上戸川舟溜を眺めて…2』のつづき)
●後のお楽しみとしてとっておいた、樋門を眺めてから戻ることにしました。堤防が低いとあって、堰柱もそれに合わせた高さのごくこじんまりとしたもので、螺旋階段のあるところを見ると、動力のあるなしにかかわらず、機側操作のゲートであることは確実です。
タイトルではすでに、堤外地から樋門に向かって右側からのカットを掲げたので、左側から撮ったものを(下写真)。なりは小兵でも、青空をバックに胸を張るその姿、扉体が構造をこちらに向けているのも手伝い、なかなか堂々としています。
【撮影地点のMapion地図】

●名前は、上戸川舟溜り樋管。本体が「舟溜」で、樋門が「舟溜り」と送り仮名付きなのがなんとも。昭和58年3月の竣工とありました。銘板の上に見える巻上機器でわかるように、動力はついておらず、大きなハンドルを回してスピンドルを上下する、人力駆動です。
下は堰柱側面についていた銘板で、径間3m、高さ3.2m、樋管の長さ9.45m。三井不動産建設の施工とのこと。昭和58年と聞くと、そんなに古い感じがしないのですが、もう30年近く前のことなんですねえ…しみじみ。

●樋門前の柵にもたれて、常陸利根川の川面に目をやると、対岸はるかに、大割閘門が見えました。
ズームでたぐりよせて撮り、写真を拡大して見てみると、やはりまだ、入口にはトラロープが張ってある…。水郷で2番目に通航量の多い閘門も、一年以上もおあずけをくらって、いかにもやつれた表情に見えます。一日も早く大割水路が復旧されて、サッパが繁く出入りする賑わいを取り戻してほしいものですね。
(24年6月24日撮影)
(『ホワイトアイリス出港』につづく)

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タイトルではすでに、堤外地から樋門に向かって右側からのカットを掲げたので、左側から撮ったものを(下写真)。なりは小兵でも、青空をバックに胸を張るその姿、扉体が構造をこちらに向けているのも手伝い、なかなか堂々としています。
【撮影地点のMapion地図】


下は堰柱側面についていた銘板で、径間3m、高さ3.2m、樋管の長さ9.45m。三井不動産建設の施工とのこと。昭和58年と聞くと、そんなに古い感じがしないのですが、もう30年近く前のことなんですねえ…しみじみ。


ズームでたぐりよせて撮り、写真を拡大して見てみると、やはりまだ、入口にはトラロープが張ってある…。水郷で2番目に通航量の多い閘門も、一年以上もおあずけをくらって、いかにもやつれた表情に見えます。一日も早く大割水路が復旧されて、サッパが繁く出入りする賑わいを取り戻してほしいものですね。
(24年6月24日撮影)
(『ホワイトアイリス出港』につづく)

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