萬右衛門川の面影…5
(『萬右衛門川の面影…4』のつづき)
●できれば、萬右衛門川の現存している全区間を歩いてみたいところでしたが、残念ながらその時間はありません。せめて末端部近くだけでもと、湊本町の魚市場に沿った区間を眺めてみることにしました。
道に沿って、海側に伸びる「溝渠」という文字がしっくりくるようなコレが、萬右衛門川の現在の姿。向こうに見える、古いRC橋の高欄が、わずかに歴史を物語っているようでした。
こちらも津波の被害があったところですが、道に沿って並ぶ海鮮料理店はどこも賑わっており、一見したかぎりでは、以前とそう変わらないレベルまで、復興されたように感じられました。
●かつてはもっと幅が広く、それこそ現在道路になっている部分の大半は、水路だったのでしょう。
「運河論」の挿図を見ても、このあたりから北側の区間は、かなり幅広に表現されていました。魚市場の周辺のみ道幅が広いのは、かつての水路敷を利用したからではないでしょうか。
上の写真から少し歩き、「魚市場前」交差点を過ぎると、落差が造ってあるところを発見。「那珂川にも走っていた川蒸気」には、地図上の表現から、こちらが上流で、那珂川が下流と書いてしまいましたが、どうやら違うようです。お詫びして訂正します。
●魚市場の北端、信号のある五叉路の近くまで来ると、河道は右に緩いカーブを描き、最末端部ももうすぐ。おっ、ここでようやく萌えられそうな古い橋が…。
ちなみに、このあたりより南の区間は水が流れていないところもあり、建物からの雑排水があるところのみ、流水が見られるような状況でした。先ほどの那珂川近くの区間も、水を湛えていたとはいえ、ほとんど流れがなかったことを考えると、どちらが上流という厳密な区別は、ないのかもしれません。

●勇んで橋に近づいてみると、クルマに衝突されたのか、高欄や親柱の鉄筋が露出するようなボロボロっぷりながら、間違いなく睦橋と同世代のコンクリート橋です。
高覧の開口部上端が、アーチ状の曲線を描き、中の柵のみ円柱に造られているなど、むしろ造作は凝った感じです。漁港が築造されることを考えて、玄関口にふさわしい意匠としたのでしょうか。

●高欄が痛めつけられているだけに、銘が残っているのか心配になりましたが、のぞき込んで無事を確認、ホッとしました。南側の親柱は、二つとも撤去されていたので、北側が壊滅していると、手がかりが失われてしまうからです。
しかし、こちらは橋名でなく「新川」と河川名が掲げられていました。う~ん、やはり萬右衛門川でなく、新川なのか。橋名は対岸の親柱に残っているかな?
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(『萬右衛門川の面影…6』につづく)

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道に沿って、海側に伸びる「溝渠」という文字がしっくりくるようなコレが、萬右衛門川の現在の姿。向こうに見える、古いRC橋の高欄が、わずかに歴史を物語っているようでした。
こちらも津波の被害があったところですが、道に沿って並ぶ海鮮料理店はどこも賑わっており、一見したかぎりでは、以前とそう変わらないレベルまで、復興されたように感じられました。

「運河論」の挿図を見ても、このあたりから北側の区間は、かなり幅広に表現されていました。魚市場の周辺のみ道幅が広いのは、かつての水路敷を利用したからではないでしょうか。
上の写真から少し歩き、「魚市場前」交差点を過ぎると、落差が造ってあるところを発見。「那珂川にも走っていた川蒸気」には、地図上の表現から、こちらが上流で、那珂川が下流と書いてしまいましたが、どうやら違うようです。お詫びして訂正します。

ちなみに、このあたりより南の区間は水が流れていないところもあり、建物からの雑排水があるところのみ、流水が見られるような状況でした。先ほどの那珂川近くの区間も、水を湛えていたとはいえ、ほとんど流れがなかったことを考えると、どちらが上流という厳密な区別は、ないのかもしれません。

●勇んで橋に近づいてみると、クルマに衝突されたのか、高欄や親柱の鉄筋が露出するようなボロボロっぷりながら、間違いなく睦橋と同世代のコンクリート橋です。
高覧の開口部上端が、アーチ状の曲線を描き、中の柵のみ円柱に造られているなど、むしろ造作は凝った感じです。漁港が築造されることを考えて、玄関口にふさわしい意匠としたのでしょうか。

