五霞落川の水門…2
(『五霞落川の水門…1』のつづき)
●裏側から見た水門の全景。表側同様、水辺には釣り人さんの姿がちらほら。
こちらもディテールはあっさりめで、巻上機室側面に、換気扇のフードがひとつ余計にあるのと、樋が走っている程度の違いです。扉体の構造が見える分、むしろこちらの方が水門らしい表情で、どこか安心させられるものが。
●西側堰柱に、銘板がありました。五霞落川水門の名のとおり、五霞落川の河口を守る役目を果たしているのですね。竣工は平成7年、まだ若手といっていい水門です。
ちなみに、製造元の日東河川工業ですが、香川ローカルでCMを放映しているようですね。(『ローカルCM・日東河川工業』ニコニコ動画(原宿)より)

●スキンプレート側を見たかぎりでは浅いと思えた水深も、扉体をアップで見てみると、湛水したときの汚れから1m強はありそう。
径間にくらべて天地寸法が少ないせいか、構造は単純明快で、すっきりした造作に見えます。
●管理橋の名前も「水門橋」と、外観とたがわず単純明快というか、気持ちがいいほどそのものズバリです。
ディテールについてぶつぶつ言ったものの、傍らにあった「水位伝送器」(↓)なる計器が備えられているのを見て、ちょっと見方が変わりました。
やはり河口に位置するだけあって、地域の水防の要といっていい存在なのですね。募集した絵が掲げられるのも、存在の大きさの証しなのかもしれません。

(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…3』につづく)

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こちらもディテールはあっさりめで、巻上機室側面に、換気扇のフードがひとつ余計にあるのと、樋が走っている程度の違いです。扉体の構造が見える分、むしろこちらの方が水門らしい表情で、どこか安心させられるものが。

ちなみに、製造元の日東河川工業ですが、香川ローカルでCMを放映しているようですね。(『ローカルCM・日東河川工業』ニコニコ動画(原宿)より)

●スキンプレート側を見たかぎりでは浅いと思えた水深も、扉体をアップで見てみると、湛水したときの汚れから1m強はありそう。
径間にくらべて天地寸法が少ないせいか、構造は単純明快で、すっきりした造作に見えます。

ディテールについてぶつぶつ言ったものの、傍らにあった「水位伝送器」(↓)なる計器が備えられているのを見て、ちょっと見方が変わりました。
やはり河口に位置するだけあって、地域の水防の要といっていい存在なのですね。募集した絵が掲げられるのも、存在の大きさの証しなのかもしれません。

(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…3』につづく)

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オレたちと造船…できるのか?
●以前、「造船番長のリーゼントが」で紹介したサノヤス・ヒシノ明昌のCM、造船番長の続編が! 先月初めに放映が始まっていたのですね。知らなかった…。
●今回はオープニングテーマの後に予告編が登場。オープニングも前回とディテールが異なり、みくらべて違いを探す楽しさがあったり、ちゃぶ台をひっくり返すシーンで番長の親父さんらしき人が出てきたりと、前回にも増して笑わせてくれます。
キメ台詞の「来週もオレたちと造船しようぜ!」が千両。次回の「うかれる前に浮かべてみやがれ!」の放映を、ハトのように胸を膨らませて待っています!

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タグ : 造船番長
五霞落川の水門…1
(『権現堂堰のあたり…2』のつづき)

●宇和田公園、旧権現堂堤の堤上から、権現堂堰・権現堂橋を見下ろしたところ。向こうに見える木の茂った小山は、中川開鑿によって分断された、権現堂堤の片われで、こちらに同じく宇和田公園の一部となっています。
緑濃い旧堤に挟まれて、ちょっとした渓谷のようなところに堰と橋が配されているあたり、箱庭を見るような楽しさがあります。とにかく気持ちのよいところで、遺構を眺めながらのお散歩には、うってつけの環境といっていいでしょう。
●宇和田公園橋に戻って、上流側に目を向けると、河川敷に生い茂る灌木の間から、水門が顔を出していました。
川だけでなく、用排水路が縦横に走るこのあたり、水門や樋門が群生(?)している場所でもあります。まずは正面から眺めようと、水門の対岸へ向けて出発。
●水門のほぼ対岸から、東を眺めたところ。川の分流点にグッとくる私としては、見逃せない風景です。
橋の下を写真奥に向かう水路は、幸手放水路といって、中川の増水時に江戸川へ排水するための放水路。橋の手前を右手に分岐するのが、中川の本流です。右手への分岐が新たに開鑿された区間で、幸手放水路は、かつての権現堂川の河道をほぼなぞったかたちになっています。
【撮影地点のMapion地図】

