新潟大堰…3

(『新潟大堰…2』のつづき)

70106.jpg新潟大堰橋の橋詰から東を見たところ。左に見える巨大な記念碑様のものが、前回触れた閘門下流側ゲートの堰柱の片われ。堰の竣工を記念した石板がはめ込まれているとともに、橋の親柱的な役割も果たしているといえそうです。

近寄ってみると(下写真)、何ていうんでしょう、表面に敷き詰められた、波打った表面のタイルも渋く、巨大な石の銘板とよくなじんで、まさに記念碑のような雰囲気。はしごや手すりがなければ、普通の人は堰柱と気づかないでしょう。堰柱のこういった利用のしかたは初めて見たので、感心させられました。

70107.jpg

70108.jpg橋詰の西側は、関屋出張所の敷地なのですが、海側の一角は資材置き場と倉庫があり、興味を惹かれるものがいろいろと置かれていました。

これは…扉体の一部のようですね。一瞬、ラジアルゲートやセクターゲートのようにも思えたのですが、スキンプレートらしい部分が平面なので、シェル式ローラーゲートの組み立て前の状態かもしれません。
手前には、航路標識のブイがいくつかごろりと転がされ、シートで覆われた資材もあったりして、雑然とした雰囲気です。

70109.jpg
こちらはローラー…ローラーゲートについている、あのローラーですよね? 生地が露出したトレッドの部分はきれいに錆びていますが、輪心の塗装はそう古くなく、管理されつつ保管していることがうかがえます。

70110.jpgこれも扉体の一部でしょうか、先ほどのものと違って、構造部分が未装着のようです。

まあ、詳しいことはわからないので、何ともいえないのですが、こんなに多くの資材や部品が、露天保管されているのを見たのももちろん初めてなので、これまた興味深く拝見しました。


(23年8月9日撮影)

(『新潟大堰…4』につづく)

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タグ : 新潟大堰 関屋分水

新潟大堰…2

(『新潟大堰…1』のつづき)

70101.jpg閘室両側には、そろそろ懐かしくなってきた形の街灯が各一本あり、夜間の通航も考えていたことがわかります。さらに面白く思ったのが、右側に見える桟橋様のもの。支柱と鋼線で吊って、90度回転できるような構造になっているのです。

よく見ると、対岸(?)の背割堤の上には、桟橋の重量を受ける支承のような出っ張りも見られますね。簡素な可動橋といってもいいでしょう。メンテナンスか、または通航船のもやいを取るために、背割堤に行き来できるようにした、いわば交通用として備えられたのでしょうね。

70102.jpg新潟大堰橋の上から閘室を見て。出口が絞られているとあって、流速はかなり早く、ザーザーと水音が聞こえてくるほどです。

閘室の側面はフラットで、フェンダーやアイのたぐいは一切見られません。ビットも岸側に2ヶ所と極端に少なく、つるりとしたとっかかりのなさには、通航ぜずともちょっと不安にさせられます。恐らく、洪水時には閘門を含めて全開放させ、水をスムーズに流下させることを第一として、設計されたためでしょう。

70103.jpg橋の上にちょっと顔をのぞかせる、下流側扉体。信濃川水門の閘門同様、上流側の面のみ赤く塗装されています。この塗り方、信濃川下流事務所管内で決められた方式なのでしょうか。

左の堰柱がずいぶん凝った感じですが、これは堰の親柱的な性格を持たせてあるためです。後でご覧に入れましょう。

70104.jpg
下流側…堰としてはこちらが表になるのですね、閘門の周りで騒いでいたので、後回しになってしました。光線が今一つながら、夏空の下で凛々しい姿を一枚。

70105.jpg同じ場所から振り向けば、沖に本船もゆきかう日本海の雄大な風景。川から流れ出た濁水が、沖合にくっきりとした線を作る、印象的な光景でした。

水の染まり方からして、関屋分水からだけではないように思えました。沿岸流の方向がわからないので、正確なところは不明ですが、信濃川河口や、大河津分水からの水も含まれているのでしょうね。
撮影地点のMapion地図

(23年8月9日撮影)

(『新潟大堰…3』につづく)

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タグ : 新潟大堰 閘門 関屋分水

洋泉社MOOK「大人のための東京マニア散歩」本日発売

趣味の書籍やムックの発行元として、その筋にも知られている洋泉社より本日発売になったムック「大人のための東京マニア散歩」に、水路の記事を書かせていただきました。「水路の上から眺める首都 東京水路マニアックス」と題した18ページの記事です。

内容は、高架下水路、大横川の低い橋、臨海部の物件ほか、いくつかのテーマに絞って水路遊びの肝を紹介するもので、特に新味はありませんが、水路に関心の薄い向きにも読んでいただくことを心がけ、写真と略地図は本文の量にくらべて、多めに入れていただくようお願いしました。
このあたり、意図したとおりに受け取っていただけるか、いつもながら不安ではありますが、書店店頭で見かけられましたら、お手に取ってご覧いただければ幸いです。