●高欄が痛めつけられているだけに、銘が残っているのか心配になりましたが、のぞき込んで無事を確認、ホッとしました。南側の親柱は、二つとも撤去されていたので、北側が壊滅していると、手がかりが失われてしまうからです。
しかし、こちらは橋名でなく「新川」と河川名が掲げられていました。う~ん、やはり萬右衛門川でなく、新川なのか。橋名は対岸の親柱に残っているかな?
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(『萬右衛門川の面影…6』につづく)

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萬右衛門川の面影…4
(『萬右衛門川の面影…3』のつづき)
●裏面に足場があったのを幸い、新川排水樋管の上に登ってみました。ご覧のとおり動力のたぐいは一切見られない簡素な構造で、恐らくギヤボックスにテコなどを差し入れて、ギッコ、ギッコとラチェットでラックを巻き上げる仕組みと思われます。
動力なし、しかも機側操作とくれば、昨年の地震による津波が襲った際には、駆けつけてゲートを閉めるなど、とてもできなかったことでしょう。
東京でも、津波の来襲を防ぐことができたのは、ほとんどの水門が遠隔操作化されていたからで、一部残っていた機側操作の水門では、交通麻痺などで現地にたどりつけず、津波の侵入を許してしまったことが思い出されます。
●河畔に降りて、ゲートの正面をと思ったのですが、やはり目を奪われてしまうのが、震災と津波の爪痕です。
護岸はひび割れて波打ち、内側の地表も大きく陥没して、道路沿いには高々と土嚢が積み上げられ、被害の大きさを物語っていました。4年前、この少し上流から撮った写真が、過去ログ「那珂湊には…」に載せてありますが、その変貌ぶりに言葉もありません。

●新川排水樋管のゲートを眺めて。扉体はほぼ閉じられているようでしたが、先ほどうねりが入ってきたのを見たとおり、水の出入りはあるので、細めには開いているのでしょう。
しかし、ゲート背後のそれは波返しの曲面が見られることからも、樋門の一部というより、やはり堤防としか思えません。なぜ樋門の部分だけ堤防を高めたのか、謎ではあります。
●ゲート左手には、排水機場の排水管がまるで竹やりのように中空へ突き出しており、少々剣呑な雰囲気。
樋門周りは、さすがに基礎がしっかり造られているのか、傾きやクラックはまったく見られませんでしたが、隣接する堤防は肩を落としたように陥没し、排水管の立ち上がりも床が浮いて、一歩踏み出すのも難渋するような状況です。
●ズームでぐっとたぐり寄せ、国道245号線・湊大橋を遠望。今回もこの橋を渡って那珂湊入りしたのですが、すぐ上流では新しい橋の工事をしているのが見られ、架け替えも近いことが感じられました。
「湊大橋」(茨城県土木部 水戸土木事務所)によると、湊大橋は昭和27年竣工で、渋滞の原因となっていることや、歩道がないなどの理由から架け替えを進めているとのこと。この美しい下路ランガートラスの姿が拝めるのも、もうあとわずかのようですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(『萬右衛門川の面影…5』につづく)

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動力なし、しかも機側操作とくれば、昨年の地震による津波が襲った際には、駆けつけてゲートを閉めるなど、とてもできなかったことでしょう。
東京でも、津波の来襲を防ぐことができたのは、ほとんどの水門が遠隔操作化されていたからで、一部残っていた機側操作の水門では、交通麻痺などで現地にたどりつけず、津波の侵入を許してしまったことが思い出されます。

護岸はひび割れて波打ち、内側の地表も大きく陥没して、道路沿いには高々と土嚢が積み上げられ、被害の大きさを物語っていました。4年前、この少し上流から撮った写真が、過去ログ「那珂湊には…」に載せてありますが、その変貌ぶりに言葉もありません。

●新川排水樋管のゲートを眺めて。扉体はほぼ閉じられているようでしたが、先ほどうねりが入ってきたのを見たとおり、水の出入りはあるので、細めには開いているのでしょう。
しかし、ゲート背後のそれは波返しの曲面が見られることからも、樋門の一部というより、やはり堤防としか思えません。なぜ樋門の部分だけ堤防を高めたのか、謎ではあります。