●で、水門の方へ向き直ってみると……ははあ、「お絵かき水門」ですね。これまた、何ともかわいらしいというか、一度見たら忘れられない絵柄です。ここがもし可航水路だったら、航行上のよい目標になったことでしょう。
●幸手放水路の橋を渡り、お絵かき水門に近づいてみました。窓が小さいせいか、巻上機室が思ったより頭でっかちに見えます。可航水路の水門なら、信号やスピーカーに監視カメラなど、装備が賑やかに取り付けられるところですが、単なる背水防止用の水門とあって、ライトが各径間に一つだけと質素な印象です。
絵があるだけに、水に浸かった時の泥がべったりついていたら、ちょっとかわいそうだなと思っていたら、案外きれいです。時々洗っているのか、単に水深が浅くて、下端をちょっと浸すくらいなのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…2』につづく)

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●宇和田公園、旧権現堂堤の堤上から、権現堂堰・権現堂橋を見下ろしたところ。向こうに見える木の茂った小山は、中川開鑿によって分断された、権現堂堤の片われで、こちらに同じく宇和田公園の一部となっています。
緑濃い旧堤に挟まれて、ちょっとした渓谷のようなところに堰と橋が配されているあたり、箱庭を見るような楽しさがあります。とにかく気持ちのよいところで、遺構を眺めながらのお散歩には、うってつけの環境といっていいでしょう。

川だけでなく、用排水路が縦横に走るこのあたり、水門や樋門が群生(?)している場所でもあります。まずは正面から眺めようと、水門の対岸へ向けて出発。

橋の下を写真奥に向かう水路は、幸手放水路といって、中川の増水時に江戸川へ排水するための放水路。橋の手前を右手に分岐するのが、中川の本流です。右手への分岐が新たに開鑿された区間で、幸手放水路は、かつての権現堂川の河道をほぼなぞったかたちになっています。
【撮影地点のMapion地図】

●で、水門の方へ向き直ってみると……ははあ、「お絵かき水門」ですね。これまた、何ともかわいらしいというか、一度見たら忘れられない絵柄です。ここがもし可航水路だったら、航行上のよい目標になったことでしょう。

絵があるだけに、水に浸かった時の泥がべったりついていたら、ちょっとかわいそうだなと思っていたら、案外きれいです。時々洗っているのか、単に水深が浅くて、下端をちょっと浸すくらいなのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…2』につづく)

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権現堂堰のあたり…2
(『権現堂堰のあたり…1』のつづき)

●両岸を宇和田公園のこんもりとした緑に挟まれて、少し土手を下った位置に架かるあたりも、昔の橋らしさを感じさせていいものです。コンクリート製ながら、高欄のデザインに年代がしのばれますね。親柱はご覧のとおり、岸から橋詰に向かって右側の、1本づつだけです。
この橋、前回紹介したフカダソフトさんの記事によると、権現堂橋といって、昭和3年の建造なのだそう。親柱に近寄ってみると、なるほど「昭和三年十一月竣功」と刻まれていました。
●権現堂橋に惚れ込んだ一番の理由は、少し下流に下がって、この角度から見たときの格好よさ。なな何だこの橋脚は!
六角形でゆるやかに裾を広げ、さらに上部の細くなった部分を、鉢巻きできゅっと引き締め、その上桁と接するあたりも、曲線で処理されているこの巧みな造形。高欄や桁まわりの直線的なかたちとはまさに対照的な、遊び心さえ感じさせる処理の仕方に、目を奪われました!
昔のRC橋は、みんなこうだったのかなあ…。
堰の落とし口という、激しい水流にさらされる場所にもかかわらず、あまり傷んだ様子がないこと、加えて高欄が塗装されているなど、まめに整備されている様子がうかがえる点にも惹かれるものがありました。どういった理由かはわかりませんが、大事にされているのですね。
●落とし水の涼しさを味わいつつ、堰と橋を堪能したあとは、宇和田公園の堤上に登ってみることに。
冒頭にも触れたように、かつては県境に沿って現在の江戸川まで、権現堂川が流れていたわけですが、この宇和田公園は、その権現堂川の洪水が南方に及ばないよう設けられた堤防、「権現堂堤」の一部を利用したもの。
今では、現在の中川の開鑿や、利根川~江戸川の河道が整理されたことなどで堤防は不要となり、一部を残して撤去されています。
このあたりも、先のフカダソフトさんの記事に詳しいので、ぜひご参照ください(他力本願だな)。