最初にお話をいただいたとき、ムックというからには判型の大きな、雑誌体裁のものを想像していたところ、現物を拝見するとカバー付きアジロ製本の書籍に近いもので、ハンディな印象なのに驚かされました。平滑な塗工紙でなく、上質系の紙を使った巻頭のカラー口絵もなかなかの雰囲気で、本文記事のつかみとしてもワクワクさせるレイアウトです。

何しろ私以外の執筆陣は、その道の大家が健筆をふるわれているので、書評というのもおこがましいですが、内容のうちいくつかご紹介を。

町田忍氏の「東京銭湯遺産」は王道ともいえる題材もさることながら、町田氏の真骨頂である綿密かつ愛情あふれた取材ぶりが凝縮されていて、読むほどに銭湯のディテールが身体に沁み込んでくるような気持ちに。十数年前、「THE霊柩車」で衝撃を受けたことが思い出されました。

田中聡氏の「幻影帝都めぐり」は、開化以降の世相をおりまぜながら、その時代の代表的建築物や街並みの変遷に触れてゆくもので、絵巻物を見るような面白さがありました。
京橋、日本橋界隈といった町地から、旧武家地に街場が拡散してゆくさまがわかりやすく述べられており、掲載の貴重な写真も手伝って、興味深い読みものになっています。

土木・建築ががお好きな向きには、西世古旬氏の「眺めのいい給水塔」、クロスケ氏の「東京大仏50連発」ありと、とにかくタイトルにたがわない盛りだくさんぶり。初秋の読書にお勧めしたい一冊です。


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タグ : 洋泉社 大人のための東京マニア散歩

新潟大堰…1

(『関屋分水を走る』のつづき)

70096.jpg新潟大堰を上流側から眺めて。シェル式ローラーゲート(で、いんですよね?)5径間に閘門1基の威容、自転車を漕いで遠路はるばる(でもなんでもない)来ただけあって、感動もひとしお。扉体一枚向こうは、もう日本海の水なのですね。

管理橋をかねた橋、新潟大堰橋の中央径間(下写真)は足場で覆われていて、何か工事中のようです。横断幕には「安全・快適に渡れるよう橋を補修しています。」とありました。

70097.jpg

70098.jpg
閘門を見て、う~んとうなってしまいました。ご覧のとおり、上流側の扉体が取り外されているのですが、これ、佐藤老師が13年前に撮られた写真(FloodgatesFloodgates List 8』参照)の状態と、まったく変わっていないんですよ。

たまたま13年前と、今回の訪問が点検時だった、というパターンも考えられますが、そんな頻繁に扉体を外す必要があるとも思えません。やはり、実質的に長期休止状態なのでしょうか。
残念、こうして正面から拝めるテラスもあるだけに、運転されていたら、絶好の鑑賞スポットになったと思うのですが。

70099.jpg上の写真でもおわかりのように、閘門の径間のみ扉体が開放されていて、水はさざ波を立てて日本海に流れ出ています。通航禁止のロープはだいぶ上ですから、PWCなどで突破する猛者もいるんだろうなあ。

この閘門、上流側のゲートは堰柱をまたいだ巻上機室のあるタイプで、下流側は堰に合わせた堰柱独立タイプと、ちょっとした変わり型でもあります。

70100.jpg閘門のすぐ上流側に、ポンドがあったので一枚。突き出した部分の護岸が蔦におおわれて、あまり使われていないような雰囲気ですが、階段の幅も広く取られ、決して安っぽい感じではありません。

やはり、信濃川下流河川事務所・関屋出張所がある関係で、船着場もそれなりのものが整備されたのでしょうね。
撮影地点のMapion地図


(23年8月9日撮影)

(『新潟大堰…2』につづく)

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タグ : 新潟大堰 関屋分水 閘門

水郷の閘門について・二題

その1・40年前の加藤洲閘門

だいぶ前のこと、「日本水郷めぐり」と題した、箔押しの立派な箱に入った絵葉書セットを手に入れました。12枚組みで、いずれも目に沁みるような美しい4色刷り。箱の裏面には「風光社製作」と発行元名が記され、定価は150円。

絵葉書の切手貼り付け欄には7円の額面表示があることから、昭和41年7月~47年2月の間の発行と推定できます。およそ40年前の水郷風景ということになりますね。

高度経済成長期以降のものとはいえ、やはり40年の時を隔てたとあれば、草深い水郷の地とはいっても、今とはずいぶん違った風景です。一枚一枚葉書を見ていたら、いきなり水門が大写しになったものが出てきて、驚かされました。
水門? いや、これは閘門だ!


今でも形を変えながらある、右の十二橋入口を示す看板、向こう側に見える低い土手…。
これは先代の加藤洲閘門に違いない!
昇降装置はラック式、扉体は陰になっていますが、よく見ると、帯金で締め付けた木製ということがわかります。木製スライドゲートだったんだ! 