樋門周りは、さすがに基礎がしっかり造られているのか、傾きやクラックはまったく見られませんでしたが、隣接する堤防は肩を落としたように陥没し、排水管の立ち上がりも床が浮いて、一歩踏み出すのも難渋するような状況です。

「湊大橋」(茨城県土木部 水戸土木事務所)によると、湊大橋は昭和27年竣工で、渋滞の原因となっていることや、歩道がないなどの理由から架け替えを進めているとのこと。この美しい下路ランガートラスの姿が拝めるのも、もうあとわずかのようですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(『萬右衛門川の面影…5』につづく)

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新潟の川蒸気史覚え書き

●なお、越後平野の近代河川舟運史については、すでに「続・川蒸気のイメージを求めて」で紹介した「報告(5) 『川蒸気船の活躍』加藤 功 氏」に、非常によくまとめられた概説があり、当時の航路図も掲載されているので、ご一読をお勧めします。
【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】
初夢大妄想・ここに閘門が欲しい!
萬右衛門川の面影…3
(『萬右衛門川の面影…2』のつづき)
●護岸の際に沿って、犬走り状の狭いスペースを伝い歩きしつつ、振り返ったところ。
昨年の地震によるものでしょう、護岸はクラックが入って、外れたり沈下した部分も見受けられました。睦橋付近はここほどではなかったので、やはり那珂川に近い場所は、地盤がより軟弱なのかもしれません。

●堤防の上に、白い柵で囲まれた、人力操作らしい巻き上げ装置が見えました。やはりあの裏には樋門があるようです。もっとも、堤防と思ったコンクリート壁は、水路幅より少し広い程度で途切れていました。どうやらこれは堤防ではなく、樋門の構造の一部のようですね。
格子で囲まれた吸水管があることから、建屋は排水機場で間違いありませんでしたが、排水管らしい太いパイプが、いったん水路を渡ってから地下にもぐり、那珂川に向かっているのが変わっています。

●柵の左に掲げられた、白い看板を見上げて読んでみました。河川の占有許可証ですね。
この樋門の名前は…「新川排水樋管」! う~ん、この水路はすでに萬右衛門川ではなく、「新川」と呼ばれているのか? 江戸以来の歴史を有し、後には「運河論」に載るほどの国内有数の運河となった、由緒ある萬右衛門川の名が消え失せてしまったとは、信じたくありませんでした。
(ちなみに排水機場も、Mapion地図に『新川排水ポンプ施設』と記されていました)
●壁面の左側に掲げられていた、石材製のプレート。昭和51年3月竣工、他には整理符号らしきものと樋管部分の護岸の延長に、施工主である茨城県の名を刻んだだけで、河川名はおろか、樋管名やメーカー名も入っていない、いささか寂しいものです。
ここで、少し冷静になって考えてみました。萬右衛門川の名を捨てて新川に変えたのではなく、新川も実は地元で長く用いられていた通称で、萬右衛門川という名前の方がむしろ、なじみが薄かったのではないかと…。まあ、妄想はさておき、表に回って、樋門のディテールを拝んでゆきましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(『萬右衛門川の面影…4』につづく)

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昨年の地震によるものでしょう、護岸はクラックが入って、外れたり沈下した部分も見受けられました。睦橋付近はここほどではなかったので、やはり那珂川に近い場所は、地盤がより軟弱なのかもしれません。


格子で囲まれた吸水管があることから、建屋は排水機場で間違いありませんでしたが、排水管らしい太いパイプが、いったん水路を渡ってから地下にもぐり、那珂川に向かっているのが変わっています。

●柵の左に掲げられた、白い看板を見上げて読んでみました。河川の占有許可証ですね。
この樋門の名前は…「新川排水樋管」! う~ん、この水路はすでに萬右衛門川ではなく、「新川」と呼ばれているのか? 江戸以来の歴史を有し、後には「運河論」に載るほどの国内有数の運河となった、由緒ある萬右衛門川の名が消え失せてしまったとは、信じたくありませんでした。
(ちなみに排水機場も、Mapion地図に『新川排水ポンプ施設』と記されていました)

ここで、少し冷静になって考えてみました。萬右衛門川の名を捨てて新川に変えたのではなく、新川も実は地元で長く用いられていた通称で、萬右衛門川という名前の方がむしろ、なじみが薄かったのではないかと…。まあ、妄想はさておき、表に回って、樋門のディテールを拝んでゆきましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(『萬右衛門川の面影…4』につづく)

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