●階段を上って、森のように鬱蒼とした堤上を進んでゆくと、前方に立派な尖塔づくりの碑がそびえ立っていました。周りを囲んだコンクリート柵が、当時のモダンさみたいな雰囲気を感じさせます。
青銅製でしょうか、鋲の打たれた尖塔には、「庄内古川改修記念碑 内閣総理大臣男爵 田中義一」と書かれています。碑文には、昭和3年6月とありました。庄内古川とは、現在中川の一部となっている、かつて利根川の旧流路の一つであった川ですね。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…1』につづく)

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この橋、前回紹介したフカダソフトさんの記事によると、権現堂橋といって、昭和3年の建造なのだそう。親柱に近寄ってみると、なるほど「昭和三年十一月竣功」と刻まれていました。

六角形でゆるやかに裾を広げ、さらに上部の細くなった部分を、鉢巻きできゅっと引き締め、その上桁と接するあたりも、曲線で処理されているこの巧みな造形。高欄や桁まわりの直線的なかたちとはまさに対照的な、遊び心さえ感じさせる処理の仕方に、目を奪われました!
昔のRC橋は、みんなこうだったのかなあ…。
堰の落とし口という、激しい水流にさらされる場所にもかかわらず、あまり傷んだ様子がないこと、加えて高欄が塗装されているなど、まめに整備されている様子がうかがえる点にも惹かれるものがありました。どういった理由かはわかりませんが、大事にされているのですね。

冒頭にも触れたように、かつては県境に沿って現在の江戸川まで、権現堂川が流れていたわけですが、この宇和田公園は、その権現堂川の洪水が南方に及ばないよう設けられた堤防、「権現堂堤」の一部を利用したもの。
今では、現在の中川の開鑿や、利根川~江戸川の河道が整理されたことなどで堤防は不要となり、一部を残して撤去されています。
このあたりも、先のフカダソフトさんの記事に詳しいので、ぜひご参照ください(他力本願だな)。

●階段を上って、森のように鬱蒼とした堤上を進んでゆくと、前方に立派な尖塔づくりの碑がそびえ立っていました。周りを囲んだコンクリート柵が、当時のモダンさみたいな雰囲気を感じさせます。
青銅製でしょうか、鋲の打たれた尖塔には、「庄内古川改修記念碑 内閣総理大臣男爵 田中義一」と書かれています。碑文には、昭和3年6月とありました。庄内古川とは、現在中川の一部となっている、かつて利根川の旧流路の一つであった川ですね。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…1』につづく)

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権現堂堰のあたり…1
●5月4日は、江戸川流頭部の周辺を、陸路お散歩してきました。このあたり、古くから人の手によって、川がいじりまくられた(!)場所であり、また現在でもその痕跡がうかがい知れるところが多く、興味の尽きないところでもあります。
この附近の川で、やはり水運趣味的に興味深いのは、権現堂川と赤堀川、そして逆川がセットになった、上利根川(栗橋あたりから上流の利根川)と江戸川・中利根川(境町あたりから下流の利根川)を結んだ水路の存在でしょう。
●茨城県五霞町のMapion地図をご覧ください。五霞町の北から北東を利根川が流れていますが、これが旧赤堀川で、西から南に至る県境は、現在は権現堂川と中川に分かれていますが、かつてはすべて権現堂川でした。東側は、現在は江戸川と接していますが、これも昔はほぼ千葉県との県境に沿って、逆川と呼ばれた水路でした。つまり、上利根川と下利根川、そして江戸川は、じかに接してはいなかったのです。
舟航路の確保を主眼に、江戸初期以来(いや、それ以前からの積み重ねも、もちろんあるでしょう)近代にいたるまで長きにわたって、まさにいじられまくってきた感がありありとうかがえる川の線形。また水運の要衝として、幾多の河岸が栄えたこのあたり、可航水路としての整備が継続されていれば、第二の水郷として、美しい川景色が楽しめたに違いない…などと、妄想のオカズとしては、汲めども尽きぬものがあるわけです。
●前置きが長くなりましたが、まあ、そんな妄想とはあまり関係ないのが痛いところながら、最初に訪ねたのは幸手市、宇和田公園のあたり。良いお天気であまり風もなく、ちょっと歩くと汗ばんでくるほど。
工業団地の間を抜け、中川を渡る宇和田公園橋から下流を見ると…(↓)、少し下流に、涼しげな水音をたてる堰と、その向こうに小さな橋が見えました。

