茂森橋のディテール…5
(『茂森橋のディテール…4』のつづき)

●錆垂れと縁石(?)の欠落が目立つ、鋼桁の南側側面を眺めていると、高欄の柱、左端2本が他と形が違うのに気付かされました。
根元が帯金の足で、縁石の上にまたがったようなつくりになっています。ここも、クルマの衝突か何かで壊され、後に復元されたところなのかもしれません。

●鋼桁側面、東端に書かれた塗装記録。わざわざ東側のテラスに入ったのは、何よりこれが撮りたかったからです。
最後の塗装が、1995(平成7)年…もう16年間も再塗装されていないのですね。「茂森橋、2年後に架け替えか?」でも触れましたが、やはり、こんなに長い間放置されているのを見ると、いよいよ架け替えも近いのか、と不安にかられます。
●東側の橋台。表面の剥落はもっとも少ないですが、上端近くに水平に亀裂が走っています。流れか風によるものかはわかりませんが、西側よりよどみがひどく、水面にしわが寄ったように見えます。
橋台の前後は、岸に近いこともあって泥が堆積し、潮位が低い時には水底が露出するほど、水深も浅くなっています。写真でも、水底に沈んだごみが透けて見えていますね。
●東側の親柱。銘板は、前回触れたように点対称の配置なので、「茂森橋」と漢字です。あらら、こちらの「笠石」は、歩道側にズレてしまっていますね。ホゾか何かではまっているのではなく、乗っかっているだけなのかしら。
今回改めて眺めてみて、銘板について引っかかったことが一つ。銘板のサイズが、親柱の凹部と合っておらず、周りにセメントの「余白」を生じていること。恐らく竣工時のものではなく、後になって新たに掲げたものなのでしょう。
「茂森橋哀歌…2」でも、鋼桁中央にあったであろう銘板について触れましたが、経年劣化で落ちたのか、金属供出で外されたのか、はたまた金物が高騰していた時代に持ち去られたのか…あれこれと想像してしまいます。
●少し離れて、東詰から眺めたところ。「最低橋」であるという先入観も手伝い、近くに架かる他の橋にくらべれば、さほどではないと思っていたのですが、こうして眺めると路面の「盛り上がり」ぶりはかなりのもので、土地の低さを改めて実感。
茂森橋際歩道橋の向こうには、葛西橋通りと仙台堀川を一気にまたぐ、木場公園大橋の主塔がのぞいています。
(22年12月5日撮影)
(『茂森橋のディテール…6』につづく)

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●錆垂れと縁石(?)の欠落が目立つ、鋼桁の南側側面を眺めていると、高欄の柱、左端2本が他と形が違うのに気付かされました。
根元が帯金の足で、縁石の上にまたがったようなつくりになっています。ここも、クルマの衝突か何かで壊され、後に復元されたところなのかもしれません。

●鋼桁側面、東端に書かれた塗装記録。わざわざ東側のテラスに入ったのは、何よりこれが撮りたかったからです。
最後の塗装が、1995(平成7)年…もう16年間も再塗装されていないのですね。「茂森橋、2年後に架け替えか?」でも触れましたが、やはり、こんなに長い間放置されているのを見ると、いよいよ架け替えも近いのか、と不安にかられます。

橋台の前後は、岸に近いこともあって泥が堆積し、潮位が低い時には水底が露出するほど、水深も浅くなっています。写真でも、水底に沈んだごみが透けて見えていますね。

今回改めて眺めてみて、銘板について引っかかったことが一つ。銘板のサイズが、親柱の凹部と合っておらず、周りにセメントの「余白」を生じていること。恐らく竣工時のものではなく、後になって新たに掲げたものなのでしょう。
「茂森橋哀歌…2」でも、鋼桁中央にあったであろう銘板について触れましたが、経年劣化で落ちたのか、金属供出で外されたのか、はたまた金物が高騰していた時代に持ち去られたのか…あれこれと想像してしまいます。

茂森橋際歩道橋の向こうには、葛西橋通りと仙台堀川を一気にまたぐ、木場公園大橋の主塔がのぞいています。
(22年12月5日撮影)
(『茂森橋のディテール…6』につづく)

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