まだコンクリートの肌も新しそうで、竣工からそう時間は経っていないようですね。管理橋や手前のサッパに見える娘船頭さん(まだこの時代はホンモノの『娘』船頭さんだったことでしょう!)も若々しく、のどかな中にも活気にあふれた雰囲気が感じられる写真です。

堰柱の梁に銘板が見えたので、拡大したものが右の写真です。戦前のコロタイプと違ってアミ点によるオフセットなので、あまりハッキリ見えませんが、「加藤洲水門」と読めます。この当時はどうやら、閘門を名乗っていなかったようですね。

閘門を水門と呼んでしまう、あるいはその逆の例も結構あるので、最初は気にしていなかったのですが、ふと思い当るものがありました。

まず、下で触れる仲江間閘門、正式名称は「二重水門」です。また、やはり下に掲げた岩波写真文庫の「水郷―潮来―1957」では、閘門の通航シーンの写真に、「水門の開くのを待合せる(原文ママ)」「水位調節のため水門は二つで一組」と、閘門を水門と呼ぶキャプションが、2回もくり返されていました。

こうなると、何か理由があって水門呼ばわりせざるを得なくなったのかと、勘繰りたくなります。
ご存知のとおり、ご当地には大正時代以来の老舗閘門・横利根閘門(地元での通称は『カンモン』)がありますが、あの堂々たるマイタゲートこそ「閘門」であって、スライドゲートの極小閘門は、地元(あるいは施工者)ではとても「閘門」と認めることができず、「水門」として区別した、とか…。まあ、以上は妄想です。


セットになっていた他の絵葉書も素晴らしい写真ばかりでしたが、さすがに全てを紹介するのは差し障りがあるので、もう1枚だけ。十二橋のある、新左衛門川の風景です。こちらも今とはずいぶん違って、さながら緑のトンネルをくぐるよう。サッパもFRPコーティングはおろか、機走化もされていない原形に近いものです。

「水郷の原風景」(千葉県立大利根博物館刊)によると、常陸利根川の浚渫土を利用した土地改良(土を盛って乾田化)は、昭和39年から53年にかけて、4つの工区に分けて施工されたとのこと。
この写真を撮ったころの十六島は、すでに工事が進んでいたものの、まだ一部で湿田の間をエンマが葉脈のように走り、今より広大だった与田浦も見られたことでしょう。昔ながらの水郷の姿が息づいていた、まさに最後の時代に、この絵葉書は撮られたことになります。

ともあれ、思わぬ拾いものをしました。大正~昭和戦前のものに目が向きがちでしたが、考えてみると「ちょっと昔」こそ、意外とわからないことが多いものです。これからはこのあたりの年代にも、注目していきたいですね。

その2・仲江間閘門のマイタゲート疑惑薄れる

十六島の南の玄関口、仲江間閘門の謎については「仲江間閘門にマイタゲート疑惑?」ほかで触れましたが、これも少し前に入手した、一冊の本に載っていた写真で、積年の(というほどのことでもないか)疑惑が大幅に薄れてきました。

くだんの本は「水郷―潮来―1957」で、近年結構な点数が復刻された、岩波写真文庫の一冊です。初見したのは5~6年前になりますか、潮来の食堂でボロボロになって置いてあったのを発見、食事もそっちのけで読んだものです。

これは近年の復刻リストには入っておらず、古書を探すしかないと思っていたら、最近になって普通にアマゾンで買えることが判明。20年ほど前に、ワイド版として一度復刻されていたのでした。いやもう、横っとびに購入です。

抱腹絶倒の(船頭的にね、誤解のないように)内容は実際買って読んでいただくとして、さっそくお題の仲江間閘門が載っているページなんですが、20~21ページの見開きです。

21ページ右上の「仲江の水門」とキャプションのある写真、扉体のない樋門の穴の奥に、スライドゲートの水門らしきものが見える写真です。一見して、あ、「仲江」は仲江間の間違いであり、これは先代の仲江間樋管(『仲江間閘門を通る!…1』参照)だな、とピンときました。

本当は最初に目が行ったのが、20ページ右下の「水位調節のため水門は二つで一組」とキャプションがある写真で、木製スライドゲートの小閘門と、その前で待つサッパを写したもの。これがどう見ても「仲江の水門」の奥にあるスライドゲートに見えるのです。扉体やサッパの状態もほぼ同じでした。

さらに、目を凝らして閘門の写真をよ~く眺めると、ある、ある! マイタゲート疑惑の凹凸が側壁に! これ、仲江間閘門だよ! …しかし、マイタゲートの扉体は影すらなく、今のものよりちょっとチープなコンクリート製ですが、ちゃんとスライドゲートの堰柱が。というわけで、昭和32年当時の先代・仲江間閘門も、形は違えどスライドゲートだったというお粗末。

う~ん、やはりマイタゲートは計画のみで、造られなかったのか…。それとも、先々代がマイタゲートだったのかしら? 疑惑が薄れたというか、謎が深まってしまいました。詳細をご存知の方、また以上の駄文に間違いがありましたら、ぜひご指摘、ご教示をいただきたいものです。

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タグ : 加藤洲閘門 仲江間閘門 閘門 和船 絵葉書・古写真 水郷