●中川といっても、艇で通ってなじんでいる下流部とは違い、流路も狭くのどかなもの。
コンクリートの護岸工がちらちら見える、緑に覆われた法面に挟まれた小さな堰がたてる水音は、離れたここまで気持ちのよい涼風を運んできます。魅力的な水門風景に、自然と足が速まりました。
【撮影地点のMapion地図】
●すでにトップ画像でもご覧に入れましたが、下流の橋から眺めると、簡素ながら可愛らしい感じのする堰で、水の落ちる涼しさもあいまって、眺めているのが楽しくなります。
この堰、名を権現堂堰、またの名を宇和田堰といって、昭和初期の中川改修事業の際に造られたものなのだとか。フカダソフトさんの「中川-幸手放水路、宇和田公園の付近」に、次項の橋や宇和田公園も含めた、素晴らしく詳しい記事が載っていますので、必見です! この記事によると、つい最近まで扉体や装置一式が備えられていたようですが、撤去されたようですね。
●堰の両岸には、四手網を沈めたおじさんが何人か陣取って、じっと水面を見つめていました。しばらくすると、網がたぐり寄せられ、中にはピチピチと跳ねる小魚が!
隣で見ていた人によると、鮎の稚魚なのだとか。すみません、魚には詳しくないので、正しいかどうかわかりませなんだ。

●そうそう、権現堂堰を間近に見られるこの橋が、また魅力的でいい橋なんですよ! 周囲のロケーションのよさも手伝っているのでしょうが、この橋には本当に、会えてよかったと思いました。
(23年5月4日撮影)
(『権現堂堰のあたり…2』につづく)

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この附近の川で、やはり水運趣味的に興味深いのは、権現堂川と赤堀川、そして逆川がセットになった、上利根川(栗橋あたりから上流の利根川)と江戸川・中利根川(境町あたりから下流の利根川)を結んだ水路の存在でしょう。
●茨城県五霞町のMapion地図をご覧ください。五霞町の北から北東を利根川が流れていますが、これが旧赤堀川で、西から南に至る県境は、現在は権現堂川と中川に分かれていますが、かつてはすべて権現堂川でした。東側は、現在は江戸川と接していますが、これも昔はほぼ千葉県との県境に沿って、逆川と呼ばれた水路でした。つまり、上利根川と下利根川、そして江戸川は、じかに接してはいなかったのです。
舟航路の確保を主眼に、江戸初期以来(いや、それ以前からの積み重ねも、もちろんあるでしょう)近代にいたるまで長きにわたって、まさにいじられまくってきた感がありありとうかがえる川の線形。また水運の要衝として、幾多の河岸が栄えたこのあたり、可航水路としての整備が継続されていれば、第二の水郷として、美しい川景色が楽しめたに違いない…などと、妄想のオカズとしては、汲めども尽きぬものがあるわけです。

工業団地の間を抜け、中川を渡る宇和田公園橋から下流を見ると…(↓)、少し下流に、涼しげな水音をたてる堰と、その向こうに小さな橋が見えました。

●中川といっても、艇で通ってなじんでいる下流部とは違い、流路も狭くのどかなもの。
コンクリートの護岸工がちらちら見える、緑に覆われた法面に挟まれた小さな堰がたてる水音は、離れたここまで気持ちのよい涼風を運んできます。魅力的な水門風景に、自然と足が速まりました。
【撮影地点のMapion地図】

この堰、名を権現堂堰、またの名を宇和田堰といって、昭和初期の中川改修事業の際に造られたものなのだとか。フカダソフトさんの「中川-幸手放水路、宇和田公園の付近」に、次項の橋や宇和田公園も含めた、素晴らしく詳しい記事が載っていますので、必見です! この記事によると、つい最近まで扉体や装置一式が備えられていたようですが、撤去されたようですね。

隣で見ていた人によると、鮎の稚魚なのだとか。すみません、魚には詳しくないので、正しいかどうかわかりませなんだ。

●そうそう、権現堂堰を間近に見られるこの橋が、また魅力的でいい橋なんですよ! 周囲のロケーションのよさも手伝っているのでしょうが、この橋には本当に、会えてよかったと思いました。
(23年5月4日撮影)
(『権現堂堰のあたり…2』につづく)

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